第2話 神獣ヤクザが救った少女


 落ち着け、俺。

 てめぇは泣く子も黙る『狂犬』、狩巣野かりすの秘隙ひすきだろうが。

 お嬢の忠実な犬が、見た目も本物のイッヌになっただけだ。何を慌てる必要がある。

 むしろアラスカンマラミュートになったらお嬢は喜んでくれそうだろうが。喜べ。イッヌになったことを喜べ。可愛いだろイッヌ。


「――クソが! まったくこれっぽっちも落ち着いてねぇじゃろが。しっかりせんかいワレ!」


 思わずヤクザ口調で吐き捨てる。


 とにかく、現状把握だ。

 手足の違和感は、子犬状態になったことで短くなったためだろう。とりあえずバタついてみたが、一向に動けない。

 どうやら今の俺は、崖の上から垂れ下がった蔦か何かに絡まり、宙づり状態になっているようだ。いや何でだよ。どうしてこうなった。


 そして、眼下は池だ。

 顔が映り込むくらい綺麗なのは認めるが、イッヌの身体で落ちたらどうなるかわからない。

 とりあえず、背中にポン刀は刺さってないし、身体の痛みはないから傷も癒えているのだろうが、逆に言えばポジティブな点はそれだけだ。

 身動きが取れないのであれば、このまま干からびるだけ。文字通り犬死にである。笑えねえ。


 辺りを見渡すと、ここは美しい森であった。あちこちに池や川があり、太陽からの照り返しを受けて木々が眩しく輝いている。

 せせらぎの穏やかな音が絶え間なく聞こえてきて、俺は思わず耳を傾けた。

 まるで、お嬢の好きだったASMRアスマー動画のようだ。ファンタジックな光景、現代社会の雑音を一切廃した純粋な自然音。まさに動画で流れていたイラストそのものである。


「これが人外系異世界転生ってヤツか。フッ、ASMR世界なんてブッ込んできやがる……」


 お嬢の影響か、俺はサブカルに詳しい。三十路みそじヤクザがコミックやアニメに詳しくて悪いか。チャカやポン刀でタマの取り合いするよりナンボか平和的だろがオラ。ラノベの角でいてまうぞコラ。単行本サイズはそこそこゴツくて痛ぇぞワレ。


「大丈夫!?」


 ――その声を聞いた瞬間、俺は心臓が激しく高鳴った。


 ゆっくりと頭上を見る。イッヌになったおかげで、視界が広い。蔦の行く先、崖の上の様子も把握できる。

 その崖の上から身を乗り出すようにして、ひとりの少女が叫んでいた。


「しっかりして! 今、助けてあげるから!」

「――お嬢!!?」


 俺は思わず叫んでいた。

 そう。

 崖の上に現れた少女は、俺が生涯掛けて仕えると誓ったお嬢――黒羽くろばかえでに顔立ちが瓜二つだったのだ。


 同時に強い違和感を覚える。

 お嬢の目はずっと前に光を失い、まぶたを上げることもできなかったはずだ。

 しかし、崖の上から必死に呼びかけてくる少女は、しっかりと目を開けて俺の姿を捉えている。


(もしお嬢が病気もなく元気で生きていたら、あんな感じになったんだろうか)


 気持ちの整理がつかないまま、そう考えたときである。


「――あっ!?」

「……!!?」


 少女がバランスを崩した。ぐらりと、前のめりに倒れる。

 崖上までおよそ10メートル。4階建てマンションほどの高さがある。

 そこから、10歳そこそこの少女が頭から落下したらどうなるか。

 たとえ凪いでいても、高所から落下時の水面はコンクリートも同様――。


『眠くなっちゃった……』


 俺の脳裏に、今際いまわの際の顔が浮かび上がる。

 

 仕えると決めた。

 守ると決めた。

 もう二度と、お嬢をツラい目に遭わせない。


 そのスジを通さずして、何がヤクザか――!!


「お嬢おぉぉぉッー!!!」


 力の限り叫んだ瞬間、周囲がまばゆい光に包まれた。

 俺の身体が、変化する。

 絡まっていた蔦が、ブチブチと音を立てて引きちぎれる。

 アラスカンマラミュートの子犬程度だった俺の身体が、どんどん巨大化したのだ。それは成犬を通り越し、その2倍、3倍の巨体へと変貌する。


(オラオラオラ、邪魔だオラァッ!!)


 変化したのは体格だけじゃない。

 腹の底から力があふれ出てくる。まるで、舐め腐った連中の事務所シマを完膚なきまでにブッ潰したときのような全能感だ。

 顔つきも変わっている。自分で分かる。愛嬌のあるイッヌから、凶悪な獣へと。

 もうこれはイッヌじゃない。

 刃向かう者、襲い来る理不尽を噛み千切り、主を守り抜く『イヌ』だ。


「お嬢にはキズひとつ付けさせねぇ!!」


 俺は空中を駆ける。理屈なんざどうでもよかった。俺はできる。そう確信するままに走る。

 俺を包む光の正体は、菊の花びら。

『戌』の俺を菊花の輝きが色添える。いいね。ヤクザに相応しい――!


 そのまま俺は空中でお嬢を受け止めた。背中の体毛に、お嬢の身体を感じる。もぞもぞと動く気配。よかった、お嬢は無事だ。


 俺は改めて自分の身体を見た。


「ハハ……マジで浮いてら。すっげえぞ、この身体」


 菊花の輝きを振りまきながら、俺は空中でしっかりと四肢を立てていた。自分で言うのもアレだが、これぞまさに神獣。今なら何だってできそうな気がする。

 俺は身のうちにたぎる衝動へ身を任せ、高らかに遠吠えを上げた。


 オォーン、オォーンと、どこまでも拡がっていくような力強い声。その響きに心地よさを感じながら、ふとデジャヴに襲われた。


(しかし、この声……どこかで。そうだ、あのASMR動画! あそこで流れた遠吠えそっくりじゃねえか)


 そこで俺は思い至る。


(もしかしてこの世界は、俺がお嬢に読み聞かせていたASMR世界なんじゃないか?)


 ラノベやコミックの中に転生するという話はよく見聞きする。ヤクザだって詳しいモンは詳しいのだ。お嬢を楽しませるために積んだ努力を舐めてはいけない。

 しかし、動画の――しかもASMR動画なんていう特異なジャンルに入り込むなんてのは、さすがに聞いたことがない。

 もし本当に、俺が創作し読み聞かせた物語であるならば――。


(俺は、全力でお嬢の願いを叶える義務がある。この世界で自由に冒険したいという、お嬢の願いを)


 俺は背中のお嬢を振り返った。毛並みにしっかりと掴まった彼女と目が合う。何度見てもそっくり――と、思っていたが、よく観察すると彼女の黒髪は、先端が銀色に染まっていた。もちろん、俺の知るお嬢はそんな奇抜な染髪などしていない。


 菊花の光を撒きながら、俺はゆっくりと近くの河原に降り立つ。

 お嬢――に似た少女――を見ながら、俺は尋ねる。


「お嬢。ご無事ですか?」

「う、うん。ありがとう……でも、『お嬢』って?」

「……。こんなナリではわからないと思いますが、俺は秘隙ひすきです。黒羽組の狂犬、狩巣野かりすの秘隙です」

「ヒ、スキ……さん?」


 嫌な予感はしていた。

 しかし、誤解だと決めつけるにはあまりにもタイミングが良すぎる。

 神獣の姿とは言え、俺が異世界に転生できたのだ。

 同じ場所にいて、同じタイミングでこの世を去ったのだから、お嬢だってこの世界に転生していてもおかしくない。そうであって欲しい。


 俺は一縷いちるの望みをこめて、もう一度名乗ろうとした。


「お嬢、俺です。俺は、――!?」


 突然である。

 全身から力が抜けたかと思うと、『戌』モードの巨体が急速に小さくなっていった。同時に菊花の輝きも消え、代わりに別の植物の光がポッと浮かぶ。なんだあれ、ススキか?

 俺は元の子犬の姿――『イッヌ』モードに戻ってしまったのだ。

 お嬢を背中に乗せたまま。


「ぐぇっ!?」

「きゃあっ!? だ、大丈夫!?」


 いくらか弱い少女とはいえ、子犬に人の身体はデカすぎる。べしゃっと潰され、俺は瀕死の蛙のような声を上げてしまった。

 しかしそこは転生で手に入れた身体。怪我なく這い出すことに成功する。

 大きなため息をついた俺を、お嬢――に似た少女はゆっくりと優しく撫でてくれる。ぬ。人の手で撫でられるのはこれほど気持ちよかったのか……。


 気の抜けた俺の身体を、細く小さな手がひょいと持ち上げる。

 綺麗な瞳が目の前にあった。


「助けてくれてありがとう。あなたの名前はヒスキさんというのね。私はケルアっていうの」

「……お嬢。俺は」

「ごめんなさい。私とあなたは初対面。だから、その『お嬢』って人とは別人だと思う」


 済まなそうにする仕草までお嬢そっくりの少女ケルアは、そう言った。







◆2話あとがき◆


パワー増し増しの巨大フェンリル形態に変身できました、というお話。

お嬢そっくりなこの少女、実は他にもカワイイ一面があるんです。

それは次のエピソードで。


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