第25話 一筆啓上、焼けぼっくいに火がついた

 白い砂浜と青い海、ライトブルーの空には雲一つ無く、照り付ける太陽は夏の訪れを感じさせる。

 どこを見ても鮮やかな色彩の世界だ。全てがわざとらしいぐらいの色彩の対比を生み出していた。

 とくにこの海、ビーチの青さ、透明感は出来過ぎている。

 この近辺の街中が南欧風なことからして、この海は地中海だろうか。


 海水浴には若干早い時期だ。

 ビーチにいる人の影がまばらな中、白い砂浜の端にはちょっとした崖があり、その下に五本のパラソルが並ぶ。

 俺と二号、榎本、堀込、パリスが借りてきた物だ。

 パラソルの下でデッキチェアをリクライニングさせ、寝そべっているのが俺だ。

 まるで映画のようなワンシーンである。


 俺は一年の中で夏が一番嫌いだ。うだるような暑さ、問答無用に流れる汗等、不快以外の何ものでも無い。

 そんな俺がこうして海水浴みたいなことをしている。かつての俺なら考えられないことだ。

 しかし、ここは俺の経験した夏とは違い、乾燥しているようで蒸し暑くなく快適なのである。

 快適な夏も悪くはない。

 そして今、例の如く音楽が流れている。軽快なジャズ調の曲、悪くはない雰囲気だ。

 誰かが歌わなければいいのだがな…


 俺はテーブルの上に置かれたグラスを手にすると、冷えたカラメル色の液体を喉奥へ流し込む。グラスとその中にある氷が音を立てる。

 飲んだ後に思わず吐息が漏れた。

 言うまでもなく、コーラだ。ただでさえコーラは格別なのに、この状況がさらに極上のものへと変える。

 ここにアイスクリームが有れば、さらに極上となること間違い無し。



「風間は酒飲まないのか?🎵」


 下手ではあるが、気取りのない歌唱が聞こえた。右隣に陣取る堀込だ。

 堀込は瓶ビールを持ち、琥珀色の液体を喉奥へ流し込む。


「俺には酒の有り難みがわからないのだ」


「勿体ない🎵」


「お子様なんだよ🎵」


 下手な歌唱の堀込の後に、いかにも上手さを強調するかのようなクドい歌唱を聞かせたのは二号だ。この二人の歌唱は対照的である。

 二号は俺の左隣に陣取り、デッキチェアをリクライニングさせて横たわり、例の黒革テンガロンハットで顔を隠していた。

 二号のパラソル下のテーブルにはテキーラと、それを飲むのに使うショットグラスとやらが置いてある。


「見た目がどれだけ変わっても、それと食べ物とかの好みは変わらないんだな🎵」


 堀込は歌いながら笑った。

 堀込が言うところの“それ”とは白ブリーフのことだ。

 俺は今、白の夏用ジャケットと白ブリーフ一枚という出立ちである。

 かつての俺がこんな格好をしていたら、不審者か変質者にされること間違い無しなのだが、やはり今の俺は絶世の美男子である。

 白ジャケットと白ブリーフのみでも、らしく見えるのだ。


「いいだろうよ。お前らよりはマシだろうよ」


 堀込は俺の一言に吹き出すかのように笑った。

 堀込が笑うのもわかる。堀込は海水パンツとシャツのみで普通な格好であるのだが、他の三人は個性的であった。

 パリスは例のPARIS Tシャツと海水パンツ、ビーチには向かない黒のスニーカー。

 榎本は海水パンツとソールが20センチはある厚底ブーツ。

 二号は黒革テンガロンハットと黒のショートパンツにガンベルト、さらにウエスタンブーツという出立ちなのだ。

 部外者から見たら、ちょっとした個性派集団であろう。


 

「榎本さん。アイスお願いします」


 やはりこの場にはアイスクリームが必要だ。


「榎本さん、俺も🎵」


 俺に釣られて堀込もオーダーした。


「榎本さん、俺は焼きそば🎵」


 同調した二号がそれに続いた。

 そんなものがここにあるのか。


「自分で買いに行きたまえ🎵」


 榎本は某大尉風の声で歌い返した。


「榎本さん、あんた貴族だろ?

 ノブレス・オブリージュだ」


「こういう時だけ貴族扱いか🎵…」


 榎本は露骨なまでに溜息をつき、仕方ないとでも言いたげに立ち上がると、ビーチ中央の入り口付近の売店へと向かった。



 季節が夏に近づくと、俺たちはこうして毎日、このビーチに集まるようになっていた。

 仕事上がりに来る者、これから仕事だからと行く者、一日中ここに居る者、それぞれが何をする訳でもなく、好き勝手に過ごしている。


 そんな中、西松ことマルタンが畳まれたパラソルとデッキチェアを持ってやって来た。


「店じまいの時間にはまだ早いんじゃないのか🎵」


 堀込だ。

 確かに今の時刻は午後3時半過ぎである。


「今日は休みだよ🎵」


 と歌う西松ことマルタンの表情はどこか冴えない。

 西松は堀込の横にパラソルを砂浜に突き立ててから開くと、その下にデッキチェアを開き座った。

 西松は持参していた瓶の水か何かを飲むと溜息をつく。


「今日は休みだってのに冴えないな。どうしたよ?♬」


 堀込の歌唱の後、西松は再び溜息をつき、瓶の水を口に含む。

 これまで聞こえていた軽快なジャズが終わると、ソプラノサックスが甘く切ない旋律を奏で始めた。


「忘れられないんだ🎵」


 一拍置いた後、西松は歌った。


「何がだよ🎵」


 堀込からの問い掛けに西松は沈黙する。



「コレットのことさ🎵」


 暫しの沈黙後、西松はこの前、運命的な再会を果たした女の名をあげた。


「何を言ってるんだ。お前には奥さんと子供がいるだろう🎵」


 堀込は歌いながら、デッキチェアから身を乗り出す。


「わかっている🎵わかっている🎵

 だけど彼女のことが忘れられないのさ🎵初めて結ばれたあの日の夜🎵肌と肌の感触🎵

 彼女のことを思うと夜も眠れない🎵」


 西松ことマルタンはデッキチェアから立ち上がり、横に一回転すると踊りのように身をくねらせた後、膝を付いて右の掌を太陽に向かって差し出した。


「本気かよ?🎵」


「本気さ🎵あの夜のことが忘れられない♬」


 西松は堀込からの問いかけに、ポーズを崩さぬまま、真剣な眼差しで歌った。


「馬鹿野郎っ!」


 堀込はそう叫ぶと、電光石火の如く西松へ駆け寄り、強烈な一撃を西松の頬に炸裂させた。

 その衝撃に西松はもんどり打ってうつ伏せに倒れる。


「お前は奥さんと子供を裏切るのかっ!」


 堀込の叫びに西松は顔を上げると、その顔は砂まみれになっていた。


「君に何がわかるんだ🎵

 僕とコレットは嫌いになって別れたんじゃないんだ🎵

 戦争だ、戦争によって僕たちの仲は引き裂かれたんだ🎵」


「だからって何だよ!今のお前には妻子がいて、あの女性にも夫と子供がいるんだろ!お前は何を考えているんだ!

 好きで結婚したんじゃなかったのかよ!」


「そうだよ!わかっているよ、だけどだけど🎵」


「お前はわかっちゃいない!立てよ。

 その腐った根性、叩き直してやる」


 一筆啓上、焼けぼっくいに火がついた。


 こう言ったら何だが、少々面白いことになってきた。

 この世界は作りもののはずだ。

 西松はこのミュージカルの世界にどっぷり浸かり、堀込も堀込で浸かりきっている。


「お前ら、二人とも落ち着けよ🎵」


 二号だ。二号はデッキチェアから起き上がると、テンガロンハットの鍔を人差し指で押し上げると、タバコを咥え、マッチをデッキチェアに擦り付け火を付けた。


「この世界が何であるか忘れたのか?🎵」


 二号のその歌唱に西松と堀込は固まった。


「人の夢を壊すようで大人気無いが、これは全て作りものだろうよ🎵

 西松、これはお前の世界じゃないのか?🎵」


「うん…、多分そうだよ🎵」


 二号の問い掛けに、西松は間を開けて答えた。


「この際だから言わせてもらうが、お前の奥さんも娘も、そのコレットって女も人もどきだろうよ🎵」


 二号は皆が薄々思っているであろうことを言うと、西松は反射的に見たくない、聞きたくないとばかりに両腕でその顔を覆う。


「いいか、これは全てまやかしなんだよ🎵自分の世界だとしても、そこまで本気になるなよ🎵

 自分で生み出した嘘にのめり込むのは愚かだ🎵」


 西松は不意に頭を起こすと、その顔は涙と鼻水が砂に塗れて酷い状態になっていた。


「わかってるよ🎵

わかってるけど、この記憶は何なんだよ!🎵

 実際には経験して無いんだろうけど、まるであったことかのように頭の中にあるんだ!

 あの時の空気の匂い、手の感触、今でも甦る唇の感触、これは全て嘘だって言うのか!」


「ああ。全て嘘だ。

 お前のそれは俺もとうの昔に経験済みだ。

 これは一線を引かなきゃならない問題だ。

 嘘は嘘として向き合わなければ、お前は壊れるぞ」


 二号の発言を受け、西松は声を上げて号泣した。



「城本…、これは全て嘘なのか」


 堀込だ。さっきまでの怒りっぷりが嘘だったかのようだ。その表情からは深刻そうな心境が窺える。


「ジャンヌ…、西松の娘のことなんだけど、俺のことをおじさんって呼んで、凄く懐いてくれているんだ。

 俺にはとてもじゃないが、あの二人が人もどきだなんて考えられない」


 確かに西松の娘は堀込に一番懐いている。


「ああ、それもまやかしだ。全てまやかしだ。しかもいつか呆気なく終わるんだ」


「そんな甲斐の無いこと、俺には納得出来ない」


 二号の無情な一言に堀込は首を垂れた。


「その話をしているのか」


 どこからか某大尉風の声が聞こえた。榎本だ。知らぬ間に榎本が戻ってきていた。


「城本お得意の虚無気取りか。

 城本、本当は何かを恐れているんじゃないのか。

 私には君こそ壊れているように見える」


 榎本のサングラスの下の眼差しと二号の眼差しが交錯する。


 しかし二号は何も言わない。



 そんな中、二〜三枚の紙がどこからか舞い降りてきた。

 カラフルな印刷がされた広告のように見える。

 パラソルの下からパリスが思いの外、素早く駆け出すと、そのうちの一枚を拾った。



「仮面舞踏会だって🎵」


 パリスは拾った広告の表面を皆へ向けた。


「仮面舞踏会だと」

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