上野の国立西洋美術館を訪れた人であれば、その基礎となった松方コレクションの名はご存知であろう。作品群を蒐集した松方幸次郎が本作の主人公である。彼が画家クロード・モネの元に作品を買い付けに行く場面から物語が始まる。主たる筋は、モネが発した問いに幸次郎が的確に答えることでモネが手元に残した自分用の絵を譲ってもらう、というもの。読者は幸次郎と共にその謎に挑む、ある種のミステリである。但しこの答えに関しては、正直に言えば賛否あるのではないかと思う。稀代の画家モネが感心する答えにしてはあまりにも当たり前に思えるからだ。
しかし本作はそこではなく、むしろ作者の四谷軒様ならではの、歴史小説的虚構にこそ面白さがある。例えば幸次郎がなぜ絵画を買い求めるのか。彼は幼少期に目にした「凄いモノ」が「生きる糧」になった経験を持ち、故に「凄いモノ」である稀代の画家の絵を多くの人々に見せたいのだという。
では彼が見た「凄いモノ」とは何か。それは人斬り半次郎こと桐野利秋が彼に見せた凄まじい斬撃だったというのだ。幸次郎の父、松方正義は桐野利秋と同時代の薩摩藩士であり、親交は「あったかもしれない」。上級藩士と下級藩士の立場の違いや、後年の政治的対立からすると実際のところはよくわからないが、スレスレの線を攻める虚構こそが歴史小説の醍醐味とも言える。
実は本作にはさらなる大仕掛けがある。そう来たかと膝を打つこと必定である。こちらは是非本編を読んでいただきたい。
美術収集家の松方幸次郎と、画家のクロード・モネが、第一次世界大戦下のパリ郊外にて、相まみえたかもしれない。本作は、そんなifの世界を描いたヒューマンドラマ短編です。
西洋美術を日本に持ち帰り、美術を志す者たちに見せたいという夢を持つ幸次郎は、モネの画(え)を自分用に譲ってもらえないかと持ち掛けます。
対するモネは、幸次郎に意外な勝負を持ち掛けます。若き日に見たとある画に、なぜ自分が感銘を受けたのか、考えてほしい――と。
人は、なぜ、芸術作品に心を揺さぶられるのでしょうか。全貌を視覚で捉える「画」は、言葉を大きく飛び越えて、鑑賞者の胸に届きます。そんな感動を、言葉で丁寧に繙いていく文章は、非常に真摯な筆致で綴られていて、芸術や創り手に対する畏敬の念を感じました。
モネの問いに、幸次郎は答えを出せるのか。稀代の画家の絵を、手に入れることができるのか。二人の対話の行方を、ぜひ見届けていただければと思います。
モネの作品を求めてフランスの片田舎へやってきた松方幸次郎。果たして遭遇した稀代の画家と、語り合うのは「自分を感動させた作品」、そして「その感動の理由」。
美しいもの、優れたもの、それを見た瞬間、自分の生きる意味を教わった気がする。
そんな経験、僕もあります。僕の場合それは星新一のショートショートでしたし、ある時区民文化センターで見た一枚の絵画でしたし、先輩と一緒に描きあげた一枚の絵、その制作工程だったりします。
美しいもの、優れたものを見た時の感動。
モネは松方に、これを言葉にして説明するよう求めます。それに対する松方の答えは……作品を読んでのお楽しみ。
芸術に志のある人間、芸術に心打たれたことある人間なら必ず感じ入るところ、あると思います。
それに、この期間ですしね。
ぜひ、読んでみてください!
いきなり読者を野郎呼ばわりして失礼しました。ですが今、この短編を読み終えた直後の興奮状態でレビューを書いているので過ぎた表現はご容赦願います。
上野の国立西洋美術館には、「松方コレクション」なる美術収集品の一群が収蔵されています。というかこのコレクションを保存公開するためにこの美術館が建てられました。にもかかわらず、これまで私はさほど「松方」の部分に注意を払わずに展示を見てました。ですがこの短編を読み、矢も楯もたまらず上野に行って西洋美術館詣でをしたくなりました。
話の中核は、「松方コレクション」を作り上げた実業家の松方幸次郎と、説明不要の印象派の画家・モネとの交流です。生まれも育ちも異なる二人に響き合うもの、それを読み解く一枚の絵画。これだけでも十分満ち足りた読後感を得られるというのに、最後に意外な展開が待っています。そして最後の四行を読んでんほぉおおおおお!
もうたまらん、明日は仕事休んで上野行ってくる! 目指すは国立西洋美術館! この傑作短編読んだ野郎共、付いて来い!