狂気猫
阿炎快空
狂気猫
狂気は猫の形をしている。
いや、もしかしたら猫が狂気の形をしているのかもしれない。
まあ、別にどっちでも構わない。
そもそもの始まりから話そう。
あれは、僕が小説投稿サイトのカクヨムを眺めていた時だ。
そう、あなたが今覗いている、このサイトである。
以前から趣味で小説を投稿していた僕は、とある自主企画(詳しくない方の為に一応説明しておくと、ユーザーが自ら企画を立案し、開催・参加できる機能のことである)に目を止めた。
ホラー短編集『狂気猫』
レギュレーション
◯一万字以下
◯企画参加中のタイトルは『狂気猫』で統一
◯一人一作→参加作品数が少ないので、何作入れても可にします。
◯ホラー
◯スピンオフ不可
◯完結済みのみ
確認してみると、既に幾つかの作品が投稿されていた。
(ホーム画面で検索してみてほしい。同じタイトルの作品がいくつもヒットするはずだ)
それらの作品を読みながら、僕は奇抜なアイデアにアハハと笑ったり、そうきたかと膝を打って感心したりした。
自分も参加してみよう——そう決心するのに、時間はさほどかからなかった。
僕はどんな作品を書くかを考え始めた。
ご飯を食べている時、お風呂に入っている時、通勤の途中、仕事の合間——頭の片隅には、常に〝狂気猫〟のことがあった。
しかし残念ながらアイデアはまとまらず、一文字も書き出せないまま時間だけが過ぎていった。
そして、数日が経ったある日——〝奴〟が僕の前に現れたのだ。
その晩、仕事を終えてアパートに帰ると、室内には緑色をした猫が居た。
アパートはペット不可だし、そもそも僕は猫を飼っていない。
窓もドアも閉めている。
もしかして、幻覚だろうか?
狂気猫のことを考えすぎたせいか?
僕は、目をぎゅっと瞑った。
しかし、猫は消えなかった。
目を開けると、そこにいる。
というか、目を閉じてもいる。
まるで、僕のまぶたの裏に住んでいるかのように。
——いいや、落ち着け。
残業続きで疲れているのかもしれない。
僕は自分に言い聞かせながら、猫をまじまじと見つめた。
猫も僕を見つめ返す。
「お前、一体何なんだ?」
僕がおそるおそる呟く、猫が答えた。
「ご挨拶だな。俺を呼び寄せたのはお前だろ?」
猫が喋った。
それだけでも、充分に驚くべき事態だ。
しかし、僕にはもう一つ驚いたことがあった。
その声の主を、僕は知っていたからだ。
低く響く美声。
まるでラジオから流れるDJの声ような、落ち着いた語り口。
「……今の声、クリス・ペプラー?」
猫は答えず、ただニヤリと笑った。
「お前が
猫はそう言うと、ぷいっと僕から顔を背けて、壁の本棚をチェックし始めた。
「おっ、ハガレン全巻揃ってんじゃん。面白いよね」
「あ、ああ……」
僕は相槌を打ちながら、こっそりスマホで猫の写真を撮った。
これで猫が写ってなければ、幻覚で確定だ。
もしも写っていたら——それはその時、あらためて考えよう。
僕は緊張しながら、画像を確認した。
写っていたのは僕だった。
無表情だが、なぜか両手でギャルピースをしている。
「おいおい、勝手に撮るなよ。事務所を通せよな」
猫は笑いながらぐにゃりと不定形になると、数センチだけ開いた押入れの僅かな隙間に身を隠してしまった。
僕は慌てて押入れを開けたが、そこには仄暗い闇が広がっているばかりだった。
それからたびたび、猫は僕の部屋に現れるようになった。
猫は締め切った窓の僅かな隙間からでも、ぬるりと室内に侵入してきた。
その柔軟性から、よく『猫は液体』などと評されるが、あれは比喩でなく本当のことだったようだ。
「そう。お前の予想通り、俺の体は液体だ」
僕の考えを読んだかのように、猫が言った。
ひょいっと二足足で立ち上がり、華麗にボックスステップを踏みながら続ける。
「より厳密に言うなら、ドリンクバーのメロンソーダとホワイトウォーターを7:1の比率で混ぜた液体だ。ワシントン条約にもキチンと明記されている」
「うるさい!」
僕は叫びながら、猫に枕を投げつけた。
猫は体を反らして枕を
「今の見た?マトリックスの避け方」
と笑った。
猫が現れて以降、街を歩いている時など、やたらと周囲からの視線を感じるようになった。
ある時などは、ウォーキングの途中らしき見知らぬお爺さんが、突然、
「書かないんですか?」
と尋ねてきた。
「えっと……何を、ですか?」
「狂気猫の話——書かないんですか?」
よく見ると、お爺さんの瞳は、猫の様に
何も言えずにいる僕を残して、お爺さんはどこかへ去っていった。
家に帰り、洗面台の鏡を見た僕は、ヒイッと悲鳴をあげた。
僕の顔は、猫になりかけていた。
頭からは緑色の尖った猫耳が生え、瞳孔は縦に伸び、口の端が微妙に持ち上がってきている。
「おいおい、何を驚いてるんだ?」
足元で、クリス・ペプラーの声がする。
見れば、猫がこちらを見上げて笑っていた。
「猫=狂気。お前=狂人。つまり、お前=猫。簡単な計算だ。小学校で習っただろう?」
「う、うるさい……」
「お前は本当に頭が悪いな。じゃあこの問題はわかるか?魂の重さが21グラムである場合、時速2光年で移動する太郎君の享年は何歳でしょう?」
「うるさい、うるさい、うるさい——」
「円周率は基本3とするが、イマイチ気分がのらない日曜日に限っては好きな数字を——」
「——うるさあいっ!」
僕は猫を蹴ろうとした。
しかし、猫は軽々とそれを避け、「ゼハハハハ!」とONE PIECEの黒ひげと同じ笑い方をしながらどこかへと行ってしまった。
更に数日が経った。
こんな状態で外へ出るわけにも行かず、僕は部屋に閉じこもっていた。
当然、職場へも行っていない。
無断欠勤だ。
夜中、何気なくテレビをつけた。
スタジオのひな壇に座った緑の猫達がこちらを見つめ
「早く狂気猫の話を書け」
と一斉に催促してくる。
僕は力無くテレビを消した。
昨晩、衝動的にこの手で壊したはずのパソコンが、いつの間にか直っていた。
その上、何の不具合かカクヨムへの投稿しかできなくなっている。
いや——そもそも、僕は本当にパソコンなど壊したのか?
もしかしたら、僕の頭はもうとっくに——
僕はベッドに横になり、無理やり眠ってしまおうとした。
しかし、うとうとし始めると、決まって猫が耳元で話しかけてきた。
「知ってるか?人はな、眠りに落ちるたびに毎回死んでるんだ。そして朝には、お前の記憶を引き継いだ他人が生まれてくる。——これってトリビアになりませんか?」
僕は奇声を発しながら、頭まで布団を被った。
そんな僕の枕元で、猫は明け方近くまで、ポケットビスケッツの『YELLOW YELLOW HAPPY』を熱唱し続けた。
翌朝、おそるおそる鏡を見ると、僕の顔は完全に緑の猫になっていた。
これは、本当に僕か?
それとも、猫か?
僕の中の猫?
猫の中の僕?
「そんなことはどうでもいい」
「早く小説を書け」
「そうだそうだ」
頭が三つに増えた猫が、口々に僕を責めた。
その頃には、僕はもうすっかり理解していた。
こいつは——こいつらは、こうやって繁殖しているのだ。
狂気猫を題材にした物語を読んだり、狂気猫という存在について深く考えていると、奴らに侵食され、自らも狂気猫になってしまうのだ。
僕の参加しようとした自主企画も、こいつらの張り巡らした罠の内の一つだったのだろう。
こいつらのことだけではない。
僕はもう、世の中の殆ど全ての事象を理解している。
実は地球は平面だし、アポロは月に降り立っていないし、日本国民の半数は脳内にICチップを埋め込まれていて、首相に化けた異星人に思考をコントロールされている。
あと、あれだ。
邪馬台国の場所とかも、勿論知っている。
いや本当だって。
あそこだよ、ほら。
地元の、ファッションクルーズの中。
そうそう、TOHOシネマズとかあるとこね。
たしか、フードコートのすぐ近く。
そこになければないですね。
——いいや、違う。
こんなことを言いたいんじゃない。
話を戻そう。
僕の精神は、もはや限界を迎えつつあった。
世界の輪郭が揺らぎ、時計の針が逆方向へ回転を始める。
朝と夜の境界が崩れ、昨日と今日が混じり合う。
狂い続ける世界の中で、僕は必死に考えた。
昔、何かの本で読んだ文言だが——
曰く、「狂人というのは、自分のことを狂人だとは思わない」ものらしい。
であれば。
自ら「狂人である」と宣言してしまえば、逆説的に狂人ではないという証明になるのではないか?
僕は窓を開け放ち、往来に向けて叫んだ。
「僕は、気が狂ったぞーーーーっ!」
その途端、玄関が勢いよく開いて、猫の顔をした審判が、ホイッスルを吹きながらズカズカと土足で室内に入ってきた。
審判はAmazonギフトカードを僕に突きつけ言った。
「失格!ゲームセットです!」
「な、何でですか!?狂人なら、自分を狂ってるなんて言わな——」
抗議しようとする僕の頰を、審判は唐突に平手で殴った。
「痛っ!?!?!?」
審判の肉球は鋼鉄のように硬く(そう、彼の手には肉球があった。可愛いね)、僕の左の奥歯は砕け散って夜空に舞い、マンチカンをかたどった星座となった。
倒れ込んだ僕を見下ろし、審判はペッと唾を吐く。
「狂人の真似とて
そう言い捨てるなり、審判はくるりと背を向け、玄関から出て行ってしまった。
納得いかないが、審判が言うなら仕方ない。
いつの間にやら完全に三匹に分裂して僕を取り囲んだ猫達を見回し、僕は言った。
「それで、僕はどうすればいいんだ?」
猫達は、一斉に声を合わせて喋った。
「ずっと言ってるだろ。『狂気猫』の小説を書くんだ」
「でも、アイデアが浮かばないんだよ」
「だったら、お前の実体験を小説として書け。ここ最近お前の身に起こったことを、そのまま書けばいい」
「なるほど、その手があったか」
「ただし、俺の声はクリス・ペプラーに似ていることにしろ」
「厚かましい奴だなあ」
僕はやれやれと溜息をついた。
——そういうわけで書き始めたのが、今あなたが読んでいるこの作品だ。
今となっては、空も、地面も、ビルも、殆どのものがドロドロに溶けてしまった緑一色の世界の中、僕はすっかり緑色の体毛に覆われた両手で、パソコンのキーボードを打ち続けている。
あなたが『狂気猫』というタイトルの作品を読むのは、これで何作目だろうか?
もし仮に一作目であっても、この分量を読んだ以上、おそらくは手遅れだと思う。
それが始まるまでの時間に個人差はあるだろうが、しばらくすればあなたの前にも緑の猫——狂気猫が現れるだろう。
申し訳ないという思いはある。
しかし同時に、自分に対して謝ることもないか、とも思う。
あなたは猫になる。
つまりあなたも、僕になる。
猫=狂気=僕=あなた
簡単な計算だ。
自動車学校で習っただろう?
さあ、そろそろ本当に終わりにしよう。
僕は先に行く。
もはや恐怖はない。
あなたも早く来るといい。
一つになれるのを、向こうで楽しみに待っているよ。
巨大な猫が大地を
嗚呼、世界も、物語の完結を祝福してくれているのだ。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう、みんな。
そうして、光に包まれて。
僕は、笑った。
僕は、猫になった。
僕は、狂気になっt
いやだ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
これ以上書いてはいけない、書いてはいけないと何度も自分に言い聞かせるが、そんな意思とは関係なく指はこうしてパソコンのキーボードを叩き続けており、背後では記念すべき瞬間を今か今かと待ちわびる猫の群れが、肩口から代わる代わるディスプレイを覗きこんでいる気配をひしひしと感じつつ、僕は完成を阻止しようと必死にあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああ ああああああああ
;ぴうytrfでえrちゅいいうyれrちゅいきうytれちゅい@ぴうytれ などと滅茶苦茶に指を動かすが、そんな悪あがきすらもこうして「物語」の一部として回収されてしまうので、僕にできることと言えば何とかこの一文が終わりを迎えぬ様に、文章を無意味にだらだらと引き延ばすことぐらいなのだが、それすらもいつまでもつか怪しく、ますます濃くなっていく背後の気配に絶望しながら、僕は心の中で、ああ、どうしてこんなことになってしまったのか、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だ
嫌
だと泣き喚くが、勿論それでどうなるわけでもないのはわかりきった話であり、畜生、どうしてこんなことに、何で俺だけこんな目にあわなきゃいけないんだ畜生、畜生、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、頼む誰か助けてくれこんなのは嫌だ知らなかったんだ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいという謝罪の言葉も虚しく、やがて僕の意識は耐えがたい恐怖の中で薄
れ
て
い
き
、
そ
の
爪
の
伸
び
た
指
は
、
物
語
を
終
え
る
べ
く
、
ゆ
っ
く
り
と
、
最
後
の
句
点
を
打
ち
込
ん
だ
。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ないことは、日本国憲法にもキチンと明記されています
狂気猫 阿炎快空 @aja915
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