第4話 風と白銀
パチパチと、木が弾ける音がする。焚き火なんてものを見たのはいつぶりだろうかと、竜は物思いに耽る。
「『
魔女が再び、力を使う。段々に積み重ねた薪に小さな火種が生まれ、瞬時に巨大な炎となる。彼女の背後にあるのは、いつの間にか用意されていた巨大な肉。それに火を通すためには、かなりの火力が必要だということで、火の勢いを強めているようだ。
『……魔女の魔法か。便利だな』
「ええ。便利なものだけではないけれど」
魔女が使う人間離れした超常的な力は、一般的に魔法と呼ばれる。火種もないところに火を、川も海もないところに水を、灼熱の大地に氷を。世界を改変するその様を、『まるで魔女が世界の法を捻じ曲げているようだ』と語った者の言葉から取り、そう呼ぶようになった。
最初は、人間たちの間で。それを聞きつけた魔女たちが、自らもその名を使うようになった。
一方、その魔法の片鱗……種のようなものを植え付けられた人間は、その強大さに肉体が耐えられず肥大化し、竜となる。その際、制御不能となった魔法を、魔女たちの魔法と区別化するために『呪い』と呼称するようにもなった。
『俺が受けた……灰の呪いみたいなものも、使いようによっては便利かもしれんな』
竜はしみじみと、そう語る。ありとあらゆるものを灰にする呪い……これが、使用者が念じたものを灰にする魔法であったなら、開拓や解体にも使える便利な力であっただろう。
魔女は右手で小さな木の枝を焚べながら、左手からは風を送り出していた。火の微調整は魔法ではなく、自身で行った方が確実なのだろうか。
「火を起こしたり、水を生み出したり……基本的な魔法は、どの魔女も生まれながらに使うことができるわ。けれど、竜の体内にある『呪い』のようなものは別。その魔女固有の魔法よ」
『魔女固有の、か……』
「あなたのそれは、特に強力よ。あらゆるものを灰に帰すという力だけでも強力なのに、周囲一帯を灰の砂漠にできるほど広範囲に力が及ぶ。そんなものを植え付けた竜を生み出すなんて、随分悪趣味な魔女だったみたいね」
『歩く災厄』のような性格をしていた、灰の呪い——否、灰の魔法の所有者。記憶が曖昧になってしまった竜も、その曇天の空のような灰色の髪だけはよく覚えていた。
『今はどこにいるのやら……あの魔女を見つけ出せば、俺も人間に……』
戻れるのだろうか。
その疑問は敢えて言葉にせず、口を噤む。
魔女は、火力が十二分になった焚き火に、肉の塊を立てかける。その隣には、魔女のものなのか、小さな肉の串が数本、突き刺さっていた。
『……そろそろ聞かせてくれないか。さっき言っていた……魔女を殺すという言葉の意味』
魔女は俯いたまま、目を合わそうとしない。のそりのそりと竜が背筋を伸ばした時、魔女はゆっくりと語り始めた。
「言葉通りの意味よ。私は、この世に存在する全ての魔女を殺すつもりでいる」
『それは何故かと聞いている。同族だろう?』
静かに顔を上げる魔女。鈍い輝きを放つ瞳が、竜を見据えた。その奥底に、計り知れないほど薄暗い感情があるように思えて、竜は思わず生唾を飲み込んだ。
パチパチと、肉の脂が焚き火に落ちて弾ける。小鳥の囀りも風の音も聞こえない。
「……魔女は決して老いることもなく、死ぬこともない。その上、強大な力を有している。このまま魔女が増え続ければ、そう遠くない未来——この世界は破滅を迎えることになるわ」
『破滅、だと……?』
世界の破滅。突拍子もない発言に、思わず耳を疑う竜。
しかし、よくよく考えてみれば、それほど荒唐無稽な話でもないことに気がつく。魔女はたった一人で、国一つを容易に落とすことが可能なほど、絶対的な力を持った存在である。そんな魔女が、今もまだ、増え続けているとするなら……いずれ、彼女たちが衝突し、この世界が終わりを告げる日が来る可能性は、十分にある。
それに加え、魔女は自然的な要因で死ぬことはない。殺された、という例も、竜の覚えている限りではない。何者かが、何らかの方法で存在を抹消しない限り、増えることはあっても、減ることはないのだ。
『世界を破滅させないために、同族である魔女を滅ぼすと……?』
「ええ。それが、私の使命だから」
冷たい声だった。同族を殺そうと発言しているのに、そこに一切の同情も慈悲も感じられない。彼女にとっては、地面に生えている雑草を、一本、指で摘んで引き抜く程度の認識なのだろうか。竜は若干の恐れを感じつつも、質問を続けた。
『魔女は死なないんだろう? どう殺すつもりだ?』
その質問に、魔女は一瞬固まり、膝を抱えて座り直した。
「私は……魔女を殺す魔法が使える」
『!』
魔女固有の魔法がある。彼女は先ほど、そう言った。話の流れから考えれば、竜の眼前にいる、竜の妻である白銀の髪の魔女の固有の魔法が、『魔女を殺す魔法』であることは明らかだった。
世界を破滅に導くであろう魔女の増加と、そんな魔女を殺すことができる魔女。確かに、『魔女を殺すことが使命』だと認識するには、十分すぎる根拠だ。
「これは……私にしかできないこと。だから、私がやるわ」
焚き火に照らされる魔女の横顔は、ほんの少し、悲しげに見えた。
これまでの話を聞いて、妻である白銀の髪の魔女が、何故他の魔女を殺そうとしているのか、その理由を知った竜。
しかし、その上で、新たな疑問が発生した。
『——じゃあ、何故俺を連れてきた? 今の話に、俺が絡む要素はなかったと思うが……』
そう。彼女の固有の魔法は魔女を殺す魔法。魔女殺しは、彼女一人で完結している。灰かぶりの竜が必要となる理由が、彼には分からなかった。
「魔女を殺すことは私にしかできないこと。けれど、私一人では、全ての魔女を殺すことはできないわ。多勢に無勢だもの」
『まあ、そうだな』
魔女は調理中の肉を回転させながら答えた。竜がまともな食事を摂るのは、実に百余年ぶり。竜となってからは、試しに食べてみた灰以外に、何かを口にした覚えはない。
強烈な肉の香りが、彼の鼻から肺へ、一瞬で駆け抜ける。今にも飛びついてしまいそうなのを我慢しながら涎を垂らしていると、魔女が、そんな彼の口元を指差した。
「ところで、あなたに渡した、新しい力……それ、一体何かしら」
『何?』
新しい力というのは、当然、灰の呪いを制御するために魔女の血を飲んで得た力のことだ。それの由来が何なのかと言えば、これまた当然、白銀の髪の魔女の魔法である。
そこまで考えて、竜は一つの答えに至った。
『……まさか、この力は……」
「そう。それは、魔女を殺す魔法の欠片よ。魔女由来の力である呪いを抑え込むこともできる」
妙に納得する自分がいることに気づいた竜。と言うのも、ここまでずっと、二つ目の呪いについての疑問が残っていたためだ。
竜とは、魔女の魔法の種、欠片、片鱗……そのようなものを植え付けられた人間が、その強大な力に耐え切れず、肉体を変容させたものである。すなわち、本来であれば呪いを二つ受け入れれば『精神の磨耗』は加速するはずなのである。
にも関わらず、竜は二つ目の呪いを受け入れることによって人間性を取り戻し、理性を失う危険性とは無縁になった。
当初は、単に魔法のコントロールをする力でも授けられたのだろうと楽観視していたが、受けた呪いが『魔女を殺す魔法』の一部であったなら、理解が進む。魔女を殺す、という謳い文句なだけあって、魔法そのものにも効果があるようだ。
『つまり、魔女を殺すために協力しろ、と』
「今はまだ駄目ね。あなたはまだ、灰の呪いを抑え込むことしかできていない」
首を横に振りながら、そう答える魔女。
「けれど、その二つの呪いを融合させることができれば……あなたは、魔女さえも灰に帰すことができる。あなたがいれば、全ての魔女を殺すことは不可能じゃない」
全てを灰にする呪いと、魔女を殺す呪い。すなわち、『魔女を灰にする呪い』へと昇華させる。そうすれば、数の不利さえ覆すことができる、と。竜は、そのためにここへ連れてこられたのだ、と。
『……つまり、一目惚れだなんだと言っていたのは、俺をノせるための口上か?』
「いいえ。あれは本当よ。あなたに力が無くとも、私はあなたを愛しているわ」
『そうか』
真偽のほどは、竜には分からない。ただ利用するためにここにいるのか、はたまた、愛した人に偶然利用価値があったのか。
確かなのは、竜にとって、妻である魔女は恩人であるということ。経緯はどうであれ、人の心を失うことを防ぎ、人として生きるという選択肢を与えてくれた恩人。
であれば、答えを出すのに、迷いはなかった。
『……そう言われちゃ敵わないな。愛する人のためならなんだってしたい、だろう?』
「ええ。あなたもそう思ってくれているのなら、私はとても嬉しいわ」
少しだけ口角を上げ、微笑む魔女。
『で……どの魔女から殺すんだ?』
「実は、一人目はもう決めているの。初めて魔女を殺すことになるだろうから、罪悪感が少ないように、悪逆非道を尽くしていて、なおかつ私たちの目的の障壁になりそうな魔女」
『ふむ』
竜にとってはありがたい配慮だった。
世界のために魔女を滅ぼすというのは、一見この世界のためを思っての行為、所謂『正義』に見えるかもしれないが、実のところは、白銀の髪の魔女のただのエゴである。世界のためだと言えば、邪魔な存在を殺すことが許されるわけでもない。
罪悪感は必ず発生する。そのために、他の理由も探し出した。悪逆非道を尽くしている魔女が相手ならば、被害者を救済するためだという別の言い訳を使うことができる。
実際のところ、竜の知る限りでは、悪逆非道を尽くして『いない』魔女を探す方が大変ではあろうが。
「リディオ大陸のバートリアという小さな国にいる魔女——どうも、生贄に捧げられた若い女性を食べているらしいわ」
淡々と告げる魔女。『食べる』というのが、物理的な話なのか、何かの比喩表現なのかは不明だが、話の流れから察するに、決して良い意味ではないのだろう。
『酷い話だな』
「ええ。だからこそ殺すの。この世界のために」
そう言って、魔女は肉の方に視線を映す。
「……お肉が焼けたわ。久しぶりだろうから、ゆっくり食べてちょうだい」
『ああ……ありがとう』
顔を横向きにし、肉を咥え、足下に落とす竜。だらだらと流れ出る涎を飲み込み、肉を齧る。直後、これまで感じたことのないような幸福感が、全身を駆け巡った。
肉とは、こんなに美味いものだったか。
百余年ぶりの食事。これまで食べてきたどの料理よりも、体に染み渡るような気がした。
……しばらくして、二人は食事を終えた。焚き火のそばで、何をするでもなく佇む二人。先に沈黙を破ったのは、竜だった。
『……そういえば、魔女には名前はないのか?』
ふと、気になったのだ。魔女の中には、人間のように固有の名前を持つ者と、そうでない者がいる。その線引きは一体どこなのかと。
魔女は少し考える素振りを見せ、答えた。
「誰かから与えられたり、権力を誇示するために名乗ったり……半々といったところかしら」
『君には?』
「ないわ。必要なかったもの」
その表情に、やや翳りが見えた。
『名前。今後は必要になるな』
「……? どうして?」
『一概に魔女と呼んでしまえば、殺すべき魔女と妻とを、混同してしまうだろう?』
きょとんと、首を傾げる魔女。その数秒後、竜の言葉をようやく理解したのか、途端に目を見開いて、頬を赤く染める。
普段は感情を表に出さない魔女も、不意の愛情表現には弱いらしい。
すぐに平静を取り繕ったかのように、可愛らしい咳払いをすると、魔女は竜を見つめた。
「……なら、あなたに名前を付けてほしいわ、灰かぶりの竜さん」
『俺でいいのか?』
竜がそう聞くと、魔女は小さく頷く。
「あなたに貰った名前なら、きっと——忘れないと思うから」
意味深なその発言に少しばかりの疑念を抱きつつも、愛する妻からの要望は無碍にできまいと、竜は頭を捻らせた。
しかし、名付けの経験など皆無であったために、どうしても安直な名前しか思い浮かばない。まるで作り物かのような美貌を持つ、白銀の髪の魔女。そんな彼女に相応しい名前であるか、どうか。
『……シルヴィ。白銀という意味があったはずだ』
「ふふ。少し安直ね」
『……センスがないんだ。笑わないでくれ』
小馬鹿にしたように微笑みつつも、魔女は小さな声で、何度もその名前を呟いていた。
やがて、満足げに。
「……気に入ったわ。私の名前は、シルヴィ」
大きく、頷いた。
「あなたの名前も知りたいわ、灰かぶりの竜さん。人だった頃の名前は覚えてる?」
『それがな、覚えてないんだ……多分、自分を形成する記憶の一部が抜け落ちてるせいだろうが』
竜となってから、それなりに長い時間を生きた。そのせいで、記憶の一部に欠落が生じている。人であった頃の名前は、既に思い出すことができなかった。
『折角だから、俺も、君に名前をつけてもらおうか』
どうせなら、と、竜はそう提案した。シルヴィは迷う素振りも見せず、すぐに答える。
「そうね……愛しのダーリン、とか」
『名前じゃないだろう、それは』
呆れたようにため息をこぼす竜。『冗談だ』という風に小さな笑みをこぼすと、シルヴィは少しの間俯き、そして、口を開いた。
「……ヴェン。あなたの背に乗って空を飛んでいる時、風が心地良かったから」
風、という意味でもこめられている言葉なのだろうか。短くて、覚えやすくて、響きが良い。
『ヴェン……悪くないな』
悪くない。灰かぶりの竜——ヴェンは、そう呟いた。
「ええ。格好良くて可愛らしいあなたに、ぴったりの名前」
『そうか? それなら……君が付けてくれた名前だ。この先ずっと、大事にしよう』
「ふふ……面と向かってそんなことを言われると、流石の私でも照れてしまうわ」
とは言いつつも、これっぽっちも照れている様子ではないシルヴィ。
そうして、これからの目的の確認と、二人の名付け。小さいような、大きいような、そんな出来事が一つ、終わりを告げた。
——そうして、この時が、二人にとって最も幸せな時間であったと、そう遠くない未来の竜は振り返るのであった。
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