第57話 逆回りの回転木馬

 気が付くと、俺の目の前には茶坊主とその仲間らが立っていた。

 どいつもこいつも表情は険しく、まるで対峙しているかのようだ。

 何だ、これ?

 状況を飲み込めずにいると、茶坊主の仲間の一人が興奮した様子で俺に掴み掛かろうとした。その刹那、俺の隣にいる誰かがそいつを殴り飛ばす。


「そうこなくっちゃな!」


 その声は森本だ。


「おら、来いよ!星の宮の青瓢箪どもが!」


 森本が挑発的に身構えると、茶坊主の仲間らも殺気立つ。


 俺はここで事態を飲み込めた。所沢市市民交流センターに戻っていたのである。

  まるで逆回りの回転木馬に振り回されていたのが、今度は突然、正方向へと走り出したかのようだ。これはいったい何なのか…



 市民交流センター館内が騒然としている最中、騒ぎを聞きつけた職員や警備員らが駆け付けてきた。

 回転木馬はいいとして、それよりも…、それよりも大事なことがある。

 俺はアラン・ドロンと酷似した美青年へと戻っているのだ。

 こんなに嬉しいことはない…



「ここは一旦、退却だ」


 榎本は森本の肩を叩く。


「なんだよ、榎本さん!ここから面白くなるってのに!」


「行くぞ。警察が来てからでは遅い……迅速に引き上げるのだ」


 榎本のその一言に森本は不服そうに舌打ちしたものの、俺たちは駆け足でその場から去ることにした。



 市民交流センターから出ると、丁度近くの停留所にバスが到着するところであった。

 俺たちは全員、そのバスへと乗り込む。

 当初の計画通り、俺たちは西松の家へ向かうことにした。このバスで所沢駅に着いたら電車に乗り換え、一駅進んでから徒歩で向かう予定だ。



 バスへ乗り込み、皆が落ち着いてきたことから、俺は清志の件を話すと、皆は一様にして驚きの色を浮かべる。


「え?なんだよ、それ!俺はずっとあそこにいたぜ!」


 森本は驚きに目を見開きつつ、自分の頭頂部の不毛地帯を掌で軽く叩いた。


「俺もだ」


 堀込も森本と同じようだ。


「興味深い現象だ。

 しかし、私も何も見ていない。ずっとここに居た」


 榎本も他の二人と同様のようだ。


「俺だけ見ていたのか。

 信じられぬ。幻覚や夢だとしてもあの臭いは生々しかった。

 動物園で大型の動物が目の前で、排便したかのような臨場感だったからな。

 しかも…、軟便だ」


 と言いつつ、あの時の情景、臭気、清志の表情が何遍も脳裏に甦る。


「それを何回もループしてたんだろ?きっついな!」


 と堀込は笑った。


「そんなガキ、糞たれる前に〆ちまえばいいんだよ」


 森本は本当にやりそうだ。


「それができるのなら、人はとっくに迷わんよ。

 だが……、子供であるがゆえに躊躇うのだ」


 榎本の言う通りかもしれない。


「シロタン、そいつは何て言ったっけ?」


「そいつの名は糸島 清志だ」


 森本の問い掛けに答えると、


「知らねぇな。その名は知らねぇ」


 と森本。


「俺も聞いた事ない」


 と堀込も森本と同様にして、清志のことは知らないようだ。


「小5の時の記憶だと言うなら、その後の記憶に清志とやらは現れないのか?」


 榎本の話に記憶の糸をたぐる。


「それが……、小6に上がった時に、担任が清志は特別支援学級に移ったのか、転校したような事を言っていた気がするのだ。

 あの時の俺はとにかく、あの地産地消野郎の世話から解放されたことが嬉しくて、奴がどこへ行ったのかなぞ、全く気にしていなかった」


「確かにな!そんな地獄から解放されたら、その事で頭一杯になるだろうな!」


 森本は俺に共感した。


「入間川高校の同級に、第八小出身者はいないのか?」


 榎本からの問い掛けに思わず閃くものがあった。しかし、それはどこか憂鬱だ。


「今関だ」


 一年E組、女子のボス猿的存在である今関雅美だ。こいつは所沢第八小学校時代、クラスは別だったが同級であった。今関のその名を口にした時、皆は苦笑いした。



 そんなこんなでバスと電車を乗り継ぎ、西松の家の最寄り駅に着いた。

 堀込曰く、この駅から徒歩10分掛かるらしい。俺たちは西松の家に向かって歩き始める。



 俺の家の近所と比べて、少々高級な雰囲気のある住宅地であった。

 その中でも一際目を引く、白亜の豪邸といった雰囲気の邸宅が西松の家らしい。何かと気取りたがる西松に相応しい家だ。


「如何にも西松の家って感じだな」


 森本も俺と同じ事を考えていたようだ。


「そうだろ?」


 と堀込は笑いながら言った。


「榎本さんの“あの屋敷”ほどじゃないけどな」


 と堀込は続けた。“あの屋敷”、それは西松のミュージカル世界の時の榎本の豪邸のことだろう。


「榎本男爵の紅の大豪邸か…、今となっては懐かしい」


 俺のその一言に榎本は背を向けた。



 西松の屋敷は白い塀に囲まれ、如何にもな高級感を感じさせた。

 白く大きな門扉にはインターフォンが付いている。

 堀込がそれを押す。

 しかし、中からの反応は無い。


「居ねえのか?」


 無反応なことから、森本が怪訝そうな表情を浮かべながら言った。


「もう一度、やってみる」


 堀込はもう一回、インターフォンを押す。


 やはり反応が無い。

 不在かと諦めかけた時、インターフォンから何やらノイズが聞こえた。


「はい」


 ノイズの後、気怠そうな男の声が聞こえた。


「西松だろ?俺だよ、堀込だ!久しぶり!」


 堀込にはその気怠そうなインターフォン越しの声が、西松であるとわかったようだ。

 その直後、門扉が開錠される音が聞こえた。


「入って」


 とインターフォン越しの声が聞こえると、俺たちは門扉を開けて敷地内へと入る。

 塀の中は緑溢れる庭であった。

 そんな高級感ある庭を抜け、背の高い大きな扉の前に立つ。

 堀込はドアノブを掴み、手前に引くとそこは玄関だ。

 玄関は広く奥行きがあり、それは俺の部屋よりも広い。

 白を基調とした、シンプルなお洒落空間、まるでモデルルームみたいである。

 玄関の先にある廊下から、西松が姿を現した。


「久しぶり」


 と西松は言った。

 西松はマルタンのままであった。

 俺や堀込、森本も変わっていないことからして、何も驚く事はないのだが、西松の変化には驚かずにいられない。

 その変化とは雰囲気である。

 西松の目付きは虚ろ、髪は寝癖だらけで艶もなく無精髭は伸び放題…

 西松はマルタンになる前から身だしなみに神経質だったはずが、今ではその面影もない。

 さらに西松の家の玄関に入った時から、すえた臭いがしているのだ…


「上がって」


 とだけ西松は言うと、俺たちを先導するかのように家の中へと入って行く。



 西松の後に付いて行くと、そこは応接間であった。

 これまたモデルルームのような空間には、五人でもゆったり座れる大きなソファーがあり、俺たちはそこに腰を下ろした。


「ごめん。今、お茶さえも無いんだ」


 と言った西松に寂しげな雰囲気を見た。


「いいんだって。俺たちも急に来ちゃったからさ」

 

 堀込の言葉に西松は沈黙した。



「西松、学校来てないけどどうしたよ?停学は解けただろ?」


 堀込からの問い掛けに西松は無言で俯く。目が虚ろならその反応も虚ろだ。

 

「とてもじゃないけど、まだ学校へ行く気にはなれないんだよ」


 と西松は言った。その言葉には生気が無い。


「そうか。無理に来いとは言わないからさ。行く気になったら来いよ!待ってるからよ」


「うん ありがとう」


 堀込の言葉に西松は答えたものの、心ここにあらずだ。ぼんやりとしている。

 そして皆、西松へ掛ける言葉を探しているのか、周囲に静寂が広がっていく。

 今は平日の夕方である。それにしては家の中が静か過ぎ、俺たち以外に人の気配を感じない。


「今、家に誰もいないの?」


 と堀込が西松に聞いた。堀込も同じことを思っていたようた。

 暫くの沈黙の後、俯き加減の西松は口を開く。


「うん 誰もいない。

 家族みんな、人もどきだったよ」


「え?何だって!」


 俺は西松の言葉に思わず身を乗り出す。

 俺を見つめる西松の瞳の奥に虚無を見た。


「もしかして風間の家も?」


「あぁ。同じだ」


「風間もか…

 これは何なんだろうな…」



 以降、誰も何も言えず、別れの挨拶と再会の約束をし、西松の家を後にした。



「西松は…、ちょっと深刻だな」


 西松の家から出て、森本は開口一番、そう言った。


「嫁と娘が意味わかんねぇ消え方したんだろ?

 さらに両親は人もどきだったとはねぇ。ああなるのも無理はねぇな」


 と森本は言った。

 森本は誰かから、西松の世界で何があったのか聞いていたようだ。

 森本が西松に同情している…、これは少々意外だ。


「俺ならまず、クロの野郎を血祭りにあげるけどな」


 と森本は口元を歪ませた。

 やはり森本は森本だ。

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白ブリーフ無頼 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン4 飯野っち @enone

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