第八話 勇者の代行人
スイ、母さん。早く逃げてくれ。
「ちくしょう。邪魔だなぁ!」
鉈と剣。二つの刃は未だに拮抗している。均衡は崩れずに少しずつ衝突の位置がスライドしていく。そのたびに無意味に火花が散っていく。奴は本気を出していない。さらにイラついている。殺すなら今が最適だ。
「くっ」
剣を左に大きく薙いで鍔迫り合いを終わらせる。俺は反動で少し後ろに後退する。対して、奴は全く動かない。やはり、図体が大きいからだ。生物として根本が違うのだろう。奴は俺の動きを見てにやりとした。どうやら、好機だと感じたようだ。そのまま、態勢を変えずに突撃してくる。だけど、それこそが好機だ。
「は……?」
姿勢を限界まで屈め奴の間合いのさらに内側まで入り込む。奴は驚いて後退しようとするが、もう遅い。そうして俺は右足を浮かして、
「ふんっ!」
振り上げた足を奴の急所——股間部に近付けて思いっきり蹴り上げた。
奴は少し悶えてその場に倒れこむ。
その姿を確認するより前に思いっきり走りこんだ。
向かった先は、部屋の端。窓があるところ。もう妹達を助けられる隙は今しかないだろう。
「スイ!」
腹部から思いっきり力を込めて叫ぶ。階段を作っても、壁が邪魔だ。壊さなきゃ2人は出られないだろう。そのための合図。確認なんかできない。
窓の穴に剣を突き立て、摩耗した残り少ない魔力を再び剣に流し込めた。魔力の変質とともに両腕が力んで震えていた。魔力がほとんど残っていない証拠だ。おそらく、今まで使っていなかった体を無理に使った弊害だろう。そう思考を巡らせながらも、体の警告を無視して壁に魔法を放った。
「閃光の貫弾(ライトニング・ショット)」
剣から放たれた魔力の弾は真っ直ぐ上階に届き、城のレンガの壁を無造作に崩した。穴は円型でレンガの瓦礫が少し残っていた。窓から2人の姿を見たかったけど、そんな余裕はない。多分、もう奴が——
「てめえ。いい度胸じゃねえか。あ?」
とっくに痛みを抑えて、怒りに満ちた表情で俺を睨んでいた。
「お前ほどじゃない」
軽く悪態を吐き、窓から背を翻した。目の前の自分の身丈の倍以上ある化け物に剣を向ける。今度こそ、仕留める。頭の中で感情を爆発させながら、全力で奴に向けて疾走した。だが、俺が走る前に奴はこの部屋にはいなかった。
逃亡。いや仲間の援護?どちらでもいい。母さんに到達する前に終わらせる。走りながら、無意味に魔力を剣に込めて、長い直線の道を走り抜けた。
汗が勢いよく体を流れ、剣の柄を滑らせた。そんな些末な事実はどうでもいい。だけど、届かない。すぐそこにいるはずなのに足が追い付かない。もう魔法を使う体力はない。それでも仕留める。それでも殺す。お前の作る絶望を今日限りで終わらせる。その執念から足を止めることはできなかった。
命懸けの競走はすぐに終わった。奴は階段の前で停滞した。俺はそれを最後の好機だと、そう錯覚した。態勢を変えず、剣を後ろに構える。足の速度を緩めず、剣を全力で握りしめた。横薙ぎに斬るだけ。ただそれだけでこの戦いは終わる。そうすれば、妹や母に会える。助けられる。ただそれだけを考え剣を振……
「死ねえ!女王!」
り損ねた。奴が生み出した強風で大きく後退することになった。尻を着いて、情けなく狼狽えた。
勘違いしていた。奴は単純な馬鹿だと、鉈を振り回すことしかできないと考えていた。上階へ向かい、階段を下りて直接手を下すものだと思っていた。
鉈を矢のように投げ飛ばすなんて考えもしなかった。
奴の途轍もない腕力で投擲された鉈は、大きな音ともに姿を消した。それから瞬きをする程のほんの数刻。爆音とともに何かに刺さった音がした。
俺は、氷か地面に突き刺さった音だと勘違いした。だけど、そんな愚かな認識は、
「いやあああああああああ!」
妹の絶望に満ちた悲痛の叫びで掻き消された。そして気が付いてしまった。理解してしまった。目の前の奴が何をしたのかを。
「死ね!」
怒りで思考が停止した。止まっていた腕を再び動かす。右手の剣を左手で補助し、全力で真上に振り上げる。その結果、奴の左腕を切り落とすことには成功した。だが、
「あはっはっは!残念だったな!王子様!」
「待て!」
奴は窓から飛び降りて、逃げた。城から完全にいなくなった。追おうにも、放心状態でそれどころではなかった。思考が追い付かない。感情が安定しない。体が動かない。もうどうすればいいんだ。何もかもがわからない、そんな状況だった。
だけどそれでも、妹の泣き声は無視できなかった。
大急ぎで両足を動かし、上階への階段を上った。上がった先の最奥が氷の階段への入り口だ。思考を停止する。停止しなきゃ、きっと止まってしまう。左足から一歩ずつ動かして地面を踏みしめる。氷の階段にたどり着くのにとても永い時間がかかったように感じた。早く2人のところに行かないと。思考は停止しても止まらなかった。
氷は、大股でどうにか飛び越えられる。別にそれは問題じゃない。だけど、飛び越えると階段はすぐに壊れてしまっていた。それは、まるで妹の写し鏡のようだった。恐怖は感じない。感じるには、ただの———。
8段。飛び越えた先の景色を見て、絶句した。
紅く染まっていた草木。今なお大粒の涙を流し続ける妹。そして、
鉈が腹部に突き刺さり、すでに顔面蒼白となっていた母の姿。
「あ…あ。あ、ああ」
「かあ、さん」
舐めまわすように2人を見て、散々思考してようやく出した言葉がこれだ。どこまでも不甲斐なくて嫌になる。大好きな人一人守れないなんて。
「くり、すと」
「!」
「お母様⁉」
2人とも驚愕した。もう命の灯を消したと思っていた母はまだ生きていた。肌は白く蒼くなり、喉から掠れた声を出しながら僕に何かを伝えようとしている。
剣をその場に放ったまま母さんの前に跪き、頭を下げる。これが最後の言葉だ。どんなことであれ、魂に焼き付けなければ。
「くりすと」
「はい」
「まおう を うちなさい」
「え?」
一音ずつ噛みしめるように言葉を話す。聞き返すも、もう聞こえていなかったようだ。
「とうさん の ゆうしゃ の かわり に」
「………」
その言葉を聞いて左手を強く握りしめる。
「にいさん ごめん、な、さい」
「お母様!」
「母さん……」
それが、最後の言葉だった。
母は最期の力を振り絞って、僕に最初で最後の命令を下した。
父は旅発つ最後まで僕に戦う術を教えてくれた。
もう奴らは殺し尽くすしかない。
もう亡き家族の無念のために。もう誰かを悲しめないために。
一歩を踏み出すのが本当に遅かった。遅すぎた。
誰かに一言もらえないと、足を踏み出すことすらできなかった。
本当にどうしようもない臆病者だ。
今になるまで、気付けなかったのだから。
「申し訳ありません。守れませんでした」
「僕もアイツを逃がした」
淡々と返す。2人とも「何一つ落ち度がない」なんて言えない。少なくとも、僕には「戦う選択」をした責任がある。もう後戻りはできない。僕はもう奪われる側の人間じゃない。奴らに刃を突き立てた時点で奪う側になったんだ。
なら、その責務を果たさないと。
「お兄様、私達、どうすれば」
「スイ、始めよう」
「え?一体何を?」
もう足踏みは必要ない。もう絶望は必要ない。
クリスト・アレクサンドラができる全身全霊で為すべきことを為すだけだ。
「本当の反逆を」
母さんのように凛々しく、堂々と。父さんのように豪快で勇敢に。
勇者の代わりに魔王を討つ———
————勇者の代行人として。
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