第4話 永い眠り、その旅路について

【前回までのあらすじ】

 魂を見ることの出来る目を持つ青年セシン・ミルファルトは、魔王ネルフェニアの配下である庭師と共に、人間化現象の実地調査に乗り出す。そこで目の当たりにしたのは、人間化現象の黒幕、天使たちの姿だった……。

 

 第4話 永い眠り、その旅路について

 

「痛っっだ!!」

「ああ、ごめんごめん」

 ぴしゃりと容赦なく湿布を貼り付けられ、俺は引き攣れたような悲鳴を上げた。一方治療するウルジア先生の方は穏やかな微笑を浮かべたまま、残りの箇所にも同じ調子で貼っていく。

「庭師君が突き飛ばしたと聞いたから心配したよ」

 横目でちらりと彼を見ながらウルジア先生がそう言うと、庭師はばつが悪そうに片頬を膨らませた。

「そ…その節はすみませんでした。セシンさんがミカエルの魔力に気圧されていたので、僕も焦っちゃって」

「まあ、打ち身程度で済んだなら何よりだ。ね、セシン君?」

「打ち身よりも先生の湿布の方が痛いです」

「言われてますよ」

「…………」

 途端に押し黙ったウルジア先生が最後の1枚を比較的優しめに貼った所で、治療は終了した。実際、先生の言う通り自分が思っていたよりも軽症で済んだことは事実である。

「次は君だね。太腿を自分で撃ったと聞いたけど、どうせ見える部分だけ治して中身はグチャグチャだろう?後で傷を開き直すから君は居残りだね」

「はーい……」

「ん?あの銃声はそういうことか?」

 俺たちが集まっている会議用のテーブルの反対側には、メンテナンス中に伴い下半身のパーツを全て外された姿となり、診察台に寝っ転がったネルフェニアが不思議そうにそう言う。俺たちは先生の縄張りである、ネルフェニアの城の医務室に集まっていた。昨晩ミカエルの襲撃を受けた際、庭師は耳を塞ぐためにわざわざ自分を撃って溢れた血を突っ込んでいたわけだが……。

「正直僕もミカエルに気圧されてて、ただネルフェニア様にサインを送ったら気付かれちゃうな〜!って思ったら、咄嗟に。僕って頭良いですね!」

「気でもおかしくなったのかと思った」

「お風呂で耳に水入ったりするじゃないですか!アレと一緒ですよ」

 いや、だとしても血の耳栓はない。俺が沈黙で否定を表すと、口を尖らせたまま庭師は不満を露わにした。不毛な雰囲気を打破したのは魔王の一声である。

「そんなことより!整理しなければいけない情報が多すぎる。何のつもりでベルを置いていったか知らんが、取り返しにくるかもしれん。鉄は熱い内に打つ!」

 ベル……というのは、ミカエルが現場に放置していった、魂の人間化現象を引き起こす(と見られる)道具のことだ。ネルフェニアはまたも何もない空間からヒョイとそれを取り出し、無造作に振ってみせる。決して耳障りの悪くない、ごくごく一般的な鐘の音が響く。昨晩この音色で頭痛を引き起こされていた庭師も、今はけろりとしていた。

「そんなに大事な物なら置いていったりしないと思うんですけど」

「今の所危険性は無いが、盗聴器にでもされていたら面倒だろう。しまっておく」

 最早四次元空間に収納するネルフェニア達の習性には突っ込まない。彼らには聞きたいことが山積みあるだからだ。それを分かっているのか、ネルフェニアは器用に両腕だけで上体を起こし、その場に座り込んだ。

 大前提として、今の俺たちは目下人間化現象を食い止めるという目的の下に協力関係にある。しかし、今ここにいるメンバーの内俺以外は皆魔物・・である。魔物たちの世界には、人間の俺には想像もつかないような、彼らの生きる社会でしか知り得ない知識が多く存在している。俺は普通の人間よりは魂に対する知識は豊富な方ではあるが、途方も無い年月を生きるという枷の代わりに莫大な知識を得る彼らに比べれば、俺は全くものを知らないと言って良いだろう。つまり、情報のすり合わせが必要ということだ。胡座をかいたネルフェニアは、作り物の手で俺を指差す。

「セシン、天使に関して何かしら知っていることはあるか?」

 その問いに、首を振って返す。半生以上を一般人として過ごしてきた俺から言わせれば、天使という存在はおとぎ話の中の存在と言わざるを得ない。魔王だの魔物だのが跋扈している世界でこんなことを言うのは筋が通っていないかもしれないが、普通に暮らす人間からすれば天使というのは想像上の生物に過ぎないというのが俺の見解である。雲の上にある理想郷のような場所で、亡くなった人間を導く……というのがパブリックイメージであると言えるだろう。

「うちの学会には、魂の見本帳サンプルみたいなものがあるんだ。精度は残念だが、学会が成立した当時から作られているもので、絶滅した種族の記録も残っている」

 そう言いながら、鞄からぶ厚い冊子を取り出す。スクラップブックのような外見をしたそれこそが、魂の見本帳サンプルだ。

「学会が成立してから大体4600年が経過した。勿論毎年更新されてるわけじゃないから、4年で全ての資料に目を通したが……天使についての記録は無い。習性も分布も、人間が想像出来る範疇以外のことは何も分からない。色々と教えて欲しい」

 歴史の長さくらいしか自慢する所のない幽体魂学アルマニズムも、天使の存在には干渉しなかった……もしくは、出来なかったということの証左がこれであった。悪魔・・の記録はあっても、天使のものは無い。それを知って、俺は昨日まで天使は実在しないと思い込んでしまっていた。

「ちょっと良いですか?」

 俺がそこまで伝え終えると、庭師が遠慮がちに手を挙げる。

「脱線することは重々承知なんですけど、セシンさんの学会トコって3年前にほら、アルミスコープを作ったんですよね?」

 軽金属アルミではなく、幽魂アルマだ。

「なのにそんな立派な見本帳サンプルがあるの、おかしくないですか?セシンさんの目が1番魂を正確に見えるって話なのに」

「……」

 庭師の指摘は全うだ。そもそも幽魂具現化観測鏡アルマ・スコープすら精度の面でこき下ろされている時点で、この見本帳サンプルが信用に値するものかどうか分かったものではないだろう。正直に言えば解像度自体はかなりおざなりなものであるが、輪郭は特徴を捉えている……といった程度の資料なのだ。オマケに俺は専門的な魔術の知識は殆どないため、その質問に答えることが出来なかった。代わりに口を開いたのはウルジア先生である。

「それを制作する上では、幽魂具現化観測鏡アルマ・スコープやセシン君の眼球とは違ったアプローチを取っているんだろうね」

 先生は手元にあった珈琲の入ったビーカーに口をつける。

幽魂具現化観測鏡アルマ・スコープやセシン君の眼球を単純な言葉で言い表すならば、視力を徹底的に引き上げて本来見えないものを見えるようにする魔術なんだ。魂を見るためのレントゲンと呼ぶのが正しいと思う。ただ、4600年前の学会にそんな技術力は無いだろう。見本帳サンプルは恐らく、折れている骨を皮膚越しに直接触って、どのように骨折しているかを調べる……みたいな方法で作られたんだと思うよ。要するに魂に直に触れるような魔術を使ったということだね」

 魔術には疎いが、なんとなく原始的というか、乱暴な方法であるように感じる。庭師も同じような印象を受けたのか、怪談を聞いたかのように自らの腕で自分を抱き締めていた。顔からは血の気が引いている。

「魂に触るってとっても痛いんですよ!僕なんてミカエルの鐘の音が響いただけで泣きそうでした……」

 激しく首を横に振っている様子を見るに、庭師がどこで経験したのか知らないが、魂に干渉することは多大な苦痛を伴うようだ。人間化した魔物が凶暴化するというのも、こういった魂への負担の表れなのかもしれない……。

「話が逸れたな。それで……」

「いや、問題ない」

 いつの間にか若干だらしのない姿勢で横たわっていた彼女はそう言い放つ。

「魂に触れることは多大な痛みを齎す。そんな手法で魂の形を探ろうものなら憐れ被験体に選ばれた魔物は悶絶して暴れまくり、サンプル作りどころじゃないだろう。そうなったら、お前はどうする?」

「…………」

 かつてのサンプル作りで用いられた方法は現実的でない。それほどの痛みを伴う魂に触れるという行為でここまでのサンプルを集められるのかと問われれば、頷けない点もある。しかし、実際にこうして見本帳サンプルは過不足なく完成している。過去の学会員たちは比較的安全・・に一連の作業を行って来たのだろう。ネルフェニアは暗に、彼らがどのようにそれをやってのけたかを示したいのだ。そして、恐らくこの話は天使の正体と繋がっている。黙り込んでしまった俺をみて、彼女は続けた。

「質問を変えるが、お前は死者の魂を見たことはあるか?」

「!」

 直近で見たと言えば、この城にやって来て早々にこの魔王が処分したあの獣人であるが……あれは魂の劣化による破損のようなものだ。紫外線で劣化する樹脂に似ている。だが、彼女が聞きたいのはそういうことではないだろう。

「——ある」

 当たり前だが、思い出したくない記憶だ。勿論普通に生活を送っていた頃、日常生活で多くの死に直面することは無かったが、明確に、思い当たる節があった。

「死後数分経った遺体を幾つか。それと……」

 トラウマの蓋を開け、向き合わなければならない。動悸がする。もう10年以上昔のことだというのに、脳裏に浮かぶは鮮明な光景だ。椅子に腰掛けているだけなのに、膝の上に、力の入らない人体の重みがあるような妙な感覚がした。死者の魂がすぐにどこかへ行くことはない。たとえ亡骸が冷え切ったとしても、何日も。何日も……。

「幾つか見たことがあるんだろう?その時はどうだった?」

 あくまで常と変わらぬ声音のまま、ウルジア先生は問うた。一気に現実に引き戻されると、胸の奥の不快感は消えていく。俺は頷くと、慎重に言葉を選んで話した。

「大抵はその場に留まっている。完全に息絶えていても、暫くはずっとそこにあるんだ」

 魂……というと死んだ途端に失われてしまうもののような印象はあるが、何度も言っているようにそうではない。遺体の方にくっついていくこともない。時が止まったかのようにそこにあるだけなのだ。

「そうだな、正解だ。つまり、魂を安全に取り扱いたいのなら、遠くから弓でも放って殺してから好き勝手すれば良い。そうすれば痛みに喘ぐことも暴れることも無いからな……」

 ネルフェニアが何を言うのかを察したのか、庭師はどことなくばつの悪そうな顔をし、先生は目を瞑って腕を組んだまま、彼女の言を聞いている。俺はただ、その赤と青の目を見つめることしかできない。

「天使どもも同じだ。ま、殆ど人間の想像通りだろう。死者の留まった魂を掬って、自分たちの世界……天界に連れて行く。但し、持って帰るのは人間・・だけだ。そうやって連中は繁栄してきた」

 空いていた方の手で天井の照明を指差すと、天使の世界は空の上にある、と付け足された。嫌な汗が背中を伝う。

「天使が人間化を推し進めていたのは、魔物の魂を人間のものに変質させて、回収するため……」

 これまでの話をまとめると、こう結論付けられる。何故わざわざ魔物を人間に変化させてまで連れていくのか、何故ヘテロクロミアネルフェニアの国は人間化の件数が少ないのか……疑問は解消するどころか増えている。頭の痛い話である。

「でもここまで急を要するような何かが起きているのなら、地上の僕たちにも何かしら影響があるんじゃないでしょうか?」

 庭師の発言に頷く。ここ数ヶ月で、人間化現象は地上の各所で多数報告される程大事になっている。天界がどのような場所であるかは想像もつかないが、不味いことが起きているなら、ネルフェニア達がそれに類する何かを感知していても可笑しくない気がしてしまう。

「地下の奴等と違って、連中はこちらに干渉してこない。あっちで何か起きたと仮定するなら、例えば死人の数が足りなくなったとか……しかし、最後に地上で人間が大量に死んだのは120年前のヨトンとヘテロクロミアうちの戦争くらいだ。最近になって急に足りなくなるのはおかしい」

「もしも死人の数が足りなくなったとすればどうなるんだ?」

「天界に登ったにんげんは、消滅するまで天使として労働力になる決まりがある。だから死人が足りなくなれば天界の運営そのものに影響が出るだろう。ただ、それにしても大天使が危険を侵してまでわざわざワタシ達に顔を見せに来るのは不自然だ。どう考えても奇襲だったからな、昨夜のは」

「あ、大天使っていうのは、天使達をまとめてるより偉い天使のことですよ」

 魔王の弁に庭師が付け足す。その情報をふまえると、天使達のトップが出張ってくるような重大な案件ということだ。しかし、現状出揃っている情報では依然として天使の目的は不透明なままだった。

「正直な話、これ以上の仔細はワタシでも分かりかねる。ワタシが魔王と呼ばれるようになってから、こんな大々的な動きは一切見られなかったからな」

 天使の知り合いもいないし……と言いながら、ネルフェニアは拗ねたように再び横になってしまった。要はお手上げということだ。庭師も俺も首を傾げて難しい顔をするばかりである。そんな中で、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらウルジア先生がそっと手を挙げた。

「……天界のことに詳しい知り合いが1人いる」

「先に言ってくださいよそういうこと〜!」

 不満げな庭師の声に、今思い出したんだから仕方ないだろうと先生が返す。暫く言い争っている二人を見て、また始まったとネルフェニアが小さく漏らした。

「で、誰なんですか?結局」

 先生は勿体ぶることもなく、ただ淡々と言い放つ。出来ればその名前は、今は聞きたくなかった。

「彼はエーディニア、サリエル・エーディニア。4000年前に天界から堕ろされた可哀想な天使……」

「……」

「君が絶対に忘れることのできない記憶なまえだね、セシン君?」

 

 ◇◆◇

 

 数刻前。ネルフェニア達の根城である地上の遥か上空にて。磨かれた大理石で築かれた神殿の秘匿された広間の中で、翼と光る輪を持つ者たちが集まる密やかな会合が行われていた。6つの人影よりも高くにある玉座に腰掛けている人物の表情は、何かしらの魔術的行為が働いているのか、窺うことが出来ない。その声音から男性であることは察せられた。

「首尾は?」

「ボコボコにやられて帰ってきちゃったー!」

「その話はもう5回聞きました。今はラファエルに質問しているのです」

「鐘は想定通り回収されました。現在は収納されていますが、かの城の解析は粗方済んでおります……」

 その天使の答えに、問いかけた彼は首を捻った。

「粗方」

「地下と別棟の図書館から先代のものと思しき魔力が感知されております。地上での行動はネルフェニアにこちらの動きを察知された以上危険と判断しましたので、現在痕跡を残さないサンダルフォンに捜査を行わせております……」

「適材適所は良い事です。感謝します」

 ラファエルと呼ばれた男の天使は深々と頭を下げ、一歩退いた。その拍子に青色に光る頭上の輪に照らされたミントグリーンの毛髪が美しい艶を見せる。そんなラファエルに、刺々しい女の声が問う。

「ミカエルの言っていたおかしな人間というのはどうしたの?見逃したと聞いているのだけど」

 炎のような瞳の彼女に挑戦的に見つめられると、ラファエルは憶測に過ぎないが、と付け加えてから返す。

「恐らく瞳に何かしらの細工をしている。魔王ネルフェニアはあのウルジアとかいうドクターも手駒にしているのだから可能性はあるだろう」

 そう、と声の主である女天使はつまらなさそうに相槌を打った。ラファエルもそれ以上は何も言葉を発さず、その長い睫毛を伏せている。大天使・・・達の問答が終わると玉座の人影は立ち上がり、頭飾りが鈴の音のような軽やかな音を奏でる。その音色とは対照的に、彼の言の葉は重い。

「いずれにせよ。地上の動向には注意を払って下さい。今回の計画に天界の命運は掛かっています。失敗は許されません……以上です」

 その一言で、天上の密やかな会合は終わりを告げた。翼を持つ者が散っていき、部屋には彼1人が残される。その目には疲労と焦燥の色が浮かんでいた。

「僕達の進む荒んだ道が決して交わらないことを、新たな世の魔王に教える必要があるのです。悪逆の蕾は、花開く前に刈り取らなければいけないのですから……」


           続く

           

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