第3話 夜の鐘を鳴らす者

【前回までのあらすじ】

 魂を見ることの出来る目を持つ青年セシン・ミルファルトは、その目を差し出す代わりに、魔王ネルフェニア達が調べている「魂の人間化」現象の調査に協力することになったのであった……。

 

 第3話 夜の鐘を鳴らす者

 

ワタシも直接調査に出向きたいのはやまやまなんだが、あと3日は絶対に外せん用があってな。そういうわけで、調査の方はお前たちに任せる!」

 朝、途轍もない大声で叩き起こされたのでドアを開けてみれば、これである。

「おい、そんなぶすくれた顔するな」

「……寝起きだからだよ。いちいち声がでかい、お前は」

 小さな欠伸を噛み殺しつつ、既に出掛ける準備万端と言った様子のネルフェニアを見やった。普段着ている(と思われる)黒マントでなく、若干年季の入っていそうな白いフード付きの衣服を着用しているし、頭から生えているはずの立派なツノは何故かなくなっている。

「なんだ、その格好」

 まるで自分が何者か知られたくないとでも言いたげな見た目をしているが、ヘテロクロミアこの国を治めている王ともあろうものがコソコソする必要も無いだろう。

「いや、コソコソする必要はあるぞ」

「何だって?」

「説明してやるほどの時間はワタシにはない!調査のことは助っ人に全部伝えてあるから、後は任せたぞー」

 一方的に告げた後、ネルフェニアは一瞬で姿を消した。しまった、転移魔術で逃げられたらしい。しかし、別に彼女がどんな服装をしていようが特段調査には関係ない。俺は任せられた仕事を全うするだけだ。

 

 

 所変わって、俺は先日ネルフェニア達と話し合いをした広間とは別の部屋に向かった。あちらは客人が来た際に通す広間だそうで、今回の助っ人との集合場所になっているのは、城の住人たちの共用スペースとのことだった。

「お邪魔します」

 中の様子を窺うようにして入室する。どうやらこの部屋も、医務室と同様に壁などの造りは城の大部分(煉瓦造りである)と異なっているようだった。一般の人が購入する住宅のような雰囲気があるが、部屋の広さ自体はかなり広い。城には大体10人くらいが住んでいると聞いていたので、恐らくその全員が入って寛げるくらいのスペースはある。

「セシンさん、おはようございます♡」

 そして、そんな広々とした部屋の中心にあるテーブルから声を掛けてきたのは案の定、庭師だった。

「ああ、おはよう」

 彼は昨晩不慮の事故で出会ってしまった、ネルフェニアの配下の1人だ。紹介されていたわけではないが、集合場所にこいつが居るということは、やはり助っ人は庭師なのだろう。

「そして単刀直入ですがセシンさん……貴方は、僕の秘密を知ってしまいましたね」

「何?」

「いえ、僕が性別不詳——言い換えればミステリアス——な皆さんのアイドルであることは周知の事実なんですが、流石にお風呂場に乗り込んで事実確認をされたのは初めてだったので、驚かれたと思って」

 どうやら庭師の性別がよく分からない……というか、性別を判定するもの・・が付いていないことは公然の秘密だったようだ。あと文脈のせいで俺が庭師の裸体を暴こうとしたことになっており、誠に遺憾である。

「喋って戦う人形が上司にいるのにそんな細かいこと気にしてどうする」

「あはは、それはそうですけど!一応断っておいた方が良いかと思っただけです。僕のことは男の子だと思って接してもらえれば大丈夫ですよ♡」

 一人称が「僕」なので自然と男のつもりで話をしていたが、どうやら扱いは今のままで問題なさそうである。確かに庭師本人は中性的な声と顔立ちをしているし、服装も修道女シスターのような出立ちだ。女と思われても無理はない。

「分かった、そうする」

「話が早くて助かります!あ、それから……朝は何もいらないって伝言は預かってたんですけど、流石に僕だけ食べちゃうのは気が引けたので、どうぞ」

 そういって、徐に立ち上がり、小さな台所のようなスペースから取り出してきたのは……何か恐ろしく焦げた食パンであった。

「俺は石板の解読は専門じゃないぞ」

「……」

 恐らく俺の分として用意されていたであろう計2枚のトーストを悲しげに見つめた庭師は、トホホと言いながら話し始めた。

「最近料理係の人がトースターを買ったんですけど、僕こういう力加減……というか魔力・・加減が必要な繊細な道具使うの苦手で……てへ」

 誤魔化すように器用に片目を閉じながら、庭師は黒焦げのトースターを口に運んだ。

「……俺も1枚食べる」

 元はと言えば俺の分として用意されていた食パンである。庭師はショックからか何も付けずにむしゃむしゃと頬張っているが、所在なさげに机の上に用意されていたジャムを塗れば、少しはマシになるだろう。

「しかし……なんだ、この手の機械も多いんだな、この城は」

「ネルフェニア様は目新しい物が大好きなので、意外とポケットマネーでポンと買ってくれるんですよ。こういうの1個あれば便利ですしね」

 味変とは名ばかりの、少しブルーベリージャムの味と食感がするだけの炭を齧りながら、妙に焦げ臭い匂いのするトースターを見やった。

 庭師の言うように、人間も魔物も関係なく、俺たちの生活はこういった細々とした発明・・から成り立っている。このトースター然り、トースターで焼かれる食パン然り、だ。そして、これらの発明品の殆どは、過去の遺物である。

「僕は何億年も前に存在した超高等文明の人たちが、こういう機械の記録を残していったのである……っていう話、結構信じてるんですけど。セシンさんはどうですか?」

 あれだけショックを受けていたにしては随分と早いペースで食べ終えた庭師が口を開いた。発明品たちが過去の遺物であるというのは、そういう意味だ。トースターだけではない。この食パンも、温泉に備え付けられていたシャワーも、俺が手土産にした饅頭に至るまで。身の回りの物の殆どは、近い時代の誰か、ではなく気が遠くなるほど大昔の人々が作り、何かしらの方法で記録を残していた……というのが通説になっている。その記録を元に、現代にこうして再現されているのが、こういった諸々の発明品たちでなのである。

「さあ……どうだろうな。魔力じゃなくて電気を使って動かしていたって言われている時点で、高等文明って部分は、信憑性には欠けると思う」

「セシンさんって素性はオカルト寄りの人間なのに、意外とリアリストですね」

「……俺はそんな特異な人間じゃない」

 見える・・・人なのに……とぼそりと言われた気がするが、聞こえなかったことにして、最後の一口を口の中に放り込んだ。

 

 

「で、今日の調査は何をしろって言われてるんだ?」

「ネルフェニア様からは城下町の調査を頼まれています。“人間化”現象は、まだヘテロクロミアこの国では殆ど確認されていないんです」

 確認されていないというより、人手が足りなくて調査しきれていないというのもあるんですけどね、と庭師は付け加えた。人手に関しては、今朝方学会の方に報告書を送付しておいたので、じき解決するだろう。

「凶暴化するまで人間化が進行した魔物がいても、ネルフェニア様がいれば対応出来るので、今は他国の調査に行ってるんですが……」

「ネルフェニアのがあるから、暴れ出した奴をすぐとっちめられない可能性がある、ってことか」

「その通りです!」

 ニッコリと微笑みながら、庭師はサムズアップした。要するに調査と警備を兼ねたミッションということである。それよりも気になったのは、それほどまでに重要なネルフェニアの用事とやらのことだ。

「ああ……お祭りのことですよ。城下町でしかやらないので知らなくても無理はないと思いますが」

「お祭り?」

「3日後に始まるんですよ、ネルフェニア様に……というか、この国のために重要な儀礼だそうです。僕もあんまり詳しい方ではないんですが、このために城下までやって来る魔物の皆さんも多いので、調査に進展があるかもしれないですね」

 早速出掛ける準備しましょう!と言って、何やらウエストポーチの中身をゴソゴソし始めた庭師をよそに、俺は一際大きく、町に面して設置された窓から外を見やった。眼下の町は沢山の人間と魔物で溢れているのだろう。この城に踏み入る際にあの大通りを通ったが、特に嫌な雰囲気は感じられなかった。本当に、人間化現象とやらが起こっているのか、まだ信じきれていない自分もいることに気付く。

「それですよ、それ!」

 心の声を口に出してしまっていたのか、ニヤリと笑った庭師に肩をバシバシと叩かれる。

「僕やネルフェニア様たちだけでは、人間化現象の本質には迫れません。目に見えないものを見る、貴方の力が必要です」

 そう言って、彼はこちらの隠された目を覗き込むように、顔を近づけた。木苺のような真っ赤な虹彩の中に、怯えを孕んだような顔をした俺が映っている。

「……そうだな。それに、俺にもお前たちの力が必要だ。凶暴化した魔物に襲い掛かられたら、俺はひとたまりもない」

 出来る限り声を張ってそう返すと、庭師は満足げに頷いたのであった。

 

 ◇◆◇


 ……そうこうして、俺たちは3日間調査に取り組んだ。大前提として、日中のヘテロクロミアこの国は常に28度以上の気温が続く、熱帯と形容するべき暑さを誇る国である。「僕ってあんまり温度変化とか感じないんですよね!」と笑顔で宣う庭師が恨めしく感じる程に、身体に残るダメージは大きかった。祭り・・の当日の昼、適当な日よけのあるベンチの上で、俺たち2人は頭を抱えている。

「いやー、まさか何ひとつとして手がかりを得られないとは、びっくりです!」

「最悪だ……本当に」

 その辺の出店で買ってきたであろうかき氷を美味そうに頬張る庭師の横で、俺は行き交う人々を凝視している。誰も彼も、おかしな魂のやつはいなかった。城下町にはただの人間から、ヒトと怪物の中間のような見た目をした大型の魔物まで、実に様々な姿形の住民がいる。

「人間でない種族の魂が人間の形に変質するから人間化・・・……っていう触れ込みの筈なのに、ここまで沢山魔物の方がいて、誰もその片鱗が無いなんてびっくりですね」

「……本当に他の場所で起こっているのが不思議に感じるレベルだな。まあ、変な騒動が起きていないに越したことは無いが……」

 既にぬるくなりきっていた水筒の中身を飲み干す。祭りの日が近づくにつれて、大通りを練り歩く人の数は増えていく一方だった。庭師は重要な儀礼がどうとか言っていたはずだが、実の所どんな行事なのかを知る余裕も無かった。ただ、1日目と比べれば確実に倍以上の人混みが形成されているのは確かである。

「聞きそびれてたんだが、結局この祭りは何のためにやるものなんだ?」

「そういえば話してませんでしたね。連日怪しい壺商人とかに追いかけ回されてて、頭から抜けてました」

 氷が全て溶け、赤い液体と化した氷菓を器用にプラスチックのスプーンで吸い上げながら、庭師は言う。

「僕たちがいるここは大通りなわけですが、事実上城下町の中心になっているあっちの広場の方に行くと、大きなステージみたいな設備があるんですけど……」

 北の方角を空いた手で指し示しながら、彼は続けた。なんでも、その舞台の上でネルフェニアが踊りやら口上やらを披露するそうだ。正直、魔王が行う儀礼という触れ込みから考えると、拍子抜けするような内容である。

「いや、ホントそうですよ。僕だって初めて聞いた時びっくりしましたから!ネルフェニア様って、城下では魔王というより…………」

 ぷつりとそこで言葉が切れた。どうかしたかと思って下げていた視線を上げると、3日前の朝に部屋を訪ねて来た時と同じ姿の彼女ネルフェニアが立っていた。

「ネル!……フェニア、どうしてここに?」

 驚いて思わず大声を上げそうになった所で、コソコソしなければいけないと言っていたことを思い出し、慌てて声量を絞る。フードを深く被った彼女の背後には、全員スーツ姿の集団が所在なさげに立っていた。袖捲りをしたワイシャツを着ている自分と修道女シスター風の格好をした庭師が言えたことではないが、どう考えても浮いている。俺の視線に気付いたネルフェニアが後ろの連中に何やら合図を送ると、そそくさと解散していった。

「悪い。都市の連中と会合があったんだが、ちょいと抜け出してきた」

「普通に着いて来てましたけど!?」

「放っておけば戻る。それより報告だ!念話だと最悪あいつらに盗聴されかねないからな」

 至近距離に人がいないことを確認すると、彼女は俺たちに顔を寄せ、神妙な顔つきで告げた。

「ハンゼ国に飛ばしていた2人から報告があった。昨日の未明辺りから、人間化の増加に伴う大気の魔力量が減少し始めたらしい」

 ハンゼ国とは、この南の大陸から1つ大陸を挟んだ先の北大陸にある、大国の1つである。そういえば、初め人間化について聞かされた時も、最初の観測は北方であったとネルフェニアが言っていた筈だ。

「減少ってことなら、これから人間化現象自体も減っていく可能性はあるのか?」

「無い、とは言い切れないが……時差を考えても、このタイミングで状況に変化があるのは少し不味いかもしれん」

「……ネルフェニア様の身動きが取れなくなる状態、ってことですね?」

 庭師がそう問うと、眼前の魔王は頷いた。ネルフェニアは、魂の変質からなる魔物の凶暴化に対するストッパーのような存在だ。少なくともこの町で起こる異常事態であれば、すぐさま対応出来るだろう。しかし、儀礼が始まったタイミングでそれが起こってしまえば、迅速に処置をすることができない……という意味なのだろう。

「ちょっと待ってくれ。お前は、人間化現象が……人為的に行われていると考えているのか?」

 元ある魂の形を歪めるなど、確かに普通に生きていては起こり得ないことだ。何かしらの魔術を行使したのであれば、これらの怪現象に説明はつく。しかし、そのためにここまで大々的に動くメリットは無いように俺は感じる。

「そうだ。ワタシには、心当たりがある。ただ、確証はまだ無い。この嫌な予感が的中するかどうかは、儀礼の時に判明するだろう……悪いが、これ以上は言えない。アイツら・・・・、地獄耳だからな」

 地獄はまずいなと言って、ネルフェニアは離れた。盗聴と言っていたので、スーツの彼らのことかと思っていたが……どうやら、此奴には犯人の心当たりがあるらしい。庭師と顔を見合わせていれば、再び彼女は言う。

「とにかく!勝負は今晩の20時、儀礼が始まってからになるとワタシは睨んでいる。ワタシの暗殺を目論んでいるかもしれないし、突然人間化した魔物が暴れ出す可能性もある」

「では、次の僕たちのお仕事は儀礼が始まる直前に、怪しげな人物を探す……みたいな感じですか?」

「探す、というよりは怪しい奴を即刻取り押さえるみたいな形になるだろうな。セシンには、その時に魂に探りを入れてもらう必要があるだろう。やれるか?」

 正直、未知の状況過ぎて対応出来る気はしないが……ここは現地人かつ、何千年分も人生の先輩をやっている魔王の勘を信じた方が良いだろう。

「分かった。やる」

「普通に飲み込みが早くて逆に心配になるんですけど!……分かりましたよ、その代わりお給料アップでお願いします!」

 庭師の悲痛な叫びは却下されたものの、俺たちの返事に満足そうに頷いたネルフェニアは、「後は任せた」とだけ言って去っていってしまった。白い布に隠された小さい背中は、すぐに人混みの中に紛れていってしまう。

「さて。暇になっちゃいましたね」

「お前な……」

 決して自由時間を与えられた訳ではない筈なのだが、呑気にそう宣う庭師を見ていると、なんとなく肩の力が抜けた。だがしかし、現場時刻は昼の12時。儀礼のスタートまで、あと6時間以上の猶予があった。刻一刻と時間が迫ってくる緊張感が増していく一方で、場違いな胃が間抜けな音を立てたのもまた、事実であった。

「セシンさん。お腹、空いてますよね?」

「…………」

「折角ですし、調査ついでに食べ歩きでもしましょう!僕、ケバブっていうハイカラなやつ食べてみたいんです!!」

 目を輝かせた庭師に手を引かれ、俺たちもまた、人混みの中に姿を消した。

 

 ◇◆◇

 

 大通りから派生するいくつかの細い通り毎に設置された時計は、19時55分を指していた。昼間の盛況さからは考えられない程、辺りは静まっている。無論、集まった人々が帰ったわけではない。あと5分で、この土地の長が壇上に姿を表すことを知った上での、長い沈黙である。出店での販売自体は行われているようだが、殆ど買いに来る客はいないようで、店主たちも仮設店舗の外側で時を待っているように見えた。

 一方俺たちは、そんな神聖な雰囲気の漂う大通り付近から離れた路地裏にいた。普段であれば物乞いや怪しげな商人なんかが徘徊しているのだろうが、今晩ばかりはそういった連中も鳴りを潜めていた。俺たちがここを陣取った理由は明白で、1番舞台に対してアクションを起こしやすい路地だからだ。肉眼では、本当に少しだけ舞台が垣間見えるような心許ない場所だが、庭師曰く、ここからでも何かサインを出せばネルフェニアは気付くとのことだった。

 庭師の広げた両腕の間に、淡く光る長方形の物体が浮かんでいる。彼曰く、遠くの景色を見るための魔術の一種だそうだ。映っているのは当然、ネルフェニアが登壇する舞台である。

「儀礼ってのはすぐ始まるのか?」

「そうですね……出てきたらすぐに舞が始まって、ひと通り盛り上がった後に口上をするって感じです。儀礼自体は何年かに1回とかの頻度なので、僕も1回しか見たことないですけど……」

 腕時計を見ると、時刻は57分を回っていた。この国の主を今か今かと待っている人々の雰囲気とは正反対に、ただただ嫌な汗が流れていく。

「大丈夫ですよ、何かあったらきちんと僕が守ります!」

 えっへんと言いながら胸を反らされたが、正直に言って庭師の力に頼り過ぎるのは危険だと感じていた。彼を信頼していないわけではない。ただ——自分が見える・・・人間だということが、敵に露見するのは危険である。仮に人間化現象に人の手が介入しているとするならば、事の真相に迫りかねないような存在は排除しようと考えるのが普通だろう。もしくは、ネルフェニアのように目を奪い取ろうとするかだが……。

「まあ、奪い取られることはないでしょう。黒幕がいるとするなら、その人は何らかの手段で魂を見たり、或いは魂の変化を検知するような魔術を使っているでしょうし」

「そうだな……」

 俺も何か護身用にまともな魔術を身に付けた方が良いだろうか、と思った矢先に、何処からか鐘の音が響いた。かなり遠くから鳴っているように聴こえることを鑑みるに、城の鐘なのかもしれない。

 慌てて映像を確認すると、ゆっくりと階段を上るネルフェニアの姿があった。なんだか、こうして舞台に上がる彼女は小さく見える気がした。先ほどとは打って変わった出立ちだった。常から多少の装飾品は身に付けているのだろうが、あの黒いマント姿やお忍びスタイルのものとは全く異なる、華やかな衣装であった。シアンのフリルで飾られたオフショルダーと、たまにマントの裾から見える白いスカートのコントラストが、彼女の白と青の髪に良く似合っていた。ノースリーブのために、どの四肢の関節も丸見えであるが、上手いこと魔術で隠しているのか、特徴的な球体関節ではなくなっている。

「今の所は、何も起きませんね?」

「……」

 映像を見るだけでなく、周囲にも気を配る必要があるが、庭師の言うように嫌な気配は感じられなかった。そうこうしている間にも、広場の方からオカリナに似た楽器の音が聞こえてくる。思っていたよりもアップテンポで、楽しげな曲調だ。もっと荘厳なものをイメージしていたが、稀に映る観客たちの様子を見るに、固唾を飲んで見守るような雰囲気のものでは無いようだ。息を吐く間もなくネルフェニアの舞——というよりダンス——が始まり、手拍子を叩く音さえ聞こえてくる。

「始まりましたね。人間化っぽい感じの魔力の流れは感じられません……少し表の方に出ましょうか」

 連れ立って、暗い路地裏からそっと抜け出す。俺たちのいるブロックは住居スペースであるため、殆どの住民は広場や大通りに出ている様子だった。普段であれば人も多く行き交う道の1つではあるのだろうが、今は家々の壁に連なった青い灯篭と地面に散乱しているチラシやら食べ歩きのゴミ以外は、祭りの雰囲気はあまり感じられない。

「舞はどれくらいで終わる?」

「最初のやつはすぐ終わります。口上の後の舞が1番長いので……何か仕掛けるとすれば、口上の直後かと」

「分かった」

 高揚していく広場とは裏腹に、俺たちの間には張り詰めた空気が流れていった。舞台、踊る魔王、押し寄せる人々……どれを取っても、何か思惑めいたものは感じ取れないにも関わらず、1秒が1分、1時間と拡張されていくようだった。

(もし、何か危害を加えられるようなことがあって、仮に……俺がやられるとしても、その前に、確実に魂を判別する必要がある)

 実行犯は人間なのか、魔物なのか。魔物であるなら、耳長精エルフか、小鬼精ゴブリンか、有翼魔ハーピィか……それとも、未知の種族なのか?命のやり取りになるならば、どんな些細な情報でも見間違えることは出来ない。最悪、自分が死んでしまったとしても、ネルフェニアか庭師に魂の形状を伝える義務が、俺にはある。

 そこまで考えた所で、ポンと庭師に肩を叩かれた。思わず顔を見上げると、食べ歩きをしていた時の人好きのする笑顔が戻っている。

「ふふ……覚悟。決まり過ぎですよ」

 蛇のように細い瞳孔が、更に縮まるように動く。俺の心を見透かしたようにそう微笑んだ直後、再び冷たい顔に戻った庭師が、広場の方を見て呟く。

「口上が始まるみたいです。気を引き締めましょう」

「……言われなくても分かってる」

 

 

 魔術で出力された映像と広場を交互に確認する。ネルフェニアは舞台のお立ち台に上り、神妙な顔つきで眼下の住民たちを見つめていた。舞の時から一転、再び儀礼が始まる直前のような空気に包まれる。ざわめきの波が全て収まって初めて、彼女は口を開いた。

 

『双竜が分かたれ、智を汲む竜の肉は暴かれた。気高き智恵の竜は破壊のそしりを受け、我々は口を噤む。黙示が訪れた日のことである』

 

『魔の血がこの地に染み、智を汲む竜の歯はこれを喰む臼となった。あおを持つ者は去り、我々は欲を御さず。暗き蜜が訪れた日のことである』

 

『黒き竜が冠を脱ぎ、智を汲む竜の瞼は降りた。9万と7千の月が過ぎ、我々は星を封ず。真の混沌が訪れた日のことである』

 

 歌うような口上だった。正直、中身はよく分からない。恐らく過去の出来事について述べていることは分かるが、暗い内容であること以外はさっぱりである。それでも、ネルフェニアの覇気のある声は離れていてもビリビリと空気を震わせるような迫力があった。

 

『約定の日は、遠く。再び真なる主が現れ、智を汲む竜は、星を手繰たぐる指となった。多くの仮初の血を膿み、我は創造を為す。——これなる宴が訪れた日のことである』

 

 口上はこれで最後のようだった。ネルフェニアが満足げに目を伏せた瞬間、人々は熱狂の渦に飲まれたように歓声を上げた。恐らくだが、最後の言葉は今日この日のことを告げていたのだろう。なんとなく盛り上がってしまう気持ちも分からなくはない。そっと頬が緩み、笑みが溢れる。


 その直後のことだった。見てはいけない・・・・・・・。率直に、右脳がそう告げるような感覚がした。全身の皮膚がぞわりと総毛立ち、金縛りにあったように動けなくなる。北の方角、から、可憐な……少女の軽快、な足音が聞こえて来る。いや…………。何故、少女だと、理解、できた?

「しっかりしてください!」

 思考がスローになっていくような感覚がしたかと思えば、庭師に思いきり地面に叩きつけられる。軽く打ち身のようになったせいで呻いてしまったが、痛みで若干脳内がクリアになった。足音は止まることなく、確実に自分達に近付いている。満月を背後にして、逆光になったままのシルエットには、明らかに翼があった。この世界では翼の生えた人型の生物なぞ幾らでもいるのだが……その少女の翼は、多過ぎた。右側に6翼で、反対側も同数だった。これではまるで、童話に登場する天使のようである。

 相対する未知の生物に、すぐさま右目を向けるが、常のような半透明の物体たましいは観測出来なかった。代わりに、眼孔に直接電流を流されたような衝撃が走り、片方の視界がブラックアウトする。再び地面に倒れ込んでしまう。

「……!」

「人間、良かった!やっぱりそうだよね、気付いてくれるよね!」

 弾むような声音で俺に話しかけてくるが、痛みで返答も満足に行えなかった。10メートル程まで接近したところで、彼女は歩みを止める。

「皆には止められたけど、こうやって有翼魔ハーピィの真似をして正解!こうして天使・・だってきちんと分かってくれる。あたしたちの最愛の存在だから!」

 楽しげにそう告げる満面の笑みの彼女の頭上に、金に光る円状の物体が現れた。天使という言葉が真実なのであれば、あれは所謂天使の輪っかなのだろう。金色の反射が、海のような色をした髪に良く映える。

「キーーッ!!なんかそんな気はしてたんですよ!貴女性悪大天使のミカエル・・・・でしょう!!」

 半ば満身創痍の俺を庇うように仁王立ちした庭師が、物理的に光っているようにも見える彼女……ミカエルを指差した。大天使やらミカエルという名前に覚えはないが、どうやら此奴は知っているらしい。

「そう!あたし、ミカエル!雑種の魔物でも、おまえみたいに物知りなのもいるんだね!」

「腹立つーーーー!!!!」

「おい、落ち着け!」

 地団駄を踏む庭師をなんとか宥めて、再びミカエルの方を見やった。まだ右目は回復していないが、彼女が天使だと自己申告したのなら、もう魂を見る必要は無い。震える脚に喝を入れて立ち上がる。しかし、ネルフェニアにサインを送らなければと頭では分かっているにも関わらず、彼女の発する強い圧力に、喉が詰まるような心地にさせられる。そして、天使はまるで大切なものを包み込むかのような仕草で両手を握った。

「あのね、あたし、本当は今晩サプライズをするつもりだったの!でも、今日はやめる!サプライズは1人だけ・・・・にする!」

 高らかに宣言したミカエルは、懐から杖の先端に付けられたベルのような物を取り出した。ポケットから40cm程度の長さの物体が出てきたことは、今は突っ込んではいけない。

「今日人間になるのはおまえ!雑種の庭師に決定〜!」

 花が咲きそうな微笑みでミカエルはそう言った。理解が追いつかないが、あの鐘を使われるのが不味いということくらいは分かる。彼女の弁が本当なのであれば、このまま庭師が凶暴化するのは必然だった。

人間化・・・の黒幕は、天使……?!)

 華奢な腕が鐘を鳴らすために振り上げられる。庭師が懐の拳銃ピストルを構えるが、一拍遅かった。ベル内部のハンマーが、大きく音を立てる。途端、庭師が頭を押さえた。

「うわ!頭痛〜〜い!!低気圧、これ低気圧ですセシンさん!」

「なんだ、意外と耐えるね!」

「おい、耳を塞げ!……庭師!」

 多分意味ないです!と言いつつ、庭師は拳銃ピストルで自らの太腿を撃つと、滴った血を思い切り耳の中に突っ込んでいた。しかし、この耳栓も彼が言うように意味はないのか、庭師は片膝をついてしまった。

「……魔物が、本当に人間になったら良いのにね!さあ、もう1発──!」

 何か意味深なことを言いながら、更に強くベルを振ろうとした彼女の頭蓋が大きくブレた……ように見えた。正確には、いつの間にか背後にいたネルフェニアに鮮やかな蹴りをお見舞いされていたのである。

「まお…う、——ッ!?」

 側からでも目を覆いたくなるような一撃だった。後頭部を思い切り攻撃されたミカエルは、その衝撃で俺たちの後方25メートルくらいまで吹っ飛んでいく。屈強な翼が煉瓦で出来た道路を抉っていき、美しい青い通りは天使の鮮血で汚されていった。

 それよりも気になるのはネルフェニアの登場である。振り向きざまに確認したが、まだ口上の後の舞は終わっていないようだ。恐らく、まだ壇上に彼女は立っている筈である。

「ネルフェニア!なんでここに……儀礼はどうした!?」

 俺が当然の疑問を口にすると、俺をピースサインで指差しながら、楽しげに笑う。

「バーカ!影武者に決まってるだろ!庭師!」

「なんです!?」

青い方・・・は任せた!もう1匹羽虫てんしがいる!」

 言い終わるよりも先に、ネルフェニアはその手に持ったあの金の槍の末端部分を、掌底に当て、思い切り射出・・する(原理は不明である……)。吹き矢よろしく飛んで行った槍は、吹き飛ばされたミカエルよりも後方の何も無い空間に突き刺さり血が噴き出す。どうやら、何かの手段で身体を透明にしていたようで、変化が解けた後、力尽きたように倒れ伏した。あの個体は翼が1対のみだったので、恐らくミカエルの付き添いか何かだったのだろう。

「もう!本当にお給料アップしてください——ね!」

 それに続いて、庭師も一瞬でミカエルに距離を詰め、立ち上がりかけた彼女の顳顬こめかみ付近を美しいフォームで蹴り飛ばした。恐ろしく細いブーツのヒールが突き刺さったのか、彼女の顔が初めて歪んだ。そのままの勢いで体勢を立て直した庭師に拳銃ピストルを突きつけられると、一転して不敵な笑みを見せる。

「形成逆転!されちゃった」

 こちらから見ると傷だらけのように思えるが、ミカエルの表情に曇りは見られなかった。ある種恍惚した風にも見えるその笑顔に、若干背筋が冷たくなる。

 いつの間にか手元に戻っていた槍の血振るいをしながら、ネルフェニアはミカエルに問う。

「予感は的中だ。やっぱりお前たちの仕業だったか」

「なんだ。バレてたのね!」

 小首を傾げて悪びれる様子もなかった。中々強かな天使である。それにしても、黒幕が天使であったとするならば、少々……というか、かなり意外だった。人間のイメージする天使に比べれば、人間化の所業はあまりに悪辣だ。

「人間?それはちょっと違うの」

 俺の考えを見透かしたように、ミカエルはこちらを見てそう言い放った。名乗ってもいないのに庭師の名前を呼んだりしているのを見るに、何かそういう力が天使にはあるのかもしれない。

「おい、お前たちの御託は結構だ。ワタシはお前たちに宣戦布告されようと逃げはしないが、まだ約定の時では無いぞ。何を企んでいる?」

「気になるよね!それはね〜」

『敵に教える奴がいるか、馬鹿!早く戻って来い!』

 ネルフェニアの問いに答えようとした所で、鼓膜ではなく脳に直接響くような声で、知らない男の叱咤の声が聞こえて来る。察するにミカエルの仲間だろう。

「そうだった!ごめん、あたし帰るね!バイバ〜イ!」

 はっとした様子でその声を聞くと、転移魔術を使用して何処かへ消えてしまった。1人取り残された付き添いの天使も、呆然とこちらを見ている。

「捕縛しておきますか?」

「いや、良い。翼2枚だ。使い走りだろう……おい!ここで殺されたくなかったらさっさとお前も帰れ!」

 ネルフェニアがそう促せば、その血塗れの天使もそそくさと消え去った。途端に静寂が訪れ、夜の冷気が立ち込める。

「何だったんだ、今の」

「さあな?しかし、正体が分かったなら一歩前進だろう。概ね予想通りだったがな!」

 胸を反らして笑うネルフェニアを横目に、庭師は瓦礫を拾っては投げ、拾っては投げを繰り返している。

「あ!ありましたよ、ミカエルが落としたベル!おっちょこちょいさんですね〜」

 音が鳴らないよう捧げ持つようにしながら、庭師がこちらへ運んで来た。いつ癒えたのか、太腿の傷はすっかりなくなっている。そして、あの激しい襲撃に遭ったにも関わらず、青い水晶のような素材で作られたベルには傷1つついていない。

「それは天使の権能で動いているベルだろう。ワタシたちが鳴らしても問題は無い筈だ」

 庭師からベルを回収すると、懐に仕舞うような仕草で何処かしらへと収納されてしまった。人外というのは、どうも四次元空間か何処かに物を収納しているように思える。

「これからどうするんだ?」

「叩きのめしたい所だが……どうも奇妙な点が多い。お前にも色々説明しなくちゃならないしな」

「……悪い」

「協力関係なんだから遠慮するな!」

 そう言ってドンドンと背中を叩かれた。加減が出来ていないせいで咳き込んでしまうが、ネルフェニアにはお構いなしである。

「ともかく!現状の敵は天使共ってことが分かっただけで収穫だ。舞が終わればまた出店も活発になるし、飯でも食って帰るか!」

「やった!奢り!タダ飯ですよセシンさん!」

「……ちゃんと影武者の方にも良いモン食わせてやれよ」

 はっきり言って何も事態は解決していないのだが、人間化させるための道具も回収できたし、今の所は確かに前進した……ということにしておこう。しかし、相変わらず問題は山積みなことには変わらない。既に広場の方へ歩き始めた2人を追うついでに戦いの跡の残る通りを振り返れば、不気味なほど白い天使の羽が、幾つも散らばっていた。 

       

       

          続く

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