暖かい
カランコロンと音が鳴り、赤色のドアが開く。
素早くモップを片付け、お客様に目線を向ける。
「いらっしゃいませ、お客様。」
「あ、え?」
入ってきたのは目付きの悪い四十代程の男性。
「どうかされましたか?」
「ここは……………?」
「ただの飯処ですよ。来店されたのですから、お腹が空いておられるのでは?」
「そうだな………なんか食うか。」
「当店はお客様第一を掲げておりますので、メニューは御座いません。御希望のお食事は御座いますか?」
「へぇ、じゃあ………海鮮丼とか。具も米も大量に頼むぜ。あるだけ全部な。」
「畏まりました。お時間かかってしまっても?」
「……まぁ、いいぜ。遅いからって文句垂れる程ガキじゃねぇしよ。だが、その分満足させてもらうからな?」
「承知しました。」
厨房へと向かい、炊いてあった米を確認。
次に冷凍庫にて魚の確認。
丁度よくあった鮪、雲丹、烏賊、河豚、イクラ、真蛸、海老、帆立、鯛、魬、平鰤、縞鯵、鮃を一口大に切る。
別皿にそれぞれ大根おろし、大葉、ガリ、山葵を用意し、醤油と柚子胡椒が入ったビンを調味料棚から取る。
少し考え込んだ後、シェフは付け合わせに花びら茸の甘煮とだし巻き卵を急いで作り、また別の皿に盛り付ける。
米を装い、切った魚を丁寧に盛り付け、それらに加えて熱い緑茶と共に提供する。
「お待たせ致しました。」
「ほぉ、豪華だ。」
男は余程腹が減っていたのか、口を舌で一周させて湿らせて、箸を取った。
「いただきます。」
男はそう言うと、見た目とは裏腹に丁寧な所作で黙々と食べ進めていく。
シェフは何かを察したように、黙々と使用した器具の片付けに入る。
しばらくの間、男の咀嚼音とシェフの使うシンクを流れる水の音だけの世界が続いた。
それを破ったのは、男が箸を置く音と、満足そうに一息吐いた声だった。
「店主。」
「はい。」
男に呼ばれたシェフは手を拭きながら近づいた。
「………美味かった。これまで仕事でそこそこイイモン食ってきたつもりだったが、まだまだ世界は広いみてぇだな。」
「良いもの、ですか。後学のためにどのようなものか御聞きしても?」
「ハッ、あんたには必要ないと思うぜ。それに、俺が食ってきたのは美味いもんだけじゃねぇ。
ゲテモノに珍味扱いされてる気色悪い食材とかな。あんなの思い出すだけでまた味が口の中に広がりそうだぜ。」
男は舌を出してへっ、と言うと、それらのトラウマを掻き消すように緑茶を流し込んだ。
「それは残念。お客様、まだゆっくりされますか?おかわりなども出来ますが。」
「あ?んん、そうだなー………そういやまだ至急の仕事があったわ。そろそろ戻んねぇと。
っと、財布財布。」
男は斜めかけバッグから黒い革財布を取り出した。
「お急ぎでしたらツケでも構いませんよ。」
「な!?マジか!」
男は信じられないといった様子で目を見開く。
「はい、この店の方針ですから。」
「おいおい、こんな美味い店でツケありだと?
カァー!良いとこ知っちまったぜ!」
「お褒めいただき光栄です。こちらにお名前を。」
「おう!」
男は三井芳郎と書き、青いドアに向かった。
「店主!今の仕事終わったら、今度はここ!取材させて貰うぜ!これから何回も通って常連になるからさ!」
「………楽しみにお待ちしております。」
男は嬉しそうに八重歯を出しながら、手を振って店を後にした。
「あなたの生が良きことを祈っております。」
紫色の三角巾を折り畳み、扉に向かってお辞儀をした。
ー三井芳郎ー
ぅ………なんだ?…………ここは…………
「はぅ!?さ、寒ィ!」
睡眠時間四時間の時の五倍は重い瞼をゆっくりと持ち上げると、目の前には一面の白。
「っ、あぁそうだ…………取材で、雪山登山。猛吹雪からの転落……だったか。」
少しでも身体を動かすように、そしてまだ微睡む自分の脳に教え込むように言葉を紡いだ。
「クッソ…………吹雪は止んだみてぇだが、足はもう駄目か。」
長年の相棒を失ったような喪失感を慰めるように、感覚の無い左足を撫でた。
一通り落ち着いた俺は、深呼吸をして這うように移動を始めた。とりあえず、助けが来るとしたら人かはたまたヘリか。どちらにせよ見晴らしの良い所の方が良いだろう。
あぁ……クソ。こんなにかけて手で届く程度しか進めねぇのかよ。情けねぇ!
握り拳を思い切り地面に叩き付ける。返ってくる感触はなく、ただ虚しい気持ちが残った。
だがそれでも、不思議と諦めようとは思えなかった。胸の内に何か暖かく、生きる気力というものが激しく燃え盛っているようだった。
「やっぱ美味いもんは良いな…………」
あぁでも、心は熱くとも、この環境は容赦なく身体を凍てつき蝕んでいく。
っーーーい!
ーーーーーー!!
おーーーーーい!!!!
「へへ、もう、駄目かもな。」
幻聴に希望を抱き、俺の瞼はゆっくりと降りていった。
紫色の三角巾 麝香連理 @49894989
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