ダンジョン深部①
目の前に現れた魔物は、まるで岩を裂くかのような咆哮を上げ、大きな爪を振りかざして突進してきた。速度も、威圧感も、さっきの魔物とは比べものにならない。
「っ――!」
アレクの体が、条件反射で横に跳ねた。土煙が舞い、地面が抉れる。ぎりぎりのところでかわした彼の顔に、冷たい汗がつたう。
(……でかいし速いし、なにこれ、ボスか?)
そんな余裕はなかったが、頭は冷静に動いていた。今の一撃、食らっていたら間違いなく終わっていた。
――でも、ここで倒れるわけにはいかない。
「生きろ……俺。今はただ、それだけだ……!」
重たい呼吸を吐きながら、足元の岩を手に取る。前回と同じだ。だが今回は、状況が違う。敵の動き、空間の配置、岩の形状。全てが“好都合”に見えてくる。
《スキル:《好都合》Lv.3 → Lv.4 に成長》
新効果:投擲系行動に対し、物理的な“偶然の補正”がわずかに強化される。
「……よし、やれる」
アレクは岩を構え、魔物の動きに合わせてタイミングを見計らう。そして、魔物が再び距離を詰めてきた、その瞬間。
「――来いッ!」
横に飛びながら転がるようにかわし、手にした岩を投げつける。
その動作は荒削りで、狙いも定まっているとは言い難い――が。
岩は空中で小さく軌道をずらし、まるで狙いすましたように魔物の眉間へと吸い込まれていった。
――ドガァンッ!!
爆発。あり得ないほどの爆風が辺りを包み、魔物の動きが一瞬止まる。その隙を逃すはずがなかった。
アレクは足を踏み込む。肺が痛む。視界が揺れる。それでも――
「終わらせる!」
ふらつきながらも、地面に転がっていた別の岩を拾い、再び全力で投げつけた。
「お願いだ……好都合……ッ!」
その祈りに呼応するように、岩は魔物の胸元に一直線に飛び――
――ズドン!
鈍い音と共に、魔物の巨体がゆっくりと倒れ込んだ。
【魔物を撃破しました】
【スキル《好都合》 経験値 +2】
【次のレベルまで:2体】
「……っはぁ……!」
その場に膝をつき、息を吐く。肺が焼けるように痛む。勝利の実感よりも、ただ、疲労だけが支配していた。
(……でも、生き延びた。俺は、生きてる……)
自分の手がまだ温かいことに気づきながら、アレクは顔を上げた。視線の先には、まだ続く暗い通路。まだ終わりじゃない。こんなもんじゃない。
「好都合……本当に、ありがとな」
スキルにそう声をかけると、どこか遠くで音が返ってきたような気がした。
だが、その胸の奥には、ひとつの疑問が芽生えていた。
(この先……本当に、これだけで大丈夫なのか?)
好都合は強い。確かに命を繋いでくれる。けれど、完全無欠じゃないことももう分かっている。
――このまま、進めば進むほど、スキルの限界と、自分の限界の両方にぶつかる。
「……それでも、行くしかない」
立ち上がった彼の背に、迷宮の冷たい風が吹いた。
その先に何が待っているかは、誰にもわからない。
けれど。
アレクは歩き出した。
“偶然”を武器に変えながら、必然へと向かって。
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