背中を預ける覚悟


 鍛冶場の屋根を吹き飛ばさんばかりの勢いで、融合した巨大魔獣が咆哮した。

 それはもはや生物というより、破壊の概念そのものだった。振り上げられた丸太のような剛腕が、悠の頭上へと迫る。


「……ま、サイズがデカくなったところで、やることは変わらないけどな」


 悠は退屈そうに呟き、重心を落とした。

 黄金に輝く『守護領域』があれば、この程度の一撃、蚊が止まるほどの衝撃も感じずに防ぎきれる。それで終わりだ。

 ――はずだった。


「悠人さん!!」


 轟音を切り裂いて、凛とした叫び声が響いた。

 悠の瞳が驚愕に見開かれる。

 入り口に立っていたのは、息を切らせたリリアだった。彼女は逃げるどころか、剣を構えてこの死地へと舞い戻ってきたのだ。


「お前、なんで戻ってきた!? 逃げろと言っただろ!」

「嫌です! あなたを一人にはさせません!」


 その言葉に、悠の思考が一瞬停止した。

 一人にさせない。

 かつて、誰もが彼の背中に隠れ、彼を「最強の壁」として扱った。誰も彼の隣に並ぼうとはしなかった。

 なのに、この少女は――。


「ククク……愚かな娘だ! 飛んで火に入る夏の虫とはこのことよ!」


 黒いローブの男が、醜悪な笑みを浮かべる。

 魔獣の剛腕が軌道を変えた。狙いは悠ではない。無防備に飛び込んできたリリアだ。


「しまっ……!」


 リリアが剣を掲げるが、あまりの質量差に顔色が蒼白になる。防げない。死ぬ――。

 その絶望的なコンマ数秒の間。


 ドンッ!!


 爆ぜるような踏み込み音と共に、リリアの視界が大きな背中で埋め尽くされた。


「――余所見(よそみ)してんじゃねぇよ」


 ドォォォォォォンッ!!

 魔獣の一撃が直撃したにも関わらず、その背中は微動だにしない。

 悠は片手で構えた鉄板一枚で、致死の暴力を完全に受け止めていた。だが、先ほどまでの「冷静な防御」とは違う。彼の全身から立ち昇る黄金のオーラが、怒りの炎のように赤く揺らめいていた。


「な、なぜだ……なぜその娘を庇う!? 絶対防御の貴様が、自ら動いて守るなど……!」

「勘違いすんな。俺は『盾』だ」


 悠が顔だけを後ろに向け、震えるリリアを一瞥する。

 その瞳に宿っていたのは、呆れと、そして不器用な優しさだった。


「盾ってのはな、誰かが後ろにいて初めて役に立つんだよ。……戻ってきやがって、この馬鹿野郎」

「悠人、さん……」


 悠は正面に向き直ると、鉄板を強く握りしめた。


「お節介な客人のせいで、手加減できなくなった。……消し飛んでも恨むなよ」


 悠が盾を引く。それは防御の構えではない。攻撃の予備動作。

 タンク(盾役)が持つ、唯一にして最強の攻撃スキル。


「――『シールド・バッシュ(盾衝撃)』!!」


 解き放たれたのは、物理的な衝撃を超えた、純粋な力の奔流だった。

 悠が盾を突き出した瞬間、空気が破裂し、巨大な魔獣の体が中心から弾け飛ぶ。悲鳴を上げる暇すらない。

 衝撃波はそのまま一直線に突き抜け、鍛冶場の壁を粉砕し、背後の森の木々を数百メートルにわたって薙ぎ倒した。


「ば、馬鹿な……防御特化のタンクが、これほどの火力を……!?」


 余波で吹き飛ばされた黒いローブの男が、腰を抜かして後ずさる。

 土煙が晴れた先には、魔物の痕跡など欠片も残っていなかった。ただ、更地になった風景と、ボロボロになった鉄板を持つ悠が立っているだけだ。


「ひ、ひぃぃッ! 覚えていろ片桐悠! 我々の計画はまだ終わらんぞ!」


 男は捨て台詞を吐き、転がるように闇の中へと逃げ去っていった。

 悠は追わなかった。いや、追う気力がなかったのだ。


 静寂が戻る。

 半壊した鍛冶場に、冷たい夜風が吹き抜ける。


「……あーあ。壁、壊れちゃったな」


 悠はひしゃげた鉄板を放り捨て、わざとらしく明るい声を出して振り返った。

 そこには、剣を取り落とし、涙目で立ち尽くすリリアの姿があった。


「あの、悠人さん……」

「修理代は請求しないから安心してくれ。……その代わり」


 悠は困ったように眉を下げ、観念したように息を吐いた。


「もう、『ただの鍛冶屋』って言い訳は、通用しないよな?」

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