第13話 ダルツィーク湾海戦

「リンデマン大尉、第41駆逐隊です。間もなく合流します」


 操艦に必要な設備のみが整えられた艦橋の露天部分にて、双眼鏡で周囲を確認していた作業員が報告を上げる。艦橋内部の機器の一つを見ていた一人の女性士官は、それを聞きつつ返事を返す。


「了解。発行信号を送って。『これより合流す。ロストロクまでの護衛を求む』と」


 ゾフィー・バルバラ・リンデマン海軍大尉は、デモナハーフェン海軍工廠にて戦艦「ブラウ・シュテルン」の艤装工事に携わる技術士官であった。彼女はヒト族と魔人族のハーフであり、本来であれば操艦自体は階級が上の者によって執り行われるものである。しかし、艦の運用に携わる士官の大半が敵機の爆撃を受けて消息不明となり、艦上で作業に当たっていた者達だけでどうにか移動させなければならなかった。


 その際、「ブラウ・シュテルン」には幾つかの幸運があった。まず機関はすでに設置され、4軸あるスクリューの全てを稼働させられる状態にあった事。試験動作のために事前に燃料を500トンほど積み込んでいた事。そして何より、従来の蒸気タービンではなく、新開発のガスタービン機関であった事。人口面や海軍が保有する軍事施設の規模から艦艇の『量』を確保できない代わりとして『質』を高めることに拘った結果、機動力向上の目的を果たすべく、始動時間が非常に短いガスタービンを採用していた。


「…しかし、艤装途中に海軍司令部に爆撃。地上の施設にも被害が出て、本来指揮を執るべき高級将校達が消息不明になるとは…戦闘が始まって以降、とことんろくなことになっていませんね」


「仕方ないわ。何せ急に戦争が始まってしまったんですもの。ともかく今はこの場を離れ、防御の堅いロストロクへ向かいましょう」


 ロストロクはダルツィークから北西の方向にある港湾都市である。その位置の関係上、イルフィランドに近づく形となるのだが、むしろその地理的特性から港湾部周辺には沿岸砲台陣地が整備されており、迂闊に接近しようとすれば24門の30.5センチ砲と36門の15.2センチ砲の手荒い歓迎を受けることとなる。無論対空火器も充実しており、イルフィランド艦隊が容易く攻撃を仕掛けられる場所ではなかった。何より都市近郊には空軍第2航空師団の拠点があり、制空権も確保されていた。


「大尉、「ヴォルフ」より発光信号。『我42駆逐隊、我らが碧星ブラウ・シュテルンは寝間着のままで何処に向かわれるのか?』…どの様に返答すべきでしょうか?」


 下士官が困った様な表情を浮かべる中、後部艦橋にて周囲を警戒していた乗組員から報告が上がってきた。


『こちら後部艦橋、敵艦を視認!こちらへ接近中!数は4…いえ5!こちらの進行方向を塞ぐ形で迫ってきています!』


「何っ…!?」


 それを聞き、多くの乗組員と作業員の血相が変わる。とその数秒後、遠くより雷鳴にも似た轟音が響く。それが何なのか分からぬ者はこの場にはいなかった。


・・・


「敵艦、発砲!」


 駆逐艦「ヴォルフ」の艦橋に報告が飛び込み、マース艦長は青ざめる―と言ってもゴブリンである彼の緑色の肌は青色には染まっていないが―。急ぎ後方へ視線を向け、魔法によって高倍率を成している双眼鏡で相手を確認する。


「くそ、ありゃ勇嬢ヘルティンデ級の長女、「テュカ」じゃねえか…!」


 その言葉に、一同はぎょっとした顔をマースに向ける。去年のイルフィランド海軍が実施した演習にて、高い命中率を叩き出したことで有名な勇嬢級戦艦の一番艦「テュカ」の名は、北海を主な活動域とする諸海軍将兵の戦艦乗りの間で有名であった。その優秀な戦艦をダルツィーク攻撃に投じるとは、恐らく狙いは「ブラウ・シュテルン」だろう。


 勇嬢級戦艦の主砲はゴーティア製28センチ三連装砲であり、すでに甲板に装甲を張り巡らしている「ブラウ・シュテルン」ならば耐えられるだろうが、そういう場合は煙突や艦橋など装甲の薄い部分を狙ってくる。彼の艦の砲術長と、噂のレーダー連動式射撃管制装置を搭載した「テュカ」ならば、その急所に正確に致命打を叩き込むことも可能だろう。


 一番相対したくない敵に狙われ、マースは歯軋りする。未完成の戦艦1隻に駆逐艦7隻という貧弱な戦力で、如何様にして戦艦を主体とした機動艦隊と渡り合えというのか。そう思い悩んでいた時、乗組員が追加の報告を上げてきた。


「艦長、「ブラウ・シュテルン」より発光信号です!『敵の先行部隊を迎撃せよ』との事です!」


「!…考えたな。駆逐隊全艦、右舷より高速で接近する水上部隊に対して攻撃を仕掛けよ!足止めを目論んでいる奴を潰せたら、逃げる余裕は出来る!両舷前進全速!」


「りょ…了解です!両舷前進全速!」


 命令が機関室へ下り、煙突より吐き出される黒煙の量が増す。7隻の駆逐艦は最大速力である36ノット(時速67キロメートル)にまで引き上げ、あっという間に「ブラウ・シュテルン」の真横を追い越す。そして進路方向上に立ちふさがる様に進んでいた4隻の艦隊に迫っていく。


「撃ち方、はじめ!」


 命令が下り、5門ある12.7センチ砲が砲撃を始める。艦橋の真上に位置する射撃指揮装置から送られてきた諸元を元に照準し、砲術員が人力で装填。発砲を繰り返す。後続艦も同様に砲撃を放ち、迫る駆逐艦に向けて砲弾をばらまく。


「しっかり狙え!敵は足止めができれば勝てる算段で撃ってくる!雷撃が当たる距離にまで詰め、その間に一撃を叩き込んでやれ!」


 マースはそう命じつつ、応戦を始めた敵艦を睨む。相手は少数精鋭とはかくあるべしを体現したイルフィランド海軍であり、技量も同等だと見ていたからだ。艦首に波を被りながら突き進み、砲撃を見舞うその姿は軍艦の戦い方として相応しいことこの上なかった。


 とその時、大きな衝撃が艦橋を揺らし、轟音が後ろから響く。遅れて乗組員の絶叫。


「第三砲塔に被弾!一番煙突にも損傷が!」


「火災鎮火急げ!距離5000にまで近づいたら、一気に投射しろ!俺達駆逐艦の損害で最新鋭艦を救えるならば―」


 応急処置の指示に合わせて発破をかけようとしたその時だった。真上を3発の巨弾が飛び越え、敵巡洋艦の付近に着弾。大きな水柱が上がり、相手を揺さぶる。マースは瞠目し、反対側へ顔を向けた。


 撃ったのは、「ブラウ・シュテルン」だった。設置の完了していた一番砲塔のみを動かし、脱出時にどうにか詰め込めた砲弾を撃ったのである。これには相手も動揺し、隊列に乱れが生じる。マースは口角を吊り上げ、大声で怒鳴る。


「速力最大!魚雷、いつでも撃てるな?」


『こちら一番発射管、調定完了!』


『二番、調定完了!いつでも流せます!』


「目標、敵一番艦!相手さんはそろそろ回頭する、その隙を狙え!」


『了解…!』


 果たせるかな、敵巡洋艦は沿岸部への接近を避けるように右へ回頭し始める。距離はすでに6000を切っており、雷撃の様子は相手も見えるだろう。だが、幸いにしてプロジア海軍の採用する魚雷はそれに応じた戦術を取ることができた。


「敵との距離、5500!」


「よし…準備ができた艦から投射始め!バラバラでいい、相手の油断を狙える!回頭はするな、そこへ攻撃を流し込まれる!」


 マースの命令は即座に発光信号で伝えられ、煙突と後部マストの間にある四連装魚雷発射管より次々と魚雷が投射されていく。直径53.3センチ、重量1700キログラムのM88魚雷は圧縮空気を特殊なピストン機関に送り込んで動かす空気魚雷で、その射程距離は10000メートルに達する。後続の艦も含めて計56本のM88魚雷が投射され、洋上に幾つもの白い航跡が浮かび上がる。


「砲撃を続けろ!こっちの砲撃も当たっている、このまま押せ!」


「艦長、魚雷接近!雷数3、敵一番艦のものと推察!」


「速力最大!面舵10度、真正面から向かい合え!」


 戦闘が続く最中にも、マースは的確に指示を出す。距離が迫るに連れて互いに被弾数が増えていき、既に二番手に位置する「レベレヒト・マルシア」は魚雷を撃ち尽くした発射管を吹き飛ばされていた。しかし相手駆逐艦も倍以上の数はいる6隻の集中砲火を浴び、多大な損傷を被っていた。


 それから数分は経ったか。仕切り直しのために回頭していた敵艦2隻に巨大な水柱が聳え立つ。それが砲撃によるものではないのは明白だった。


「命中、命中です!」


「当たった、か…」


 マースは考え不足を考慮し、軍団をさらに前へ起き出す。そして日が傾き始めた頃、敵艦は大半が手負いとなっていた。うち駆逐艦2隻は火だるまと言っても差し支えのない状態であり、救難ボートが降ろされているのが見えた。


「敵艦隊、撤退していきます」


「ふぃ〜、どうにか凌いだか…しかし、まさか援護してくれるとはな」


 マースはそう呟きつつ、攻撃の機会を生み出してくれた「ブラウ・シュテルン」に目を向けた。


 斯くして、『ダルウィーク湾海戦』はフロジア海軍の勝利に終わった。イルフィランド海軍は駆逐艦2隻と航空機20機超を喪失し、戦艦「テュカ」と巡洋艦は被雷。ダルツィークの艦隊戦力を無力化する目論見は頓挫する事となる。

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