七日目 お別れ

 リンメルというこの村に一つしかない、ひどく小さい駅舎。

 一日に三便くらいしかない列車。


 その二便目を、皇女様たちが待っているところでした。


 村長は年齢のために歩けないと言って(嘘か本当か)来なかったので、駅舎まで見送りに来たのはミナと私だけです。


「絶対に皇都まで遊びに来てくださいね!」


 いつの間にかすっかり打ち解けたようで、ミナとクリスさんが手を握り合って別れを惜しんでいるようでした。


「いっそ転校しておいでよ」


 適当なことを言ってクスクス笑っているカルさんがクリスさんにたしなめられて、そこまでを見て目をそらしました。


 昨日からずっと、楽しげな彼らを見ては胸が痛んでばかりです。


 それもこれも、全部自分が悪いとわかってはいるのですが。しかも、取り返しがつかないぐらいに恐ろしい間違いだったと知ってはいるのですが。


 はあ。


「サヨちゃん」


 耳慣れない声。驚いて振り向くと、にこにこしていたのはサルフィさんでした。何度言葉を交わしたかすらあいまいな、皇女様のお兄様。彼もまた、まぎれもなく王位継承者であることは間違いないにもかかわらず、なぜか話題には上がらない不遇な少年。私が彼について知っているのはそれくらいで、声を掛けられる理由なんてないと思っていました。


「何か悩み事?」


 悩み事ならたくさんありますけれど、あなたの妹を殺せなかったこととか。


 そうやって返したらこの端整な顔立ち(ユーリさんには劣りますが奇麗な造りです)はどう歪むのでしょうか。はたまた、すべて知っているという風に笑うのでしょうか。少し興味はありますが、笑って、


「いいえ。悩み終わって、これから前を向かなくちゃいけないところなんです」


 私が期待されていそうな答えを返しました。


「そっかぁ」


 白い髪。年齢を疑うほどに真っ白な髪が風で揺れて、彼が首をかしげてさらに動きました。


「サヨちゃんさ。時々どうしようもなく死にたくなったり、しない? 自分が死んだほうがいいだろうな、と思う時でもいいんだけど」


 そんなの、今ですよ。生き恥をさらしているんですから。

 だけど、私は本物の私を誰かに見せたことなんてめったにありません。先生と話しているときも、ミナと話しているときも、親と言葉を交わしているときも、自分を偽ってばかりですから。だから今回も、


「ありませんよ」


 私もサルフィさんも笑顔のまま、三秒くらい見つめ合いました。お互い嘘だってわかっています。

 精一杯の妥協をしてみようと思いました。普段だったらしない決心でしたけれど、ここで別れて二度と会わないならいいかと思いました。


「時々、自分っていう人生が全部書かれた本を読んでいるような気分になります。ここでこんな感情になって、こういうことをして、ってそういうことが全部書かれた、未来まですべて決まっている本。それに沿って生きているような、そんな感覚を覚えることもあります」


 何とか云ってみるがいい、なんていう気持ちでした。どうせもう二度と会わないんだ、好き勝手言ってやろうと思います。


「――僕も、言葉を知らなければ良かったなって思うよ。言葉にならないような信じがたい感情を言葉にしてしまうこの脳みそをどうしても敵視してしまう時があるよ」


 言葉さえ知らなければ、自分の純粋な感情を型に当てはめてしまうことだってなかったかもしれない。

 そんな風にサルフィさんは言いました。


 言葉がなければ、だとか、純粋な感情を言葉という型に当てはめる、だとかっていう発言に、軽く言って度肝を抜かれます。だって、こうやって自分の感情をいちいち言葉にしないでいられるっていうその概念すら私にとっては思い浮かべることが初めてでしたから。


 何も思わずに、ただ見たものを見た物の形で受け止められること。

 自分の心を言葉にせずに、動きっていう形だけでとらえられること。


 そんな風に生きられたらどんなに素敵でしょうって思いますけれど。私はどうしても私で、変わりようがないのですから。

 これからも本を読みながら生きていくしかないのではないでしょうか。


「いつか、言葉にできないような感情を抱いてみたいです」


 人間は賢くなりすぎたのでしょう、きっと。


 賢くない動物たちを見て涙を流すことがあるのはそのせいなのです。


 賢くなければ感じることのできたことだってたくさんあります。賢いからこそ感じることのできた感情だってあります。

 私だからこそできることはあるのでしょうか。


「とりあえず、私の恋だったのかもいまいちわからない初恋が、言葉にできないほどに強い感情に成ればいいなって思ってます」


 ふわふわすぐに誰かに好意を抱いてきた私だけれど、言葉にして『恋』と言ったのはこれが初めてでした。

 言葉にできないほどの大切な思いにもなれば、いいな。


「そろそろ来るようですよ」


 ミレーユさんがサルフィさんに向かって言いました。


「わかった。――そうだね」


 最後に私に向かって挨拶をして、サルフィさんはほかの方々が集まっているほうへ行きました。

 私は、ミナの隣に並びます。音を立てながら魔車が滑り込んできて、伴う風に髪を乱されました。


「またね、元気でね」


 皇女様が笑顔を浮かべたかと思うとそう言って、うまい返しが見つからなかったにもかかわらず、彼らは魔車に乗り込みました。せいぜい手を振って頭を下げるくらいが精いっぱいです。


 停車時間はせいぜい一分くらい。来た時と同じように同じように滑って行ってしまった魔車を見送って、ミナと二人で家路につきます。


「行っちゃったねぇ」

「うん」


 そろそろ短い夏休みが始まります。


「また会えるかなぁ?」

「きっとね」


 生きていればきっと機会はあるでしょう。


 その時までに、自分を誇れるようになっていたいものです。

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