中国で救急車に乗ったはなし

 中国が好きでコロナ明けとビザ解禁でぽちぽち旅行に出かけています。コロナ前から数えると中国への上陸回数は両手の指で足りないくらいになりました。このエッセイもよほど真新しいことがなければ書くことはないと思っていました。


 しかし海外旅行で最大級のハプニングを体験したので記憶の彼方に消える前に記録しておきたいと思います。


 六月某日、廈門へ旅行しました。日本から直行便があること、行ってみたいと以前から思っていた福建土楼へのアクセスがしやすいことから選んだ街です。廈門は亜熱帯気候で六月でもかなりの蒸し暑さでした。


 私は日頃から旅行に行くときは水分補給と日光対策には気を使っていました。リュックには必ずペットボトル常備、日焼け止めに帽子と万全の心がけをしていたのです。


 しかし事件は無情にも起きてしまう。


 コロンス島という小さな島を観光していたときのこと。日光岩という島を見張らせる展望スポットに登って降りてきたとき、空は薄曇りですが風がなく、湿度と気温のためにかなり大汗をかいていました。個人旅行で依頼していたガイドさんの話を聞いているとなんだか気分が悪くなってきました。手持ちのお茶は全て飲んでしまい、少し歩いた先で冷たいお茶を買ってがぶ飲みしました。しかし、その時点で身体に異変が起きていました。


 立っていられないほど気分が悪くなり、小さなレストランに入って椅子に座りました。これは熱中症かもと思い、とにかく体を冷やさねばとかき氷を注文、出てきたかき氷はやたら氷が少なく焼石に水。

 この時には手の震えがきていて机に突っ伏すような状態に。多少クーラーは効いていたのですが、気分の悪さは解消されず。ガイドさんに頼んで水を持ってきてもらいました。


 コップに運ばれてきたのはなんとほかほかのお湯。さすが中国、身体を冷やさない思想が根付いています。だが今はとにかく冷やさねば。ガイドさんに水、水を……と北斗の拳の村人のように震える手を伸ばして頼みました。

 気分が悪すぎて椅子をつなげて横にならないといけないほどに体調がおかしくなっていました。その店でペットボトルの冷たい水をもらって休むこと一時間。さほどお客さんがいないとはいえ文句を言わずに居させてもらえたのはありがたかったです。


 少し気分がマシになったところで、ホテルまで戻り涼しい部屋で横になれたら体調が復活するかも、と歩き始めたもののやはり気分不良と手足がうまく動かなくなっており数100メートルでダウン。次の店で休ませてもらうことになりました。そこでも椅子に横になり、扇風機に当たっていましたが気分が悪いのと手足、口周りまでビリビリ痺れて意識が飛びそうになってきました。


 ガイドさんが見かねて病院に行きますか、と言ってくれます。海外の病院なんていくらかかるんだとんでもない、という思いでしばらく耐えていましたがもういよいよ三途の川が見えてきたところで本気でまずいと思い、病院へ行くことを決意。

 しかし、本当に手足が痺れて動かないのです。


 コロンス島は小さな島で、一大観光地でたくさんのお店があるし住んでいる人も観光客も多いです。日本の離島のような閑散としたイメージではなくリゾートの島です。小さな島なので車が走ってはいけないことになっています。私は身動きできない状態で一体どうやって病院へ、と思ったら救急車はあるらしい。ガイドさんが救急車を呼んでくれ、動けない私は担架に乗せられてミニ救急車で島の病院へ運ばれました。


 中国って救急車も料金が掛かるんですよ。日本は恵まれていますよね。ああ、いくらになるのか。朦朧とする意識の中で号泣していました。


 到着した病院で採血、点滴治療が開始されました。採血結果をガイドさんが教えてくれましたが最近日本で受けた健康診断の通りだったので中国でもちゃんした医療が受けられていると妙に実感。

 処置室のような部屋でひとりぼっちで点滴をしばらく続けていましたが、この異常事態と無事治って帰国できるのかという心配で過呼吸気味になり動悸が激しく手足の震えが止まらず。さらに悪いことに超トイレ行きたい。ガイドさんに看護師さんを呼んでもらい、それを伝えたら尿瓶もないと言われ、動けないのに無理矢理起きてトイレにいく羽目に。ここでまた体調悪化。息苦しさと動悸と痺れで苦しくて瀕死状態(気分的に)


 点滴が終わる頃には回復しているだろうという希望儚く、全く改善しないし苦しいし、それを訴えたら大きな病院に行きますか、という話に発展してしまった。大事にしたくない、しかし心臓や頭に原因がある痺れや呼吸困難ならちゃんとした病院で調べてもらわないと後悔することになる。手足の痺れに冷感が加わり、死への恐怖が脳裏を掠めました。背に腹かえられず大きな病院に搬送されることになりました。


 点滴と酸素をつけたままミニ救急車に乗せられ、港へ向かいます。ここは島なのでまあまあ急な坂道です。気分が悪いのに寝たまま揺られて吐きそうなのを必死で我慢していました。ようやく港に到着しましたが、この島と本土をつなぐのはフェリーだけ。

 私はストレッチャーのままフェリーに乗り込みます。あいにくの雨ですが医療者がちゃんと頭上で傘をさしてくれていました。時折覗く曇天の空はこの不運を象徴するかのようです。フェリーに揺られること10分、そこからまた傾斜のある桟橋をストレッチャーで登ります。もう辛い、辛すぎる。


 そして迎えにきてくれていた本土の病院の救急車に乗せられて大学病院へ搬送。救急車の設備は整っており、酸素補給と心電図、血圧を計りながら移動しました。病院に到着し、ストレッチャーのままで混雑した待合を通り抜けていきます。ここで以前、中国では病院での待ち時間がめちゃくちゃ長いという話を思い出しました。やばい、ストレッチャーのまま待合で放置されたら、と不安が過りましたがちゃんと処置スペースに収まり、すぐに医者が確認にきてくれました。


 島の検査結果や治療内容を受け継ぎ、再び点滴開始。採血もここでもまたされてもうヘロヘロです。点滴は針が太いので本当に痛い。そして採血は大の苦手で情けないやら痛いやらで泣きたくなりました。

 相変わらず痺れは治らず、このままどうなるのか不安がさらに募ります。しかしほんの少しずつ、痺れが改善してきました。そして途中で念の為心臓を調べるのにCTを撮ろうかと提案があり、ここでまた医療費がぐぬぬ、と悩みます。でも万が一を考え、観念して撮影をお願いしました。点滴中、動悸が激しくて不整脈か心不全にでもなるんかとすら思いました。血圧も一時は150近く上がっていたらしい。心配していましたが、心臓に異常はありませんでした。


 医大病院に来てから点滴、そして尻に謎の超痛い筋肉注射を打たれて二時間ほど経過した頃にようやく痺れが改善して立って歩けるところまで復活しました。

 ガイドさんによると原因は熱中症からのカリウム不足、貧血、過呼吸ということでした。


 辛うじて入院は免れ、何故か診察券をもらい病院を後にしました。海外の離島で倒れるなんて、こんな大変な目に遭ったのは初めてでこんなことが起きるもんだなとしみじみ思いました。


 そして無事翌日早朝の飛行機で帰国することができました。ちなみに医療費は約三万円くらいで帰国後に海外旅行保険会社に連絡し、これから手続きです。この手続きも初めてなので勉強したいと思います。


 この件で反省したのはもっと水分を取れば良かったこと、水分だけでなく塩分も必要だったかも。気分が悪くなったらすぐ休む。なのですが、もう気分不良になったときにはアウトでした。そこから海外で倒れたらどうしようという心配ストレスがかかり過呼吸になったようです。熱中症と過呼吸が相まって死の淵を彷徨いました。


 中国の病院を受診できたのはある意味貴重な体験でした。苦手な注射点滴採血のときに日本のような優しさはありませんでしたが(はいチクッとしますよ〜みたいなのは皆無)失敗なくちゃんとしてくれましたし、苦しんでいるときには看護師さんが手を添えてくれました。日本人だからと差別されるようなこともなくきちんと診察治療してくれました。

 観光に出掛けてぶっ倒れて医療者付きで船に乗って本土に渡るという大迷惑をかけてしまい、恥ずかしすぎる気持ちと真摯に対応してもらえたことに深い感謝の気持ちでいっぱいです。中国の医療者の皆さん、ガイドさんありがとう。

 観光できなかった分、懲りずにまた行きたいです。

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中国楽旅日和 神崎あきら @akatuki_kz

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