第5話 ラブホテルでの勤務、開始です ①



 私が採用されたアルバイト先は、ホテルでした。

 ホテルといえど、ラブホテルです。

 ホテルでの勤務経験はございません。

 受付や清掃専門スタッフもやったことないです。

 掃除は大の苦手。

 しかしながら、背に腹は代えられず、頑張るしかないのです。


 支給された上着の制服は、半袖黒のワイシャツでした。袖と襟、正面真ん中の部分に植物のような柄が描かれています。

 見た目十代半ば、髪も眉毛もまつ毛も真っ白。果たしてどんな化粧を施すのが正解か分からず、迷った末皮脂を抑えるテカリ防止のパウダーと色付きリップだけにとどめておきました。

 セミロングの長さの髪は、後ろできっちり一つ結びにしています。


「シロハです。よろしくお願いします」

「コウノキです。こちらこそよろしくお願いします」


 付きっきりで指導してくださるのは、二歳年下らしいコウノキさん。にこやかおっとりの雰囲気の女性で、二十代にしか見えません。


「分からなかったり、忘れてしまったりしたことは、何回でも質問してくださいね」

「はい、ありがとうございます」

「それで、なるはやで仕事覚えて、私を辞めさせてください」

「ど、努力します」


 コウノキさんは新婚さんらしく、本当は寿退社したかったのだそうです。

 しかしながら、その頃同僚の夜勤の方に、大病が発見されて。緊急手術と入院が不可欠となり、寿退社できなかったとのことでした。


「まあ、こればっかりは仕方ありませんね。手術は無事成功したみたいですし、それは本当に良かったですけど。多分激務のこちらには復帰できないだろうなぁ」

「そうなんですね」


 誰が悪い何が悪いわけではありませんが。世の中、確かにどうしようもないことはあります。


「だから、シロハさんがこちらに来てくれて本当に助かりました。今月末には、私辞めますからね」

「あの、でも自分結構なポンコツなので、あまり期待しないでいただけると……」


 メンタルもそこまで強くありませんし、過度な期待は押しつぶされてぺしゃんこ状態になってしまいます。


「すみません、プレッシャーでしたよね。真面目なだけで十分ですよ。ただ、合間みて休まないと、体も心も持たないので、無理はしないでくださいね。水分補給なんて絶対欠かさないでください、真冬でも脱水症状になる方いるので」

「はい」


 それからも、コウノキさんは親切丁寧に仕事を教えてくださいました。


「ここでは、お客様とのやり取りは、基本電話かタブレット型のセルフオーダーシステムとなります。デリヘルさん関係は電話、それ以外はタブレットが主流ですね。お、早速いいところでウェルカムドリンク二人分頼んでくれました。早速作ってみましょうか」


 主に受付作業などを行うらしいモニタールームから、隣接するキッチンへと移動します。


「ウェルカムドリンクは、一人小グラス一杯だけ。たまにお連れ様が先帰ってから二杯分頼む方もいるけど、その場合は二杯分お渡しして大丈夫。ただし、次回はきちんとお連れ様がいるときに二人分頼むよう、釘は刺すようにお願いします」

「はい、分かりました」


 ウェルカムドリンクは、アイスティー・アイスコーヒー・リンゴジュース・オレンジジュース・炭酸飲料数種類でした。

 まずはコウノキさんが一つ手本で作って見せてくれて、自分も同じように作ります。

 それからドリンクを盆に乗せ、通路へと出て、エレベーターに乗りました。

 目的の番号の部屋の前で、私たちは止まります。


「各部屋のドアの左下にマスターキーをかざすところがあるんですけど、このクレカのタッチレスパネルみたいな部分に、マスターキーかざしてください」


 コウノキさんはしゃがんで、長方形の電子パネル部分にマスターカードをかざしました。


「このようにいろいろボタンがついたパネルが表示されるので、左上の犬猫マークのところタッチしてください」


 すると、タッチパネル上部にあるペットゲートのような部分から、カチッと音がします。


「こうして犬や猫が潜り抜けるドアみたいなところのロックが外れたら、蓋の取っ手を手前に開けて、中の台の上にウェルカムドリンクを設置してください。あとは、また犬猫ボタンのところを押して、音が鳴るのを確認しつつ施錠。そうしてから、インターホンの箇所を一回だけタッチしてあげます。そして必ずマスターキーをもう一度かざしてと。これでおしまいです」


 忘れないように頭に叩き込みながら、相槌を打ちました。

 再びキッチンへと戻り、ウェルカムドリンクに類似したサービスについて説明を受けます。


「会員登録してくださっている常連様には、ウェルカムスイーツとモーニングを無料で提供しています。スイーツは、容器に入ったプリンとゼリー、アイスの三種類だけ。モーニングは八時半から十時半までの提供なので、夜勤には関係ないです。午前十一時半から午後の二十一時まで、フードメニューやおつまみも展開されているとだけ、覚えているといいくらいですかね。時間帯など間違えて注文される方、それなりにいらっしゃるので。夜勤に関係あるのは、二十一時から朝の七時まで提供するお茶漬けくらいです」

「お茶漬け、ですか」

「そう、冷凍のお高級らしいお茶漬け。野菜出汁、鰻、鯛の三種類で、値段は千円超えているんだけど……。滅多にでないようで、一時外出がどうしても嫌なお客様は結構頼むから。忙しいときに注文されると、本当てんてこまいになる。近くに二十四時間営業の小型スーパーあるんだけどね。一時外出は必ず前精算しなければいけないから、それがみなさんどうしても嫌みたいです」

「そうなんですね」


 砕けた口調と疲れを垣間見せた声色的に、お茶漬けは多忙な際に注文されると相当大変なことを察しました。


「ウェルカムドリンクにはない有料のソフトドリンクやアルコールドリンクは、二十四時間提供しています。アルコール類は人気のあるものだけを残していった結果、種類は大分絞られましたけどね。まあ、こちらは注文されたらおいおい覚えていきましょう」

「はい」


 あらかたキッチンで行う仕事をざっと説明してもらえると、モニター室と隣接するもう片方の部屋に移動。今度は貸出品などについて教わります。


「ボディーソープや洗髪剤、ヘアアイロンや爪切り、小型スチーマーなどの無料貸出品はここの棚にあります。薬箱はこちらです。お客様に注文されたら、プラスチックケースや藤籠に入れて、先ほどのウェルカムドリンク同様にすればいいだけです。タバコや下着やストッキング、サイズ別上下ジャージセットは有料ですので」


 小物類の場所をきちんと把握しようと心がけるも、完璧にはいかなそうです。


「スキン、ゴムは各部屋に三つ置いてあるんですけど。たまに追加頼まれます。一部屋を三名以上のご利用だと、バスタオルやフェイスタオルやアメニティも追加されることがあります。全て各階のリネン室にあるので、あとで教えますね。提供の際も、先ほど同様、プラスチックケースや藤籠に入れてお渡しすればいいので」

「は、はい」

「ケイカさんかオキトさんから既に聞いているかもしれませんが、ここはビジホ代わりにしてもいいですからね。出張に来た会社員や、終電逃した始発待ち、近くの歓楽街の夜のスタッフが仮眠取りに来ることもあります。男四・五人で来て麻雀とかされてたり、男女混同四人で合コンとか飲み会とか繰り広げてたりしますよ。よそのラブホさんだと、男女カップル限定利用で、同性同士や単独のご利用お断りしているところもあるみたいですけど」

「そう、なんですね」


 次々ともたらされる情報に、頭パンクしそうですよ。

 こちとら、ラブホ利用したことすらございませんので。あらゆることが未知の世界です。


「あ、そうだ。極稀に、経血や嘔吐などで衣服が汚れたので洗濯して欲しい、と、お願いされることがあるのですが。洗濯のサービスは行っていないので、近くの二十四時間営業のコインランドリー勧めてください。これまた滅多にないんですけど。痴情のもつれなどで、片方が寝ている隙に、もう片方が相手の衣服や持ち物全部奪って帰られる場合もあって。財布残ってお金ある場合は、ジャージや下着をご購入いただき、財布も盗まれた際は、お身内やご友人にどうにか連絡を取ってもらうように」

「は、はい」


 あとでか今度、近くを散策して、コインランドリーやスーパーや駅の場所把握しとこうと思いました。

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