第2話 ふたりの失格者

 今日でVTuberを辞めるって、どういうこと⁉


「何か家庭の事情とか? 体調が悪いとか? それなら活動休止でも……」

『私が今どんな状況なのか知らない? 君、ネット見てないの?』

「ネット? もちろんです! サッキーのショート動画や生配信……アーカイブは毎日何時間も観てます! あと、切り抜き動画も!」

『あはっ……嬉しい。最後に、君みたいなファンと……お話が、できて、良かった。ファンアート……可愛いく描けてるね。私……その絵、ずっと、ずっと憶えておくから。絶対忘れない……』

 

 頼むから、ガチ泣きしながらそんなこと言わないでよ。

 一昨日おとといまで普通に配信してたじゃないか。来月は二周年記念配信だって。

 その時は新衣装を披露するんだって。

 歌枠の耐久配信で登録者数を二十万人にするんだって、言ってたよね?

 思考が追い付かない! せめて卒業ライブ配信を! 

 ファンのみんなにお別れを!


『バイバイ……』

「ま、待って……そんな」


 モニターの中のサッキーは、笑顔のまま止まって動かなくなった。

 配信で難しいゲームをクリアした時に、いつもこの笑顔を見せてくれた。

 歌枠で歌い切った時も。雑談でリスナーのくだらない冗談に応えてる時も。


 ファンには暗黙のルールがある。

《推しが引退する時は、静かに見送らなければならない》

《その思いを尊重しなくてはならない》

《推しが選んだ、これからの人生の為に》


 遠くから誰かの泣き叫ぶ声が微かに聞こえた。きっとサッキーだろう。

 VTuberの表情は、モーションキャプチャーで自動判別して表示する。

 でも、泣き顔はボタン操作だ。

 悲しいのなら、どうして泣き顔にしてくれなかったんだよ。

 そんな噓の笑顔なんか見たくなかった。

 だって君は配信で、嘘が大嫌いって言ってたから。


――何がいけなかったのかな。

――私はこうありたいって、頑張っていただけなのに。


 何言ってんだよ。何にもいけないことなんか無いよ。

 こうありたいって何だよ。そのままの君が、俺は……。

 閉会のアナウンスが、静まり返ったこの個室にも聞こえてきた。

 言い知れぬ寂しさと不甲斐無さが込み上げ、俺は黙って個室を出る。


 俺は中学生だから、投げ銭スパチャなんて送れなかった。

 グッズだって、一番安い缶バッジしか買えなかった。

 親に頼み込んで、月額四百九十円のメンバーシップに入るのがやっとだった。

 おしゃべりチケットの四千円だって、親に土下座をして小遣いを前借した。

 友達にはVTuberが好きだとは言えなくて、布教活動もできなかった。

 推しは推せる時に推せ、か。

 あの子の為になる推し活なんて、今まで何もしてやれなかったと思う。

 だから最後に、せめてこのファンアートを渡したい。

 悔しいけど、俺は有名絵師なんかじゃない。

 ツイターや投稿サイトのPixbeだって、フォロワー数は十人しかいない。

 でもいつか、この絵を渡されたことを思い出して、昔を懐かしんでくれたらそれでいい。あの時は楽しかったって。配信して良かったって。


「あの、これ……サッキー、舞浜さつきさんに渡してもらえませんか?」


 俺は入口に立っているスタッフに、ファンアートを渡そうとした。

 でも、そいつは鼻で笑った。何笑ってんだよ。

 俺の絵と、入り口のモニターに映るサッキーを見比べてさ。

 その様子に、俺の胸中に溜まった引火物が一気に燃える感覚があった。

 そして頭で考えるよりも早く、口から言葉が溢れ出した。


「待ってよ。それって……何に対して笑ったんです?」

「だってこの子さ……いや、別に? とにかくプレゼントは迷惑なので――」

「この子がなんだって? こっちはさ、何に対して笑ったのかを聞いてるんだよ」


 どうして俺、こんなに必死になってるんだ? 

 家でも、学校でも、こんなに怒ったことはない。

 八つ当たりなのかもしれないけど、この怒りはもう自分では止められない。


 ファンには暗黙のルールがある。

《推しの前で揉め事を起こしてはならない》


 俺はそのスタッフの胸倉を掴んだ。

 周りのスタッフが慌てて駆け寄ってくる様子が、ぼんやりと視界に入ってくる。

 ありったけの力を込め、掴んだ手を前に押し出した。


「どっちを笑ったんだよ! サッキーか⁉ 俺の絵か⁉ どっちだよ!」

「ぷっ。どっちもだよ、キモヲタ。VTuber? ネットキャバ嬢だろ?」

「なんだと⁉ もう一度言ってみろ!」

「どんだけピュアなんだよ。お前、親の金で貢いでたんだろ? このアニメ顔のネットキャバ嬢に? 正直、笑えるわ」


 スタッフ達が伸ばした無数の手が、俺の体を力強く掴んだ。

 この傷ついた心を更に引き千切り、俺の思いを全否定しているかのようだ。

 ファンアートは宙を舞い、視界から消えていった。


「俺の絵はいくら馬鹿にしてもいいよ。笑うなら俺の絵を笑え。だけど、サッキーを馬鹿にしたのは許さない!」


 そう叫びながら、サッキーを馬鹿にしたスタッフを睨むと、そいつは変顔をして更に煽っていた。どうしてここまでコケにされなきゃいけないんだ。

 VTuberが好きで何が悪い! 

 VTuberをやってる子の何が悪いんだよ!


「俺の推しを……馬鹿にすんなぁぁぁ!」


 その後、会場の事務所に連れていかれて親を呼ばれた。

 俺の両親はそこそこ名の知れた音楽家だ。

 このイベントホールはお得意さんと言ってもいい。

 両親はすぐに裏から手を回したらしく、警察沙汰にはならなかった。

 迷惑ファンムーブをかました上に、親にまで面倒をかけてしまった。 


 彼女が引退した理由は、ネットのまとめサイトを見たらすぐに察しがついた。

 イベントの前日。暴露系配信者が彼女の裏情報を公開したからだ。

 エグいガチ恋営業をしてファンに貢がせていたこと。

 複数の男性配信者やスタッフと深い関係になっていたこと。

 ディスウェブという音声会話アプリでファンを馬鹿にしていたこと。

 そして、それらのログや音声の流出。

 今でも、SNS上では誹謗中傷ギリギリの罵詈雑言が飛び交う。

 まるで死者の体を面白おかしく切り刻むように。


――イベントに来たファンは三人だってよ。運営匂わせてる奴がSNSで暴露w

――登録者数が十九万人いて、たったの三人⁉ 反転アンチも来ないってか?

――あれ? 当日は機材トラブルってことで中止じゃなかったか?

――閉会間際に少しやったらしいな。

――あの事務所、V事業から手を引くってよ。誰のせいだよ。

――こいつのせいで俺の推しも引退だよ。マジ最低。

――中学の卒業アルバムの写真が流失してたぞ? 陰キャ顔で草も枯れる。

――イメージぶち壊し。こいつ、VTuber失格だろ。

――こんな最低女は絶対に【転生】させんなよ? V界隈の面汚し。 

――がわを変えて転生しても声で判るからな。

――そしたらまた玩具にして叩いてやろうぜ。


 俺が必死になってファンアートを描いていた頃、ネットではこんなことになっていたなんて。事情はどうであれ、何も知らない俺は会場で叫んで暴れた。

 ごめんサッキー。俺は本当に、ファン失格だ。

 君がリアルでどんな人間かなんて、どうでもいいよ。

 俺は君が笑っているだけでよかったんだよ。本当に、ただそれだけでよかった。

 何十年も前のレトロゲームが大好きで、雑談も楽しそうで、いつも何かに喜んでいた。

 画面の中の君が、俺の感じる全てだった。

 ねえ。サッキー教えてよ。俺は何に恋をしていたのかな。 


 ※    ※    ※ 


 朝、階段を降りてリビングに行くと、制服の上にエプロンを付けた妹が立ちはだかった。ブラウン系ボブの髪をふわふわとさせ、眉を吊り上げて俺を睨んでいる。


「ちょっとひびき兄ぃ! これ見てよ! これ!」

「なんだよスマホ突きつけて……。あーそう言えば、今週の朝飯当番はお前だっけか。母さんだけでも地方公演から帰ってこないかなぁ。最悪」

「最悪なのは、こっちよこっち! ポンコツポンコツ! PON兄貴っ!」

「リズミカルに人を罵るなよ。何をそんなに怒ってるのか説明しろ」


 妹が突き付けてきたスマホから流れる音声。

 うーん、どこかで聞いたことがあるような無いような。


『俺の推しを……馬鹿にすんなぁぁぁ!』

「あー。自分の声って自分で聞くと変だよな。自分の声じゃないっていうか……って⁉」


 あのイベントの時の俺じゃないか、これ! 一体誰が撮ったんだ⁉

 このショート動画が投稿一日目でニ十万回再生⁉ なにそれ凄い!

 関連動画もたくさん上がってるし!


『お♪ お♪ 俺の推し!♪ 俺の推し!♪ 馬鹿♪ それは、俺の推し♪』


 なんだよこのリズミカルなネットミームは! 無駄に良く出来てる!

 妹は相当ご立腹の様子で、地団太を踏んでいる。

 絶妙にこの動画のリズムとシンクロしてるな。さすがは両親の才能を受け継いだ妹だ。


「私、響兄ぃと同じ中学に通ってるんだよ⁉ 恥ずかしくて学校に行けないじゃない! どうすんのよこれ!」

「どうするもなにも、こうなっちゃどうすることも……いや、マジですまん」

「今すぐ響兄ぃだけ転校して! ていうか、今すぐ死んじゃえー!」

「ま、待てかなで! 包丁を手に取るな! マジすまんって!」 


 たった数日で、俺がネットのおもちゃになってしまうなんて。

 こんなことになるなら……もうVTuberなんて好きにならないっ!

 絶対に! 

 ああ、そうだよな。あれほど誰かを好きになることは、もうないと思うよ。

 絶対に。

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