第40話 盆回り

 俺たちは榎本が用意したキャンピングカーと、西松の車に分乗して西松の店へと戻った。



「マルタン!無事で良かった🎵」


 セシルは西松の姿を見るやいなや、駆け寄ると西松を抱きしめた。


「セシル、ちょっと話があるんだ🎵」


 西松は再会を喜ぶのも束の間、セシルを店の奥へと連れて行く。



「ジャンヌ。パパとママは大事なお話があるんだ🎵テラスでおじさんたちと遊んで待っていよう🎵」


 堀込はしゃがみ、ジャンヌと視線の高さを合わせると、優しげな微笑みを浮かべて歌った。


「うん!🎵」


 ジャンヌは無邪気に返事をすると、一足先にテラス席へ走っていく。

 そのジャンヌの後ろ姿を見て、皆一様にして緊張感に包まれた。



 ものの数分もしないうちに西松とセシルがテラス席に姿を見せた。


「パパ!ママ!」


 その刹那、ジャンヌは二人の元へ駆け寄る。


「ご心配おかけしました🎵」


 と歌ったのはセシルであった。どこか晴れやかな雰囲気である。


「私、マルタンと一緒に何処までも行きます🎵」


 いつものセシルだ。飾り気のない自然な歌声を聞かせた。


「よかった〜🎵」


 堀込は歓喜の声を上げた。まるで自分の事のように喜んでいる。


「みんな、色々とありがとう🎵」


 西松は皆に向かって、深々と頭を下げた。


「そうと決まれば行動あるのみだ🎵私のキャンピングカーなら全員乗れる🎵早速、あれで港へ向かおう🎵」


 榎本だ。その一言の後、皆で店の外へ停車させてある榎本のキャンピングカーへと向かう。



「これからどこいくの?🎵」


 ジャンヌだ。


「これから海に行くよ🎵みんなで船に乗って旅をするんだ🎵」


 西松は膝の上のジャンヌに向かって穏やかに歌った。


「みんなで海?楽しみ🎵」


 ジャンヌは無邪気に歌い、はしゃいでいる。



 車は途中で高梨のアパートへ寄り、これまでの経緯を話すと高梨は喜んで付いて行くと言い、着の身着のまま、キャンピングカーへ乗り込み、当然のように俺の横へ陣取る。

 そんな高梨の横顔にうんざりしながらも、俺の心の中は何かが違った。

 どんな経緯であれ、皆で船に乗り旅をするだなんて思いも寄らなかったことだ。どこか心が躍っている。俺の人生にこんな瞬間があってもいいだろう。

 車窓からカラフルな南欧風の街並みが通り過ぎていく。この街もこれで最後なのかと思うと名残惜しい。

 しかし、次はまた違う街並みを目にする事だろう。それもそれで悪くない。

 音楽はさっきから叙情的で静かな曲が流れている。

 ずっとこのまま、この音楽が流れていてほしい。強くそう願う。




 車が急停車した。嫌な予感がする。


「どうした?🎵」


 声を上げたのは堀込だ。堀込はスナック菓子の袋の封を開けたところであった。


「まずい…🎵」


 運転席の榎本はそう言いつつ、前方を見据えている。

 この時、急に音楽が変わった。

 男女混声の合唱曲が徐々に聞こえてきた。上手いとは言えない合唱だが、その旋律は絶望感に満ち、まるで刑場へ連れて行かれるかのような雰囲気だ。


「何かあったのか?」


 運転席を覗くと進行方向先には装甲車のような車両が数台が停車し、その後方には巨大な神輿のような物体が鎮座していた。


「なんだよ、あれ🎵」


 堀込は前方に拡がるその光景に驚いたのか、袋からスナック菓子が溢れ落ちる。


「あれは軍だ。公爵は軍隊を動員したようだ。

 そして、あの神輿に乗っているのがトゥーペイ公爵だ」


 榎本のその言葉通りに神輿の上を見ると、野卑た顔の中年男が横柄な態度で鎮座していた。



「後ろも包囲されている!」


 二号だ。その言葉に運転席の榎本は唇を噛む。


「そこの細い下り坂が見えるか」


 榎本が運転席の窓越しにある道を指し示した。それは俺がいつか、一人でビーチへと行った時の道であった。


「その道を駆け抜ければすぐにビーチに差し掛かる。ビーチから港は目と鼻の先だ。君たちはここで降りろ」


 榎本は運転席から俺たちに指示を出す。


「私はこの車で奴らの邪魔をする」


 と榎本が言った時、二号が動いた。


「待てよ、榎本。それは俺の役目だ。あんた以外に船の操縦なんて出来る奴はいない。あんたも降りるんだ」


 二号はそう言いつつ、運転席の榎本へ近寄る。


「城本…」


「榎本。ここは俺にまかせろ。

 俺はガンマンだ。はなっから船なんて柄じゃねえんだ」


 二号は車のステアリングを握ると、二号と榎本の視線が交錯する。二号のその表情から決意の強さを感じた。


「城本…、頼むぞ」


 榎本は運転席から離れ、車を二号へと託す。


「任せておけ」


 二号は運転席へ座り、キャンピングカーをゆっくりと前進させ、その大きな車体でビーチへの細い下り坂を塞ぐように停車させる。

 二号は運転席から車内へと振り返り、


「ここでお前らが港に着くまでの時間稼ぎをする。早く行け!」


「二号!」


「一号。またいつか何処かで」


 俺の声に運転席の二号はテンガロンハットの鍔に手をあてて微笑む。



「諸君、行くぞ」


 榎本はその象徴とも言える厚底靴を自ら脱ぎ捨て、キャンピングカー横の扉を開け、一足先に歩道へと出る。

 榎本が人前で厚底靴を脱いだ…

 人もどきだったジェフとの戦いの時に脱いで以来である。

 榎本は本気だ…



「ママ〜」


 ジャンヌは事態の急変に慄き、セシルへ抱きつく。


「大丈夫よ」


 セシルは優しく声を掛け、ジャンヌを抱き上げる。


「セシル」


 と西松が声を掛けると、


「大丈夫。私が連れて行く」


 セシルは気丈に振る舞った。


「奥さんとジャンヌは先に行った方がいいんじゃないか」


 堀込の提案に全員同意し、榎本に続いてジャンヌを抱き抱えたセシルが車から降り、続いて二号以外の皆が車外へ降りる。


 その時、音楽が変わった。ドラムが性急かつ軽快なリズムを刻むと、そこに緊張感のある弦楽器の演奏が絡む。

 音楽が状況に合わせて変化した。これは前からある現象だが、選曲は西松のものなのか?

 それは違う気がする。俺たちの心を弄ぶ何か、悪意のようなものを感じる。



 俺たちはビーチへと続く緩やかな下り坂を走り始めた。

 車一台がやっと通れるぐらいの石畳の道だ。カーブも多く、仮に二号が乗るキャンピングカーを突破されたとしても、軍の装甲車の大きさからして、ここを走行するのは無理だろう。

 だとしたら追手は車を捨ててくるだろう。それまでに何とか港に着きたい。


 そんな中、後方から車と車が激突するような轟音が鳴り響く。

 その音に俺は思わず立ち止まって振り返る。


「風間!城本の意志を無駄にするな!行くのだ!」


 と榎本が叫んだ直後、断続的な銃声が鳴り響く。


「風間、あと少しでビーチだ!」


 榎本は前方を指し示す。

 榎本の指差す先には青い海、俺がこの世界に来て間もない頃に見た光景が広がっていた。

 そこに希望が見え、俺は一目散に走る。



 先頭を走るセシルが前方の十字路に差し掛かった時、激突音と共に不意に姿を消した。


「え⁉︎」


 この十字路は見通しが悪い。しかし、よりによってこんな時に!俺たちは十字路目がけて全速力で駆け出す。



「ジャンヌ!セシル!」


 悲痛な西松の叫び。セシルの後を走っていた西松と榎本が十字路を右に曲がるのを見て、俺もそれに続く。


 十字路を右に曲がった先には、ジャンヌを抱き抱えたまま倒れるセシルと、さらにその先には自家用車の走り去る姿が見えた。


「セシル!ジャンヌ!」


 西松はセシルの元へ駆け寄って屈むと、倒れていたセシルの頭を膝の上に乗せる。


「セシル!ジャンヌ!」


 西松は悲痛な叫び声をあげた。


「救急車!救急車を呼んでくる!」


 と堀込は叫ぶものの、周辺の光景が劇的に変化するのを見て、狼狽え立ち止まった。

 周囲の建物が立体感を失い、まるでキャンバスに描かれた絵のように変化しているのだ。

 その変化に俺も思わず息を呑む。


「僕が行く!」


 狼狽える堀込を尻目に高梨が救急車を呼びに走る。


 俺はセシルを抱き抱える西松へ駆け寄ると、その光景に言葉を失う。

 セシルの腕の中のジャンヌが徐々に茶褐色へと変化しているのだ。


「何が起きているんだ⁉︎」


「わからない!」


 と堀込が答えたその刹那、管楽器が一斉に鳴り、続いてトランペットか何かが主旋律を奏で始めた。

 忙しないぐらい早いテンポのこの曲…、コメディ的な雰囲気のこの曲、聞き覚えがある。


「盆回りだ」


 と榎本が言った。唐突かつ意味不明な一言だ。


「盆回り?」


「ドリフターズだ」


 俺の疑問に榎本が即答した。

 ドリフターズ…、ドリフターズ?

 榎本が何をいわんとしているのか、徐々に理解出来た。

 この曲はドリフターズのテレビ番組で使われていた曲だ。


「“盆”は舞台転換時に使用するターンテーブルを意味する業界用語だ。

 風間、覚えているか?8時だよ全員集合だ。

 ドリフターズによるコントが終了すると、この曲が流れ舞台が回転しながら場面転換していただろう?」


「あぁ、覚えている」


「これは場面転換を意味していると思われる。つまりこの世界が終わるということではないか」


 榎本のその一言の直後、何かが倒れるような音が聞こえた。

 その音に驚き、周囲を見ると全ての建物が大きな板に書かれた絵、舞台の書き割りと化していたのだ。

 そのうちの一枚が倒れたのである。

 気がつけば、色鮮やかな南欧風の風景が一転、書き割りが立ち並ぶ、屋外の映画か何かのセットのようになっていたのだ。


 場面転換だと…、ここまで来てこんなことになるなんて!

 しかし、それよりも今は西松だ。

 俺はさらに西松たちに近寄ろうとした時、踏み出した足が冷たい泥濘みの中に入るような感覚がした。

 何かと思い足元を見ると、踝下辺りまで水に浸かっているのだ。


「どういうことだ…」


 俺の疑問に、近くにいる榎本もわからん、と言いたげな表情だ。


「ジャンヌ!ジャンヌ!」


 西松のジャンヌへの呼び掛けに視線を走らせると、セシルの腕の中のジャンヌは身に付けている衣類から顔、髪の毛まで、全てが茶褐色へと変わっていた。

 そしてそのまま、崩壊し灰となる。

 その灰は舞い散り、大気中に吸い込まれるようにして消えた。



 周辺に立つ書き割りが次から次へと倒れ、泥濘の中に沈み込んでいく。

 俺は声を潜め、


「榎本さん。俺は正直なところ、心の底でセシルとジャンヌは“人もどき”じゃないかと思っていた。

 しかし、あれは何だ。人もどきとは違うのか?」


「それは私にもわからない」


 榎本は項垂れ加減に声を潜めた。


 ジャンヌと同様の現象がセシルの身体にも起こっていた。

 しかし、セシルは辛うじて意識を取り戻し、その口元をゆっくりと動かしている。声にならぬ声で西松へ何かを伝えているようだ。


「セシル!」


 西松はセシルの身体を抱き締める。セシルの下半身は既に茶褐色へと変色していた。



「なんて事だ…」


 不意に聞こえた声、それは二号であった。気がつくと二号は俺の近くで呆然と立ち尽くしている。


「二号。無事だったか」


「ああ。軍もこの書き割りの舞台セットのようにして消えた」


 俺からの一言に二号は答えた。あの熱苦しい歌唱は今や、影も形もない。

 そうしている中、書き割りのセットは矢継ぎ早に倒れ、泥濘に飲み込まれていく。

 最後の一つの書き割りが倒れると、この世界は泥濘…、と言うよりも地平まで続く遠浅の海と、灰色の空、沈み行く真っ赤な夕陽のみの世界となった。

 360度、見渡す限り遠浅の海。今やこの世界に俺、二号、榎本、西松、セシル、堀込、高梨、パリスしかいない。



 セシルの命の炎は急激に消え掛かろうとしているのか。顔以外全て茶褐色へと変色している。

 セシルは命の残り火を燃やし、西松へと手を伸ばす。

 だが、届かない。


「セシル…」


 西松の溢した大粒の涙がセシルの顔に落ちた時、彼女は崩壊し灰となって消えた。



「二号、あの現象は何なんだ?」


 二号は沈黙している。


「セシルとジャンヌは“人もどき”だったのか?」


 二号は俺からの問い掛けに沈黙を貫き通す。


「城本、教えくれ。お前、知っているだろう」



「二人は“人もどき”ではない」


 長い沈黙の後、城本はそうとだけ答えると、テンガロンハットの鍔を下げ顔を隠した。


「それなら何なんだ」


 城本は何も言わず、踵を返す。


「教えてくれ!城本!」


 城本は沈む夕陽を背に歩き始めた。


「教えてくれ!城本!」


 城本は振り返ろうともせず、一人立ち去る。



 西松は膝を付き項垂れている。

 誰も何も言えず、遠浅の海には波の音は無く、盆回りだけが延々と流れ続けている。

 西松が何か呟いた。しかし、盆回りの音でかき消される。


「止めて」


 とだけ、西松の声が聞こえた。


「止めてくれ。この音楽を止めてくれ。

 この音楽を止めてくれ!」


 西松は浅瀬の水面に拳を何度も振り下ろす。


「この音楽を止めてくれ!」

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