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 琴子たちが泉に入っている間に、ユーグが体を拭ける布を持ってきてくれていた。

 泉から上がった琴子がありがたく受け取ろうとすると、ユーグはなぜかやや冷やかな目を向けてくる。何かと思えば、琴子がアイを泣かしたことを咎めているらしかった。


「わ、わたしが泣かした……かもしれないけど、別にいじめたわけじゃないから」

「……」

「ね、ね、アイ、そうだよね」

「……アイ、泣いてない」

「あら」


 どれだけ可愛くても男の子である。泣き顔を見せたことが恥ずかしいようだ。


 琴子とアイはそれから着替えを済ませた。

 新しい服は琴子にもアイにもぴったりだった。持ち主の方には申し訳ないが、おそらく返すことはないだろう。

 服には襟元に不思議な文様の刺繍が入っている。古くからこの地域の人間に伝わる魔除けの柄らしい。ユーグいわく、実際にはまったく効き目はないとのことであるが。

 着替えを終えると、すぐに次の目的のための出発の準備をした。アイの瞳の色は、もう緑に変わっていた。

 まだ湿っているアイの髪を撫で、歩き出す。

 次の目的は、ふたりの家を探すことであった。


 ユーグに案内をさせながらしばらく森を歩いていると、ふいにアイが立ち止まった。琴子も足を止め振り返る。


「アイ、どうしたの?」

「おうち」

「え?」


 アイが腕を伸ばし、指をさす。

 つられるようにそちらを見れば、細い蔦の這う岩肌が聳えていた。どうやら崖下になっているようだ。上は木々に覆われよく見えない。

 アイは、その岩肌につくられた、洞窟の入口を示していた。

 近寄ってみると、少なくとも入口は、人が通るのに十分な大きさがあることがわかる。岩肌から垂れ下がる蔦を払い、中を覗いてみたが、奥がどこまで続いているのか、確認することはできなかった。


「コトコ、おうち」

「え? あ、うん、そうだね。よく見つけた、えらい、うん」

「入る?」

「は、入りたいけど……うん、あの、ちょっとね」


 元々暗い森であるが、洞窟の中はさらに深い闇となっていた。

 ほんの一歩足を踏み入れてしまえばもう日の光はまったく届かない。だが、どこかへは繋がっているようで、ぽっかり開いた暗闇の穴は、不気味に空気を吸い込んでいた。なんとなく薄ら寒さを感じ、琴子は鳥肌の立った二の腕をさする。


「ふむ、ここを選ばれるとは」


 ユーグが前に出て、洞窟の中を覗き込んだ。

 知っている場所であるのか「ふむふむ」としきりにひとりで納得している。


「……ここに、何かあるの?」

「ぬしらが住処とするには丁度いい場所である。ここを抜けると他の物の目につかぬうえ、森の中においては珍しく日の当たる、ほどよい空間がある」

「そうなんだ。じゃあ結構いい場所じゃ……」

「うむ。それにそこは遥か昔、<はじまりの王>が誕生した場所と云われている」

「<はじまりの王>? 何それ」

「この大地に最初に生まれた、魔物の王よ」

「ま、魔物の王って……魔王?」

「人はそう呼ぶこともある」

「怖すぎる!」


 琴子は瞬時に入口のそばから後ずさった。


(魔王が生まれた場所? 魔王って何?)


 魔物の王と呼ばれるからには、ユーグよりも遥かに恐ろしい形相をした、怪物ということだろうか。

 

「じゃ、じゃあ、その魔王がここに戻ってくることもあるんじゃ……」

「<はじまりの王>はとうの昔に朽ちている。もう幾千年も前のことだ。彼の君は不死ではなかったから」

「そ、そうなんだ……」


 しかしそのような謎のいわくつきの場所を、住処になどできるわけがない。琴子は安住の地を求めているのだ。


「よし、アイ。他の場所を探そう。まだ日が高いからね、夜になるまでにのんびり探せばいいからね」

「ここ、だめ?」

「だめじゃないんだけどねえ。もうちょっとね、怖い噂のない、お花がいっぱい咲いているような明るい場所をだね」

「アイ、ここすき。行く」


 思わず声を詰まらせた。アイが、きらきらとした目で琴子を見上げていた。


(なんで、アイはこんな変なところにこだわるの……)


 もっといい場所は他にもあるだろう。広い森だ、ふたりが寝床にできる場所くらい探せばいくらでもある。

 なんなら先ほどの泉まで戻り、ほとりを少し開拓してもいい。水場のそばなら便利なはずだ。


「コトコ」


 だが琴子には、アイのお願いを退けることができなかった。

 なぜならばこれが、アイの初めてのわがままであったからだった。

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