転移


草原を渡る風は、亮の知るそれよりも重く、湿っていた。

見上げる空は抜けるように青いが、その果てには薄すらと、巨大な惑星のような影が透けて見えている。


「本当に……来てしまったのか」


亮は震える手で、手中の古書『パラレルワールド・ナビゲーター』を強く握りしめた。

その時だった。


ガサリ、と背後の草むらが大きく揺れた。

反射的に振り向いた亮の視界に飛び込んできたのは、毛皮を逆立て、不気味な青い炎を瞳に宿した巨大な狼――「魔狼」だった。


(死ぬ――)


本能が警鐘を鳴らす。

武器はない。逃げ場もない。平凡な高校生だった彼に、抗う術などあるはずがなかった。魔狼が鋭い爪を振り上げ、亮の喉元へ跳躍する。その瞬間、視界がスローモーションに切り替わり、手中の古書がひとりでにページを捲った。


**『事象の検索を開始します――世界線No.087:騎士の国。対象、鋼の長剣』**


頭の中に、無機質だが確かな声が響く。

同時に、亮の右手が勝手に虚空へと伸びた。


「これは……!」


亮の手が触れた空間が、水面に石を投じたように波打つ。

その波紋の向こう側――別の「現実」から、冷徹な金属の光が滑り出してきた。亮がそれを掴み取ると、手の中にはずっしりとした重みを持つ、美しく研ぎ澄まされた銀色の長剣が握られていた。


ガキィィィィンッ!


激しい衝撃と共に、火花が散る。

亮の振るった剣が、魔狼の爪を真っ向から受け止めていた。


「俺が……剣で止めた?」


信じられない光景だった。

ただの高校生である彼に、魔物の攻撃を捌く筋力も技術もあるはずがない。だが、この剣を握っている間だけは、まるで「熟練の騎士」としての身体感覚が、別の世界線から流れ込んできているような感覚があった。


これこそが、老人の言っていた**「別の世界線へ干渉する力」**。


魔狼が着地し、低く唸り声を上げる。

亮は剣を構え直し、己の内側に眠る未知の感覚に意識を集中させた。


「……選べるんだな、俺が。生き残るための未来を」


古書の金色の文字が、太陽の光を浴びて一層激しく輝きを増す。

篠崎亮の、運命を弄ぶ戦いが幕を開けた。

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