第32話 古傷

 ゲーテは不死アンデッドであり、外面を錯覚させて人間に見立てているが、その本体は骸骨族スケルトンである。

 「不死」たる王として八大魔王に属し、八大魔王の中でもその実力は最高峰であった。

 

 「レーヴリスタ様、『不死王』、只今参りました。八大魔王を結集させてどのようなご用件で?」

 

 ――二千年前。

 黄金の玉座。

 全てが輝かしく、贅を尽くした王の間。

 そのいかなる装飾よりも、輝かしき魔皇はその中央に燦然と鎮座する。


 「貴公らは余が誇るべき最上の臣下である」


 「勿体無いお言葉、感謝申し上げます」


 「我らは神を殺さねば、地平には安寧をもたらせない。故に流血も厭わず進み続けねばならぬ」


 「…………おっしゃる通りでございます」

 

 *

 

 本音を言えば、ゲーテは賛同できなかった。


 「どうか娘だけはっ!どうか私たちの命だけで……!」

 

 その願いは届かず、娘共々にこの手で殺した。


 「良い働きだ。その功績を讃え、貴公ら八人を最高幹部に任命する」

 

 手始めに、地上に残ったエルフを皆殺しにした。

 不浄の人間たちを生かすべく、神の使いであるエルフを絶滅させた。

 エルフは不老不死で、尚且つ強力な神の力を持っていた。

 故に闇の力を持つ悪魔や魔神を従え、レーヴリスタという魔皇はエルフを穢し、神性を堕落させた上で殺害した。

 不老不死の殺害など、今思い出すだけで地獄のようなものである。

 容易には殺せないため、神性が消えるまで肉体を切り刻み続けなければならない。

 エルフらは阿鼻叫喚だった。

 命乞いをされても、殺しを止めるわけにはいかなかったのだ。

 臣下の首には、全てレーヴリスタが刃をかけていたからだ。


 「叛逆も抵抗も反乱も赦さぬ。離反者も地の果てまで追い続けると覚悟せよ」


 「裏切り者に死を。至極当然の摂理であろう?」


 「目先の利益で寝返るとは、とんだ不忠者よ――地獄の釜の中で死ぬが良い」

 

 次に、人間を滅ぼした。

 地平に属するあらゆる人間に恐怖と苦痛を与え、絶対服従を強制した。

 多くの人間が反抗し、レーヴリスタは反乱分子全てを駆逐した。

 残った世界には、恐怖に震える弱き人間たちと、狂ったように魔皇を信仰する聖職者だけとなった。


 「……故に魔皇たる余が約束しよう。貴公らの幸福と平和を!」

 

 万雷の拍手は、どこか乾いていた。


 そして、神々がついに激怒した。



 「――弱いな」

 

 そう一蹴して、賢者ヤルタの首を刎ねた。

 神でなくても、神の血が混ざった者を、レーヴリスタは容易く殺害してしまったのだ。


 「半神を殺したとて神々は止まらぬ。これより一層八大魔王にも負担がかかるであろう。それについては、今ここで謝罪しよう」


 「滅相もございません!我らの全てを、レーヴリスタ様は余すことなくお使いください。我ら八大魔王も、それが本望でございます」

 

 尚も忠誠を誓っていたのは、ただの恐怖に他ならない。

 それにレーヴリスタは、いつになっても不満げな表情を浮かべていた。

 神々は、魔皇の前に屈した。

 地上を再び取り戻そうと襲来したものの、八大魔王と魔皇によって悉くが撃滅された。

 ゲーテは水の神をその手で殺し切った。

 殺しの感覚で二千年経っても消えなかったのは、初めて何かを手で殺した感覚と――

 神を殺した感覚。


 「あ……ごめん、なさい…………大地を、あなたを……救えなかった。ごめんなさい……ごめんなさい…………」

 

 水の神は懺悔を口にして、ゲーテの腕の中で息絶えた。

 水のように優しく、大地の恵みは温かい。

 不死として生きたこの骸骨族に、涙は流せない。

 水の神は戦の神などと違って弱かったのだ。

 そもそも戦闘に向いていない彼女らが危険な大地に下りた。

 その動機など、ただ大地と生命の救済に他ならなかったのだ。

 神の手を離れようとするその独立を、レーヴリスタは地上から神々を追い出して推し進めた。

 

 ――しかし、人間の進化は、生命の独立は、本当にこれで正しいのだろうか。

 

 最後に流された水の神の涙が、あの頃から頭の中を離れなくなった。

 レーヴリスタに疑念はない。

 ゲーテもレーヴリスタを深く信仰している。

 どれだけ辛かろうといつかは平和が訪れ救済される。

 そう信じて全てを殺してきた。

 

 ――ブレるな。大義の為だ。

 

 その信仰に傷が入った。


 神は地上を諦め、一部の人間を連れて天界へと戻っていった。

 

 神話「堕落書」における暗黒時代の到来である。

 

 闇の時代である。

 太陽は淀んで黒色となり、世界から色が消えた。

 白と黒の世界の中、人々は恐怖に怯えて生きていた。

 確かに、争いは起きなかった。

 しかし、誰も笑っていなかった。

 地上の全土を汚染し、そしてついに支配を成し遂げたレーヴリスタだけが、高らかに笑っていた。


 「レーヴリスタ様、あなたは神になりたかったのですか?」

 

 気まぐれに、そんなことを聞いてしまった。

 今となっては恥知らずの問いかけである。


 「なんだと?」


 「現在の神々を駆逐し、そして自らが、地上の神へと君臨したかったのですか?」

 

 思えば、この瞬間に殺されていてもおかしくはなかった。

 しかしレーヴリスタは物腰柔らかに、そして明瞭に答えた。


 「全く違う。貴公の瞳には、余はそのように映っていたのだな」


 「でしたら、どうして地上を支配しようという尊大な願望を?」

 

 レーヴリスタはしばし目を伏せ、そして重い口を開いた。


 「私は全てが――嫌いだった。ただそれだけに過ぎぬ」

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