第14話 接遇には気をつけろ⑩
高槻が靴を脱いであたしの家にあがった。
ただそれだけのこと。別に大したことではない。郵便屋さんだって玄関までくることはあるし、大きい荷物なら家にあがることだってある。別に。ただそれだけの——。
…………。
どうしてこうなったァァ?!
もう自分を誤魔化しきれない。何度確認しても高槻は男子だし、男子たる高槻が今いる場所はあたしの家だった。今まで一度だって男子を家に上げたことなんてなかったのに。
心の叫びが外に飛び出ないように堪えていると、「おい、何ムンクの叫びみたいなことをしている」と高槻が眉をひそめてあたしを呼び止めた。
「ところで、もし親御さんがいるなら、先に挨拶を済ませておきたいんだが」
「あ、今日お母さんもお父さんも出掛けてるから、今誰もいないの」
——って、オォオオオイ!
それ彼氏に言うヤツぅうう! それ初めて家に遊びに来た彼氏にいうヤツぅううう!
てか、なんで高槻のヤツ、ちょっとまともなこと言ってんのよぉ! あんた「親御さんに挨拶」とか言うキャラじゃないじゃん! なんなら勝手に親の寝室入っちゃう感じの奴じゃん!
いや、全て自分が悪いのだ。今回ばかりは高槻は何も悪くない。あたしの自業自得である。
高槻が野崎先輩をなんだかんだ信じていたことが嬉しくて、舞い上がったあたしがいけない。
高槻には持田先輩のお弁当という報酬があるにせよ、今回の件であたしが助けてもらっていることには変わりない訳だし、何かお礼をしたいと思ったのだ。
だから、あたしは野崎先輩と別れてから高槻に声をかけた。
「高槻。お昼まだでしょ?助けてもらってるお礼にあたしがおごるよ」
「いいのか? それはありがたい。休日にカップ麺以外のものを食べられるのは久しぶりだな」とか悲しいことを言う高槻にあたしは少し調子に乗って「そんなんばっか食べてるから身長が伸びないのよ。今日はあたしが好きなものご馳走するから、何でも遠慮なく——」
不意にあたしの声が頭の中を反芻した。楽しそうなあたしの声。過去の——ほんの2週間前の記憶。
——えぇ! ライブ映像特典なんて買うしかないじゃァん! 金欠えぐぅ! 来週ネジュミーランドも行くのにぃ!
——————行くのにぃ
————行くのにぃ
——行くのにぃ
「待って!」と咄嗟に声が出た。それは高槻が何かリクエストを口にしようとする寸前だった。
セーフ! セーフ! ギリセーフ! 確か財布の中、あと500円くらいしかなかった気がする。
高槻のことだ。寿司とか焼肉とか言い出すに決まっている。リクエストされる前に制止できたのは僥倖だった。
だが、高槻の顔を見て、あたしは戦慄した。
ウキウキの幸せ顔だ。無駄に端正な高槻のウキウキ顔は、その貴重さも相まって、なかなかに崩し辛い。というか、言えない! 今更、「お金ないから、やっぱなし」なんて言えない!
あたしはとびっきりのプリチースマイルを高槻に放射した。
「あ、あたしの高槻への感謝は、もうとんでもない域に達しちゃってるからさぁ! もはやプライスレス! 的な? お金で感謝を表現するなんて、そんな野暮なのはちょっとアリエンティというかぁ」
高槻はものすごく怪訝そうに「どうしたお前? その辺に生えてるキノコでも食べたか? おれも経験あるが、あれはマジでやめた方がいいぞ」と宣う。
あんたと一緒にするな、と言うか、その辺に生えてるキノコ食べたことあるんかい、と言うか、どちらか迷って結局どちらも我慢した。あたしは話を推し進めることに集中した。
「いや、ていうかもうこれは手料理しかないよね! 手料理でしかこの感謝は表せない! ね、いいでしょ? 手料理! 美少女JKの手料理!」
何が良いって、お金がかからないからね! 家の冷蔵庫の食材をいくらふんだんに使ってもあたしの懐は痛くも痒くもない! あはははは!
「まぁ、カップ麺とかもやしとか以外なら何でもいいが」
「決まり! じゃあ行こ!」
そうして、今に至る。
家の前に来てから、男子を家に上げることの意味に気が付いたが、時すでに遅し。家まで来させといて、「やっぱ無理。帰って」は流石に言えない。
不意に「一ノ瀬」と呼ばれて、びくっ、と肩が跳ねた。
「ひゃ、ひゃいッ!」
「お前、料理とかできるのか? そのイメージはあまりなかったが」
「し、失礼ね! こう見えて、あたし女子力高いんだからね!」
「そうか」と高槻は張り合うでもなく、軽く受け流す。なんだか本気されていない感じがしてムカつく。
「で、何を作ってくれるんだ?」
高槻はリビングのソファーに勝手に腰掛けて訊ねた。リビングとキッチンは繋がっているから、声はそこからでもよく聞こえた。
「まぁ、待ってなさいって」
さてさて。食材は何があるかなぁ? お肉があればステーキでしょ! 焼くだけだから簡単! 同じくお魚も焼くだけ! さぁ、肉がでるか
あたしは、勢いよく冷蔵庫を開いた。そして固まった。
——なんもねェェエエ!
え、なんで? なんで今日に限ってお肉もお魚も卵もお野菜もないの?! 辛うじて魚肉ソーセージがポツンと孤独に居座っていた。しかもあたしの齧りかけ。
「齧りかけを置くなァ!」
気が付いたら叫んでいた。過去の自分を引っぱたきたい。
「おい、大丈夫か?」とリビングから声が飛んでくる。
「大丈夫! 超大丈夫!」
どうする。齧り部分をちぎって焼く? いや、それ料理と呼べるの? 「さぁ召し上がれ。齧りかけギョニソーのソテーよ」って? 無理無理無理! 明日からあだ名が「ギョニソテ」になっちゃう!
祈りを込めて、あたしは冷蔵庫下段の冷凍庫スペースを開いた。
ぱぁっ、と眩い輝きが冷凍庫からあふれ出す。ようにあたしには見えた。
——冷凍餃子!
戦える。これなら戦える。
彼氏に振る舞う料理っぽくないのもポイント高い! こんなにんにくたっぷり料理はこれからハグしたりキスしたりあれこれするカップルは絶対に作らない!
やっぱ餃子よなぁ! ただの友達にはやっぱ餃子!
あたしはキッチンの引き出しを勢いよく引き、中からフライ返しを取り出した。そしてクルクルと回しながら背面を通して、宙を舞わせてから、再びキャッチする。
いざ尋常に。
◆
高槻の前に、黒い円盤が乗った皿を置いた。
餃子だった物は、焦げによって強固に結び付けられ、1つの物体——黒い円盤と化していた。
高槻の顔を見られない。あたしははうつむき、視線は逃げるように目の端を泳ぐ。室内が少し焦げ臭い。
いや、待って待って待って。違う。違うって。途中までは良かったんだって。でも、あれ、餃子って蒸すじゃん? で、蓋するじゃん? 透明の蓋をかぶせるじゃん?
それだよ! 戦犯! 戦犯、蓋! 見えないんだよ! 蓋に水滴がついてフライパンの中が見えないんだよぉ!
どうしろっての! ノールックで焼けっての? 無理だから! 冷凍餃子でミシュランレベルの技術求めてくんなよ!
涙をこらえて目をつむっていたら、なにやらバリバリ音が聞こえた。ハッと我に返って目を開くと、高槻が黒い円盤を円盤状のまま齧りついていた。いまや黒い円盤餃子は黒い三日月型餃子になっている。
「ふむ。まぁまぁいけるな。これどこの国の料理だ? 南米か?」
中華ですぅ! 中華人民共和国ですぅ! いや焼き餃子は違うか。てか、そんなことどうでもいい! こいつ、味音痴にもほどがあるだろ!
高槻はあっという間に円盤黒餃子を平らげると、「ごちそうさん」と箸を置いた。「確かに、一ノ瀬も言うだけあるな。持田に負けず劣らずの腕前だ」
んな訳あるか。持田先輩に謝れ、この味音痴が。
高槻は、スッと立ち上がり、「じゃ、帰るな」と告げた。
こいつ、本当にご飯だけ食べて帰る気だ。いや、別に良いが。むしろ良いが。でも美少女JKの家に来ておいてその反応はなんかムカつくんですけど。もっとそわそわしたり、どぎまぎしたりしろよ! 『おれなんかが一ノ瀬と進展とかあっちゃったりして』とか期待しろよ!
一応こんなんでも客人なので玄関まで見送る。
高槻が靴を履いて、ドアに手を掛け、動きを止めた。
そして不意に振り返った。
「一ノ瀬、一つ聞きたいんだが」
「何よ」
改まった様子の高槻も珍しい。あたしは少し警戒して、答えた。
「お前の幸せって何なんだ」と高槻が大真面目な顔で言った。
「はぁ? また何を訳の分からないこと言ってんだし」
「おれはお前をハッピーウェディングに導かなければならないからな。まずはハッピーの定義を知っておきたい」
「まだそれ言ってんの?! だから結婚なんてまだ——」
「大事なのはそっちじゃなく、『ハッピー』の方だ。お前は今回の件、風紀委員が犯人だと主張しているが、もしも違ったらどうする? 真実が明らかになったとして、それはお前が望む結末ではなかったら? それでも真相を明らかにすることがお前の幸せなのか? それとも憎き風紀委員に濡れ衣を着せることがお前の望みか?」
望まない結末。生活委員が犯人ではなかったとき、あたしは生活委員に一矢報いることができなくなるが、それでもいいのか。高槻はそう言っているようだ。
「見くびらないで」とあたしは高槻を睨みつける。「あたしは生徒会執行部よ。無実の者に罪を着せてまで憂さ晴らししたいとは思わないから」
高槻の口端が僅かに上がったように見えた。
「分かった。ならば、必ずお前に真実を届けると約束しよう。おれも生徒会執行部、臨時接遇係だからな」
そう言ってから、高槻は扉の向こうに消えて行った。
妄想推理 〜その探偵、変態にして聡明〜 途上の土 @87268726
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