隠居志望と、招かれざる客


 嵐のような戦闘が去った鍛冶場には、気まずすぎる沈黙が満ちていた。

 炉の火は既に落ちているのに、悠の背中には嫌な汗が伝っている。彼は手元の布で、もう十分にピカピカになった金槌を、親の仇のように磨き続けていた。


 対面に座るリリアは腕を組み、その碧眼で悠を射抜いている。尋問官も裸足で逃げ出すようなプレッシャーだ。


「悠人さん。単刀直入に言います。先ほどのバリア、あれは鍛冶師の領分を遥かに超えています」

「い、いやいや、本当に普通だって! 最近の鍛冶業界ではさ、こう……魔法技術とのハイブリッドが流行りっていうか! 最先端のトレンドなんだよ!」

「……嘘をつく時、右の眉が上がる癖、ご存知ですか?」

「うっ!」


 カラン、と手から金槌が滑り落ちた。

 図星を突かれた悠は、落ちた工具を拾うふりをして机の下に潜り込み、時間を稼ごうとする。が、永遠に隠れているわけにもいかない。


「なぜ隠すのですか? あれほどの力があれば、王都で騎士団長だって務まるはずです。もっと堂々と、誇りを持っていいはずなのに」

「……誇り、か」


 机の下から這い出しながら、悠は自嘲気味に呟いた。

 リリアの言葉は正論だ。眩しいほどの正論だ。だが、その眩しさが悠には痛かった。


(堂々となんて、できるわけがない……)


 脳裏をよぎるのは、かつての記憶。

 『最強』ともてはやされ、神輿(みこし)のように担ぎ上げられた日々。人々は彼に「絶対の安全」を求め、彼はそれに応え続けた。

 自分のための食事も、睡眠も、趣味の時間さえも、「英雄」という公的な役割のために削ぎ落とされていく感覚。あの息苦しさ。


「俺は……誰かの『希望』とか『責任』とか、そういう重たいのはもう、お腹いっぱいなんだよ」


 本音がポロリとこぼれ落ちた。

 それは拒絶というより、疲弊した迷子の子供のような響きを持っていた。


「責任……ですか?」

「あ、いや! 今のなし! とにかく俺は、ここで鍋や鍬(くわ)を直して、日向ぼっこして死にたいの! それが許されないなら、俺はもう店を畳んで夜逃げするしか……!」


 早口で捲し立て、話を強制終了しようと背を向ける悠。

 しかし、その背中にかけられたのは、予想外に柔らかな声だった。


「……わかりました。あなたが何を背負ってきたのか、私にはわかりません。でも」


 リリアは立ち上がり、悠の横に並んだ。


「その力が、今日私たちを救ったのは事実です。だから……『英雄』にならなくていいです」

「え?」

「ただ、私がどうしても手に負えない時だけ、少しだけ力を貸してください。それなら、ただの『親切な鍛冶屋さん』のままでしょう?」


 悠は驚いて顔を上げた。

 リリアの瞳には、英雄への崇拝も、力への恐怖もない。ただ、一人の人間として悠を気遣う、等身大の信頼だけがあった。

 それは、かつて「最強の盾」としてしか見られていなかった悠にとって、初めて提示された「妥協案」だった。


「……親切な、鍛冶屋」


 それなら、悪くないかもしれない。

 悠が少しだけ肩の力を抜こうとした、その時だ。


 コツ、コツ、コツ。


 鍛冶場の外から、砂利を踏みしめる音が近づいてくる。

 村人の足音ではない。もっと重く、冷徹で、殺意を孕んだリズム。


「……また魔物か?」

「いや……違う」


 悠の表情から「日常」が消え失せた。

 リリアも反射的に剣の柄に手をかけ、入り口を睨む。


 軋んだ音を立てて、木の扉が開かれた。

 逆光の中に立っていたのは、全身を漆黒のローブで覆った長身の男。そのフードの奥から、蛇のように粘着質な視線が悠に突き刺さる。


「感動の再会だな。……探したぞ、『絶対守護(イージス)』の片桐悠」


 その名は、悠がこの世界で最も葬り去りたかった過去そのものだった。

 リリアが息を呑む。


「絶対守護……? それって、伝説の……」

「お前……誰だ」


 悠の声が低く沈む。シャイな鍛冶屋の仮面は剥がれ落ち、そこには歴戦の警戒心が剥き出しになっていた。

 男は口元を三日月のように歪め、悠を指差す。その指先から、どす黒い魔力が瘴気のように溢れ出した。


「忘れたとは言わせんぞ。貴様が捨てて逃げた『過去』の精算に来た」


 平和な隠居生活の終わりは、あまりにも唐突に、そして最悪の形で宣告された。

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