第22話 六月の花嫁

「灯花…。そろそろ起きなさい」

 日曜日であろうが容赦なく午前七時に晴さんに起こされる。あれから半年して、晴さんは日本に帰ってきた。ママはパパの子どもを妊娠中で、パパは仕事も忙しくなり、晴さんが淋しいかなと思って、私は晴さんの家にいる。でも晴さんは特に変わりなく毎日、私の面倒を見て過ごしている。パパとたまにデートはしているけれど、毎日家に帰ってしまう。それに晴さんも私が放って置けないのか、ちゃんと夜の十時には帰ってくる。私が塾から帰ってくる時間には晴さんは必ず家にいる。

 パパから聞いた様子だと、九時を過ぎると時計をチラチラと見るらしい。

「鉄雄…そろそろ」と言い出すようになったと言う。 

 晴さんも生まれてくる子が楽しみかと聞いたことがあるけど、「別に」と言っていた。

 私はとっても楽しみでワクワクしている。男の子だと聞いて、それも嬉しい。もう会えなくなってしまった海人くんを思い出していたからだ。生まれてきたら、仕事の忙しい二人に代わって、私と晴さんでベビーシッターをしようと思っている。晴さんの仕事は忙しい時もあるけれど、フリーの日も多かった。ジムで働くとか、随分前に言っていたけれど、正直なところ、お金の心配をしたことがないと晴さんは言って、そんなに働く気もないようだった。


 六月なのに雨も降らずにとても気持ちのいい日だった。今日は晴さんの仕事がないらしく、一日フリーだという。だったら少しは寝坊してもいいのでは? と思うのだけれど、晴さんは毎朝同じ時間にきっちり起きる。

「灯花は芽依に会わなくて大丈夫?」

「ママ? 毎日ビデオ通話してるから大丈夫だけど、晴さんはパパに会えなくて淋しい?」

「灯花がいるから少しも淋しくない」

「私がいるから…忙しいでしょ?」

「まあね。でも一人分も二人分も大したことない。洗濯の仕方も覚えてくれたから助かるし」

 晴さん流洗濯方法を教えてもらって、実践している。

「私、晴さんと暮らしてるから結婚したら家事の達人になるかも」と得意げに言ってみる。

 そして晴さんの反応が知りたくて、顔を見る。少しも変化がない。

「私が結婚したら淋しい?」と晴さんの言葉を待てずに聞いてしまう。

「さ み し い」とロボットのように言う。

「じゃあ、子どもできたら里帰りでここに来ようかな」

「芽依のところじゃなくていいの?」

「ママ…優しいけど…。晴さんほどしっかりしてないし」と言うと、晴さんは笑った。

 ママはずっと「晴さんが私を育てた」って言っていた。だから私も子どもを産んだら、晴さんのところに連れて来ようと思ってる。そして晴さんが私をどんな風に可愛がってくれたのか見てみたい。

「晴さんは…ママがパパの子どもを産むのを反対だった?」

「いや。子どもがいてもいなくても、気持ちは変わらないから」

「いいなぁ。パパは。晴さんにそこまで愛されて」と正直な感想を言う。

「愛…かな? 好きだけど」

 言ってる意味が分からなくて、私は首を傾げた。

「愛だと思うのは…灯花かな」

「え?」

 どういう意味か分からないけれど、愛情を晴さんが持ってくれているらしい。私のことを心配したり、優しくしてくれたり、晴さんは私をどんどん好きにさせる。

「私は晴さんが大好き」と言って、抱きついても少しも嫌な顔せずに頭を撫でてくれる。

 一生、そういう関係なんだろうなというところが少し切ないけれど、晴さんは私にとって大切な人だ。いい匂いのする鍛えられた体、低く響く声、暖かい眼差し、少しウェーブのかかった髪、晴さんの全て。私の小さな手で包めるか分からない晴さんの傷も、全て。

「大好きなのになぁ。晴さんと結婚したい」

「灯花は野球選手と結婚すると思う」と頭を撫でる。

 私がプロポーズをする度に、晴さんは適当なことを言って誤魔化す。前回は有名パティシエが結婚相手だった。

「スーパーモデルと結婚するってことはないのかな?」と私は諦めきれずに確認する。

 とてつもなく優しい顔で「ありがとう」って言いながら拒否された。でも私は知っている。晴さんが私のこと好きで、私が晴さんを好きなことを好きだということも。応えることができないけど、私のこと、大好きなことも、大切にしていることも。だから私は「大好き」って言い続ける。

 それが私の役割のような気がして。

「グラタン食べたい」

「わかった」と言って、立ち上がって台所に行く。

「天気いいね」と一緒に着いて行って、私は冷凍庫を開ける。

 前にたくさん作ったグラタンを保存していた。レンジで温めるとすぐに食べれるようにしている。

「晴さんは?」

「いらない」と言って、皿にオートミールを入れる。

 一つだけとって、晴さんに渡す。晴さんがレンジに入れてる間、私はベランダに出る。電磁波の影響まで心配してくれる晴さんだったから、スイッチを入れると、すぐにベランダに出て私の側にきた。

「ついでにローズマリーに水をやろう」と言ってじょうろに水を入れる。

「晴さん、本当に天気いいね」

「そうだね」と言って、蛇口を閉めた。

「灯花…。初めて抱き上げた時、温かさが肩に伝わって…優しい匂いがした」

 私はじょうろからでる水のシャワーを眺める。

「ほっぺも柔らかくて…。この子だって思った」

 水滴がローズマリーの葉を濡らしてプランターの土を湿らす。

「この子?」

「変なこと言うけど…my girlだと思った」

「…わかんない」

「大切にしようって思った」

「十分、してくれてるよ?」

 ジョウロの先からもう水滴は出ていないみたいで、でも晴さんはまだ斜めに向けていた。

「だから安心して、世界一周してきたらいい」

「ますます分かんない」

 そう言うと、晴さんはとっておきの優しい笑顔を向けた。


 それから七年後、晴さんが大好きな私は野球選手でもパティシエでもなく、会社の先輩と結婚する。

 今日は私の結婚式。小さな規模のガーデンウエディングだ。

 パパは大号泣して、でも素敵なブーケを作ってくれた。生まれた私の弟はとっても愛嬌のある男の子だ。みんなに可愛がられている。もちろん晴さんも可愛がっている。でもママ曰く「灯花の時ほどではない」らしい。

 私はパパに断って、晴さんとバージンロードを歩かせてもらうことにした。私はずっと晴さんが好きで、そのまま大人になった。


 晴さんは少しも変わらない。私のウエディング姿を見ても、パパみたいに涙は流さなかった。代わりに優しい微笑みをくれた。

「晴さん…ずっと大好き」

 そう言っても、同じような笑顔でいつもと同じように

「ありがとう」と返ってきた。

 私も微笑み返した時

「おめでとう。幸せに。ずっと灯花の幸せを祈ってる」と言われた。

 私は「私も」と言いたかったのに、声が出ずに涙が溢れた。


 愛――。


 変わることのない愛とやさしさをくれた人。


「晴さん…。私、ずっと大好き。本当にずっと」

「知ってる。初めて…会った時から分かってたから」とハンカチを差し出してくれる。

 永遠の片思いだと思ってた。でもそれは違ってて、私たちはずっと愛情を持っていられる。これで私のあまりにも長い初恋は終わる。

「六月なのにお天気が良くて」

「本当に…素敵なジューンブライドで」

 誰かの話し声が聞こえた。背の高い素敵な晴さんの腕を取ってゆっくり歩き出す。

 青い空と爽やかな風が吹いて、鐘の音が高く響いた。



            〜終わり〜

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やさしい花 かにりよ @caniliyo

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