第3話 自己紹介とココア

 「陣さん!」


 ドアを開けたなおやは、カウンターに立つ、クリーム色のボーラーハットをかぶった男の名前を呼ぶ。

 呼ばれた当人は、なおやの後ろにいる、頭から水をかぶった子供に、目を見張った。


 「……一体何が?」


 「知らねぇ」


 投げやりに応えるなおやに、このカフェの店主である陣内は、カウンター内に常備してあるタオルを渡した。


 「着替えなくては。ほら、こっちにおいで」


 タオルをかぶせられた子供は、なおやに頭を拭かれながら、店の裏へ連れてかれる。


 店と陣内の家は併設してあり、カウンターの奥にあるドアを介して、外に出ずとも、行き来出来るようになっているのだ。


 陣内に連れられ、こげ茶色の家具で統一されたリビングに出る。


 「着替えを準備するから、暖房をつけて待っていてくれ」


 そう言い残し、陣内は別の部屋へ向かった。

 なおやは子供の頭を拭く手を止め、探すことなくエアコンのリモコンを手に取る。

 言われた通り暖房をつけると、子供を温風の当たるところに、背中を押して連れていく。


 子供のされるがままの姿に、小柄なのも相まってか、小動物に対する庇護欲に近しい愛しさのようなものを感じた。

 素直な子には世話を焼きたくなる。


 再び頭を拭き始め、おもむろに口を開いた。


 「お前、名前は?」


 「………ひなた」


 か細く生気のない声が返ってくる。


 「俺は曽我なおや」


 「私は陣内だよ」


 突如聞こえた、年老いた声に、二人して身体が跳ねる。

 いつの間にか、なおやの背後に立っていた陣内は、髪がボサボサになっている子供、ひなたに目を向けた。


 「待たせたね。着替えを用意したから、隣の部屋で着替えて来るといい」


 先程、自身が入っていったドアを指差し、そう声をかける。


 「あ、りがとうございます……」


 軽く頭を下げながらの、感謝の声は、段々と小さくなっていった。


 逃げるようにして隣室へ入っていくひなたを、物惜しそうに眺めるなおやに、陣内がパントマイマーのような大袈裟な喫驚をし、肘を小突く。


 対するなおやは、心から鬱陶しいと、小突かれたあたりを手で払った。


 こういった、見た目と普段の言動にはそぐわない、青年のようなおちゃらけをする所が、陣内の愛される所なのかもしれない。


 「少し店を見せてくるよ。みんな常連さんだったから、問題は無いと思うが」


 「悪い」


 「気にすることはないよ」


 そう言葉を交わし、陣内は少しの間店に戻る。


 なおやは季節外れの炬燵に電源を入れた。


 陣内の家には炬燵が一年中出ている。

 片付ける事が面倒という理由ではあるが、電源を付けなければ、暑くとも困ることはないし、今は、水溜りに浸かって冷え切った足を温めるのに役立つ。

 夏に置かれている炬燵に感謝をする日が来るとは。

 さっきまで濡れていた、冷たい右肩を手でさすった。


 「いやはや。あの子はどこで見つけたんだい?」


 戻って来た陣内が、台所で薬缶を手に取り、そう言う。


 「帰り道で。公園のベンチに、傘もささず座ってた」


 「そうかい……」


 ひなたを拾った公園は、実を言うと陣内のカフェよりも、なおやの家の方が近い。

 しかし、名前や年齢はおろか、性別もわからない子供を自宅に連れていく勇気など、なおやにはなかった。

 かと言って、雨を受ける小さな体を、見なかった事にするわけにもいかない。

 そこで候補にあがったのが陣内の元だった。


 陣内とは付き合いが長く、多少の無理は受け入れてもらえるという算段があった。

 驚きはあっただろうが、案の定、躊躇うことなく、家にあげてくれた。


 長くこの街でカフェを営んでいる事を踏まえ、子供と陣内が顔見知り、ないし、知り合いという可能性も期待していたが、どうやら、そのあては外れたらしい。


 やがて沈黙を断ち切るように、薬缶が悲鳴を上げた。 


 コポコポとお湯が注がれ、用意された2人分のココアが、なおやの前に置かれる。


 なおやはココアに手を伸ばした。

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