第21話 冷めたスープ
芽依は抱きしめられて、久しぶりに鉄雄の体温を感じたような気がした。たった一晩、晴のところで過ごしたというだけなのに、これまでだって泊まってくることは何度もあったのに、今回は今までとは違う距離を感じた。鉄雄の心臓の音を聞きながら、もう二度と聞けなくなるかもしれないと思うと、思いがけず素直な言葉が出た。
「淋しかったです」
鉄雄の大きな手が背中を優しく撫でてくれる。暖かな大きな掌を感じながら芽依は鉄雄といた日々を思い返していた。出産してからも何も変わらず大切にしてくれて、灯花にも愛情を注いでくれて、仕事も必死にこなして、自分の恋人との時間も作り…いろいろなものを背負っている鉄雄。もういいんじゃないだろうか、と芽依は思った。
(もう荷物を下ろしてあげても)
(せめて自分の分だけでも)
「…もう」と言って、勇気を振り絞って顔を上げると、鉄雄が泣いていた。
「え?」と芽依は思わず声が出た。
「本当、不甲斐ない。プチラパンも、べべも晴も幸せにしたいのに…」
芽依も視界が歪んだけれど「幸せです」と伝えた。
これからどんな結果になろうとも、鉄雄が芽依にしてくれたことは全て優しい気持ちからだった。
「私は人生で一番好きな人と結婚できて、側にいれた…か…ら」と言ってる途中で、頭を鉄雄の胸に押し付けられる。
「モンプチラパン…。セックスはできないのに、愛情があるって言ったら変かな?」
「愛情? 家族みたいな?」と鉄雄の鼓動を聞きながら考える。
「家族…。近い。でも私もラパンの笑顔にどれだけ励まされたか…分からない」
家族、あるいは友人に持つ愛情、好意だろうか。芽依は黙って押し付けられたまま考える。
「可愛くて、可愛くて…仕方がなくて。灯花を妊娠したって知った時は…これでずっと一緒にいられるって思って、嬉しかった。でもそれなのに私がしていること全てが傷付けることになるなら…手放そうかと何度も考えた。でも…どうしてもできなくて、今でも…まだ可愛いから…間に合うんじゃないか…とか」
芽依は初めて聞いた。灯花を妊娠して、困っている自分を助けるためだとばかり思っていたからだった。身を捩って顔を上げる。
「…私と一緒で…嬉しかったですか?」
「嬉しかった…し、居心地良くて、楽しくて、かけがえのない時間だった。子育てもさせてもらって。でも…ラパンの好意を利用してるような気持ちもあって」
「…私こそ、鉄雄さんの優しさに甘えてしまってる気がして」
目が合って、思わず笑ってしまう。
「まだ…一緒にいていいの?」と鉄雄が聞く。
「それは私の方が…。あの…一つだけお願いというか…」と芽依が躊躇いながら言ったことに鉄雄は驚いた。
鉄雄の子供を産みたいと言うことだった。日に日に大きくなる灯花を見て、また子どもを育てたいという気持ちが出てきて、年齢的に妊娠出産も最後のチャンスだと感じていたらしい。ただそれを鉄雄には言い出せずにいた。
「できなかったら…それはそれでいいんですけど。もちろん…セックスじゃない方法で」と言いながら顔を赤くしている。
「私の子供? それは…想像もできない…ことだけど。待って。家族会議しないと」
「はい。それはそうです。私だけの気持ちでは…。もちろん晴さんにも相談して下さい」
「ラパン…。もっと早く言いなさい
「早く?」
「これから健康に気をつけて、仕事も続けないと」と言って、鉄雄は芽依を優しく包んだ。
不思議な形だけれど、芽依は鉄雄の愛情が何か分からないけれど、今感じている暖かさに嘘はない。
「あの…灯花を晴さんにあげるっていう話なんですけど」
「あ、それね。灯花には普通に恋して、結婚して欲しいなんて思ってたんだけど。灯花に『パパはママを一人にする、ママがパパを好きなの知ってるくせに』って怒られて…。私がめちゃくちゃなのに、灯花に普通を望むっていうのも筋が通らないかなって。あの子、本気だし」
「でも晴さんには…」
「それも…晴は灯花でしか癒せない傷があるみたいだから…。思わずあげるって言っちゃったけど、あげるって言葉は悪いわよね。まぁ、気持ち的に、好きに生きなさいってことを伝えたかったのよ」
「私もそれがいいかなって思います」
「本当?」
「幸せって自分が納得しないとダメだから」
「ごめんね。モンプチラパン」
「どうして謝るんですか?」
「もし私がノーマルで女が好きだったら…これ以上にない相手になれたかなって思って」
「今でも鉄雄さんはこれ以上にない相手です」
「あ、スープ冷めたわね。温め直そうか」
「はい」
冷めたスープのように、離れた距離もやり直せたのかな、と芽依は思った。鉄雄といた時間、これからの時間が愛しい時間に変わる。今までは申し訳ない気持ちもあったけれど、これまで以上に大切にしようと思った。
レンジに入れられたスープがもう一度温められるように、二人の関係も今まで以上に優しくなれたらいいと思った。
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