第039話 伝説

◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆


「レティナ、あれがケンゴウだ。偽物……とは考えられん」


 ボディガードの身体的特徴を、なるべく詳細にセロさんに共有しておくべきだった。それは唯一かつ最大の反省点だ。セロさんが勘付くことができたはずなのに。


 以前、セロさんがトラウマレベルまでに強いと言っていた男、ケンゴウ。

 その男が、私たちのターゲットのボディガードとして立ちはだかった。

 ケンゴウは、バックヤードから持ってきた長さ1メートルほどの細長い金属製の棒を一本だけ右手に携えている。おそらく、空間に投影した映像を聴衆に指し示すための指示棒だろう。

 金属の鎧を身にまとったセロさんのことを訝しがる素振りは見せていない。一方のタヅナ役員は、姿が変貌したセロさんを凝視して腰が引けている様子だ。タヅナ役員は《眼の能力オキュリシムス》のことを知らないようだ。


 気だるそうに私たちの顔をチラリと見たケンゴウは、数回だけ瞬いた後に顎を前に突き出して私たちの身なりを凝視してきた。


「おーん? お前たち、名前は何だ? 会話は聞いていたが、さっきのは偽名だろ」

「……俺はセロ、後ろの女はレティナだ」とセロさんがおずおずと返答する。

「名か、それは? 姓の方もだ、姓の方」


 気だるそうな様子から一転、ケンゴウは私たちの身分に興味を持ち出した。金属棒を肩に担ぎ、肩を支点にして棒の先端をゆらゆらと動かしている。


「……ミデン、セロ=ミデンだ」

「私が、レティナ=ホイール」


 私たちがそれぞれフルネームで自己紹介すると、ケンゴウは大きな口を開けて笑い出した。


「くはーっはっは! お前たち2人共、顔に見覚えあると思ったら、ミデンの息子にホイールの娘か! ミデンの坊主はあのとき以来かぁ、親父に似てデカくなったなぁ。どうも、ケンゴウだ」


 ケンゴウが私の父さんと仕事上の関係があるということはセロさんの昔話で知っていた。私の顔を見て父さんのことを想起したということは、相当に深い関係性だったのだろうか。当然、セロさんの父親とも関係性が深いはず。


「くはーっはっは、しっかし、ミデンとホイールの子が一緒にいるのか! 面白いな、お前たち」


 ケンゴウがこの会議室に入ってくるときに感じられた敵意が、一切感じられなくなった。

 これは、チャンスかも?


 ボディガードが手に負えないほど強力な能力者であったときに、どのように逃げるのかについては事前に計画していた。また、タヅナ役員から情報を聞き出せたとしても敵対される可能性が高い。そういうときの逃走ルートをティオ君が確保してくれている算段だった。

 ただ、ボディガードがケンゴウであり、それが私たちに友好的であるということまでは当然に計画に含められていない。ここからはすべてアドリブになっちゃうね。


「おい、シンワダチのタヅナさんよ。契約はあんたの身の安全とシンワダチの情報資産の保護だろ? 闖入者の抹殺は含まれていなかったよな」

「……た、確かにそうですが、ケンゴウ様、まさかこの者たちを見逃すつもりで?」

「ちょっと遊んであげるだけだ。安心しな、契約の範囲であんたの身は守ってやるし情報も守ってやる」


 ケンゴウは、暖かい家庭で育てられたクリスマス前夜の少年のような瞳でこちらを見た。本当に、私たちとただ遊びたいだけなんだと芯から主張しているように見える。


「お前たち、2人とも能力を持っているんだろ? 俺は手に持った棒状のモノで、何でもどんなものでも斬れる能力を持っている。その能力でお前たちを攻撃することはないと約束してやろう。つまり、殺さないように手加減してやるってことだ。俺にその能力を使わないとマズいと思わせろ。そうしたら、お前たちの勝ちだ。逆にお前たちが戦闘続行不能になったら負けな」


 そう一方的に言い放って、カルダモは肩に担いでいた金属棒を振り下ろして、足先の床に横一文字に棒の先端を掠らせた。その跡には、温めたバターナイフを表面に滑らせた新品のバターブロックの溝のように滑らかな筋が残っている。

 あの金属棒の先端はゴム製のエンドキャップで保護されているから、硬いタイル敷のこの床を削るなんてことは不可能だ。ケンゴウの言う「どんなものでも斬れる能力」は本物だと思われる。


「能力を使わない? 何のためにそんなことをする?」とセロさんは警戒を維持して問いかける。

「今、言っただろ? これは遊びだ。遊びの理由は楽しみたい、ただそれだけだ。ミデンの坊主とは、あのときもルールを作って遊んでやっただろ。あれとおんなじだ」


 たしか、セロさんは競技剣道用の竹刀で木刀を持つケンゴウと手合わせしたとのことだった。一太刀でもケンゴウに当てることができたらセロさんの勝利、そういう条件戦が提案されたらしい。セロさんにトラウマを植え付けたほどの手合わせは、ケンゴウにとっての単なる遊びに過ぎなかった。眼の前のセロさんの身体が少しだけピクリと動いた。


「では、私たちが勝ったらどうなるのですか?」と私も確認する。

「ここに来てゴチャゴチャと詰問してたってことは、お前たちの目的はそこのシンワダチの役員から何かの情報を得ることなんだろ? それは情報資産を守るという契約上できないから、俺に関する別の何かなら提供してやるぜ」


 斬られることはない、ということは死ぬまでの被害はもたらされないはず。この雰囲気なら、私たちが負けてしまったとしても、ケンゴウは命までは奪わないように思える。リスクは低い。


「ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」


 セロさんはケンゴウを警戒したまま右手親指から伸びた刀を解除し、リングフォンのタップ信号で(交渉頼む)とだけ短く私に連絡してくれた。その右手の動きはケンゴウの眼に捕捉されていたようで、ケンゴウは小さく笑みをこぼしている。

私たちが発話以外でもコミュニケーションを取っていることに勘づかれてしまったかもしれない。ただ、モールス信号を改変し頻出単語を省略したオリジナルのパターンなので、何を伝えているのか分からないはず。

 とにかく、ケンゴウに要求したいことはただ1つだ。


「ケンゴウさん。あなたは、私の父、コルネウス=ホイールとお知り合いなんですよね? 私たち、父を追っているんです。私たちが勝ったら、聞かせてもらえないでしょうか。父のこと」

「はっ、ホイールのやつか、アイツも難儀な状況に追い込まれちまったよなぁ。それでいいぜ。ただ、それだと俺が話すだけで終わっちまうから、もっと俺に負担のある条件にしないとヒリつかないな……。そうだ、俺のボディガード1週間限定無料特典もつけてやろうか」


 世界でも有数の権力者しか依頼できないというケンゴウを無料で1週間雇える権利。父さんに関する情報に加えてそれが付いてくるなら願ったり叶ったりだ。それにしても、私たちの攻撃で自身が活動できないほど大怪我を負うとは微塵も考えていない余裕さが清々しい。

 セロさんも私も、頷いて了承の意を示した。


「いいね。じゃあ、役員さんはバックヤードで縮こまっておきな」

「ひえっ⁉」


 事態を飲み込みかねているタヅナ役員は、金属棒を脇に挟んだケンゴウにお姫様だっこされてバックヤードの方へと連行されていった。


「ち、ちょっと、私はあなたの依頼主よ!」

「触られたくないなら、依頼主には指一本触れないこと、とか契約に入れときなよ。この会議室はこれから少しばかり荒れるから、ここに閉じこもってるのが一番安全だぜ。依頼人が生きている限り、契約は継続しているからよ」


 タヅナ役員を守るためという言葉に嘘はないのだろう。けれど、バックヤードに長時間待機させられていた憂さ晴らしもそこには含まれているような気がする。契約には忠実だけれど、依頼主に誠実というわけではなさそうだ。

 ケンゴウはタヅナ役員をバックヤードの部屋に優しく投げ入れて、ドアノブを破壊して閉じ込めた。


「じゃあ、俺がこの棒を振り上げて『開始』と言ったら遊び始めるとしようか」


 手にぶら下げた金属棒の先端を床につけてカタカタと音を鳴らし引き摺りながら、こちら側へとゆったり歩いてくる。今まで敵対してきたどの人物とも違う、殺意も敵意も感じられない恐怖の笑顔が私たちを見つめている。


◆ ◆ セロ視点 ◆ ◆


 敵対する人物として、最悪なのか最良なのか判断が難しいな。

 《眼の能力オキュリシムス》という超常の能力のやりとりで、絶対の勝ち負けは基本的にあり得ない。ただ、俺の勘が、トラウマが、真っ向勝負では絶対にケンゴウには敵わないと警鐘している。


 向こうからハンデ戦かつ条件戦を提示してくれたことで、勝機は十分となった。ケンゴウが能力を制限しなければ、おそらく俺の《金蝕メタクリプス》により生成した鎧なんか関係なく切り捨てられるほど能力の強度が高いはずだ。

 レティナからのタップ信号で、ケンゴウが手にしている細長い棒は金属製であり、不純物は両端のゴムくらいしかないことを知ることができた。

 能力を制限してくれるならば、金属による俺への物理攻撃はそれを吸収することですべて無効化できる。それを悟らせなければ、会心のカウンターを与えられるだろう。


「んじゃあ、行くぞ」


 こっちは命をかけているつもりだが、ケンゴウにはそんな気は感じられない。本当に、遊びだっていうのかよ。


「開始ぃっ!」


 ケンゴウが床に向けて構えていた金属棒を、その開始の号令とともに振り上げた。

 開始とともにケンゴウが急襲してくることを懸念して、俺は後方へと跳ね跳んだ。そのままレティナのスーツを掴み、《移動モヴィーレ》によって共に亜音速で会議室の後端へと下がって距離を確保する。

 俺の《移動モヴィーレ》は、掴んでいる対象も移動させることができる。戦闘開始時にこうやって間合いを確保することは、タップ信号でレティナに伝えておいた。


 ……?

 違和感。

 高速移動の最中、リングフォンに慣れない通知の振動が届く。


 その振動に混乱し、思考が一瞬だけ奪われているうちに間合いの確保が完了した。

 高速移動を完了し終えた瞬間、掴んでいたレティナから疑問の解答が口頭で得られる。


「セロさん、圏外です! おそらく、通信網を斬られました!」

「……は?」


 レティナによる解答を脳で処理するのに、また数秒思考を停止してしまった。この隙に何かを投擲でもされていたら無抵抗で受けてしまったかもしれない。


「いいねぇ、嬢ちゃん。あんた、向いている」


 俺達が間合いを確保したことにより20メートルほど離れた場所で留まっているケンゴウは、金属棒を掲げたポーズのままレティナへの賛辞を送っている。

 レティナは、今、何と言った?

 通信網を、キられた? さっきのリングフォンの振動は、そうだ、通信圏外に入ったときのアラートだ。


「斬る能力を使ったのは開始と宣言する直前だったからセーフだろ? 周囲の電波を介した通信網は斬らせてもらった。そのオモチャを介したチームワークよりも、お前たちの個の力を見てみたい。それに、役員のばあさんに応援でも呼ばれたら遊びの時間が台無しになるからな」


 ケンゴウの能力は、手にした棒状の物体でどんなものでも斬ることができると、ヤツ自身が言っていた。

 どんなもの、というのは手に触れられる物質に限らないというわけか?


「残念ながらこの会議室じゃあ、今後一切の無線通信ができなくなっちまったなぁ。何でも斬れる、というのは斬ったものを絶対に繋ぎ合わせることができなくなるこということだ。まあ、設備への損害からの保護は契約範囲外だからいいか」


 能力を行使した本人は、どれだけのことをやってのけたのか実感することない様子だ。

 《眼の能力オキュリシムス》による能力は、イメージできないことは発現させることはできない。

 俺の金属を吸収し操る能力は、幼い頃に見た古い名作映画で全身が液体金属で構成されたロボットや、金属を遠隔で操るヴィランの姿が印象的に心に刻み込まれて、俺もそんな身体になったら心底格好いいと純粋に信じたことで発現した能力だと思っている。

 俺の《眼の能力オキュリシムス》は相当に特殊で強力な能力で、イメージ困難な力であることは自覚している。イメージを損なうことに繋がりかねないので、吸収した金属がどこに行って、どこからやって来るのかについては深く考えないようにしている。


 一方でこのケンゴウという男は、おそらく通信網はその名の通り網や紐で構成された概念なのだから、「斬る」というイメージを頭の中で構成させることができたのだ。

 空中を飛び交う電波を斬って、それを永続的に断ったままにできると本気でイメージできているのだ。今のケンゴウの言葉からして、それは二度と繋がることはない。

 俺から言えた立場じゃないが、相当に狂っている。


 レティナは、この突拍子もない能力に俺よりも数段早く思い至った。能力を介した戦闘で最重要である、思考の瞬発力が経験値のある俺を遥かに凌駕している。さすが、と言うほかない。

 そのレティナと、リングフォンのタップ信号によるコミュニケーションを断たれたのはかなり苦しい。それに、外にいるティオにも連絡できなくなった。行動の選択肢が一気に少なくなる。


 守るべきは、まずレティナ。

 守るためには、ケンゴウの言う通り俺が個の力を見せなければならない。


「レティナ、お前は部屋の端で待機して《観測スペクティ》で見続けろ。何か見つけたら叫べ! 俺は近接で戦う!」

「……っ! 分かりました!」


 レティナへの指示として大声を出したが、レティナは俺の唇を読んで何を言っているのか認識できるのでわざわざ発話する必要はなかった。この叫びは俺自身を奮い立たせるためであった。

 俺の憧れであり、トラウマでもあったケンゴウという存在。それが、異常な《眼の能力オキュリシムス》を携えて眼の前に立ちはだかっている。

 シャウトで精神を麻痺させなければ、脚を前に動かすことはできなかった。


◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆


 奥行き25メートルほどあるこの広い会議室において、一方の端にセロとレティナ。もう一方にケンゴウが立っている。

 ケンゴウは、遊びの開始時点からは一歩も動かずにセロとレティナの挙動を注視している。自分に絶対の自信があるケンゴウとはいえ、未知の《眼の能力オキュリシムス》を有する者を2人も同時に相手をすることには慎重にならざるを得なかった。

 むしろ、ケンゴウは慎重にならざるを得ない状況を楽しんでいた。


 先に動き出したのは、金属の装甲を纏ったセロ。

 直線の動きは容易に読まれると考え、ジグザグに空中を跳ねながらケンゴウへと迫っていく。


「おお、いい動きするなぁ」


 ケンゴウの視線は、超高速で動くセロの身体を的確に捉えている。

 セロは自身の動きが捕捉されていることには気づいている。しかし、ここで攻撃を止めても膠着状態が続くだけであると判断し、セロはケンゴウの非利き手側である身体の左側から突撃を決行した。

 しかし、ケンゴウに最小限のバックステップで躱されてしまう。


 セロは、当然に躱されてしまうことを予想しており、空中での瞬時の方向転換で躱された先にも追撃することを考えていた。

 だが、ケンゴウはセロの纏う超重量の金属装甲が身体に直撃するほんの数センチまで引き付けてから躱した。それゆえ、セロは追撃に移る判断が間に合わず、そのまま直進せざるを得なかった。

 ケンゴウはセロの空中での機敏な軌道を観察し、半端な避け方では追撃を喰らいうることを予想していた。それゆえ、セロさん追撃判断が間に合わないギリギリまて体当たりを引きつけていたのだ。


「なぁ、その鎧さぁ、伸縮自在なのか? もしそうなら、避けられないくらいデカくされたら危なかったなぁ。そうしないってことは、できないってことでいいか?」


 自身の右側に吹っ飛んでいったセロに向けて、ケンゴウは金属棒の先端を向けながら確認の言葉を投げかけた。

 その言葉から、セロはケンゴウの強さを改めて理解した。

 セロの渾身の突撃をギリギリまで引き付ける胆力。正確に避ける身体能力。そして、レティナ並の思考の瞬発力。

 セロの《移動モヴィーレ》による高速移動には重量制限がある。自身を含めて体重のおよそ3倍、300キログラムを超える物体とともには動かせない。また、《金蝕メタクリプス》により生成した金属を体表から10センチ以上伸ばして変形させることは、《手剣マネンシス》として指先から伸ばす刀を除いて実現できていない。そのため、ケンゴウが言ったように鎧のサイズを何十メートルにも拡大させて押しつぶすような手段は採れない。

 すれ違っただけのあの刹那のうちに、ケンゴウはセロの《眼の能力オキュリシムス》の限界を把握した。それを受けて、セロは鎧の中で背筋に冷や汗を流した。


「なあ坊主、鎧自体を動かして今の動きをしたんじゃないよな。あんな急停止急加速してたら鎧の中で全身打ちつけて死んじまうだろ。まさか、能力2個持ちか?」

「……ふぅ、さてな」


 壁に激突する直前で停止し、ケンゴウの方を振り返ったセロは強がって答えをはぐらかした。

 セロは心底恐怖していた。ケンゴウはセロの能力を「高速移動できる金属の鎧を着用する」という1つの能力であるとは考えずに、「変幻自在な鎧を着る能力」と「高速移動する」という2つの能力である可能性に一瞬で思い当たっている。《眼の能力オキュリシムス》を持つ能力者と無数に戦ってきた経験がその発想力の根源なのだろうと思い知らされた。

 《眼の能力オキュリシムス》の性能、知識、技量、経験、あらゆる点で劣っていることをセロは実感した。


「ミデンの坊主が能力2個持ちねぇ……。なるほど、なるほど、そういうことか」


 ケンゴウが思案する様子を見せ、初めて集中を途切らせたことにセロは勘付いた。

 恐怖から立ち直り、その隙をついて《移動モヴィーレ》で間合いを詰め、《手剣マネンシス》で右手の指先から伸ばした刀をケンゴウの胴に向けて伸ばした。しかし、それはケンゴウが手にしていた金属棒で下側から容易に弾かれた。

 刀を弾かれて、右腕を上方へと向ける体勢となってしまったセロ。その胴体部分は隙だらけ。

 ケンゴウがその隙を見逃すはずもなく、金属棒がセロの胴に向けて打ち込まれんとする。


 金属棒がセロを纏う金属の装甲にぶつかる直前、その装甲部分が消え去った。セロは自身の身体にケンゴウの金属製の得物を当てさせることで、それを吸収してケンゴウを無力化しようとしたのだ。

 しかし、装甲が消えた瞬間に金属棒はピタと止まり、代わりにケンゴウの膝蹴りがセロの横腹にぶち込まれた。


「ぐっ⁉️ あがぁっ!」

「セロさん!」


 金属棒を吸収つもりでいたセロは、予想外の衝撃に身体を曲げて苦しんだ。ケンゴウからの追跡を避けるため《移動モヴィーレ》を反射的に行使して10メートルほど後方に跳んだが、苦痛により思考がまとまらず着地に失敗して床に倒れ込む。口から粘度の高い濁った液体を垂らしながら、なんとかセロは体勢を立て直す。


「ごふっ……。分かって、いたのか……?」

「その手を使うんだったら、最初から鎧なんて着るんじゃねえよ。『金属を操る能力』だと推測できるだろうが。この棒でお前を叩いても意味がないって俺が気づいてないと期待するのは、ちょっと楽観的すぎやしねぇかぁ?」


 その可能性はセロも理解していた。ケンゴウの姿を見たときに、己のトラウマが反射的に身を守らせるために装甲を展開させてしまったのだ。

 セロが金属を由来とする攻撃に耐性があることにケンゴウが気づいていて、金属棒以外で攻撃を仕掛けてくるであろうとセロは警戒していた。しかし、金属棒を振り下ろす動作をヒット直前で止めて、予備動作なしで膝蹴りに移行できるケンゴウの異常なまでの体幹を想定することはできなかった。


「んじゃあ、まあ、楽しませてくれているサービスだ。次、接近してきたらこの棒をミデンの坊主に打ち込んでやるよ。ただ、ひとつ、呪いの言葉を送っておく。さっき俺は『棒状のもので何でも斬れる』という能力は使わないと言ったが、別の能力は今も使っている。これでも、打ち込んでいいかい?」


 別の能力があることの示唆。

 《眼の能力オキュリシムス》を2つ有しているのか、1つの《眼の能力オキュリシムス》が複数の能力を持っているのか。前者であれば、全く異なる体系の能力ということになる。後者であれば、おそらく手にした棒状の物体で何かを斬ること近しい能力だと考えられる。

 そして、その能力は今も使っているという。目視では簡単にわからない変化をもたらしているのだろう。

 セロは、思考の渦に再び巻き込まれた。


「セロさん、金属棒の攻撃は受けたらダメです! おそらく、ケンゴウさんの『何でも斬る』能力には『握っている棒状の物質を絶対に壊れない剛体にさせる』という側面もあるはずです。あの棒を振っても全くしなっていませんし、セロさんの刀を弾いた箇所に傷ひとつありません! セロさんの能力で取り込めない可能性が高いです」


 レティナは会議室後方から叫んで、ケンゴウを観察した結果得られた情報を提供した。それにより、セロの思考は晴れた。


「ありがとう、レティナ」

「嬢ちゃんの方は冷静だなぁ。観察眼を高めるような能力なのかね。チームワークを発揮されると相当恐ろしい関係性だな。そこまで意図してなかったが、通信を斬ったのはお前たちに相当なダメージになっちまったな」


 セロは亜音速で移動する関係上、《移動モヴィーレ》の行使中には周囲の音を認識しにくくなるデメリットがある。能力の副次的な恩恵により風切り音など移動に伴う騒音は聞こえないように調整されているが、周囲の音を正しく聞くことは恩恵の対象となっていない。そのため、セロが戦闘しているときには基本的にリングフォンのタップ信号を介してコミュニケーションするように事前に話し合っていた。

 それが防がれた今、セロが動いていないときを見計らって声をかけることしかレティナからセロへの情報伝達の手段がない。レティナはセロの動きが止まった今、現在得られているすべての情報を投げかけることにした。


「ケンゴウさんの対応力は異常です。初見の攻撃を最大威力でぶつけないと驚きもしないでしょう」

「……そうだな」

「セロさん、私も遠くから見ています。球を使った遠距離の戦法で、ケンゴウさんに冷や汗をかかせてあげましょう」

「……そうか、任せろ」

「ほほぉー、そりゃ楽しみだ。何を見せてくれるんだい」


 セロは、レティナが言わんとしていることを理解した。

 身体の周囲に纏った金属装甲を解き、着ていたスーツの上着とシャツを脱ぎ捨てた。何でも屋の制服である赤黒いタイトなウェアを顕にした。

 そして、《金蝕メタクリプス》によって手のひらから直径1センチ程度の金属球を複数個生み出し、腕の周囲を超高速で公転させ始めた。球体が空を切る音が旧世代のドローンのようにブウンと鳴り響く。


 セロは大きく息を吸って胸を膨らませ、再び空中を跳ねた。空気を弾く破裂音が連発する。

 今回は突撃するためではない。


 セロの身体の周りで加速された金属球が、超スピードで放たれる。1割程度は部屋のあらぬ方向へと放たれるが、ほとんどはケンゴウの身体へと向かう。さらに、砲手であるセロの身体がケンゴウを中心として広い会議室の中を縦横無尽に動き回ることで軌道の予測を困難にさせる。

 1発の金属球の加速が完了して放たれるまでおよそ3秒かかるが、セロは同時に10個近くの金属球を体表面に展開できる。すなわち、1秒あたりおよそ3発の球を放つことができる。

 《移動モヴィーレ》によって亜音速で敵の周囲を跳ね回り、《金蝕メタクリプス》で致死的な威力をもつ金属球を全周囲から撃ち込む、セロが遠距離で攻撃する時の奥義だった。


 しかし、その攻勢でも、ケンゴウには届かない。

 周囲を跳ね回るセロを正確に眼で追いながら、ケンゴウは金属の指示棒の両端をそれぞれ両手で握って構える。放たれた球はすべて身体をすり抜けるように避けられるか、一見頼りなさそうに見える金属棒に弾かれ、無傷で対応されてしまう。


「こりゃスゴいな! だが、動きが直線的すぎで銃口から射線を読むのより分かりやすいぞ!」

「ぜ、全部、見切られてる……⁉︎ これも《眼の能力オキュリシムス》の力?」


 レティナはケンゴウの滅茶苦茶な身体能力に唖然として呟いた。

 セロが金属球を放つ動力は、シンプルな遠心力によるものだ。それゆえ、金属球が公転する平面を延長させた方向だけにしか球を飛ばすことはできない。

 金属球の加速に3秒ほど要するので、レティナの《観測スペクティ》で強化された動体視力であれば飛ぶ方向を確かに察知することはできる。しかし、レティナの運動能力では察知できたからといって安全に避けたり弾いたりすることはできない。

 そんな離れ業を、ケンゴウは喋りながら軽々しくやってのけている。ケンゴウが伝説と呼ばれている理由を、セロもレティナも身をもって理解した。ケンゴウの人間離れした動きも何らかの超常的な力によって支援されていると2人は想定しているが、その正体を掴めない。


 しかし、余裕の表情を見せていたケンゴウは、自身に向かって飛ばされたある金属球を弾いたとき、灰色の太い眉を寄せて、これまで見せていなかった険しい表情を見せた。

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