六日目 ミナ・シャギール
お昼まで学校があったから、そのあとにサヨと一緒にお世継ぎ様たちのところまでやってきた。
昨日の夜(夕方かな)、サヨとお世継ぎ様の間で何があったのか私は全然知らないから当てずっぽうになってしまうけれど、きっとサヨはお世継ぎ様に対して何か引け目を感じているんだろうと思う。サヨは私よりもよっぽどいろんなことを考えているけれど、肝心なところで的外れな方向に悩んでいる、っていうことがたくさんあるから、今回もその取り越し苦労の一つだろうと思ってるけど。
――少しだけ、もしかしたらそうじゃないかも、とも思っている。
だって今日と昨日のサヨは、いかにもいつもと様子が違った。どんよりぼよぼよとしていて、とても落ち着いてはいられないといった感じだった。私だってお世継ぎ様たちのことが心配なのは一緒だったけれど、サヨはそれに輪をかけてひどそうだった。
サヨはあのひとが好きだ。お世継ぎ様の隣に、音もなく立っている彼のことが。そんなことすぐにわかる。私とサヨは、十年来の幼馴染だし、何と言ったってあの子の目は彼にくぎ付けだ。
短く切りそろえられた茶色の髪。小柄だけれど決して華奢なわけではない体躯。切れ長の目と、何より整った顔立ち。私も、彼は奇麗な顔をしていると思う。
「私、サヨには男を見る目ないと思うんです」
私が一人で残る、とわがままを言って、サヨとそれからお世継ぎ様の仲間達を追い出した。だから今、この別荘には私とお世継ぎ様の二人きり。廊下の一番奥、彼女が居室に選んだ部屋で、私は彼女の枕元に座っている。
「そう?」
ベッドに寝て、上半身だけを浮かせた状態のお世継ぎ様が首をかしげた。もしかしたら彼女は、サヨが誰を好きなのか知らないのかもしれない。
「だってサヨちゃんが好きなのってユーリでしょう?」
あれ。あれあれあれ。すっとぼけているから知らないと思ったのに。彼女はあっさりと、ご自分のお目付け役(護衛くんかもしれない)の名前を口にのせた。
「知ってたん、ですね」
「見てれば、わかるよ。釘付けだもん。ちょっとユーリがうらやましいかなぁ」
うらやましがる対象が護衛くんな辺り、個性的である。ていうか普通はうらやましがらない。
「よかったの? 夏祭り、行かなくて」
「いいんです。私は毎年行ってますし、皇女様も一人じゃ寂しいでしょう?」
「うーん……ここに残ることになったのはあたしの自己責任っぽいとこもあるしなぁ。一人も一人でいいものだよ」
人を嫌な気持ちにさせないことに慣れた人だ。こんな人が近くにいてくれたらきっと気持ちがいいだろう。
「サヨ、何したんですか?」
私がここに残ったのは、このただ一つを聞くため。
「ん……? それって、あたしから言っていいことかな」
ケチケチしないで教えてくれ、なんてことは私も言わない。もうちょっと丁寧な言い方をする。
「サヨ、聞いても教えてくれませんでした。それに、今ここで聞いておけば、気遣いもできるかなって」
それに、皇女様が眼鏡を壊しちゃった理由も知りたいですし。
最後にそう付け加えると、皇女様は目を細めてにこりと笑った。初めて会ったときからかけていた眼鏡がないから、見慣れない。
「サヨちゃんはね……簡単に言うと、唆されちゃったんだ。ユーリのことが好きで、それが抑えきれなかったから、ちょうどよく気持ちを使われちゃった。――あたしをおびき出すには、一般人を囮に使うのが一番いい方法だからね」
「え……サヨは、あの怖い人に捕まったんですか?」
「そうそう、その怖い人に利用されて色々やっちゃったんだ。で、その罪でもってサヨちゃんは連れてかれちゃった。あたしはそれを助けに行っただけだよ」
怖い人。私は夢の中ですれ違っただけだから詳しいことはわからないけれど、近寄りたくない雰囲気を放っていたことは覚えている。
「それで、唆されて――何やったんです?」
引き合いに出されたらついていくしかないような、何か。私が見ていた限りではサヨが何かしていたような様子はなかったけど、いったい何をしていたんだろう。
「放火、かな。あとはただの思想犯だけど、ほっといたら実行に移してただろうね」
「放火、ってあの……」
皇女様たちに貸し出した邸宅が炎に包まれて使い物にならなくなり、急遽うちの建物を貸し出した。それをやったのが、サヨだという。
「いったいなぜ…? それに、どうやって」
「怖い人の使う魔術は『存在』のチカラだから、狐火なんて簡単なのよ。――これはあたしの推測だけど、彼女、あたしかユーリのどっちかを殺したかったんだと思う」
「殺してどうするの……皇女様が死んじゃったらことじゃない」
「誰もかあなたみたいに頭がいいわけじゃないのよ」
頭がいい、なんて言われたのは初めてだった。いつもそういったおとなしい評価をもらうのはサヨだったから。
「あたしが死んだら…どうするつもりだったんだろう。でも、ユーリが死んじゃった時は簡単だ。悲劇のヒロインになればいい。――絶対に手の届かない相手に恋い焦がれるの、格好いいと思ったんじゃない?」
いくらか皇女様の言葉は突き放すようだった。サヨの愚かさを心の底から嫌っているような、彼女の行いを蔑むような、そんな顔をしていた。
「ああごめん、少し良くない言い方をしたんだね」
「別にいいです。皇女様が人間なことくらい、私わかってますから」
おじいちゃんやサヨの言い方に、いちいち腹が立っていた。私自身そうだけど、『皇女様』なんて、本人が何を思って何を感じているのか、まったくわかろうとしていないその呼び名に、まるで反吐が出そうだと思った。道徳の授業で、あれだけ『人の気持ちを考えろ』なんて説くくせに、対象が皇女様になっただけで、その義務を放棄してしまう姿勢に鳥肌が立って仕方がなかった。私もそのうちあんな大人になってしまうのかと思うと目を覆ってしまいたくなった。
ぼんやりと考えていたからだろうか、頭の中にふっと浮かんだ言葉がそのまま口からま飛び出した。
「私、本当に死にたくないんです」
いつか自分がいなくなってしまうことを想像しただけで叫びたくなる。私という存在が消えゆくことを想像しただけで世界の底が抜けてしまったような感覚になる。そんなことを皇女様に言ったって仕方がないと思いながら、口から零れるのを止めることはできなかった。
「そっか」
死生観とか生き方とか、そんなことに関して学校の先生は何も言わない。どうすることもできなくって、でも考えるだけで自然と目の前がぼやけてくるような様々な体験について、教えてくれることもない。そういった事柄について考えても、救いがないことくらいわかっている。だけど私は、誰かに話を聞いてもらいたかった。私が悩んでいるということを知っている人がいてほしかった。なぜその相手に皇女様を選んだのかはわからなかった。
「ねえ、ミナちゃん。生きていくことは、怖い? この先世界は変わっていくと思うけど、そんな中、生きていける?」
「――きっと、生きていけると思います。死ぬことよりは、ずっと簡単です」
こんなにも怖いのに、自ら死を選ぶ人がいることが信じられない。それまで追いつめられる人が存在してしまうことが、恐ろしい。
「うん。そのままでいてね」
何があっても、生きることよりも死ぬことのほうがいいだなんて、思わないで。
それだけでいいよ。
皇女様は微笑んで言った。
「あなたが生きる世界を、あたしは守るから。安心して、生きていて」
いくら皇女様だとは言っても、目の前にいるのはたった十四の女の子だ。それは痛いほどによくわかっている。だけれど、なぜだか目の前で頭に包帯なんか巻いて微笑んでいる彼女が、誰よりも格好よく思えた。
窓の外に目をやる。日の暮れだした空は、少しばかりか暗くなり始めていた。静かな室内で耳をすませば、祭囃子が聞こえるような気がする。
「サヨ……」
今頃祭囃子のもとにいるであろう幼馴染に思いを馳せる。物静かで穏やかそうな顔をして、放っておくとすぐにとんでもないことをしでかす。今日だって、とんでもないことを言っていた。
「サヨちゃんがどうかした?」
皇女様が訊いてきたので、さっき本人の口から聞いたばかりのことを言う。
「告る、って言ってました」
誰とは言ってなかったけど、ユーリさんだろう。
「ああ、そう……」
皇女様は目を伏せた。少しだけ口を尖らせている。
「万が一、ユーリさんがオッケーしたらどうなるんでしょうね」
「……」
まずったか。下唇を吸って、失言を悔いる。皇女様と話すのが楽しくて、今まで誰にも見せたことのない自分を見せた高揚感が沸き上がってきて、変なことを言ってしまった。
「あたしは、それが怖い」
わずかな静寂の後に、皇女様は言った。
「あたしは誰かに嫌われることをずっと怖がっているんだ。優しいふりをしているのも、皇女っていう立場を受け入れたのも、誰かに受け入れてもらえるかと思ったからだよ。一人になりたくないんだ。ずっと誰かにいてほしいんだ。ユーリがいなくなったら、あたしはきっと寂しくなってしまう。……あたしのわがままでユーリを閉じ込めておくなんてよくないってわかっているけど」
戻ってきてほしいな、と皇女様は呟いた。
「ちょっとだけね、迎えに来てほしいなって思ってる。……内緒だよ」
私に念を押した後に窓のほうを見た皇女様。なぜか胸が痛かった。
幼馴染として、親友として、サヨの恋を応援する気持ちが少しもないわけじゃない。むしろあの子の強すぎるくらいにまっすぐな思いが報われてほしいとは思う。
けれど、さっき聞いた話が胸にまだ残っていた。現金なものだ。罪があっても相手を愛すなんてことが言えるほど、私は大人じゃない。そのくらい、きっぱりとしていられたら良かったな。
――ピンポーン
呼び鈴が鳴った。
この邸宅に呼び鈴がついていたんだな、なんて勝手に感心する私。
「見てきますね」
「行っていらっしゃい」
皇女様のそんな言葉に送られて、私は階段を下りた。踊り場の白い壁が嫌に目に染みて、何か飾ろう、と思う。
「はい、誰ですか?」
鍵を開けると、私がノブに手を掛けるよりも先に、向こうにドアが引き開けられた。
「ユーリさん?」
ドアの向こうから現れた彼の名前を呼ぶと、彼は軽く首を動かした。
「リサを呼んできてほしい」
「……はい」
ほんの少し、わずかに早い呼吸をしている。どんなことがあったかくらい想像できた。だけど私にはどうしても、『なぜ彼が戻ってきたのか』は分からなかった。
「――皇女様。今、出てこれます?」
彼女は見るからに寝間着姿だった。部屋の外から声を掛けると、
「あ、ちょっと待ってね」
と声がした。誰か、と問うそぶりはない。彼が来たことを察しているのだろうか。
「はいはい、オッケー。誰?」
ドアを開けて出てきたのは、先ほどと変わらず頭に包帯を巻いた――だけれど、いつもと違う眼鏡をかけて、袖のふんわりしたブラウスと黒の膝上スカートをはいた皇女様だった。
誰が来たのか、という質問には答えずに、私は階段を下りた。後を皇女様が追ってくる。
「どなたー……あっ」
声を張り上げた皇女様が、ユーリさんに目を留める。
「えっ、どうしたの? みんなは? 何で帰ってきたの?」
本当にわからないといった調子で問いかける皇女様を後に、玄関を出る。さっき『帰ってきてほしい』なんて言ったのはあなたでしょうに。
私が探しに行くのは、サヨだ。このあたりでぼうっとしているに違いない――見つけた。
「サヨ」
邸宅のほうを見上げる静かな横顔に声を掛けた。奇麗な顔をしている。
「あ、ミナ」
人はいくつも仮面を持っている。私もたった今、サヨと話すときのための仮面を選び取って身に着けた。この仮面が肌になじんで取れなくなってしまうことが、世界で一番怖いとすら思っている。
「どうしたの? お祭りは?」
「ん。いろいろ、失敗しちゃった。……一緒に、いく?」
口直し、なんてサヨは言う。
「おー! 行こう!」
私も彼女の弁に便乗してこぶしを突き上げた。何も知らないふりで。
「ふふ」
サヨが笑う。せいぜいそこで笑っていればいいさ、と思う。
私がどれだけあなたを悲しませないようにしようと努力しているか知らずに、無邪気に笑っていればいい。決して届きようのない思いだと知っていても、私はこの努力を続けるから。
信じられないほどの努力を重ねて、その努力が無駄になったとしても諦めない心を持つことを、私は目指している。誰にも認められない努力を続けることのできる人間であることを、自らに課している。
みんなに、笑っていてほしい。みんなが幸せでいてくれるために、私が力を尽くすことは何ら苦痛でない。
「ねえ、ミナ。私、失恋しちゃった」
「うわ……そんな時は、やけ食いだよ! 焼きそばとか、食べよ!」
笑ってほしいな。
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