第10話「困惑」
「はぁはぁ」
気づけばいつの間にか走り出し、引いていった汗がまた吹きだしてしまっている。
芹華が暫く来れないと先生が言った本当の理由を1秒でも早く知りたい。勿論芹華にも会いたい。でも、抑えきれない不安感が足を速く進ませる焦りを生んでいるのだろう。
更に息が苦しくなってきたところでようやく芹華の家が見えてきた。
小さい頃はよく遊びに来ていた芹華の家。来なくなってしまったのは何時からだろう。自分では意識してなかったけど、いつからか芹華はいつも私の家に来るようになった。いつの間にかそれが自然で、それが当たり前になっていた。
久しぶりに見る芹華の家はこんなにこじんまりしてたっけという印象だけど、それは単に私が大きくなったからだろう。
走ってきてあがった息を少し整え、家のインターホンを押そうとする。
しかし。
「うっ!?」
何っ? 急に頭が……痛い。というより、意識が朦朧としてくる感じ。
「――じょうぶよ、蘭子ちゃん」
誰? 暗くて顔がよく見えない誰かが私を呼んでる。これは私の記憶?
「私がずっと一緒にいてあげるから」
あぁ、小学生の頃の蘭子だ。ということはこれは昔の私の?
「はっ」
気づけば私はまた芹華の家の前にいた。
どのくらいか分からないけど意識が混濁してたんだ。いったい何が起きたの?
と、事態が呑み込めないでいると。スマホがなっているのに気がついた。制服のポケットからスマホを取り出し、画面を見ると……芹華だ!
「もしもし、芹華!?」
秒で電話に出る。無事だよね? 何もないよね?
「蘭子、今すぐ帰って」
「え?」
芹華の家の2階の窓を見ると、そこには私を見る芹華の姿があった。
「芹華!」
よかった、あんまり元気はなさそうだけど無事でなによりだ。
「学校で暫く来れないって聞いたけど何があったの?」
「もう聞いたんだ。分かった、後でまた連絡するからとりあえず学校に戻って」
「やだよ、ここまで来たのに。折角だから家に入れてよ。芹華の家に来たの久しぶりだし」
「帰って!」
「!?」
明かな怒気を含んだ大声に思わず私はスマホを落としてしまった。
芹華は自身でも喉から出た声に驚いたのか、困惑の表情になっているのがここからでも見て取れた。
でもどうして? 何で私を拒否するの? 今まで私をからかうことはあってもそんな顔して怒ったの……絶対見たことないよ。
拾い上げたスマホの画面は落下の衝撃で割れてしまっていて、まるで今の私の心情のようだ。
私は再びスマホを耳に当てるも、すでに通話は切れ、私の耳を通り抜けるのは空虚な無音だけ。顔を上げて、2階の窓を見るとすでに芹華の姿はなかった。
でも、家の中に芹華がいることは確定なんだ。このインターフォンを押せば出てくるはず。
私は人差し指をインターフォンのボタンに伸ばし……。
(帰って!)
ビクッ!
さっきの芹華の怒号が頭にリフレインして、思わず伸ばした指を引っ込める。
このボタンを押したらすでにひび割れてる何かが壊れそうな、全てが変わってしまいそうな恐怖を感じ始め、もうインターフォンを押す気持ちは全て消え失せてしまった。
学校に戻ろう。
足取り重く、学校へ戻る道を歩き始める。
芹華のところに来れば、何か少しは解決するかと思ったのに。芹華、どうして……。
「5代将軍徳川綱吉は動物愛護を謳って生類憐みの令を――」
ガララと教室のドアを開けると、歴史の授業中だったらしく、講義中に突然入ってきた私に、頭髪が寂しくなっている教師は一瞬目を向け、話を止めるも、すぐ何事もなかったかのように講義を再開した。
消沈した気持ちで席に座ると。
「ちょっとらんらん、もしかして芹華のところに行ったん?」
斜め前の席に座っている真央が歴史教師の目線を気にしつつ、小声で話しかけてきた。
「うん……」
「その感じ、会えなかった系?」
「会えたと言えば会えたんだけど、「帰って」って怒られちゃって」
「怒るって芹華が? いつもあんなにらんらんには文句言いつつも甘々なのに?」
「うん、あんな怒った芹華、初めて見たかも」
「流石に学校サボって家行くのはマズかったんじゃない」
「ううん、あれは……」
サボった云々じゃなく、家に来たことに怒ってる感じだった。家に近づいてほしくないみたいな。
「あれは……?」
「あ、いや、そうだよね。流石に学校サボって行ったら芹華も怒るよね。馬鹿だな私、あはは」
でも、それは何故だか他人に話してはいけないような気がして、口には出せなかった。
「? じゃあ結局芹華が学校を休んだ理由は分からなかったんだね」
「そうなんだよね、先生が何か隠してる感じはしたんだけど、聞いても本当のこと教えてくれるか分からないし、そもそも信じられないし」
「あー、それはあるな。でもこのタイミングで来なくなったってことはこの前の――」
そこまで言って「あっ」という顔で発言を止める真央。
「うん、私もそれは分かってる。でも単にそれだけじゃない気がするんだよね」
「それだけじゃないって?」
思わず私の方に身を乗り出す真央。
「ん、んっ!」
すると流石に目に余ると思ったのか、歴史教師がわざとらしい堰をした。
「やば」
真央は黒板の方に向き直り、そこから授業中私たちは言葉を交わすことはなかった。
やっと授業が終わり、昼休みになると弁当を持った真央が猛スピードで私の席にやってきた。
「それで!? 授業中に言ってた「それだけじゃない」ってどうゆうこと?」
ふんふんっ。と鼻を鳴らし、食い気味なレベルで私の方に身を乗り出す真央。
い、いや近いから。話しづらいから。
「話すからもうちょっと離れてくれる?」
そう伝えて、真央はやっと私から距離を少し取ってくれた。まだ近いけど。
「この前のことが原因なのは間違えないと思う。でも学校に来ないまでの事態になったのは芹華のお母さんが止めてるみたいなの」
「芹華のお母さん……って、そんなヤバい人なん?」
「いや、それは私もよく分からないんだけど……」
「え、らんらんって芹華にあんなにベッタリなのにお母さん未見?」
「ううん、会ったことはあるはずなんだけど最近は会ってないから記憶が曖昧で」
そもそも先生は「親御さん」としか言ってなかったから「お母さん」と断定しているのはさやかちゃんの発言があったからだ。さやかちゃんはなんで芹華のお母さんのこと知ってたんだろう?
「あ、そいえば。何か聞いたことあるな、学校に「教育の質が悪い」ってクレームつけに直接乗り込んできたエグい親がいたって。あれってもしかして芹華のお母さんだったりして?」
「流石に芹華のお母さんはそんな人じゃなかったと思うけど……」
少なくとも教育ママ的な家庭ではなかったんじゃないかな。そうだったらそう覚えてるだろうし。
うーん、でも本当に微かにも思い出せないんだよね、芹華のお母さん。それどころか芹華の家で遊んだことさえ……。
「ん?」
そこまで考えたところで私は周りの違和感に気づいた。
「皆がこっち見る目、おかしくない?」
奇異というか避けてるというか。どちらにしろ嫌な感じだ。
すると真央はあまり気にした様子もなく。
「あー、この前の騒動、このクラスにも知れ渡っちゃってるのよ」
ここまで知れ渡ってるってことは、真実じゃなく、さやかちゃんが風潮した話の方だろう。それなら私はかなりの悪役ムーブする人間に見えてるだろうな。
っていうか。
「それなら真央も噂聞いてるんでしょ? 私といたら変な噂たっちゃうかもよ」
今クラスで唯一普通に喋れる真央を自分から遠ざけるのは気持ち的に苦しいけど、真央に被害が及ぶのはもっといけない。
すると、真央はグッと親指を立て。
「何水臭いこと言ってんの。私たち友達でしょ。周りなんて関係ないよ」
「真央……」
ちょっと迷惑だなと思うときもあったけど、心根はこんなに優しかったなんて。私は自然と目頭が熱くなってきた。ところで。
「と、言いつつ、皆が聞きたいけど聞けない話を引き出したいって部分もある」
「今イイ感じだったのに全部台無しだよ!」
思わずツッコミを入れてしまったところでスマホが鳴った。画面を見ると……芹華からの電話だ!
「んお、噂をすれば芹華?」
そうだ、後でまた連絡するって家に行ったとき言ってたから。
「ちょっと誰もいないところで話してくる」
「うん、後で色々教えてねー」
教えるかどうかは別として、私は誰もいないところを探してスマホの通話ボタンを押した。
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