六日目 お祭り/サヨ・ウェスタ―
お祭りに来たことは何度もあります。それなのに胸が高鳴るのは、隣にあなたがいる、ただそれだけによるものなのでしょう。
ミナと皇女様は邸宅に残っているはずです。今頃二人で楽しくお話でもしているところでしょう。二人を除いた全員がお祭りに繰り出していて、それぞれ仲のいい人と一緒にいますから……自然と、ペアのいない私とユーリさんが残って、自然に二人で話をする流れになったのです。ここまではいい流れと言えます。
ちら、と横顔に視線を飛ばしました。いつ見ても整っていて美しいですね。
問題は、私は今日このひとに思いを告げる必要があるということなのです。もちろん必ずというわけではないけれど、宣言して(ミナに)出てきた手前、きっちりやり通さないと後味が悪いことでしょう。
「ユーリさん、りんご飴はどうですか?毎年、おいしいりんご飴を売ってるお店があるんです。」
ああ違う、こんなことを言いたいのではないのです。
本意とは違ったけれど、こくりとうなずくユーリさんが眼福だったので、屋台のほうに誘導します。顔なじみの店主さんが私に挨拶してくれました。
そのあとも、金魚すくいをしたり、たこ焼きを食べたりと、いかにも夏祭りらしいことをしました。そのうちに暗くなってきて、いよいよ本番という雰囲気が漂いだします。日が暮れかかって、お日様がぼんやりしてきました。
当然ながら、いつまでもお祭りが続くわけではありません。そろそろ私も一区切りつけなくてはいけないとわかっていました。わかりすぎているほどに。
「ユーリさんたち、明日帰っちゃうんですよね」
お互いに少しは言葉を交わしていたけれど、私のほうから会話のために話を振るのは初めてといっていいほどでした。周りから私たちはどう見えているのでしょうか。
学校の友達でしょうか? いえいえ、この村にこんな人がいないことは皆わかっています。
遠くから来た親戚でしょうか? 私たちは似ていなさすぎます。
――恋人同士でしょうか? 私はそうであればいいなと思います。
「ん」
ユーリさん、顎を引いて頷きました。格好いいです。
「彼女、昏睡状態らしいです」
昨日私たちが追い立てられるようにしてあそこを後にしたそののち、皇女様の力で大爆発が起きて、地下遺跡(?)の天井部分が大幅に隆起したそうです。突然村の地下から不思議な遺跡(の天井)が盛り上がったということで、今日は村中がその話題で持ちきりでした。
「彼女、って?」
「最奥にいた、どこかの魔法使いです」
どこから来たのか、は誰もわからないと聞いています。ただ、強い魔力を持った魔法使いだった、としか。
「ふうん……」
別に興味はない、といった様子で首を傾げたユーリさん。二人で並んで随分歩いてきました。いつの間にか屋台のあるメインストリートからは外れて、人気のない辺りについたようです。……狙っていましたけれど。
ここはどこだろう、なんて具合に立ち止まった彼を後ろにして、二、三歩と前に出ました。一つ息を吸って、何でもないように、
「戯言だと思って聞いてください。明日、行ってしまうんだったら、今しか、言うことはできませんから」
少しだけ声が震えました。気づかれたでしょうか。
「昔、母さんが言っていました。もし好きな人ができたならば、その人を支えてあげられるように、努力しなさい。できないならば、背中合わせで立つことができるように、同じ土俵に上がりなさい、と。ダメもとで言います。今しか言えないから、言わせてください。――ユーリさん。あなたが好きです」
あなたと同じ土俵に立つことなんてできやしない。でも、せめて、夢を見ることくらい。許してください。
「――悪いな。お前が支えてやることのできる男は、星の数ほどいるよ。俺は、そこまでできた男じゃない。もっと、いい奴を見つけたほうがいい」
わずかに口角を上げて。私がどんな思いで言ったかもご存じないくせに。あなたの心からの笑顔を見たい、そう思う私の心なんて、ちっとも知らないくせに。
あなたが振り向かないことなんて、知っていました。何を言っても、戯言に過ぎないのです。涙がこぼれそうになって、目を閉じました。ふっと、心が悲しくなります。
いいんです、ごめんなさい。言いたかった、だけなんです。
あなたに逢わなければよかった、なんて思います。
知っています。隣の家の彼が、私を好きでいると。きっと私はその人と結婚するんでしょう。でも、知らないですよね。私が支えたいのは、たった一人です。
そう、あなただけ。
「……あなたがそうやって言うこと、何だか知っていた気がします」
「そうか。予知能力でもあるのか?」
「……ありませんよ」
先が読めたのならば、こんなことにはなっていないでしょう。
「私のこと、どう思っていらっしゃいますか?」
どうしようもない質問。これもまた、答えのわかりきった問でした。読み飽きた本を再び開くような、息を吐いて天井を見上げたい気分に襲われます。
「大嫌いだよ。憎んでる」
「何故です?」
さっきと同じ。虚脱感。
「リサを殺そうとしたから」
――火をつけたの、お前だろ?
「気づいていらっしゃったんですね」
「タクトから聞いた。装いとは裏腹に、体にまとっている魔術の系統は火。やけに
「何故だと思います?」
「俺、お前が気持ち悪いよ」
あなたが私に何か感情を抱いてくださっただけでうれしいですよ。
「俺を殺したら、悲劇のヒロインに成れるとでも思ったのか」
静かな口調。整った顔の、切れ長の目から放たれる強い視線。
「皇女を殺せば、俺がお前を見ると思ったのか」
私は答えられません。ただ、微笑むくらいが精いっぱいで。
「そんな簡単に、人間を殺すという手段が選択肢に入ってしまうのは、異常だ」
そうでしょうか。自分のことは、わりかしまともな方の人間だと思っていたのですけれど。自分のことが少し可愛すぎるくらいが、欠点だと思っていました。
「わかっていなかったのなら、しっかり自覚して生きて行け」
「……私、今日死のうと思っていたんです」
あなたに愛されないのなら、死んでしまおうと思っていたんです。
「でもあなた、私に生きろっていうんですね。あなたの愛しい人を殺そうとした憎い私に」
あなたの瞳は、いつだって彼女を向いている。
「愛しい人? ばーか、」
ただの護衛だよ。
帰る、と言って。彼は私に背中を向けました。もうその背中が回ることはないだろう、とすぐにわかりました。
「……いつか、後悔してくださいね」
あの時の女があんなに奇麗になった、って。
あの時の馬鹿がこうも賢くなった、って。
あの時振らなければ、って。
それまでは、死なないことにします。
***
彼の後姿を追うようになってしまったことを公開しながら、大きな邸宅を見上げます。初めてここに来た時は、今よりも心が躍っていました。
「あ、ミナ」
邸宅のほうをぐるりと回るようにして、ミナが歩いてきました。私の声に顔を上げて、いつもの笑顔を浮かべます。
もしかしたら、ミナが私の最低さを知らないように、私のほうもミナのろくでもなさを知らないのかな、と思います。
「どうしたの? お祭りは?」
「ん。いろいろ、失敗しちゃった。……一緒に、いく?」
口直し。
頑張って告白した女の子を心なく振るような、ひどい人を忘れるために。
それから、思い通りにならないことがあるからって、自分以外の目新しい力に頼ってしまうような、未熟で愚かな一人の女の子とお別れするために。
「おー! 行こう!」
いつものように無邪気な調子で、ミナが拳を振り上げました。丈の短いショートパンツに、白い長靴下。いつまでも小さい子供のような彼女のことが、実はまぶしくてたまらないのです。
「ふふ」
思わず笑みがこぼれました。きっといける、と思って口を開きます。
「ねえ、ミナ。私、失恋しちゃった」
「うわ……そんな時は、やけ食いだよ! 焼きそばとか、食べよ!」
そうだね、と返して。頑張って笑顔を作りました。
***
物心ついた時から数えて、このお祭りに参加するのは大体十回目くらいでした。大方の場合、ミナが隣にいたことを記憶しています。
毎年欠かさず行われていて、何なら前に来たのが少し前のことのように感じますが、実は一年も経っているのです。この事実に対しては、時の流れが速いだとか人生はあっという間だとか、そういう次元以上に恐ろしいものを感じます。
私が今のままの私でこのお祭りに存在できるのは、この瞬間しか存在しないのです。そう考えると、何だか恐ろしいものが背筋を駆け抜けるような気がしました。
「どうしたのー? サヨ?」
「うーん。時間って大切だな、って思って」
「ほんとに何ー? 当たり前じゃん」
肩を揺らすミナを見て。本当の意味で私たちがそれを理解するのはいつなんだろう、なんて思ったのでした。
例えば一年後。私は何か、変われているでしょうか。
***
「あ、皇女様たちだ――」
不自然に目を伏せたミナの態度を見て、そこまで気に病まなくてもいいのにと思いました。
「そういえば、ミナは皇女様と話したんでしょう? どうだった?」
「えー……? 素敵な人だったよ」
適当な相槌。人ごみの向こうに見える皇女様は、そこそこ大きさのあるクマのぬいぐるみを抱いています。可愛らしい。
「ね、嫌じゃないならさ」
声かけに行こう、なんてミナが言いました。
「いいよ」
これもミナなりの気遣いでしょう。
「皇女様ー」
「あ、ミナちゃんにサヨちゃん!」
皇女様はこちらに気づいて笑いました。隣のユーリさんは、さっきと同じ無表情です。……手を、つないでいます。
「可愛いですね、どうしたんですか?」
「ユーリが取ってくれた」
「――射撃の商品」
ユーリさんが単語だけで答えました。こちらを見ないようにしているのがまるわかりです。……私が気まずいじゃありませんか。
ぎゅ、と皇女様がクマを抱きつぶします。顎を載せます。
「……いつまでも、続けばいいのにね」
どきり、としました。それは、私がさっきまで思っていたことと同じでした。
「そうですねー。私も、一年前もここにいたとか実感ないです。――この先もここにいるかなんて、もっと」
「そんなものだよね。きっと、実感できないうちに過ぎて行ってしまう」
ミナの言葉に、皇女様が頷きました。
「……皇女様」
ぴょんと一筋、はねていた髪。手を伸ばしてなでつけると、斜め前から氷の視線を感じました。
「ごめんなさい」
首をかしげます。自分で言うのもなんですが、この角度の私はかなり可愛いです。
「――サヨ。行こ」
ええ、とうなずいて、皇女様に手を振りました。ユーリさんが心なし睨んでいるような気がしましたが無視です。
私は冷たいですか? 振られた相手にこれだけの感情を示すのは異常ですか?
放っておいてください、私は私ですよ。
人間こんなものでしょう。感動しただとかないただとか言っておいて、それもこれも、言葉を覚えたが故の偽りの感情みたいなものです。
そんなものに踊らされるくらいなら、私は適当に冷たいままでいます。
いつか本物の感情を感じられる、と信じています。
心って、何なんでしょうね。
わからないうちは、何も言わないことにします。
思えば、これほどまでに未熟な私が誰かを好きだなんて、おこがましかったです。
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