第6話 ボナペティ

「晴さん、聞いてー」と言って、私は学校から帰ってくるなり晴さんを探した。

 今日はパパとママが仕事だから、晴さんが家に来ているはずだった。私は中学生になって、部活は吹奏楽部に入っていた。

 晴さんはソファから起き上がると、有無を言わさず洗面所に連れて行って、手を洗うように言う。

「ねぇ、晴さん、聞いて」って言ってるのに、私の手にハンドソープを乗せる。

「しっかり洗う。後、うがいも」

 私は諦めて、手洗い、うがいをきちんとした。そしてタオルを持って待ち構える晴さんに手を預けた。優しく水滴を拭き取ってくれる。

「それで? おやつ食べながら話す?」

「うん。そうする」

 そう言うと、晴さんは麦茶と水羊羹を用意してくれた。私が最近、体型を気にするようになって、なるべく太らないおやつを用意してくれている。

「あのね…。わぁ、美味しい。これ、いつものところ?」

「そう。村嶋さん」

 晴さんはミントティーを飲んでいる。

「あそこの和菓子は美味しいもんねぇ。…あのね、晴さん。先輩から告白されたの」

 今日、片付けが遅くなって、慌ててクラリネットを片付けていたら、突然声をかけられた。ホルンの先輩で、「ちょっといいかな」と言われた。私は何か怒られるのだろうか、と思って、思わず緊張してしまったけれど「好きな人…いる?」と質問されて、突然すぎて何も考えずに首を横に振った。

「付き合ってほしい」

 部活の部屋には夕日が差し込んでいて、私は返事ができずに眩しさに目を細めた。

「ダメかな」

 あまり喋ったこともない先輩だったし、そもそもどんな人なのかは分からない。ただホルンは上手だったと思う。それだけだ。 

「あの…ちょっと。えっと」

「来週まで考えてくれないか?」

「あ、はい」と返事をして慌てて家に帰って来たのだ。


 それで晴さんは「は?」と言って、手にしていたミントティーをテーブルの上に置いた。

「付き合ってみるべきかな?」

「べき…?」と歯切れが悪い言い方で晴さんは私を見た。

「やめた方がいい?」と念押しで聞いてみる。

 突然、冷たい表情になって、横を向いた。

「灯花の好きにしたらいい」

「ふーん」

 私は晴さんがやめた方がいいって言えば断るつもりだった。水羊羹を口に入れるとさっぱりした甘さが広がる。

(晴さんのバーカ)と心の中で文句を言う。

 何の罪のない水羊羹を黒文字で何度も突き刺した。

「灯花、やめなさい」

 注意されるの分かっていて、私は刺した。

「もう、いらない」

 言いながら、なんて子供みたいなことを言ってるんだろう、と思ったけれど、どうしていいか分からずにそのまま、自分の部屋に篭った。本当は晴さんが来てくれる日は楽しみで仕方ないのに。一緒にご飯食べて、ゲームしたり映画見たりするのを楽しみにしてたのに…。


 ベッドの上でいつしか眠っていたみたいで、部屋は真っ暗になっていた。

 ドアをノックする音がする。

「灯花、ご飯は?」

 本当は食べたかった。

「いらない」

 二人で食べたかった。

 今すぐこの部屋から出て行きたい。

「じゃあ…置いておくから。…それで帰る」

(いやだ、いやだ。まだそんな時間じゃないはず)

「うん」

 晴さんの足音が遠くなった。しばらくすると玄関のドアの鍵の音が遠くで聞こえる。その音を聞いて、泣いた。


 それでもお腹が空いて、私は暗い部屋から出て、リビングに向かう。私のご飯の用意がされていて、小さなメモが置かれていた。

「ボナペティ」

 それだけ書かれたのを見て、私は唇を噛んだ。

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