第037話 作戦会議

◆ ◆ レティナの回想 ◆ ◆


 全身を拘束されて、麻酔を導入される。

 ああ。

 ああ。

 あああ、あの感覚だ。

 私の脳の水底に隠されていた記憶が、フェンネルに拘束されたことを契機として滝壺の気泡のように湧き上がってきた。


 病に苛まれつつも物心がつき始めた、4歳ごろの記憶。昼光色の激しく明るい光が降り注ぐ中、私は革製の頑丈な拘束具で全身を覆われてベッドに拘束されていた。あれはそう、手術室だった。

 見覚えのある手術室。これは、その当時において見覚えがあったという訳ではない。この記憶を回想している今の私自身に、このときの記憶以外で見覚えがあるのだ。この天井の素材や照明の形はシンワダチ病院のものとよく似ている。

 セロさんに拘束されたときにこの記憶を思い出せなかったのは、シンワダチ病院に関する記憶の糸が繋がっていなかったからかもしれない。


「レティナ。この《叡智》によって……」


 口と鼻には呼吸器が装着されて乾いた無臭の空気だけが肺に送り込まれるのを感じながら、誰かの声が耳に届いた。

 手術台のそばで誰が私の名前を呼んでいたのかまでは定かではない。父さんだったのか、見知らぬ医師や看護師だったのか分からない。わずかに動く首をその声の方に向ける前に、麻酔が導入されて意識はカクンと途切れ、今の私の視点からすると思い出の気泡がぱんっと弾けるように途絶えたからだ。


 《叡智》、たしかに、そう呼んでいた。特別な固有名詞でない限りは、発音がよく似た別の語ではないと思う。


 この日をもって、私の容態は快方へと向かっていった。ベビーカーに乗せられて移動する以外は寝たきりの生活だったゆえ身体を年相応に動かせるまでには時間を要したけれど、言葉を覚えることはかなり早かったと思う。何せ、5歳のときに聴いた父さんの講演の内容は、専門用語は理解できていなかったけれど、その大意は掴めていたくらいだからだ。

 私に施された何らかの手術によって、私の病気は治った。《叡智》と呼ばれる処置によって。


◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆


 2120年8月11日、日曜日。トスタ市役所とレティナ誘拐の事件から1日の休息を置いた早朝に、何でも屋の3人は事務所に集まっていた。

 レティナは神妙な面持ちでセロとティオにリビングに集まって欲しいと頼んでいた。


「あのぉ、私、幼少期のことほとんど記憶に残っていないんですけれど、攫われて目覚めたときに記憶がほんの少しフラッシュバックしました」

「ああ、レティナさんが病気だったときのこと?」

「そう。私、カルダモが人体実験されていたっていうシンワダチ病院で何らかの手術を受けていたと思うんですよね」


 普段の軽薄そうに会話を切り出すレティナとは打って変わって、6人掛けテーブルの対面に並んで座っているセロとティオの顔をしっかりと見据えていた。


「なんだと……?」


 フェンネルに拘束された状況が、失われていたレティナの記憶を呼び起こしていた。その報告に、セロは驚嘆し、ティオは言葉を失った。


「シンワダチ病院に関して、昨日家に帰ってから改めて調べました。シンワダチはリングフォンで成功を収めてから医療関連の事業から撤退しています。シンワダチ病院は確かにこのトスタ市に存在していました」


 シンワダチ病院という中規模の総合病院がトスタ市の北部にあったのは事実として残っている。ネットで検索すれば、病院内外の写真が残っており、口コミサイトに患者のレビューもアーカイブされていた。

 一般的な運営が為されていた医療法人であり、特におかしな情報は見当たらない。だからといって、本当に普通の病院であったのかは分からない。《眼の能力オキュリシムス》による情報消失により重要な情報はネットからは失われている可能性もある。レティナは、調べていて「普通すぎる」ということが逆に怪しいと訝しんだ。


「撤退したのはもしかして、カルダモが言っていた研究者の消失した、2103年の話じゃないか?」

「そうです。17年前の2103年、父さんが消えたのと同時期にシンワダチ病院は廃業しました。廃業してすぐに病院は取り壊されています。私の病気が治ったのは4歳のころ、2102年ですから、その時まで私はシンワダチ病院に入院していたと思います」


 シンワダチ病院の廃業の理由は単に諸般の理由とだけ公表されていて、実際の理由は残されている情報からは分からない。

 シンワダチ病院の跡地はリングフォンのチップ製造工場に変わっており、病院の面影は一切ない。世間の人も、リングフォンが成功したことによって医療関連事業から業態をスイッチさせたのだろうと思われている。それは実際に正しいのであろうが、カルダモが証言した研究者や他の患者の消失の説明にはならない。


「もしかして、レティナさんも改造手術を受けていたんじゃないの?」


 ティオは重苦しい雰囲気を変えようと深く考えずにジョークを言ったつもりだった。しかし、それは十分に考えられることであり、レティナとセロは黙ってしまった。

 ティオはバツが悪くなり、顔を僅かに伏せた。

 ふぅ、と軽くため息をついて、セロが沈黙を破った。


「ティオ、何を言っているんだバカ……とツッコミたくなるが、それは否定できんな。というか、レティナはそう思い至っていたからこそ、こう真剣に話しているんだろうな」


 セロはレティナに目配せした。それにレティナは頷いて応えた。


「失礼を承知で訊くが、レティナが幼少期に患っていたという病気とは、どういうものだったんだ?」

「……後天的脳萎縮症。数億人に1人程度、新生児に発症する希少疾患です。簡単に言うなら筋ジストロフィーが筋肉を衰えさせる病気なら、脳萎縮症はその名の通り脳などの神経中枢を衰えさせる病気です」


 レティナのゆっくりと言葉を噛みしめるような回答を受けて、再び静寂が訪れた。


「師匠、レティナさん。これ、みんな思い浮かんでると思うから言っても良いと思うんだけどさ。レティナさんが極端に頭の回転が早いのって、もしかしてカルダモの肉体と同じパターンじゃ……」


 カルダモは、筋肉が衰える筋ジストロフィー症に罹っていた。その後、未知の手術が施されることで異常な筋力を得た。

 一方、レティナは、脳萎縮症により認知機能が衰えていた。それに対して未知の手術を施せばどうなるかというのは、3人全員とも同じ理解をしていた。


「そう、だよね。私はシンワダチ病院で何らかの処置を受けて脳萎縮症が治り、さらに思考力が爆発的に向上したのかも。今は記憶力かなり良い方だとだと思うんですけれど、手術前の幼少期の記憶だけすっぽり抜け落ちていることは、その仮説を補強する材料だと思います」


 レティナは左手の人差し指を顎の先に軽く当てて思案した。


「ただ、スクレラちゃんの身体能力の件はシンワダチ病院とは直接関係なさそうです。私より6歳下で、スクレラちゃんが産まれたときにはシンワダチ病院はすでに無いですから。重位相化を利用した何らかの方法により筋ジストロフィーや脳萎縮症を治療し、さらには増強する技術がシンワダチ病院から外に持ち出されているのかもしれません」


 重位相化を応用することで生命の機能をブーストできる、何らかの方法がある。これは、《眼の能力オキュリシムス》とは異なる体系の超常的な能力であり、カルダモや過去のスクレラ、過去のレティナが《眼の能力オキュリシムス》の情報消失の影響を受けていたということには矛盾しない。その事実も今回の仮説を支持している。

 もっともらしい仮説ではあるが、現状確かめる術は手元には無いため、何でも屋の内での議論はここで止まってしまった。


「結局、この謎の解明もレティナさんのお父さん頼みってわけですか」


 ギプスの取れたばかりの右腕をさすりながら、ティオはやるせなく呟いた。


「いや、まだコルネウスに到達できる材料は得られていないが、確実に近づいていっているはずだ。そのためにカワヒサ市長の依頼を受けたんだからな」


 レティナの誘拐騒動で一時停滞していたが、そもそもトスタ市役所でカワヒサ市長の依頼を受けていたのは、シンワダチに接近するコネクションを得るためであった。

 現在のシンワダチに関する調査も当然にレティナたちは進めていた。リングフォンで大規模なビル群を3人で囲んだ机の上に空間投影ディスプレイで投影しながら、その調査結果を共有し始める。調査結果に関して、レティナは共有し始めた。


「シンワダチ先進研究センター。ここのセンター長であり常務執行役員の新轍タヅナは、17年前にシンワダチ病院の病院長でした。そして、何よりもタヅナ役員はカワヒサ市長への脅迫の首謀者である疑惑があります。重要な事実を知っていそうですね」

「俺も調べたが、役員レベルはセンター内に私邸があるらしく、外出時の警護も厳重でプライベートを狙うのは難しい。つまり、次はシンワダチ先進研究センターへの潜入ということになるな」


 セロは腕組みしながら答えた。


「潜入にあたって、カワヒサ市長に協力を取り付けるのがいいだろう。今週末、面会可能であるとのことだ。情報消失の性質により先日の事件の一部は忘れてしまっているはず。説明に少し苦労するかもしれないな」

「よーし、久しぶりに僕も仕事に行けるよ」


 腕の骨折が完治して復帰一発目の仕事に奮起し、ティオは右腕を肩から回してやる気を示した。


◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆


 2120年8月16日、金曜日。

 何でも屋一行のセロ、ティオ、レティナはスーツに身を包んでトスタ市役所の特別応接室を訪れていた。


「いやはや、1日足らずでレティナ様が無事に戻ってきたと聞いて安堵しておりました。こうして再びお顔を拝見することができてより一層心を落ち着けることができるというものです」


 カワヒサ市長は朗らかに何でも屋一行を招き入れた。セロは慎ましやかな菓子折りをカワヒサ市長に手渡しつつ、柔和な表情でカワヒサ市長に挨拶をする。


「市長には多大な心労をお掛けしてしまいました。誘拐事件は万事解決しましたのでご安心ください」

「いえいえ。本物の秘書のリィンは無事に戻ってきました。ブランチとか称する団体に拘束されたものの、丁重に扱われていたそうです。どうやら彼は口止め料をたんまりともらって解放されたらしく、私も詳細は聞けておりません。幸いにも秘書は辞める気がないとのことで、今も裏で事務作業を進めてもらっています。しばらく前から急に仕事ぶりが変わったと思ったら、まさか人物ごと変わっていたとはびっくりですよ。姿形も声色も全く同じにできるとは、まったくプロの仕事は恐ろしいですね」


 ブランチという裏稼業団体に所属するロイジという男は、肉や体毛などを一定量摂取した哺乳動物に変身することができる《眼の能力オキュリシムス》を有していた。シンワダチ社のタヅナ役員からの依頼で、市長への脅迫工作を実現するため様々な市職員に化けて市役所に入り込んでいた。

 秘書のリィンに化けて脅迫工作を激化させようとしていたその当日に、セロとレティナが依頼を受けて面談にやってきたのだった。ロイジは有名な何でも屋一行と敵対するのを避けるため、慌てて別の人間に変身して逃げようとした。しかし、レティナに捕捉されてしまい、先日の通りセロに捕らえられてしまったのである。

 本物の秘書はブランチの拠点で確保されていた。現在は無事に解放されて仕事に復帰できている。


「そちらのお若い御仁が、同じく何でも屋のティオ様ですね? お話は伺っております。若いのにとても優秀であらせられると」

「は、はい。ティオ=ティーズと申します。よろしくお願いします」


 ティオは全身が角張ったようにぎこちない礼をした。久しぶりの仕事であることと、普段からニュースでしか見ない大物に対面し、緊張を隠せないでいた。


「ティオ、固くなるな。市長は寛容な方だ」

「は、はひ」

「ははは、初々しくてよいことです」


 カワヒサ市長は快活に笑いながら、何でも屋一行に応接用のソファに腰掛けるよう、しなやかに手で合図をした。座りながらセロは口を開いた。


「ご相談の本題に移る前に、カワヒサ市長。先週の事件についてどこまで記憶されていますか? 脅迫事件後の秘書の逃亡と、レティナが誘拐された件です」

「ええ、覚えておりますとも。秘書に化けていた人物であり脅迫事件の犯人であった男はセロ様が捕まえたと聞きました。その最中に襲ってきた宙を浮く男がレティナ様を誘拐しましたが、それもセロ様が無事解決されたと聞いております。警察には通報しておらず、他の者にも内密にしておりますのでご安心くだされ」


 淀みのないカワヒサ市長の回答に、何でも屋一行は態度には表さないものの驚きを覚えた。


「……市長、男が浮いていたところを覚えているのですか?」


 セロがゆっくりとした口調でカワヒサ市長に確認した。少なくとも、《眼の能力オキュリシムス》という超常の能力の存在が疑われうる、フェンネルが鎖を用いて身体を浮かしていた場面に関しては性質によって忘却してしまうと一行は考えていた。


「ははは、そこまで耄碌はしておりませんよ。しかし、あれはなんとも不思議でしたな。あれから落ち着いて思い起こすと、男の周囲にキラキラ光る紐か鎖のような物が伸びているのも思い出しました」


 カワヒサ市長は、レティナを攫わんとするフェンネルの様子を鮮明に記憶していた。

 この事実に、カワヒサ市長も能力者ではないのかという疑念が一行の心中に湧き上がった。セロの隣に座っているレティナも確認の質問を繰り出す。


「カワヒサ市長は、これまで眼の奥が熱くなって、ご自身の身体や周囲に現実とは思えない奇妙なことが起こることはありませんでしたか?」

「奇妙なこと? それはあの男が浮いていたようにですか? いえ、特に思い当たることはありませんが……」


 カワヒサ市長は本当に何も心当たりがないと言わんばかりに、少し斜め上方に視線を泳がせながら考えて返答した。レティナはそのときのカワヒサ市長の心拍数や発汗の程度を注視したが、嘘であることを示す手がかりは得られなかった。


 セロは「すみません、私たちで数十秒だけ打ち合わせさせてください」と申し訳無さそうに断って、何でも屋一行を部屋の隅へと集収させた。

 小さな声でカワヒサ市長が《眼の能力オキュリシムス》のことを記憶できている件について協議を始める。


「《眼の能力オキュリシムス》の情報消失の性質、なかなか複雑ですね。私の父さんの能力に性質が効かない疑惑に加えて、カワヒサ市長という個人に効かない疑惑も出てきました」


 《眼の能力オキュリシムス》の情報消失は、セロの経験則によれば24時間以内には完了する。

 フェンネルはガラム内部でも能力を行使していた。もし、フェンネルの能力自体に情報消失の性質が効かないのであれば、カルダモやジュニパーもフェンネルの能力を記憶していたはず。しかし、《眼の能力オキュリシムス》による超常現象に不慣れな様子であったことから、フェンネルの能力に対して性質は作用していたことは明らかであると一行は考えていた。つまり、今回は無能力者であると思われるカワヒサ市長一個人に対して記憶の改竄が行われないという、これまで理解してきた性質から外れたことが起きている。


「師匠、どうします?」

「別口で調べておきたいな。カワヒサ市長が能力者だとしても、無能力者であることを偽装する理由がないし、そもそも偽装したいなら事件のことを忘れていると主張するはずだ。覚えていると言うメリットが考えられない。ここは後回しにしておいて、シンワダチの調査を優先しよう」


 この疑念の解消は今回の本題ではないので、一行は一時放置しておくこととした。

 セロは2人を引き連れて、ソファの方へと帰っていく。


「すみません、内輪の話を進めてしまいました。市長がご記憶されていたようでよかったです。早速本題なのですが、市長への脅迫事件は完全には解決しておりません」

「なんと……?」


 秘書を攫って変装していた男が主犯だと思い込んでいたカワヒサ市長は、目を大きく見開いて驚いた。


「秘書に化けていた男は変装の達人でした。その者が言うには、あの写真に写っていたシンワダチ社の役員、新轍タヅナの依頼を受けて脅迫に及んだとのことです」

「タヅナ様が……? 彼女は新研究拠点の新設には確かに否定的な立場でしたが、まさかそんなことを」


 カワヒサ市長は口元を手で隠し、深く思案する様子を見せた。


「タヅナ役員がなぜ否定的なのかはご存知でしょうか?」とセロは追加で確認する。

「新研究拠点は、リングフォンとは異なる新技術に注力すると聞きました。これまでのリングフォンの稼ぎをすべて注ぎ込むレベルの大規模投資とも言われており、老齢のタヅナ様にしてみれば保有している株式への影響を心配されている……なんてことを、まことしやかに噂されています」


 何でも屋一向にとっても、自社の発展を妨害するような工作を依頼するタヅナ役員の動機を図りかねていたが、カワヒサ市長の回答に合点がいった。セロは首を振って、両隣りに座っているレティナとセロの顔を見て頷いた。


「西区にあるトスタランドは施設老朽化と業績不振で営業停止し、その跡地の利用について官民で議論になっていることはご存知でしょうか。西区は市の観光特区条例に基づき、私企業が工場や研究所を建てることが禁止されております。それを特例で解除し、シンワダチ社の新研究拠点として開発を進めることが市議会で議論されています」

「ニュースで見たことありますね。シンワダチ社のエンターテインメント部門が体験型娯楽を提供することで観光客を受け入れることも検討されているとか聞きました」とティオはすかさず返事をした。


 シンワダチエンターテインメントというシンワダチグループの関連子会社は、VRやARなどの家庭用体験型のデバイスを多く販売している。ゲーム業界に明るいティオは、そういった情勢にも詳しかった。


「ティオ様、よくご存知で。新研究拠点により創出される雇用。シンワダチエンタメにより誘引された観光客が、近郊の観光施設や宿泊施設を併せて利用することによる経済効果。それらを試算して提示したところ、議会も全体的に賛成の趨勢となっております」


 市長は両手を広げてその経済効果の大きさをアピールした。市長自身も推し進めたいと考えているプロジェクトである。


「……それほどの肯定的な状況を、タヅナ役員は株式資産の変動を心配するという個人的な理由だけで反対されようとしているのですか」とレティナはぽつりと呟く。

「それはあくまで噂ですから、真実は分かりませんな」


 タヅナ役員は、株価が安定している状態でリタイヤしてそのまま売却したいのだろうと関係者からは推測されている。しかし、それは事実であるのか分からない。


「カワヒサ市長。変装工作で市長を脅迫させてまで新研究拠点開発を停止させようとしたタヅナ役員の真意を調査したくはありませんか?」


 セロは、座ったまま身体を前に倒してカワヒサ市長に顔を近づけながら、そう切り出した。

 カワヒサ市長は口角をわずかに上げて笑みをこぼした。


「ほほう、今回の面会の本題は先日の報告だけでなく追加調査のご営業、というわけですな。知りたくないといえば、嘘になります」

「実は、我々も別件でシンワダチの役員レベルの人物に聴取したいことがあります。ですが、我々ではシンワダチの上層部にアクセスすることは難しいのです。そこで、カワヒサ市長のコネクションで何らかの会談を設けていただけないでしょうか。そこに我々を同行させてください。これは私たちからの依頼とも言えますので、もちろん追加の報酬はいただきません」


 セロは、真摯にまっすぐカワヒサ市長の目を見て訴えた。カワヒサ市長と会話を重ねた結果、変な搦手は用いずに、実直にやりたいことを請うことが好ましいだろうとセロは判断した。


「……ふっ、なるほどですな。大した報酬額をご提示していないにも関わらず、あの著名な何でも屋の皆さまが私の依頼を受けてくださったのはそれが狙いでしたか。そういう打算的なやり方は好きです。それに、解決のためには皆さまの手を借りないわけにはいきませんな。いいでしょう、やりましょう」

「ありがとうございます」


 何でも屋一行は深く感謝の礼をした。カワヒサ市長も礼を返した。


 カワヒサ市長は、ふうと短いため息をつくと、立ち上がって特別応接室の大きな窓の方を見た。その視線の先には、周囲の建造物と比して飛び抜けて大きいビル、シンワダチ本社ビルがある。視線を固定したまま、カワヒサ市長はゆったりと話し始めた。


「シンワダチを調査するとなると、1つ懸念がございますな。皆さまはご存知ですか? シンワダチの怪物という存在を」

「怪物、ですか?」


 何でも屋一行の3人は、同時にそう返答した。


「シンワダチ社のこれまでの発展を支えてきた、超人的な人物です。その名も、新轍クサビ。シンワダチ株式会社の現会長です」

「ああ、聞いたことあります。リングフォン開発時の社長で、今は一線を退いていると」とティオは答える。

「その会長が、なぜ懸念だと?」とセロが質問する。


 カワヒサ市長は、何でも屋一行が座るソファの方を見た。


「シンワダチ社がこの20年成長するなかで私はずっと市長でしたので、もちろん彼、クサビ様とは何度かお会いしたことがあります。その彼ですが、なんというかその、オーラというか、存在感が他の人物とは異なるのですよね」

「……オーラ?」とセロは疑問を口にした。

「はい。私は人に対する審美眼をそれなりに持ち合わせいるつもりで、セロ様をはじめ、何でも屋の皆さまも相当な傑物だと見えます。ただ、クサビ様には言葉では言い表せない、凄まじい何かがありました。未来のことを何でも理解しているような、確信的な言動。医療事業をはじめ、多角的な事業で迷走していた一地方の中規模家族経営と揶揄されていた企業を、リングフォンというデバイス事業に注力して世界的企業に持ち上げたその手腕。まさに怪物です。会っただけで突風を受けるような圧を感じたのは、それこそレティナ様のお父様であるコルネウス様とクサビ様をおいて他にありませんな」

「市長からそう聞くと、父も怪物のように感じられますね」


 レティナは笑いながら答えた。それを受けて、カワヒサ市長は笑いながら先ほどまで座っていたソファに座り直した。


「ははは、ご息女に対して失礼ですが、コルネウス様もまさに怪物で間違いないでしょう。それで、そのクサビ様ですが、役員レベルの意思決定が行われる場には積極的に顔を出すようにしているようです。一線を退いた今では直接的に経営に口を挟まないそうですが、現役員には相当なプレッシャーらしいですな」

「それほどの怪物がいる環境でシンワダチの内情を調べることは難しいだろう、という意味での懸念なのですね」とセロは確認する。

「そうですな。彼の手にかかれば、自らの監視下においてシンワダチの不利になる情報は一切漏らさせない。そう断言できます」


 何でも屋の3人とも、クサビ会長が《眼の能力オキュリシムス》を有している可能性が高いと感じていた。セロとレティナは、おそらくクサビ会長は予知能力のようなものを有しており、それを利用してシンワダチを成長させたのだろうということまで想像していた。


「もちろん、私も協力させていただきますよ。シンワダチの怪物とて1人しかいません。今、市とシンワダチ社の間にはいくつか合意しなければならない重要議題があります。それを名目に、主要な役員を集める官民会議を始めるように調整しましょう。そうすれば、クサビ様はそちらに出席するはず。先進研究センター長であるタヅナ役員には別件で相談事があると持ちかければ、クサビ様の監視下を外れて事情聴取できるでしょう」


 カワヒサ市長は、手のひらをセロたちに向けて伸ばし、笑みをこぼした。「こういうお膳立てをすれば、皆さまは動きやすいでしょう。ぜひやってください」という意図を、発言せずとも感じ取ることができた。


「カワヒサ市長も、相当な傑物ですね。市長を長年勤め続けてきたその手腕の一端を垣間見ることができました」とレティナは感心した。

「ははは! 過分な評価、結構、結構。それでは、先ほどの内容を秘書に調整させたいと思います。会議の日程は最短でも2週間後ですが、あちらとしても早めに詰めておきたい内容なので、最短の2週間後に設定されるでしょう」


 カワヒサ市長がそう言いながら立ち上がるのに合わせて、何でも屋一行も揃って立ち上がった。


「では、市長側での調整が終わり次第、詳細を詰めていきましょう」


 カワヒサ市長とセロは固い握手を交わした。

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