撃破


魔狼は、獲物が「ただの獲物」から「敵」へと変貌したことを察知し、低く、地響きのような唸りを上げた。その瞳に宿る青い炎が、怒りで一層激しく燃え上がる。


亮は剣を構えたまま、自分の右手に残る「他者の記憶」に戸惑っていた。

(この感覚……俺のものじゃない。誰か、知らない男の戦いの記憶が流れ込んでくる……)


「ガルルッ!」

魔狼が再び動いた。今度は直線的な突撃ではない。左右に揺れ、残像を残すほどの速度で亮を翻弄する。

亮の目は、その動きを追いきれない。だが、右手の『長剣』が、まるで磁石に吸い寄せられるように最適の防御位置へと導かれる。


「くっ……!」

激しい衝突音が響くたび、亮の腕に痺れが走る。

剣術の感覚を借りているとはいえ、亮の身体そのものは平凡な高校生のままだ。このままでは、身体が負荷に耐えきれず、遠からず押し潰される。


(もっと、何か別の「可能性」はないのか……!)


亮は必死に『パラレルワールド・ナビゲーター』を意識した。

ページが狂ったように捲られ、無数の世界線の断片が頭脳に流れ込む。


**『事象の検索――世界線No.402:崩壊した魔導都市。対象、局所停滞魔法』**


「それだ……っ!」


亮は空いている左手を、目前に迫る魔狼の眉間に向けた。

刹那、彼の左手周辺の空間が「剥離」した。


バキィィィィィィン!


大気が凍りついたような音が響き、魔狼の全身が空中で停止した。

正確には、魔狼の周囲の「時間」だけが、まるで写真のように切り取られ、静止したのだ。


「はぁ、はぁ……」

亮は膝をつき、激しく息を乱した。

一瞬だけ現実に引き込んだ「魔法」の代償か、視界がぐらりと揺れる。

目の前で静止した魔狼。その青い炎すらも、今はクリスタル細工のように動かない。


「……これが、世界を繋ぐということか」


彼は、一歩間違えれば自分を切り裂いていたはずの怪物を冷ややかに見つめた。

今、この瞬間、亮は二つの異なる世界の「事象」を一身に背負っていた。右手に騎士の剣を、左手に滅びた世界の魔法を。


やがて、停滞の魔力が霧散し、魔狼は生命活動を停止したまま地面に崩れ落ちた。過剰な因果の干渉に、その肉体が耐えきれなかったのだ。


静寂が戻った草原で、亮は自分の手を見つめた。

かつて教室でペンを握っていた手は、今や世界の境界を弄ぶ「神の指先」へと変貌しつつあった。


「……行かなきゃな。俺の“願い”が何なのか、確かめるために」


彼はふらつく足取りで立ち上がり、地平線の先に見える微かな煙――人の営みの気配へと歩き出した。

手元に抱えた『パラレルワールド・ナビゲーター』は、主の決意に応えるかのように、静かに、そして不気味に熱を帯びていた。

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