第23話 心機一転、無職

「待たせたな」


 女の咆哮のようなスキャットに合わせ、その一言と共にテラス席へ姿を現したのは、気障ったらしく黒革テンガロンハットで顔を隠した男であった。

 ここまでされると、敢えてこちらから何か言う気が失せる。



「おい、何か言えよ」


 無言を貫いていた俺と堀込に対し、二号は焦らされたようだ。


「城本じゃないかー」


 堀込の一言は棒読み、


「待っていないし、誰もお前を呼んでいないぞ」


 そんな言葉を浴びせ掛けると、二号は俺と堀込の間にあった椅子に腰掛ける。


「通りすがりに、お前らの声が聞こえたもんでな🎵」


 と二号はテンガロンハットの唾を人差し指で押し上げる。

 そこにはかつての二号とは違う顔があった。

 かつての二号の顔と言えば、良くもなく悪くもない、どうでもいい顔だったのだ。

 それがこの世界ではブラウンの髪と口髭、青く澄んだ瞳が印象的な、そこそこ二枚目となっている。


「二号、お前も顔が変わったようだな」


「あぁ、そのようだ🎵」


 と二号は歌うのだが、服装は前と同じ黒革のガンマンだ。


「お前まで歌うのか。

 この世界は何なんだよ。ミュージカル調か?糞忌々しい」


 あぁ、俺はミュージカルが大嫌いなのだ。


「郷に入っては郷に従え♬

 一号もやってみろよ♬案外楽しいぞ♬」


 二号の歌は熱苦しい。いちいち言葉に変な癖をつけてくるのだ。この雰囲気は自分は歌が上手いと思ってる奴の自己陶酔的歌唱、そのものである。俺には誰かの歌唱を上手そうになぞっているだけにしか聞こえない。


「風間もやれよ〜♬」


 二号に続いて堀込まで同調してきやがった。対する堀込は…、音痴だ。

 ここで音楽が変わり、軽快かつ明るく優しげなクラリネットの調べが流れ、場の雰囲気は落ち着いたものへと変わる。


「いらっしゃいませ♬」


 爽やかな歌声が聞こえ、テラス席に女が姿を現す。

 昨晩見た西松…、じゃなくてマルタンの嫁、確か名前はセシルと言った。ダークブラウンの髪を後ろにまとめた、地味な顔立ちの女だ。

 その浅黒い肌に白いシャツ、白いエプロンが鮮やかなぐらいに映えている。

 マルタンの嫁、セシルはトレイの上の水の入ったコップを二号の前に置くと、メニューをテーブルに置く。


「お決まりになったら、お声掛け下さい♬」


「そうするよ、ありがとう🎵」


 二号はマルタンの嫁の歌に歌で返した。


「皆さんはマルタンのお友達の方々ですか?🎵」


 セシルは俺たちのことをマルタン(西松)の友達と思っているのか。


「そうです♪」


 堀込が即答すると、俺と二号を見回す。何か同意を求めているかのような眼差しを投げかけてきた。


「俺と堀込は高校からの友人で」


 俺は二号を指差し、


「彼は大学からだ」


 と付け加えた。


「そうでしたか♪マルタンは昨晩から楽しみにしていたんですよ♬

 今日はゆっくりしていって下さい♬」


 セシルはそう歌うと店の中へと戻る。



「マルタンってのは誰のことだ?🎵」


 と二号は歌った。


「この店の主人のことだ。西松が変身して、今はマルタン・ド・ソワソンと名乗っている。

 今の女はマルタンの嫁、セシルだ」


「ほぉ、店の奥にいた男が西松なのか」


 俺の言葉に二号は興味深そうに片眉を上げた。


「ここは西松の世界じゃないかと思う」


 堀込は歌わずに声をひそめた。


「と言うと?」


 二号も声をひそめる。


「あいつは俺と同じく鉄道好きだけど、それと同じぐらいミュージカル好きなんだよ。

 ミュージカルなら何でも、舞台から映画まで観に行ってた」


 堀込のその言葉に合点がいった。


「なるほど。ミュージカルか。

 何かと気取りたがる、西松に相応しい趣味だ」


 俺の言葉に二号と堀込は笑った。


「本人的には気取っている気は無いらしいんだけどな🎵」


 と堀込は付け加えた。


「西松はパン屋だろ。お前らは今、何をやってるんだ?🎵

 何ていうかその、今はどんな設定なんだ?🎵」


 二号だ。


「俺は街の方にある駅の駅員だ🎵」


 と堀込は歌いつつ腕時計を見た。


「今日は遅番だったよ🎵そろそろ仕事だからもう行くぜ、じゃあな♫」


 堀込は足早にテラス席から出て行く。

 次は俺の番か。


「俺か…」


 考えてみたのだが、俺には職らしいものは無い。設定されていないのか。


「俺は何もやっていないようだ。

 この近くの山手の途中にあるホテルに住んでいる」


 自分で言いながら思ったのだが、今の俺は優雅だ。

 ホテル住まいには金が必要なはずなのにその心配が無いのだ。

 何故かわからぬが、そういうことになっている。

 そんなことを思いながら、テラス席から外を眺めていると、駅へ向かう堀込の後姿が見えた。


「何故か俺は金の心配も無くホテル住まいをしているのに、堀込は働いているのか」


「この世界は人の願望だの妄想が反映される世界だ🎵

 あいつは鉄道好きなことからして駅員をやってみたかったんだろうな🎵」


 そう呟いた二号の横顔を見る。


「だとしたら、お前はガンマンになりたかったのか?」


「子供の頃の夢だ🎵」


 二号は両手で拳銃を抜き、そのまま二丁拳銃を縦や横に回転させ、さらにジャグリングのように空中に投げてはキャッチし、さらに回転させ腰のホルスターへ拳銃を戻した。


「これぐらい朝飯前だ🎵」


 と二号はニヒルに口元を歪ませる。


「お前はさすらいのガンマンってところか」



 二号が所用で西松の店を出た後、俺も店を出てあてもなく歩き始めた。

 店からさほど離れていない場所から、南へと向かう緩やかな下り坂がある。

 その坂はそれほど高くない建築物に囲まれた、車一台がやっと通れるぐらいの石畳の道だ。

 この坂道を下り切った場所には海岸があるのだ。

 こんな場所に来たことも無いのに知っているのは“設定”という事だろう。ならばその設定に従おうじゃないか。


 石畳の道とその周りに建つ建物は、どれも実際に見たことの無いものばかりだ。

 だいたい三階建てぐらいだろうか。建物の壁は黄土色やオレンジ色、黄色などで塗られたものか、白やベージュなどの積み上げられた石造りの物が多い。温もりのある外観である。

 歩いていると、周囲の建物から楽しげな人の声や、音楽が聞こえてくる。通りすがる人々も皆、楽しそうだ。

 俺が住む埼玉県所沢市は東京都内から見たら郊外ではあるが、それなりに人も多く、朝や夕方から夜にかけては通勤通学で街中は忙しない。

 しかし、ここはゆっくりとした時の流れを感じる。誰も時間に追われていないのだ。


 そんなことを思いながらカーブの多い坂道を歩いていると、その先にちょっとした堤防が見え、その向こうには青い海が見えてきた。

 俺は堤防前の通りを横切ると、海岸が見渡せる堤防へ向かう。



 白い砂浜と青い海、弓形に続く海岸線は見事だ。

 海水浴の季節ではない無人のビーチだ。しかし俺にはこれぐらいが丁度いい。

 そんな海岸を見渡せる場にベンチがあった。俺はそこに腰掛ける。


 ここが何処なのかわからず、西松や堀込のようにやる事もない。

 俺は無職だ。

 しかしだな、


「心機一転、無職。それも悪くない」


 何処からか、ゆったりとしたテンポの口笛と、男のスキャットが抒情的なメロディを奏で始めた。

 近くにいる老紳士と同じ年頃の婦人からだ。

 休日の老紳士然とした男が老婦人に向かって、ささやくように歌っていた。

 その二人が俺を見る。同調して欲しそうな気を感じた。


 しかし俺は歌わない。

 絶対に歌わないからな…

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