第一章 カメリアコンプレックス
第3話 泥棒少女とアレクシア
都電荒川線、鬼子母神前駅。その近くの寂れた商店街。
路地を入って裏手に出ると、築十五年ほどの雑居ビルが建っている。
その一階がレトロアーケードゲーム専門店『ヴェイパー・トレイル』。
昭和レトロ感が漂うような、埃臭いゲームセンターだ。
店主の
客はその姿を見るや恐怖を感じ、ワンプレイしたらそそくさと帰ってしまう。
言ってみればここは、客を選ぶ道楽商売の店ってとこだ。
俺の自宅や通っている高校からも近いし、放課後は必ずこの店に寄る。
一学期の中間考査も終わり、今週は
いつもより長く遊べそうだ。
俺が格闘ゲームをプレイしていると、航平さんが野太い声で俺に言った。
「おい、響。バイト募集のポスター、また描いてくれねえか?」
俺は『なんでだよ』という意味を含めて軽蔑のまなこを向ける。
航平さんは罰悪そうにスキンヘッドを撫でた。
「外に貼ってあるものだから盗まれちまってよ。ほら、お前有名絵師だから」
「……いい加減、金取るよ? 基本的に依頼物はタダで描いてないんで」
「なんだよ~。ネットで神絵師なんて呼ばれるようになったらそれか?」
「盗まれて困るならさ、もっと大切に扱わないと」
「いや、まさかバイト募集のポスターまで盗まれるとは……」
「そんなんだから、奥さんにも逃げられたんじゃないの?」
「お前それを言う? 深く傷ついたぁ。慰謝料としてポスター描いてくれよな」
「はいはい。あんなのは適当に描いたアナログ絵だし。明日持ってくるよ」
だいたい、こんな場末のマニアックなゲーセンにバイトなんて必要なのか?
今やネットゲームが主流だし、古いアーケードゲームなら家庭用で復刻してるし。
こんな所で金を落とす人なんて、昔を懐かしむオジさんくらいなものだ。
かく言う高校二年生の俺は……昔からの馴染みの店ってこともあるしな。
イラスト付きとはいえ、バイト募集のポスターを盗む奴は相当イカレてるな。
作者の俺としては嬉しい気持ちは多少あるが。
この店にあるPOPやポスターは殆ど俺の作品だ。もちろん、ゲームメーカーの販促用ポスターも貼られてはいる。だけど、何十年も経っていれば入手困難な物も多い。そこで代わりのものを俺が描いてるってわけだ。
そんなことより、さっきから店の外でうろうろしている女の子が気になる。
ポスターが邪魔でスカートと足しか見えないが、あれはウチの高校の制服だな。
かれこれ十分以上はあそこにいるが、こんな路地裏で待ち合わせか?
ん? ていうか……オイオイオイオイっ!
なんでお前、ポスター引っぺがしてんだよ! ポスター泥棒はこの女か⁉
「こ、航平さん! 外っ! ポスター泥棒っ――!」
その子は剥がしたポスターを抱え、スタスタと店の入り口へ。
そして店の自動ドアに、思い切り頭をぶつけた。
頭を抱えてしゃがみ込むほど痛いか、この泥棒PON女め。
ドアが開くと鼻息荒く店内に入ってきて、航平さんにそのポスターを見せた。
「このにょ……この絵、売ってください! 五百円で!」
舌足らずの甘ロリ声。髪はレッドブラウンのロングヘア。
桜のヘアピンとアホ毛。背は妹と同じくらいだから、157センチ前後でやや小柄。顔立ちは俗にいう妹系アイドルだが、ちょっとだけ大人の色気が滲み出ている。
普通科の同学年では見たことがない顔だな。
六月のこの時期に転校生ってこともないだろう。後輩か、特技専門科の本館組か。
間違っても先輩ってことはないだろうな。
しかし絵を売ってほしいからって、剝がして持ってくるなんて相当ヤバイ子だな。
ていうか、俺の絵が五百円だぁ? 確かに好意的にタダで描いたものだが、五百円? 手前みそだが【アレクシア・キョウ】と言えば、今やツイター界隈じゃ有名な絵師だ。フォロワー数も二十四万人を超えてるし、高額な企業案件も受ける。
底辺絵師だった頃の俺とは違うんだ。
絵を気に入ったのなら、それ相応の値段を付けてもらいたいね。
航平さんが俺の顔をチラチラと見て「どうする?」のサインを目で送ってくる。
知るかっ!
俺は関わるまいと、ゲームの
その子はどういうわけかポスターを航平さんに渡し、キラキラとした目で店内のPOPやポスター、サイン色紙を眺め歩いている。時折、両手を広げて自身の体を回転させ、この空間を独り占めしているかのような仕草。まるで水族館ではしゃぐ子供みたいだ。俺の他に客は彼女しかいないし、余計目立つ。
航平さんがそっと俺の近くに来て、ひそひそと声を掛けてきた。
「なんか面倒くせえ客が来ちまったな。お前のファンの子だろ? 何とかしろ」
「俺、ネットミームになって玩具にされたことあるから、もう身バレしたくないんだ。ネット上でもアレクシアは女性ってことにしてるし」
中二病感覚で名前を付けたけど、アレクシアはヨーロッパ系の女性名だ。
まあ女性を名乗るにはこの方が都合がよく、結果的には大正解だ。
「んーでもよお。今までお前のファンがいろいろ来たけどよ、あの子は相当だぞ? なんていうか、ありゃ恋する女の子の目だ」
「何その
突然、航平さんが俺の肩を何回か小突いてきた。
なるほど。あの彼女が近くに来る気配がする。
その時、春風のような清々しいものが、俺の頬をそっと撫でたような気がした。
「あ、そのゲームってオプションとスピードアップを取り過ぎると難易度が上がるんよね。ひょっとして、わざとやってる? じゃあ君、上手いんだね!」
俺はゲームを操作する手を止め、そっと振り向いた。この声の感じ……。
彼女は満面の笑みを見せ、少し首を傾げる。その仕草に、あの頃の記憶がフラッシュバックする。しかしこの子の甘ロリな声質は、サッキーのようなお姉さんボイスとはまるで違う。むしろ対極にあるといっていい。
でもこのイントネーションと雰囲気は、あの配信にどこか似ている。
「あー! よそ見するからミスっちゃうんよ~」
やめろ。
「このゲームはリスタートからの装備復活が難しいんよね。頑張って!」
舞浜さつきの口真似をするのはやめろ!
あれから約三年だ。彼女を忘れる為、寝食を忘れて必死に絵を描いた。
背も伸びて、黒歴史を隠す為に外見だって変えた。
理不尽なことで叫びそうになった時でも、クール系のキャラに徹した。
イントネーションが似てるからなんだっていうんだ。
この子の存在はリアルそのもので、VTuberのあの子とは外見だって全然違う。
舞浜さつきはヴァーチャル空間から、いや、この世から消えた存在なんだ。
「
「え? いや、来るっていうかその――」
俺のほうをチラチラと見る航平さんの返答に、わざと被せるように叫んだ。
「来るわけがないだろ! ほら、お前が引っぺがしたポスター! そんなプリント出力した絵なんて、店長がタダでくれてやるってよ! それ持ってさっさと帰れよ!」
「んー? どうして君が怒ってるの? ひょっとして、君が作者さんだったり⁉ それならちょっと聞きたいことが――」
確かに、何を怒っているんだ俺は。落ち着いてこの事態を処理しろ。
あの時も無駄に怒って、いらない黒歴史を作ってしまったじゃないか。
「そ、そんなわけ……ないし。この作者……女性だし」
「ふぅん。でもこの作者さん、女性じゃないよ。私、この絵柄の絵を描いてる男の子に会ったことあるから。名前も顔も憶えてないんだけど……」
「何も憶えてないのに、どうしてそんな自信満々なんだよ」
「と、とにかく、かなり上手くなってるけど私の眼は誤魔化せない」
「あっそ。俺は君と違って、この作者には何度も会ったことあるんだが? 航平さん、あの人女性だよね?」
「ん、ああ……まあなんだ。線が細い感じの……だな」
「そうなんだ……違うんだ。じゃああの子の名前と顔、よく憶えておけばよかった……」
なぜ作者にこだわる? どうしてそんなにがっかりした顔するんだよ。
似たような絵柄なんて、ネットにいくらでも溢れてるだろ。
「あ! てんちょさん! このアクションゲームは1984年のですよね? 家庭用に移植されてなくって一回プレイしたいと思ってたんです! よくゲーム基盤が手に入りましたね! てんちょさんすごーい!」
この子、本当に自由奔放だな。
俺との会話はどうした? 俺の心のモヤモヤをどうしてくれるんだよ。
ていうか、妙にレトロゲーに詳しい所も、舞浜さつきにそっくりだ。
「へへっ。だろ? 大阪にいる業界人の
航平さん? どうしてこの状況で、コアなレトロゲー談議に花咲かしてんの?
あんたも相当おかしいよ。
「私、
何の脈略もなく『やっぱりバイトする』ってなんだよ? 誰も君がバイトをするしないの葛藤を知らないし。どこまで能天気キャラなんだ?
でも残念だったな。君がここで働くのは無理だ。なぜなら……。
「君は俺と同じ高校の生徒だろ。十八歳未満はゲーセンで働けないんだよ。ていうか航平さん。この店でバイトを募集する意味ってあるの?」
航平さんは顎に手を当て、少し考えた後に口を開いた。
「バイトを募集してる理由はな、本職の方が忙しくなってきたし、そろそろこの店を閉めるかどうか迷っていたんだ。
航平さんは見かけに寄らず人情深いからな。
それに俺は小学生の時に、この店の存在に救われたことがある。
店が無くなって寂しくなるのは事実だ。
「そういうことなら私、採用ということで⁉」
「いや、そうもいかないな。響が言う通り、ゲーセンは風営五号の風俗営業店なんだ。高校生の年齢じゃ働けないんだよ」
「あ、それならそれなら……ほら。私、十九才なので大丈夫です」
はぁ⁉ じゃあどうしてウチの高校の制服着てんだよ!
コスプレか⁉ 留年か⁉
俺と航平さんは、彼女が差し出した健康保険証を見てみた。
うーん、早速PONだなぁ。この保険証、三年前に有効期限が切れてる。
桜武 涼音。さくらぶ? 変わった苗字だな。
生まれ年は 俺のニ年前だから……先月で十九才⁉ マジか!
どこからどう見ても年上って感じはしないが⁉
「
「採用も何も、まずは面接をして履歴書をだな……。おい響、この子の前のめりな性格をどうにかしてくれ……」
「……俺、知らないよ。関係ないし……」
突然、彼女は思い出したように目を見開き、それが次第に申し訳なさそうな顔に変わっていく。そして置いてあった自分のバッグから、一枚のポスターをおずおずと取り出した。
「あ、あにょ~……昨日、外に貼ってあったアルバイト募集のポスターを売ってもらいたくて。でもなんか剝がす時に破いちゃって。家に持って帰ってテープで貼ったんだけど、上手く付かなくって……さっきのポスターは上手く剝がれたんだけどなぁ」
「え?」「え?」
「ごめんなさいっ!」
やっぱりポスター泥棒は
でも、その困った顔が不思議と憎めなくて、俺は少し吹き出してしまった。
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