一年後 来訪者

 時の流れというのは、不思議なものです。一日一日はすごく長くって退屈で死んでしまいそうなのに、全部終わった後にくるりと振り返ってみると、まるでそこには何もなかったかのようにさえ感じられる――時の魔法、といったところでしょうか。宇宙に誇る魔道国家兼魔術惑星の住人であるところの私が口にすると、『時の魔法』という言葉も案外シャレにならないものですが。


 少なくとも私があれから感じてきた時間の流れはとても早くて、確かに言われてみればしっかり過ごしてきたのですが、丸一年がすでに過ぎ去ってしまった、という事実は信じがたく思います。


 空の明るい夏の季節が再びやってきて、お祭りの実行委員会なるものも企画されました。私はひとつ学年が上がり、変わらずにミナと一緒にいます。


 もうすぐ学校は夏休みに入ります。地方であるがゆえに短い夏休みの前に、一学期の後始末の一環を兼ねて、私は廊下で壁の掲示物を外しているところでした。同じ班のみんなはどこかに行ってしまいましたから、とても寂しいです。……大嘘ですけど。


「サヨ!」


 訊きなれた声がして右側に振り向きます。目に飛び込んできたのは、私と同じ制服を着用した茶色の髪の少女――ミナと、それから。


 黒い瞳に、肩で切りそろえられた黒髪の少女。似ているのはその色だけなのに、姿を見た瞬間にどこか胸が痛くなりました。皇女様と同じ、色をしていたから。


「どうしたの? その子は?」


 私が言葉を発すると、その娘が目を見張りました。それもそうでしょう、私は随分奇麗になったのです。くくっていた(暑いから)髪の毛を下ろすようにして、背筋も常に伸ばすことを心掛けてました。スムーズに笑顔を作れるように、口角を常に上げ気味に。

 私は、美しくなりたかったから。

 彼のことを忘れられたわけじゃない。

 あの方法が間違っていたとは、いまだに思っていません。あの頃の私にできる最善だったとは信じています。信じたいだけかもしれませんが。

 いつかまた、会えた時に、驚くほど奇麗になった、と言わせるための努力なのです。


「地球から来たんだって」

「は?」


 ミナがあっけらかんとした口調で言います。思わず眉にしわが寄るのを抑えられません。当たり前だけど。


「冗談で言ってる?」

「大マジ!」

「嘘でしょ。皇女様たちと同じってこと?」

「あー、そうかも」

「大事じゃない」


 思い返されます、二年前の騒動が。あれは皇女様が返ってきたからという面も確かにありますが、離れた青い星――地球からの来訪者という時点でも、かなり大きなニュースとして取り扱われるはずです。母も、そのようなニュースは大々的に報道されたと言っていました。


 と、ミナの横で少女が申し訳なさそうな顔をしていました。私の言葉がそんな顔をさせてしまったのでしょうか。これは悪いことをしました。


「ああごめんなさい、別に迷惑なんかじゃないですから」


 声を掛けると、少女の顔はいくらかましになったようでした。ミナが足の裏をくすぐられているような顔をするのがむかつきます。


「とりあえず村長さんのところに一緒に行きましょう。きっと良いようにしてくれます」


 それは私のセリフ! なんて騒ぐミナは置いておいて、少女に笑いかけました。名前も知りませんけれど、万人にやさしくするのは大切なことです。――皇女様がそうしていたように、することは。


***


 いつ来ても、村長宅の応接間は居心地が悪いものです。やや座り心地の悪いソファの上で、幾度か足を組み替えることを繰り返しています。


「サエどの、でしたか」

「はい」

「この国では、異郷からの旅人は丁重にもてなす決まりになっております」


 それもこれも、皇府からの視察対策ですけれど。ところで、彼女の名前は『サエ』というのですね。私に似ていますから、悪い気はしません。


「しかし、あなたはあくまで旅人の身。この国にとどまるにも、あなたの国に戻るにも、どちらにしても皇府の許可が必要です。手続きがどれほどかかるかはわかりませんが、おそらく二週間経たないうちに皇府から召集が来ると思われます。それまでのしばしの間、この村への滞在をお願いしたく存じ上げます」


 私が彼女をテレビ画面の中に見る日も近いのでしょう。


「まあ緊張しないで、旅行気分でいてよ! 皇府には私たちもついてくしね」

「え?」


 ミナがまたしても軽々しくそういうことを言いました。私は思わず声を上げてしまいます。


「そうそう! 私、また皇女様たちに会いに行きたかったから、お願いしたんだぁ」


 ……なんてことを。私が最後の日、どんな顔をして別れていたか見ていなかったのですか? 世界の終りのような顔をしていた、と自負していますけれど。変なところで気が利かないんですから。


「ありがとうございます」

「硬くならない! タメ口でいいんだって!」

「わたし、上級生にはちょっと」

「一歳年上なだけだよ?」

「ミナ。お客人を困らせるのはおやめ」


 ミナの言う通り硬い顔でサエちゃんが頭を下げ、なれなれしいミナを村長がたしなめました。いい人ぶったところで。


「申し訳ありません。この通り、生意気盛りの孫娘でして」

「全然! わたしも礼儀作法なんて全然わかりませんし」

「ありがとうございます」


 幾度か重ねて頭を下げた後に、村長は窓の外に震える指先を向けました。そろそろ引退すればいいのに、なんて思わなくもありません。


 夏らしく青い空とこれ以上ないくらいに緑の濃い葉の向こうには、見覚えのある屋根。


「あちらの大きな建物が、宿泊施設になります。十二人用ですので、少し大きいですが」

「私たちも泊まるつもりです」


 わざわざ皇女様が来る時のためだけに建てた邸宅が役に立つとは、といった感じです。一度泊まってみて損はありません。村長さんから了承も得られましたし。


「ありがとうございます」

「当然のことです。この村でサエさんと歳が一番近いのは私たちですから」


 本当はほかにも幾人かいるけれど、村長の孫娘とその親友は二人だけです。血縁という地位はなかなか強いものです――諸刃の剣であるという点のみを除けば。


「じゃあ、おじいちゃん。もう行ってもいい? 私サエにあそこ紹介したい」

「構わないよ」

「じゃ、行こ! サエ!」


 ミナがサエちゃんの腕を引っ張ります。私も後に続いて、村長に頭を下げてから部屋を出ました。いくらか緊張している気がします。


***


 ミナが村長からもらった鍵で扉を開けました。入るとすぐに、館中の明かりがつきます。この仕掛けのためにどれだけの魔術が費やされているのでしょう。


「奇麗……」


 サエちゃんが上を見上げて呟きました。七色に輝くシャンデリアは、かなりのアピールポイントだったはずです。


「だよね! さすがお金使っただけあるよ」

「皇女様が、この村にいらしたときに建造した建物なんです」


 いくらでしたっけ? 目を疑うようなゼロの数ではありました。


「あの……」


 サエちゃんが唇を噛みました。どうせ、『ここはどこか』とかって訊きたかったのでしょう。


「どうしたの? 大丈夫だって! 皇女様のところまで行けば、きっと助けてもらえるからさ!」

「皇女様って、誰ですか」

「え?」


 ミナが根拠のないことを言いましたが、こればかりは感謝です。私一人だったら元気づけられなかったに違いありません。


「この国は、王制なんです」


 黙ってしまったミナの代わりに、窓にかかった紅いカーテンをまとめながら簡単に言いました。これで伝わるでしょうか。


「今は、三十幾年前に養子に入ったとある貴族の方が、皇を務めていますが、本来は世襲制で頭首が決まります。今のお世継ぎが、先日村にいらした皇女様と皇子様の二人。まあ、次に冠を頂くのは、皇女様というのが有力な意見ですが」


 とっさに喋ると私も下手ですね。もっと喋りを練習しなくては。


「そうそう! それで、皇様と皇女様が、こうやってこっちに迷い込んだ人とかを、地球に返したり、こっちに定住する手続きとかをやってくれるの!」


 ミナはよく知っていますね。村長から聞くのでしょうか。


「じゃあ、わたしは帰れるんですね」

「もちろん!」


 大げさにうなずくミナと不安そうなサエちゃんを見て、自分のようだと思いました。ほんの少し、不快感が芽生えてすぐに引っ込みます。


 ミナは目を輝かせながらあちこちの部屋を開けて回っています。私は汚れている箇所がないかのチェックをした後、ロビー(?)に戻ってきました。


「これ……時計」


 ソファから中途半端に立ち止まった姿勢のサエちゃんが、手のひらより少し大きいくらいの器機を手にとって固まっています。


「ああ、それですか?」


 本当は、彼女のことを口に出すだけで嫌なのに。


「皇女様は、サエさんと同じで地球から来た方だったんです。それで、自分が使い慣れているものが良い、と」

「え。地球?」

「はい。一昨年の、冬に、こちらにいらっしゃいました。サエさんや私たちと同じくらいの年ですよ」

「同じくらい ――中学二年生?」

「中学……はわかりませんが、確か今年で十五になるはずです」

「そうなんですね」


 サエちゃんがうつむいてしまいました。


「サヨー。ご飯どうする?」


 私に大した意志はありません。二者択一くらいならできますが、何もないところから選び取ることは難しいです。


「そうですね。何か食べたいものはありますか?」


 面倒だったのでサエちゃんに話を振りました。決定権の丸投げは気持ちいいものです。


***


 去年から一年かけて、料理の特訓もいくらか行いました。一緒にやっていたはずのミナはあまり上達していませんでしたが、私はまあまあの腕前になったと言えます。レシピを見て、それらしいものが作れるくらいには。料理の才能がそこそこあったようですね。


 サエちゃんが手伝おうか、と言ってきましたが、お客人を働かせるのはいかがなものかと思ってお断りしました。


 しばらくして、料理が半分くらい出来上がったころに、ミナが出ていきました。ここからが大変なのに。

 サエちゃんとお話がしたい、と言っていました。


「何の話をしていたの?」

「去年の話」

「そんな、殺伐とした話を?」

「ううん、なぞっただけ」


 まさか戦いだのなんだのまで喋ったのかしらと思いましたが。私のやったことなんか喋るわけがありませんね。信用できていませんでした、ごめんなさい。


「グラタン、おいしいよねっ!」


 ミナが笑いました。


「リクエスト、嬉しかったです。料理は得意ですから」


 最近得意になったばかりですけれど。


「これから、一週間弱だと思います。よろしく頼みますね」


 自分でも何をよろしく頼んでるかはわかりませんけれど。


***


 それから一週間、ほぼ皇女様たちと同じようにして過ごしました。


 彼女は市場で迷子にならなかったし、歴史の授業で先生に反発もしなかったし、体育の授業で驚くべきスコアも出さなかったし、突然村はずれの遺跡に侵入もしませんでした。

 けれど、道徳の授業ではかなり悩んでいるようでした。さながら皇女様と同じように。


 今日、私たちは三人そろって皇都へ向かいます。午前中のうちに最後の場所を訪れようということでやってきたのが、


「懐かしいね。村の史跡だったのに、ぐっちゃぐちゃ」

「それはそれでそのうち価値が出ると思うけど」


 かの皇女様の行った偉大な功績、みたいな感じで、です。


「ここで何が?」

「簡単に言うと、戦争」


 サエちゃんが上を見上げました。


「それ、天井じゃなくって床なの。もともとここは、ストーンサークルみたいな感じだったんだよ」

「下から持ち上げられたってこと?」

「そう。下で大きな爆発? が起きて、下から」


 詳しいことは皇女様とあのひとしか知りません。私を唆した、あのひとしか。


「まだあるんじゃないかな。布切れとか、鎌の柄とか」

「鎌?」

「そこで戦った相手、鎌使いだったんだ」


 何故だかあのひとのことについてはミナのほうが詳しいです。けがをした彼女を手当てしたのが村長のところの家だったからでしょうか。私は、彼女がそのあと死んでしまったことしか知らないというのに。


「死神みたいな人だった」

「人間と、戦ったんだ」


 それを聞いて、サエちゃんはショックを受けたようでした。戦争をしたということなのですから当たり前ですが。


「そうだね。亡くなったって聞いたよ」


 いったいどこに葬られたのでしょう。墓地を探せば見つかるのでしょうか。


「先月、だっけ。傷が病気につながって、ね。

「皇女様には伝えないんだよね」

「あの人、責任感じちゃうでしょう。そんなこと言ったら。ただでさえ背負い過ぎなのに」

「そうだね」


 ややひどい言い方をすることにはなりますが、よく持ちこたえたと思わざるを得ません。去年の時点ですでに危なかったにもかかわらず、それからかなり経っていますから。快復するのか、とすら思いました。


「もう、行きましょうか。昔の遺跡なんて、面白くない」

「行こうか。昔話は、会ったときにすればいいもんね」


 黙ってしまったサエちゃんを促します。人が死んだ云々の話は重かったでしょうか。彼女のような『日本人』は人の生き死にに慣れていないと聞きます。……私たちの住む国家は今も戦争をしているというのに、です。


***


 若干暗い感じになってしまった空気を抱きながら、駅に着きました。初めて彼と出会った時のことを思い出しながら、サエちゃんにアナウンスします。


「そろそろ来ますよ」


 魔法の力で動く車、称して魔車。


「時々力がうまく働かなくなって遅れるのが欠点ですが、概ねいい交通機関ですよ」


 皇都の車はもっと性能が良い、と聞いたこともあります。


「そもそも魔力っていうのが、人の血の中にある『魔術を使う力の素』の濃度のことだからね。人から血をもらって運行している今の状態では、安定しないのも当たり前だよ」


 駅員がそんなことを言いながら、線路の上を曲がってくる車へ手を振りました。原始的な合図です。そして運行させる方法も原始的です。献血なんて。

 二十歳になったらするのが義務ですが……嫌ですねぇ。


「サエみたいな地球の人はその濃度がすごく低いらしいよ」

「だから、魔術が使えないそうです」

「魔術って、どんなふうに使うんですか?」

「え? どんな風って…」


 息をするのをどうする、と訊かれても困ってしまいます。自分のスタンダードを相手に説明するのは大変なのです。


「私たちにはわからないかな」

「それこそ皇女様に聞くと良いと思います。私たちは普段から使い慣れていて、仕組みとかそういうのはどうも…」


 二人してごまかしました。


[2番ホーム、皇都ベリーズストーム行快速、間もなく到着です。十分に線路から離れてお待ち下さい]


 駅員さんが、私たちを含めて五人もいないホームでアナウンスをしました。便数も一日に三本くらい。ここらの人はみんな、皇都がどんなところかも知らずに生きて死んでいきます。それが当たり前です。


***


「やっと着いたー!」


 電車から降りてぴょんぴょんするミナを横目に、伸びをします。横で同じ動作をするサエちゃんと目が合ってお互い苦笑いをしました。


「やっぱりいつ来てもでかいね!」


 ミナがそんな風に言います。村長について何度か来たことがある、と車内でも言っていました。


 私もつられるようにして上側を見上げます。緑の少し混じった奇麗な水色をした、かわいらしい屋根。少しばかりあっさりしすぎているような気もします。話によると、このお城よりも立派な貴族のお屋敷もあるらしいですし。

 でもまあとにかくこの場所が目的地であることに偽りはなく、ミナがドアまでいとも簡単そうに歩いていきます。


「ここ、勇気いるんだよな」


 そんなことを言って、土壇場でこちらを振り向きました。突然開いたらどうするんですか。


「入っちゃっていいの?」


 ややうろたえるようにサエちゃんが肩を縮めます。かなり大きい建物です、緊張するのも無理はありません。


「うん」

「もう、アポイントは取ってあります」

「おじいちゃんがやってくれたんだよ!」

「私たちが行くということも伝えてあります」


 私と会って、彼はどんな反応をするだろうか。


「じゃあ、行っきまーす!」


 悩んでいた割にはあっさりとミナが手を掛けて、ぎりぎり軋みながら扉が開きました。


 目の前には木の格子が入ったガラス窓。足元には赤い絨毯。全体的に深い茶色の調度品でまとめられていて、さすがといった具合でした。


「どこかなあ。四時二〇分には待っていて下さる話なんだけど」


 ミナの間の抜けた声が瀟洒な空間に不釣り合いに響きます。静かすぎて人の気配を感じられない空間をふわりと漂って、すぐに余韻が消えました。


 こつり、と足音。右側に目を向けると、


「無礼をお許しください。皇女からお迎えを仰せつかりました、ミレーユ・テリカハットと申します」


 燃えるような赤毛に、春のような緑の瞳、すらりと長い手足。去年よりも磨きをかけて美しい、ミレーユさんが立っていました。学校の制服を着ているだけなのに、ここまで奇麗なのは……人間かどうかを疑うレベルまで達しています。


「奇麗」


 サエちゃんの言葉に全面的に賛成します。


「奇麗とか、美しいよりも、人間でない様だと思っちゃう」


 私の言葉が聞こえたのでしょうか、首を回したミレーユさんが


「人形そのものだと、言われていた頃もあります。非常に不本意でしたが」


 叱られたような気がして、首をすくめます。ふざけたことを言うな、と。そんな風に罵倒されたようです。


「皇女様は、そんなわたくしを人として認めて、役割を与えて下さいました。ですから、わたくしは今ここにいます」


 どうぞ、なんて言って足を止めて。また皇女様か、と苦々しく思う大人になり切れていない私を冷ややかな目で見つめて、ミレーユさんは作り物のような微笑を浮かべました。背筋が凍りそうに奇麗だ、と思いました。


「開けるね」


 再びミナが扉に手を掛けます。


「お待ちしておりました」


 私たちが三人とも部屋の中に入って、書類のたくさん積まれた机の向こう側で頭を下げた女性には見覚えがありました。幾度も、画面の中で目にしたことがあります。

 この国を治めている、女皇様。


「不肖ながらこの国を治めております。女皇マーガレットと申します。縮めてリタとお呼びください」


 椅子をすすめられて、居心地が悪いながらに座りました。


「早速ですが、ひとつ訊きたいことがあります」

「……」

「地球に帰りたいですか?」

「それは……もちろんです」

「そうですか」


 本日は皇宮でお過ごしください、なんて言って女皇様が立ち上がります。

 思わず、といった具合にサエちゃんが


「もういいんですか」

「わたくしからは何も。わたくしはこの国で生まれ育った者ですから、地球についてとやかく言うことはできません。地球からの漂泊者については、わたくしの姪――皇女に一任しております。ただ、この国での最高権力者はわたくしですので、彼女の決断にわたくしが許可を出す形になります。そのため、幾度かわたくしから質問をする事になりますが、ご了承ください」


 姪――皇女様。


「漂泊者って、何人もいるんですか。わたし以外にも」

「二ヶ月に一人といった程度ですか。ちょくちょくいらっしゃいます」


 どうやら、母の言っていた大々的にニュースとして報道する慣例はなくなったようでした。何やらそれにまつわる事件でも起きたのでしょうか。不祥事が起きて、やりようがなくなったとか。


「ほぼ全ての方が、この国に残ることを選択されますから。ニュースにはならないんです」

「それは…なぜ?」


 私の浅はかな推測を打ち破って、女皇様が真実を言いました。みんなが残るそうです。……こんな国に?


「この世界のほうが、日本よりも居心地がいいから、と」


 ……?


***


「久しぶりだなー。覚えてるかな」


 ミナが少し不安そうに足をぶらつかせています。金属と布の椅子に座って、三人で皇女様を待っているところでした。


「どうしようね、『あなた誰?』なんて言われて」

「うー。ないと信じたい。ミレーユさん気づいてた?」

「多分。顔に出てはなかったけど」


 少しだけからかってみました。


 ノックの音が聞こえました。


「失礼いたします」


 その声を聴いた瞬間、ざあっと肌が粟立つような感覚がしました。まぎれもない彼女の声。


『またね、元気でね』


 私がどれだけ彼女に引け目を感じているかを知っているのか、知らないのか。輝く笑顔で涼やかに言って見せた、あの声。一年前の駅舎の香りを感じたような心地すらしました。


「あ、合ってる合ってる。久しぶりー、二人共」


 右手を振りながら入ってきて、向かい側の椅子に座ります。その後ろに表情を動かさないまま、無言で立ったのは当然のように彼で、私はサエちゃんに気づかれないようにそっと唇を噛みました。


「初めまして、サエさん」


 応えてサエちゃんが頭を下げます。心なしか驚いているように見えました。


「日本の名前と、ここでの名前、どちらが呼びやすいですか」

「別に、どちらでも」

「あたしの名前は古実フルミ里香リカ、ここではエリザベスと言います。リサと呼んでくださって結構です。――こっちは、ユーリ。日本語では誠史郎セイシロウ


 確信を深めるようにサエちゃんが唇を引き結びました。ユーリさんが頭を下げて、まっすぐにサエちゃんを見つめます。彼は変わらず整った顔立ちをしていました。


「彼はあたしの護衛です。お気になさらず」


 私に向けられた言葉なのかもしれない、と思いました。間違いなく三人の中で彼を一番気にしているのは私ですから。


「日本に帰りたいですか」

「……わからないです。さっきまで、そう思っていました」


 あなたに逢って決心が揺らいだ、なんて言うようにサエちゃんは首をふらつかせています。


「この世界は、居心地がいいですよね。あたしがこんな身分だから言えることなのかもしれませんが。例えば彼なんかに聞いたら、この世界は生きやすくなんかないと言うと思います」


 傍らのユーリさんを見やってから、皇女様はサエちゃんにもう一度向かい合って、


「あたしがいつも言っているのは、この世界に残ることを選ぶのは罪ではないということです。時には、楽をすることも一つの生き方です」


 なんて言って見せました。


***


 ユーリさんとできればお話ししたかった、なんて懲りもせずに思っている私に気づかないまま(当たり前です)、ミナとサエちゃんがぐんぐんと廊下を進んでいきます。さっきのところからすっかり離れてしまって、何なら庭園に出てしまっていますけれど大丈夫ですか?


「どこに帰ってこいって言ってたっけ」

「さっきの部屋でしょ。もう既にどこから来たかわからないけれど」


 覚えていない、といったミナの様子に腹が立って少し強めに言い返しました。大人げなかった、と反省します。


「あれ、あそこにいるのって」


 ミナが突然木陰のほうへ走っていきます。その先に、二人の人影が見えました。


「あれ?」


 そんな風にかわいらしい声が響いたかと思うと、その主はクリスさんでした。短い金髪にノースリーブのTシャツが映えています。


「ミナさんじゃないですかーっ! お久しぶりです!」


 ミナに気づいたようで、クリスさんが大声を上げました。


「久しぶりーっ!」


 ミナもそのノリに乗っかって、そんなところがよく似ている、と思います。


「あれ? そちらの方は?」

「んー。地球から来た方」


 クリスさんと一緒にいた、カルさんが訝しみます。今日は髪の毛が随分はねていらっしゃいますね。


「ああ。先輩がお話していましたね。——こんにちは! 私は、クリス、クリス・マイツェンです。不肖ながら、リサ先輩が率いる『部隊』の一隊員を務めております」


 リサ先輩、というのは皇女様のことでしょうか。


「わたしは、サエと言います」


 サエちゃんが短く言うと、


「こんにちは。僕はカリトと言います。カルと呼んでください。——僕も、クリスちゃんと同じく『部隊』の隊員です。よろしく」


 パチリ、とウィンク。ジャグリングしている彼を見つけたときは大変でした。


「あの、『部隊』って何ですか?」


 それは私も知りたかったことです。


「ああ……先輩、話していいんですっけ」

「リサはいいって言ってたと思うよ?」

「じゃあ、簡単に説明することにします」

「うん」


 クリスさんが私たちに向き直る。


「『部隊』って言うのは、簡単に言うと、国が結成を命令して組織された集団です。『部隊』には、エリザベス先輩——皇女様です——も、さっきの通り私も、先輩も、総勢十二人が所属しています。

「結成の目的は、わたしたちの国が長らく争っている『あちら側』との決着をつけるため、武力を結集させること。

「わかっていますよ。こんな小僧と小娘を集めたところで、武力なんて集まるわけがない。

「本当の狙いは、私たちに殉職してもらうこと。

「明確なことは伏せますが、私たちはそれぞれ違う理由で、命を狙われているのです。

「表向き、救国の英雄ともてはやされていますが、その実私たちは、ただの兵士。

「捨て駒です。国にとって死んだ方が良い存在なのです」


 言葉を重ねるごとに勢いが強くなっていきました。さらに続けようとしたところでカルさんが彼女の肩に手を置きます。


「後輩が失礼しました。失礼ですが、これから先は外部の方にお話していいような事ではありません」

「先輩! もしかしたら、この国の人になるかもしれないんですよ?」

「クリスちゃん、そういう話は無しだよ」

「……」

「はっは、僕も国民が増えれば楽しいけどね。でも、無関係の人を戦争に巻き込んじゃいけない」

「……ごめんなさい、サエさん。嫌な話を、聞かせました」


 どんな反応をしていいのかわからずに、目を泳がせるだけでした。


「サエさんは、今日ここに泊まって行くんですか?」

「はい。ミナたちと一緒に」

「そうなんですね。じゃあ、せっかくだし『部隊』の皆に会ってみませんか? お詫びに案内します」


 きら、とかわいらしい笑顔をクリスさんが浮かべます。

 どこか迷っている様子のサエを置いておいて、ここにいてもどうしようもないので、


「じゃあ、お願いします」


 答えてしまいます。


「わかりました!」


 快諾のご様子でした。


***


 とは言っても、私自身皇宮のご案内に興味はありません。程よいところで抜けようと思って、ふらふらとついていきます。

 皇宮の中なのでしょうか、そこそこに大きい図書館の中でキリコさん(髪の毛を短くしていて素敵でした)とミレーユさんにお会いして、次は生徒会室に行ってみる、という話の流れになったところでぬるっとお暇しました。

 生徒会室というのは狭いものと決まっていますし、一人にもなりたかったのです。


 いつか誰かが迎えに来てくれる、または誰かに出会えると高をくくって歩いていると、バルコニーのようなところがありました。

 先ほどいた庭園のようなところを見下ろすことのできる場所に位置した、少し出っ張った空間。ふらふら誘われるように出てみます。屋根付きなおかげで日差しがないのに助かりました。


 しばらくぼうっとしていると、突然後ろから声がかかりました。


「サヨちゃん、久しぶりだね」

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