彼女はお嬢ではないと言う。俺とも初対面だと。

　だが、人違いと言うにはあまりにも似すぎている。雰囲気、優しさ、そして声。

　俺は大いに迷った。

　俺が――黒羽組の狂犬、狩巣野（かりすの）秘隙（ひすき）が仕えるべきは黒羽楓（お嬢）ただひとり。

　それは異世界に転生しようが変わらない。

　そして、目の前にはお嬢と瓜二つの少女。いや……厳密には違いもある。髪色が違う。目がしっかり見えている。何より自らの足で立って、動いている。

　もし、本当にお嬢とは別人であったなら、ケルアという少女に従うのはお嬢への裏切りになるのではないか。

　だが一方で、可能性は捨てきれないのだ。

　お嬢はケルアとしてこの世界に転生していて、今はただ、生前の記憶を失っているだけなのではないかと。

　ケルアをお嬢と呼ぶことは、仁義と忠義に悖（もと）るのか、否か。

　仁義も忠義も、ヤクザの存在意義と言ってよい。このふたつを持ち合わせない野郎は、ただのチンピラだ。俺は認めない。

「ウー……」

　悩みのあまり、イッヌの俺は獣そのものの唸り声を上げてしまう。これじゃ抱っこを嫌がる子犬と変わらねえじゃないか。情けないぞ、狩巣野秘隙。

　そのときだ。

　苦悩する俺の様子を見て、ふとケルアは小さく微笑んだ。まるで何かを諦めたような笑み。

「ごめんね。もう行っていいよ。ここでお別れしよ」

「な……！？」

「どちらにしろ、私はもうすぐいなくなる（・・・・・・・・・）から。一緒にいても意味ないよ。その『お嬢』ってひと、早く見つかるといいね。ヒスキさん」

「ちょ、ちょっと待った！　それはどういうことですかい！？」

　いまだお嬢かどうか迷う俺は、思わずそう口走る。

　するとケルアは言った。

「私は疎（うと）まれた子だから。邪魔者だから」

「な……！！」

　その表情が、言葉が、諦念（ていねん）の微笑みが、生前のお嬢とダブる。

「私といても、いいことないよ。それじゃあ、さよなら……」

　踵（きびす）を返すケルア。行く当てもなく彷徨（さまよ）うつもりなのか。

　無意識に叫んでいた。

「お嬢（・・）ッ！　待ってくれ！！　行くな！！！」

「――きゃん！」

　可愛らしい悲鳴が聞こえた。

　泥濘（ぬかるみ）に足を取られて、コテッとずっこける。そのまま池に前のめりでダイブし、水しぶきとともにそのままブクブクと……。

「うわあああっ！！？　お嬢おおおっ！？？」

　動転した俺は慌てて池に飛び込む。無我夢中で『戌』モードに変身すると、そのまま彼女を助け出した。　全身ずぶ濡れになったケルアは、なぜだかひどく落ち込んでいた。

「うう……。また落ちた……。私のドジ……」

「いや、まあ、人間得意不得意はありますぜ」

　とりあえず慰める俺。助け出せて気が抜けたせいか、すぐにイッヌモードに戻ってしまう。

　あまりにもどよんと暗い影を背負っているので、俺は深く考えずに言う。

「お嬢。とりあえず濡れた衣服を乾かさねば。そのままじゃ風邪を引きますぜ」

「ううん、平気……。私にはこれくらいグダグダが似合ってるの……」

「～～、そ、そうだお嬢。俺のこの身体を使って下せえ！」

　前脚を上げて万歳アピールをする。これも神獣としての能力なのか、身体についた水滴はあっという間に乾いていた。

「ほら、ご覧くだせえ。この滑らかかつふ（・）わ（・）も（・）こ（・）の身体を！　スポンジタオルとしてぴったりじゃねえですか。さあ、遠慮なくこれで濡れたお身体を拭いてください！　さあ！」

「……ふふっ。ヒスキさん、面白い」

　暗く落ち込んでいたケルアの表情に笑みが戻った。やはり、笑った口元まで生前のお嬢に似ている。

「そ、それじゃあ遠慮なく……ふわぁ……！」

「おおうっ！？」

　イッヌな俺の身体を抱き上げた彼女は、お腹に頬ずりを始めた。妙な感覚に妙な声を上げてしまう。ちっ、このくらいの辱（はずかし）め、我慢しろや狩巣野秘隙！　てめえはポン刀ブッ刺さっても平気なツラぁしてただろうがよ！

「すりすりすり……。すりすりすり……」

「うわっほぉっ！？？」

　やべえ。ケルアがマジで遠慮なくなってきてる。身動きできねぇ……。

　つうか、これじゃあ身体拭けてなくない？　全身ずぶ濡れから改善できてねえぞ？

「へっくち！」

「ああもう。言わんこっちゃない」

　くしゃみをした拍子に抱きつきが緩んだので、俺は地面に降り立った。そのまま毛並みを押しつけながら、猫のようにグルグルと彼女の周りを回る。ケルアはきゃっきゃと喜んでいた。

　タイミングを見計らって、俺は改めて尋ねた。

「お嬢――じゃない、ケルア。教えてくだせえ。もうすぐいなくなる（・・・・・・・・・）って、どういうことですかい？」

「うん……」

　体育座りで膝頭に頬を乗っけたまま、彼女は語り出した。

「私、故郷の村を出てきたの。村の皆に……嫌われちゃってたから。このままいたら迷惑になる。だから私がいなくなれば、皆、きっと幸せになれるって思って」

　まさか、この世界でも居場所を失っていたとは。しかも人知れず命を絶とうと。

　だからこんな人の気配がない森にひとりで入られたのか……。

　彼女を嫌いハブる奴ら、ね。

「仰って下されば、そんな連中灰皿にドタマはめ込んでわからせて差し上げたのに」

「え？」

「いえ何でも。続けてくだせえ。どうして疎（うと）まれることに？」

　危うく狂犬の本性が牙を剥きそうになって、俺は話題を戻した。

　するとなぜか、ケルアは自分の口を手で押さえた。声のボリュームも抑えるので、俺は彼女の口元に顔を近づけ、耳を立てる。

　ケルアは言った。

「私の声、ちょっとおかしいみたいなの」

「おかしい？　なぜ？　耳に心地良い、優しい声音じゃないですか」

「そう、なの？　えへ。ありがとう。嬉しい」

　ちょっとはにかんでから、彼女は続ける。

「詳しいことはよくわからないんだけど……私の声が、いつからか『オーク』を呼び寄せるようになったみたいなの。それで、村の皆が困って、怖がって、私から離れていった」

「オーク！？　あの、異世界転生モノには必ずといってもいいほど登場するブタ顔筋肉質の亜人種で主人公の強さを紹介するためだけのザ・やられ役に甘んじる一方、特定ジャンルにおいては不動のレギュラーたるたくましさ太ましさを見せるあのオーク！！？」

「……？　早口でよくわからない……」

「すみません忘れて下さって結構です。まだ識（し）るには早すぎるので」

「ちょっと、知りたい」

「ダメです」

「私、オークのことをもっと知らないといけないの。だって――」

　そこで口ごもるケルア。

　俺は少し考えを改めた。どうやら、この世界のオークは俺が思うほど単純なケモノではないらしい。特に彼女にとっては、何か含みがある相手のようだ。

◆３話あとがき◆

謎の少女ケルアは、天然健気（けなげ）ドジっ子でした。イッヌなヤクザをぎゅーってするとこカワイイ。そんなお話。

彼女の言うオークとは。やっぱりアレなのか。

その正体は次のエピソードで。

【フォロー、応援、★評価よろしくお願いします！！】

【コメントでもぜひ盛り上がってください！】