-13-
――びくりと、アイの体が震えた。次の瞬間には、アイは琴子から背中を隠すように振り返った。
アイの瞳の色が濃い青……藍色に変わっていた。
アイの瞳は琴子に向きながらも、琴子を映してはいなかった。
薄く開いた唇から声が漏れることはない。
瞬きも忘れた様子は、まるで時間が止まってしまったかのようでもあったが、それを否定するように、小さな体は震え続けている。
逃げることすら恐れているようだった。
そのような場所に、アイはずっと、いたのだろうか。
「……アイ、きみは」
一体どんな恐怖を味わって、どんな痛い思いをして、誰を、何を、その綺麗な目で見てきたのだろう。
守ってくれる人はいなかったの? これほど傷つかなければいけない理由がどこにあったの?
こんなに小さな体と心で、これまでどのように生きてきたのだろう。
「アイ」
目の前の子どものこれまでを、琴子はうまく想像することができなかった。
今は過酷な境遇に置かれているが、この世界へ飛ばされる前は、琴子はごく平和で平凡な日々を送っていたのだ。恐らく、アイの過ごした日々の苦しみなどとは無縁の。
「大丈夫だよ」
共感はできない。苦しみと恐怖を分け合うことはできない。
その代わりに、アイがもう二度とそんな思いを味わうことのないようにしようと思った。
琴子にとってアイは、出会ったばかりの見知らぬ子どもでしかなく、このような出会い方をしていなければここまで気持ちを寄せることもなかっただろう。
しかし、この場所で、このような出会いをした意味は、必ずどこかにあるはずだ。
アイにとっても、琴子にとっても。
(この子のおかげで、わたしはひとりじゃなくなった)
アイの様子を見ながら、膝を突き、そっと体を抱きしめた。
アイの体は固まったままだ。けれどそのうち浅く呼吸を繰り返す音が聞こえた。体の震えが少しずつ大きくなる。それは、アイの体が意思を持ち動き始めたからであった。
冷たい水の中で、できるだけ熱が伝わるように、肌と肌を摺り寄せる。
「わたしがアイを守るよ。必ず守るよ。だからもう大丈夫」
昨日も、何度も言った言葉だ。
不確かな約束である。琴子には、なんの知識も力もなく、自分ひとりがこの世界で生きていくことさえままならないほどなのだから。
それでも何度でも繰り返そうと思った。アイに伝えるためだけではなく、自分自身に言い聞かせるために。
大丈夫。この子を守ろう。
この森から離れられるようになるまで、この場所で、アイと生きていこう。
「コト、コ」
微かな声が呼ぶ。
「コトコ」
「泣いてもいいよ。ここでは大声を出してもいいから」
「……」
「わたしがぎゅってしててあげる。そしたら怖くないでしょ」
アイは琴子の首元を両手で抱いて、めいっぱい息を吸った。
その瞬間、長い時間を掛けて膨れた袋の栓が、すぽんと抜けたのだろう。
アイは、大声で泣き続けた。
涙をぼろぼろと落として、喉が裂けそうなくらいに声を上げて泣いていた。
アイの腕が、縋るように琴子にしがみついていた。
アイの声をすぐそばで聞きながら、琴子も少しだけ泣いたのは、アイには知られないようにした。
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