第9話 回顧とクッション

 コロンとした音が鳴る。なおやの自宅のカギについている、鈴の音だ。


 ドア前で鍵を取り出したなおやは、思い直して、鍵を開けずにドアノブを握った。

 案の定、扉は開き、部屋の奥から「おかえり~」と悠長な声が聞こえる。


 「ただいま」


 リビングへ進むと、眼鏡をかけた男、柳田鈴やなぎだすずがベッドの上で、スマホを片手にくつろいでいた。


 「美味しかった?ケーキ」


 なおやは、鞄を下ろしラックに掛けると、鈴の問いかけに頷いて肯定する。


 「ああ、今度一緒に食い行くか?」


 なおやの提案に、鈴は「んー」と生返事を返した。


 「そんなことより……」


 そう言いながら起き上がる鈴に、自分で話を振ったくせにと、呆れ顔になる。


 「期日近いレポートあったよねぇ?」

 「何か、あったかい飲み物淹れるから、いっしょにやろ」


 「……そうだな」


 鈴が後ろで手を組み、そう言うと、呆れ顔とは一転した、柔らかい表情でなおやは言った。


 ひなたの事で、やはり引っかかる所はあるのだが、家に着くまでも考え続け、少し気疲れしてしまったようにも思う。


 こういう時は、鈴のマイペースな部分に救われる。


 木目のローテーブルの上にはパソコンを、周りにはクッションを用意しながら、台所の方を横目に見た。


 横揺れしながら、湯が沸くのを待つ姿も、音程がめちゃくちゃな鼻歌も。

 3年前には、考えられなかった様子だ。


 鈴は安心しきっている、と。そう感じられ、なおやは自然と口端がゆるんだ。


 視線を戻し、鈴が気に入っている藍色のクッション置く。

 何かが、心の内でトンッと軽い音をたてて、落ちた。


 ——そうか。


 ひなたの様子に、既視感を覚えていた理由。

 それは、3年の春、出会った頃の柳田鈴にあったのだ。


 『ご、ごめんね?興味なかったよね?』


 そう言い、ぎこちない笑みを浮かべる鈴に、ひどく困惑したのを今でも鮮明に思い出せる。


 あれは確か、鈴が当時ハマっていたアメコミ映画について熱弁していた時。

 多少理解できないことがあっても、面白そうだと、何より鈴が楽しそうで気分が良かった。


 俺の反応が悪かったのだろうか。

 突如、鈴の顔色が曇ったと思うと、ごめんねと溢した。

 それ以降、よそよそしくなり、今では考えられないが、一時的に疎遠になっていた。


 後に、真意を聞き出すと、つい夢中になって自分ばかりが話してしまった。迷惑だと思っていたかもしれない。人に迷惑はかけたくない。と。


 俺はキレた。

 迷惑だなんて、一言も言ってないのに、俺のことを勝手に決めつけて距離を取られていたのだ。


 鈴はそういうやつだった。仕草、目線、顔の動き、声のトーン。それらを常に注意深く観察しては、相手の顔色を読む。

 言われてもいない事を邪推し、杞憂でがんじがらめ。


 生憎、俺は気持ちが顔に出にくいから。そのせいで他人を不安にさせてしまう事があると、初めて認識した。



 課題を確認しながら、ひなたの様子を反芻する。


 やはり、鈴に近いのかもしれない。

 小動物のように思えた様子も、今思えば、周囲を人一倍気にする鈴に似ている。


 決めつけるべきではないが、少なくともデジャブの正体はわかった。


 「なお君。緑茶どーぞ」


 マグを差し出され、礼を言い受け取る。

 よっこらせと言いながら、鈴も向かいに腰を下ろした。


 ゆらゆらと立つ薄い湯気を見れば、ひなたの顔が浮かぶ。

 本当の事は本人に聞かなければ分からないが。なおやはもう既に、あの不安定さを見なかった事にする気はなかった。

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