第3話
「何階ですか?」
扉が閉じてから男の低い声が室内に響いた。
「あ、あ」
幹也は喉が引っかかったように声が出なかった。ボタンの前にいる男は幹也を振り返った。写真にさかさまに映った男だった。
「何階ですか?」
男はもう一度訊ねてくる。幹也や掠れる声で「七階です」と言うと、男は最上階である九階のボタンを押した。
「あの、七階なんですけど……」
幹也は言うが男には届いていない。冷たい空気が充満する。ここは危ない。早く出たい。幹也はボタンに近づき、小さく頭を下げながら移動した。今、三階を過ぎたばかりなので四階のボタンを押した。しかし、ボタンは点灯しない。間に合わなかったのかと思い、五階を押したが、それでも反応しなかった。
ちらりと男の顔を覗き込む。無表情の男は幹也に気づいたかのようにゆっくりと顔を動かし始めた。すぐに幹也は顔を逸らす。
九階に到着したとき、幹也は真っ先に降りた。しかし、中にいる人々は一向に降りようとしない。幹也はその隙に駆けだして非常階段へを走っていった。エレベーターの扉は人を乗せたまま閉まっていく。やっと恐怖から逃れられる。
螺旋階段を下り始めたとき視界の左端を虫が横切った気がして手で払った。しかし、この寒く、しかも九階に虫など飛んでいるだろうか。幹也は足を止め、あたりを見渡した。すると目の前をさかさまになった人間が地面へと落ちていった。どさりという生々しい音が響いた。階段の下から覗き込むが、やはり暗くてはっきりとは見えない。
顔を引っ込めて階段を下りようとしたとたんに、何か柔らかいものに足を引っかけて前のめりで転んだ。しかし、痛みは少ない。開いた視界には階段を埋め尽くすほどの数の人々が倒れて重なっていた。幹也は悲鳴が零れ落ちた。倒れている人々はくすんだ緑色に変色しているが黒目は全部幹也を向いている。
足に力が入らない幹也は人々の上を這いつくばって階段を下りていく。その途中で、九階に戻ってエレベーターに乗る方が良かったかと思ったが、亡霊ですし詰め状態かもしれず、そのまま下った。やがて亡霊の積み重なった状態から抜け出せ、部屋に飛び込むようにして入り鍵を二重に占めた。カーテンも閉め、SNSに投稿した画像も消去した。部屋中の電気をつけて布団に包まるが寒気は取れない。
何かが当たる音がした。眼球だけを動かして部屋中を見渡した。カーテンが小さく揺れている。カーテン上部のマグネットが外れる音だと気づいた。おかしい。あれは勝手に外れるわけがない。カーテンはゆっくりと開いていく。しかし幹也は恐怖のあまり布団から抜け出すことができない。
次に、三十キロの米袋を勢いよく床にたたきつけるような鈍い音がした。ゆっくりと音がしたベランダを覗くと人間が一人倒れていた。さっきの階段と同じような状況だった。
バスン。また一人、倒れていた人付近に落ちてくる。永遠と繰り返されるように感じ、いつのまにか窓枠をうめつくすまでに人が降ってきていた。
「もう止めてくれ!」
幹也は目を瞑るといつの間にか意識が途切れていた。
まぶしい光が瞼をこじ開けた。跳ね起きると窓から太陽の光が注ぎ込んできている。ベランダに積み上がった人の姿はなかった。悪い夢でも見ていたのだろうか。テーブルや床にはビールの缶が転がっている。
本当はサボろうと思っていた昼の授業だったが、朝から大学に行くことにした。とにかく家にいることが居心地悪かった。エレベーターを押したときに悪夢を思い出して階段を選ぼうとするも階段を埋め尽くす人々を思い出し、足が硬直した。すると背後からエレベーターが到着した音が鳴った。振り返ると真ん中だけ開いたエレベーターだった。それに乗る人々が全員、幹也を凝視していた。
エレベーターに乗る者 佐々井 サイジ @sasaisaiji
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