ワタル「世間に鬼はない」

 翌朝。診療所のベッドで目を覚ましたワタル、体の痛みがずいぶん引いていてほっと息をついた。治療師が回診しているようで、どこかのベッドから話し声が聞こえる。

 名前を呼ばれてカーテンが開いた。黒いコートを着た治療師が顔を見せる。

 「調子はいかがですか」

 「かなりいいです」

 「魔物の毒を浴びたんですって?」治療師はなにか紙を見ながらちょっと笑った。「応急処置もうまかったんでしょうが、あなた丈夫な体持ってますね」

 ワタルはカミサマに与えられた楽観的なせりふを自分のものにすることにした。「俺、幸運に恵まれてるんですよ。いい人に見つけてもらって、いい診療所に運んでもらえた」

 「たしかにかなりの幸運の持ち主でしょうね、あなた」

 ワタルはカミサマの干渉を受けていないのをいいことに、「あの」と声をかけた。

 「異人って信じますか」

 「え?……ああ、そういえば十歳の娘がなにかいってましたね。別の世界から迷い込むだかなんだかって人でしょう? いるわけないでしょう、そんなもの」治療師は小さく笑った、「だいたい、別の世界ってなんです」

 「俺、なんかあちこちで異人って呼ばれるんですけど……」

 治療師はすっかりまじめな顔をした。「ほう」といって器用に片眉を上げる。「もしかしたらいるかもしれません」

 治療師は痛みが引いたら繃帯を外して、肌に異常がなければ帰せると説明して離れていった。


 ワタルは静かになった部屋でぼうと天井を眺めた。

 物語終盤で死ぬ——……。そうはいっても、今が物語のどこなのかがわからない。ポールのいう〝カミサマの干渉〟を初めて受けた頃が物語の始まりだったのであろうが、まさかこんなことになろうとは思っていなかったし、初めての干渉がいつのことだったのか、まるで思い出せない。

 カミサマはワタルを殺すつもりらしいとポールはいったが、それならばどうして今回は助かったのだろう?


 ふと、カーテンがひらりと開いた。「よう、幸運に恵まれた男。元気になったか?」

 「余命宣告してきたやつがなにをほざいてんだよ」

 「うん、元気そうだ」ポールは満足げにいってベッドの傍らの椅子に座ると脚を組んだ。「喜べ、土産を持ってきてやった」

 「いらないよ。設計図の内容が変わったくらいのものじゃないと」

 ポールはサイドテーブルに茶色の紙袋を置いた。中から赤い果実を取り出すと、外套うわぎの袖で外皮を拭いてかぶりついた。ワタルは昨日出会ったばかりの青年がしゃくしゃくと果実を噛むのを、見守るのとも羨むのとも腹を立てるのとも違う心持ちで眺めた。

 ポールは袋からもう一つ果実を取り出した。「お前も食えよ」

 「黙れ」

 「なんだよ、せっかく買ってきたのに」ポールは果実の皮を親指でなでた。

 「こちとら全身に繃帯巻かれてんだよ」

 「うん、いいよ、よく似合ってる」

 「もう、お前が魔物に殺されろよ」

 「魔物ねえ」ポールはまた果実を齧った。もう片手に持った果実をぽんぽんと投げ上げる。「なんか、こっちからカミサマに干渉する方法はないのかね」

 「それなんだけどさ」ワタルは思いついていった。「お前のいったとおり、本当にここがフィクションの世界なら、俺たちとおなじような人間が作ったってことだろ? それなら、カミサマの気も変わるんじゃないか?」

 「楽観的だな、いいことだよ。昨日のお前は見てて不安になった」

 「うるせえ、俺のなにを知ってるんだよ」

 「とりあえず、俺はできる限りお前のそばにいることにするよ」

 「厄介ごとに巻き込むためにな」

 ポールは軽く腕を広げた。「なにをいう。人の厚意は素直に受け取るべきだ」

 「はいはい、それはどうも」

 「でもたしかに、カミサマの気が変わるっていうのが、生き延びるのに一番可能性がありそうだな」

 ワタルはふと思い出した。「あ、ちょっと関係ないけど、昨日、案内所で〝光輝〟を見たよ」

 ポールはたいして期待しなかった。小さく齧った果実を飲み込んで、次に大きく齧った。「接触したのか?」

 「ううん、できなかった。お前と会ってたことも覚えてなかったんだ」

 「そりゃあそうだろうな。カミサマは俺たちが会ったのはあの農場が初めてだと思ってる。カミサマの知ってるお前は俺を知らない、干渉が始まればお前はカミサマの知ってるお前になる」

 「不自由だなあ」

 ポールは口元を拭ってへらりと笑った。「その格好でいうと重みが違うな」

 「黙れよ」

 「口が悪いな」ポールは「よし」といって立ち上がった。「腹ごしらえも済んだことだし、今日の食費を稼ぎにいくとするよ」

 「重傷負った同業者によくいえるな」

 「お前はなんだかんだ生命力が強そうだから」

 「関係ないだろ、精神面を心配しろよ」

 「お前は死なないよ、たぶん」

 「もちろん、全力で抗うさ。お前のいうように、俺たちが生きてるのがカミサマの頭の中なら、カミサマに俺の望みも伝わるかもしれない」

 ポールは感心したように「おお」と声を上げた。「たしかにそうだな。死にたくないよーって叫んでりゃ、聞こえるかもしれない。声が聞こえりゃカミサマも気が変わるかもしれない」

 「やってやるよ」

 「応援してやる」

 「当たり前だ、お前がカミサマの設計図なんか見つけなけりゃ、死ぬにしても魔物狩りの勇敢な最期として受け入れることもできたのに」

 「見つけたのはしょうがないだろ、枕元にあったんだから」

 「うるさいんだよ」

 「いいからその繃帯さっさと脱げよ、〝光輝〟を魔物狩りの王にしないといけないんだから」

 「〝黄金の冠〟と〝宝飾の輪〟が喧嘩したら、本当に仕事がなくなるのか?」

 「当たり前だろ、殺し合いじゃないんだから」

 「お前、もし喧嘩が起きなかったら、俺の平和な日常を返せよな」

 「お前の日常が平和かどうかはカミサマ次第だ。——残念だけど」

 「取ってつけたようにいいやがって」

 ポールは服に寄ったしわを伸ばした。「仕事が終わったらまたくるよ」

 「いいよ、くるな。疫病神め」

 「疫病神とは失敬な。お前が毒を浴びたのは俺のせいじゃない」

 「カミサマの存在を知ったのがもう災難なんだよ」

 「知らない方が幸せだったと?」

 「当たり前だろ。もういいよ、仕事いけよ」

 「無事を祈っててくれ」

 「自分のことで精一杯だっつの」

 ポールは初めて気がついたような顔をした。「どうしたんだよ、その繃帯!」

 「黙れ、繃帯取れたらぶん殴るからな」

 ポールはへらへら笑いながら手を振ってカーテンの外へ出ていった。


 不思議なもので、ワタルはなんとなく気が楽になったような、ちょっと元気になったような感じがした。

 「ワタル、渡る……渡る世間に鬼はなし」なにやら節をつけてつぶやくと、ワタルは小さく笑った。楽しそうでなによりだ。



 ヴィクトリアはポールを見つけると感じよく挨拶した。

 「ワタルさんの様子はどうですか?」

 「全身に繃帯を巻いて診療所で休んでるけど、よく喋るし元気そうだったよ」

 「ああ、」ヴィクトリアは心底安心したようだった。「それはよかった!」

 「きみはワタルと親しいのか?」

 「いえ、特にそういうわけではないですけど。でもほとんど毎日顔を合わせて話をする人ですから、無事とわかれば嬉しいですよ」

 「それはそうだな」

 「ところでポールさん、」ヴィクトリアはちらちらと目を動かして、カウンターから身を乗り出して口元に手を添えた。「昨日、わたし、なんで忘れちゃったのか、ワタルさんにお金を渡していないんですよ」

 「金? なんの金?」

 「ああ、ポールさんには話してなかったんですよね。ワタルさんったら昨日、お金も毛皮も盗られちゃったんですよ」

 ポールは「ああ」とあいまいに反応した。ワタルの不運についてはよく知っていたが、ヴィクトリアがそれを知っているはずはないのである。ポールは「とんだ災難に遭ったもんだね」と続けておいた。

 「それで現場を紹介したんですけど、そのまんますっかり忘れちゃって」

 「うん」

 「それで、申し訳ないんですけど、ワタルさんに渡してくれませんか?」

 「ずいぶん信頼してくれるね」

 ヴィクトリアはカウンターのあちらへ体を引っ込めて、いたずらに愛らしく笑った。「このまま金袋に入れちゃうつもりなんですか?」

 「そういうわけじゃないけども」

 「それじゃあ、お願いしますよ」

 「きみがワタルに直接渡してやるんじゃだめなのか?」

 「そ、」ヴィクトリアはわかりやすく言葉に詰まった。「それは、……なんていうか、ちょっと……」

 ポールは彼女の反応をおもしろく思った。「彼が異人だから?」

 「違います! そんなの、そんなのはどうだっていいんです、そんなことじゃないんです……」

 ヴィクトリアの反応はますますポールの気に入った。「それならやっぱり、直接渡してやればいい」

 「いいから! お願いです、ちょっと渡してくれたら、それでいいんですから」

 「ワタルだってかわいい女の子が会いにきてくれたら嬉しいだろうに」

 「ポールさんはもう、ワタルさんに会う予定はないんですか」

 「いや、仕事が終わったらまた見舞いにいこうと思ってるよ」

 「そりゃそうですよね、ワタルはここにきたか、なんていって怒鳴ってたくらいですから。そんなに親しいなら持っていってくれたっていいじゃないですか」

 ヴィクトリアがぷりぷりし出したので、ポールは「わかったよ」と答えた。

 「ていうかポールさん、おかしくないですか? ワタル、ワタルって騒いでたのに、あのあと換金にきたときは——」

 「それで、なんの金なんだ?」


 話題を変えるのは遅かったが、ヴィクトリアは「え?」といっただけだった。


 「そりゃあ、魔物駆除を済ませたことに対するお金ですよ。毛皮の値段だけじゃないですからね。毛皮の値段だけじゃあ、わたしたちのお給料はほとんどゼロになっちゃいますからね。みなさんにお支払いしているお金は、毛皮代と依頼主からの依頼代なんです。だから毛皮を盗られちゃったワタルさんにも、依頼代はお支払いしなくちゃいけないんです」

 「それでこの案内所はやっていけるのか?」

 「どうしてです?」

 「依頼代は客から入ってるだろうけど、毛皮代は?」

 「それは、別の業者に卸してますから」

 「ああ、そうかそうか」ようやく理解したポールである。話が少しでも現場から離れてしまうと理解が追いつかなくなる。

 「それで、どこかご紹介しましょうか?」

 「ああ、頼む」

 「これなんかどうです、ちょっと東にいったところに山があるでしょう、それを下りてきちゃって、人里に体の小さな魔物の群れがいるそうなんです。外で遊んでいた子供が襲われて怪我したり、追い払おうとした大人が怪我したりと、負傷者も少なくないみたいで」

 「ふうん。いいよ、それにしよう」

 「かしこまりました」

 「こういうのさあ、どうにかして魔物を山に帰してやる方法はないのかね?」

 「そういうのは、現場に詳しいポールさんたちの方が思いつくんじゃないですか? 現場を見ていれば、魔物の生態についても詳しいでしょうし」

 「冷たいな、世間話に付き合ってくれてもいいだろう?」

 ヴィクトリアは上目遣いにポールを睨んで、書類と地図に判を捺した。その手つきはちょっと荒っぽいものであった。

 ヴィクトリアはそれから金を出してきた。「ワタルさんに渡してください」

 「あとで大事なお給料をもらいにくるから、そのときに。現場からの帰りに盗まれたりしたら大変だから」

 ヴィクトリアはますます怒った顔をした。語調を荒く「お気をつけて」といってワタルに渡る金を引っ込めた。それからポールが「地図は?」といって差し出した手にぱちんと音を立てて地図を叩きつけた。

 ポールは彼女をからかうのが楽しくてたまらずに笑った。対するヴィクトリアは、ともすれば品性のかけらもないフィンガーサインでもしそうな顔をした。


 ポールは案内所を出ると小走りした。冒険小説の主人公のような超人的な身体能力がほしかった。現場まで疾走したのでは疲れ果てて魔物と対峙するどころではなくなってしまう。剣を振るどころか剣を抜くのにさえ苦労することだろう。そんなわけで自分は超人的な身体能力を持っていると設計図に書き足したことがあった。結果はポール本人がワタルに説明したとおりであった。


 ポールはようやく現場に着くと、息を整えながら、重たい剣を下ろしたくなった。

 ——と、早速、どこからか歩いてきたらしい魔物の群れを見つける。大人から魔物の存在を聞いていないのか、暢気に遊んでいた子供が魔物に気づいてきゃーきゃー悲鳴を上げる。魔物も興奮して威嚇するような体勢を取る。

 ポールは剣を両手で横向きに掲げた。「はーい、ピピーピピー。ちっちゃい子を襲わなーい」

 声を張れば魔物はポールに気を引かれ、子供たちはそれを見てあっちへこっちへ逃げ出した。


 「はーい、みんな人里こっちにきたらだめ、いいね。お山に帰りなさい」


 魔物は直前に子供へ向けて取った威嚇体勢をポールに見せつける。ポールは魔物と対話できる能力がほしかった。設計図に自分はそういう特別な能力を持っていると書き足したが、結果はポール本人がワタルに説明したとおりであった。


 横に長い丸い顔をした薄緑の皮を持つ魔物は、ぎょろぎょろした両目でポールを見つめ、大きな口から長い舌を垂らして四つ這いになり、長細い尾を突き上げて、その先の矢に似た形を見せびらかす。


 「オーケイ、俺も剣をしまおう」ポールはいったとおりにした。「俺はさあ、頭よりはまだ体の方が使えるからこんな仕事をしてるだけでさあ、別にきみたちを殺したくてうずうずしてるとかそんなんじゃないんだよ。このままきみたちが山に帰ってくれるんなら、そこまで追っかけて剣振り回したりしないからさあ……」


 ポールは口を回したが魔物は尾をぐるんぐるん回した。


 ポールは前方を指さした。「ほら、山に帰る! 帰る! いいね、お前たちならできる。山に、帰るんだ」


 魔物は一斉にぎゃーぎゃーと声を上げると、闘気をたぎらせて突進してくる。最後にもう一遍「ピピーピピー」といってみたが、魔物は一層興奮したようだった。ますます勢いをつけて走ってくる。

 ポールは手早く剣を抜いた。わちゃわちゃ振り回して、一番おっかなく見えた尾をすべての個体から切り落とした。

 それから依頼主の家に走り、その新聞受けに地図を突っ込んだ。以前よりこんなことでは依頼主の家を魔物を連れて訪ねるようなもので危険だと考えているポールである。すべての現場があの、まず自分の意志で向かい、それからよくわからない理由で通りかかった農場のようではないのである。

 「はいはい、人んの敷地、勝手に入んない」

 勢いよく飛び出してくる舌を切り落とし、子供が四つ這いになっている程度の大きさの魔物を飛び越える。剣を振り回すなら民家から離れたところがいい。


 きた道を戻るように走ると魔物もついてくる。これが飼い慣らされてよく懐いた毛物けものならさぞ楽しかろう。

 魔物の集団に向き直ると、後方で女の悲鳴が上がった。

 「魔物狩りです、静かに離れて、安全な場所でしばし待機を」

 ポールはぎゃーぎゃー騒ぐ魔物の声から、悲鳴を上げた民人が避難する足音を探した。結局、聞き届けたい足音は魔物の叫び声と群れで突進してくる足音にすっかり掻き消された。

 魔物の治癒力は羨ましいほどであり、切り落としたはずの舌はどれも彼らの口内に復元されている。相手はその治癒力を見せつけるように舌を突き出してくる。復元するのに尾ではなく舌を選んだ魔物、武器は尖った尾じゃなく長い長い舌であるらしい。


 魔物の一体がポールの右方にある小屋の外壁に舌を伸ばして、それを縮めることで自身の手足を外壁に張り付けた。こんなものがこうも群れていてよくぞ死人が出なかったものだ。あの自慢の舌を使えば子供でも大人でも絞め殺せるだろう。

 ポールは自分目掛けて飛び出すいくつもの舌に剣を振り回す。相手は治癒力を見せつけて何度でも舌を伸ばしてくる。ポールは絶えず剣を振り回して、舌が短くある一瞬で一歩ずつ距離を縮める。

 ——と、ぬるぬると濡れた生温かいもので首が絞まった。息が止まり、足が地を離れ、体が勢いよく後方へ飛ぶ。恐怖に駆られるまま剣を振ると、足がついた地面に強く膝を打った。首の中と外に残る不快感を無視して立ち上がったとき、四方から生温かい繁吹しぶきを浴びた。


 「あんた、同業者?」


 魔物の叫び声の中に人の声を聞いた。声の主は茶髪の男であった。

 「ティムとレオはその男の、ベンは俺の掩護えんご!」

 別の男の声がはきはきと響き、いくつかの声が「了解!」と応じた。


 茶髪の男はポールの前に立って伸びてくる舌を切った。「あんた、大丈夫?」

 「ああ、問題ない。ありがとう」

 「仕事なんで」

 「そんじゃ——」ポールが俺も頑張らないと、と続けた声は茶髪の男に聞かれなかった。

 ポールは茶髪と黒髪の男に背を預けて魔物と対峙した。繰り返し伸びてくる舌を辛抱強く切り落として距離を詰める。そしてついに相手の腹を裂いた。すぐに辺りを見たが、そこはすでに平和な昼前の街であった。


 「え?……」


 「新人にしてはよくやった」腕を組んでいったのは幼女のような髪型の長身な男である。

 「新人なのか」と口髭を生やした茶髪の男が納得したように呟く。


 ポールはぽかんとして男らを見た。「〝光輝〟?……」


 「魔物が群れてるって話を聞いてよく一人できたな。何件かこなして過剰な自信つけちゃった感じ?」金色の癖毛の男はにやにや笑った。

 ポールは彼らの仕事の速さと存在感に圧倒され興奮していた。「〝光輝〟、あんたたち、本当に〝光輝〟か?」

 金髪が魔物の皮を剥いでいる男に振り向いた。「さて自己紹介だって、アレクセイ・トップ団長?」

 ポールの視線の先で、長いプラチナブロンドの髪を垂らした男がのっそりと立ち上がった。ゆっくりと近づいてくる。

 「初めまして、光輝団長アレクセイ・トップです」

 ポールは差し伸べられた手を恐々握った。「フリーのポール=カルダー・エッカートです」

 「ポールってあれか!」と金髪が声を上げる。「女の子たちにきゃーきゃー騒がれてるやつだろ。なんかすごい名前だって聞いたぜ」

 ポールは苦笑した。「ポール=ロナルド・イアン・ネイサン=カルダー・エッカートです」

 「想像以上だ」と金髪は笑った。「俺はベンヤミン・キューブ。覚えやすいだろ?」

 「ティム・ファイン」と茶髪、「レオナルド・チェイス」と黒髪が続いた。

 「無事でよかった」とティム・ファイン。

 ポールは素直にいった、「おかげさまで」

 アレクセイ・トップがタオルを差し出した。「大事を取って、診療所に寄った方がいい」

 タオルを受け取ったがどうしたものかと考えるポールに、アレクセイ・トップは自身の首を指さした。ポールはようやく首に残った湿った感じを思い出してタオルで拭いた。

 「診てもらうほどじゃありませんよ」

 「あいつの唾液に毒がなくてよかったねえ」ベンヤミン・キューブはそういって魔物の皮を剥ぎ始めた。「新人ならもっと簡単な現場を引き受けるべきだぞ」

 「七年くらいやってます」ポールはようやくいった。

 ベンヤミン・キューブは信じられないといった顔で振り返った。「え、まじ?」

 「ええ、まじです……」

 「お前いくつ?」

 「二十五です」

 「俺たちと変わんないの? え、それであれ?」

 アレクセイ・トップがベンヤミン・キューブを見た。「彼は個人でやっているんだ、俺たちとは戦い方もなにもかも違う」

 「そうだけどさあ……」

 アレクセイ・トップはポールに向き直ると「失礼」と短く詫びた。もはやポールに自尊心はない。砕けて砕けて風に消えてしまった。

 「あなたは決して弱くないでしょう。あれが一体なら、いや三体いても苦労しなかったはず。今後はもっと魔物の数の少ない現場を選べば安全でしょう」

 「ええ、どうも……」

 「どこかで俺たちが苦戦していたら、どうか助けてほしい」

 「まあそんなことはありえないけど」とベンヤミン・キューブ。

 ポールはなにも感じずに愛想笑いを浮かべた。「ええ、ええもちろん……」

 「どこかで見かけたらまた掩護する」ティム・ファインが差し伸べた手を、ポールは「心強いです」といって握り返した。

 ここでレオナルド・チェイスが口を開いた。「なんで個人でやってるの」

 「集団行動は向かないと思うからです」〝光輝〟に取り入ろうとしているのに馬鹿正直なポールである。「基本的に考えるってことをしないんです、仕事のときに戦い方を考えることもしない。深く考えないで、他人ひとに迷惑をかけないで、勝手にしていたいんです。今回は迷惑をかけましたけど……」

 「別に迷惑じゃない」とレオナルド・チェイス。「こっちも仕事だから」

 「そういうことなら、光輝うちに誘うのはよした方がよさそうだ」アレクセイ・トップは穏やかにいって笑った。「危険な職に就いた者同士、再び会えた暁には、互いのために戦おう」

 ポールはまったく無邪気な心持ちで礼をいった。それから少し高いところにある相手の目を見た。「あなたほど、おさにふさわしい人はいない」


 ポールは自分で駆除した分の皮を持って案内所に戻った。

 「やあヴィッキー、ご機嫌いかが?」

 ヴィクトリアは嫌そうにポールを一瞥すると、皮を受け取って金を出してきた。

 「ご無事でなによりです」

 「俺は幸運に恵まれてるんだ」自尊心を回復させたのか自尊心を回復させたいのか、ポールは真実の範疇で格好つけていった。

 「それはいいことです。このあと診療所にいく予定があるのも幸運ですね、早いうちに首の痕を診てもらえます」

 ヴィクトリアの嫌味たっぷりの口調にちくりと痛むものを感じて思わず首に手をあてると、肌が痛いような痒いような感じがした。たしかにちょっと診てもらう方がいいのかもしれない。が、首に繃帯を巻いた自分をワタルが腹を抱えて笑うのがありありと想像できたものだから、ちょっと億劫になる。

 「これ、ワタルさんの分です。くれぐれもご自身の診療費にあててしまうことのないようにお願いしますね」

 「きみは俺のことが嫌いなんだな」

 「意地悪な人が嫌いなだけです」

 「俺は意地悪か?」

 「意地も気持ちも悪いです」

 「ワタルとは気が合うだろうな」

 ヴィクトリアは黙り込んで頬を赤くした。

 「彼も俺に対して冷静に受け答えをする。いや、感情的っていうべきか」

 ヴィクトリアはポールの後方に誰か見つけたようで「ご案内いたします」と愛らしさたっぷりな声を上げた。


 「まったく、魔物の体液は人体と相性が悪くて困りますね」

 治療師はボウルに張った液体に布を漬けて絞った。それをポールの首に巻いて繃帯でぐるぐる巻きにした。

 「でもそれだからこそ、あなたたちのような職に就いた方々が必要なんですよね」

 治療師は紙になにか書き込んだ。「異常が現れなければ、湯浴みの際に極力濡らさないようにして二日ほどそのままにしておいてください。それでまだ完全に治っていないようならもう一度診せてください」

 「ああ、どうもありがとうございます」

 「こちらこそ、地域の安全を守ってもらって助かってますよ」

 ポールは「お大事に」と見送る治療師に礼をいって診療室を出た。


 カーテンが開いた。顔を出したポールが首に繃帯を巻いているものだから、ワタルはたまらず笑った。「どうした、それ? 毒を喰らったか?」

 ポールは気取ったふうに首に手をあてた。「お前があまりに似合ってるから俺も巻いてみたんだ」

 「残念、俺と違ってひどい姿だ。巻くなら全身じゃないと不恰好だよ」

 「いや、俺はこれで満足だ」ポールは息をついてベッド脇の椅子に腰を下ろした。ちょっと脚を組むだけで気取って見える。カミサマの設計図とは実に恐ろしいものである。そこに美しいと書いてあればこうして実際に美しくなるのだから。

 「さて、今回も土産がある」

 「設計図の内容が変わった?」

 ポールはサイドテーブルにヴィクトリアから預かった金を置いた。「昨日の給料だ。ヴィクトリアが渡し忘れたんだとさ」

 「ああ、そう。現場済ませたからかな」

 「すげえ、ちゃんとわかってんだ、そういうの」

 「俺って馬鹿じゃないんだ、こう見えても」

 「あ、すげえ。なんか腹立つ」

 ポールは咳払いした。「さてさて。今回の土産はちょっといいものだぞ、〝光輝〟と接触した」

 「へえ、どうだったよ?」

 「強い」ポールは短く答えた。「強い、すごく強い」

 「お前の三倍くらい?」

 ポールはうんといいかけて飲み込んだ。「それじゃあ俺と変わらないことになるだろ、〝光輝〟は三人組なんだから」

 「具体的にどれくらい強かったんだ?」

 「たいした大きさじゃないし、たいして強い魔物でもなかったんだけど、群れてるせいで厄介だったんだ。建物の壁に先をつけて移動できるような舌を持ってるんだぜ、そんなので攻撃してくるんだ、群れで! でも〝光輝〟は、俺が一体を駆除したときには残りの全部を駆除してたんだ」

 「残りの三体を?」

 「違う」否定する口調はいやに冷静であった。「三体っていうなら、その三倍はいた。〝光輝〟は全員、最低でも、俺の三倍は強いし三倍は動けるんだ!」

 ワタルは首をかしげた。「あまり想像できないな」

 「ああそうかよ」

 「それで? アレクセイ・トップ様を王にするためになにかしたのか?」

 「あなたほど長にふさわしい人はいないって、直接いってきたぞ」

 ワタルは呆れた。「堂々としてんじゃねえよ、それはなにもしてないっていうんだ。お前の感想でなにが変わる?」

 「なんだってそんな意地悪をいうんだ、お前は『前向きな青年』のはずだろ」

 「へこむなよ、ごめんって。でもお前はなにもしてない」

 「前向きさはどこにいったんだ、今のお前は後ろ向きなんてものじゃない」

 「お前は俺のなにを知ってるんだよ、現実的っていえよ」

 ポールが子供みたいに拗ねたような顔をするから、ワタルは黙って療養室の天井を眺めた。

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