第036話 怨嗟の塔

◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆


 ようやく決着だ。セロさん、少し慎重に行動しすぎだよ。


 フェンネルの身体はこの棟の地上部1階に墜落した。

 セロさんのスーパー体当たりを食らっても、自発的にフェンネルの身体を保護するように動くあの鎖が体当たりの衝撃を和らげていた。それに、ぶつかる金網状の通路をいなしながら落下していった。墜落時の衝撃も鎖が頑張って緩衝してくれていたので、フェンネルの息はまだある。


 私は地階でパイプ椅子に拘束されたまま横に倒れて、2人の戦闘をずっと透視して見守っていた。拘束されながらも何とか動かせていた腕を振って手の甲を地面に打ち付けていたので、赤く腫れている。それ以外は特に怪我はない。

 その地階に、セロさんが降りてきた。物理的な南京錠でドアがロックされていたものの、金属製の錠やドア自体を吸収して破壊し、難なく私のもとへとたどり着いてくれた。


「セロさん、ありがとうございます。すみません、市役所では油断していました」

「いや、レティナは悪くない。とにかく、無事で良かった」


 私を取り巻く麻紐が、セロさんの刀によって切断された。

 数時間拘束されていて、随分と身体の関節が固まってしまっていて立つのに億劫になる。そんな様子を見かねたセロさんは、手を取って私の身体を一気に引き上げて立たせてくれた。


「フェンネルはまだ意識がありますよ。もう能力を展開できるだけの集中力も残っていないみたいなので、いろいろ聞き出しましょう」

「そうだな」


 私達は、階段を登ってフェンネルが倒れておる地上階へと上がった。


「く、ぐぁ……」

「あの体当たりでは死なないとは踏んでいたが、意識まで残っているとは驚きだな。まったく、お前の鎖が金属製でなかったら負けていたかもしれんな。お前は強いよ」


 地上階の鉄板張りの床に仰向けで倒れているフェンネルを挟むように、セロさんと私は直立してフェンネルの顔を見下ろした。

 セロさんは軽くしゃがんでフェンネルの顔面に近づいたかと思うと、指先から顔面全体を覆う金属製のマスクを出現させてそれを装着させた。鼻や口の部分は空いているので呼吸や発話に支障はない。けれど、眼の辺りはすべて塞がれていて視界はすべて真っ暗だろう。

 遠隔で鎖を伸ばすフェンネルの外向系の《眼の能力オキュリシムス》を制限するためだ。


「……なぜ、さっきのが、ブラフ、だと?」


 フェンネルは息も絶え絶えに、セロさんに質問を投げかけた。


「んー、どのブラフのことを言っているのかは分からんが、お前はいくつか能力を誤認させるようなことを言っていたよな。なんだっけな」

「ああ、最後ですかね。遠隔で生やす鎖で、人質としていた私の身体を害そうとすることを示唆していました」


 読唇術で見た限り、セロさんに追い詰められたフェンネルは最後に発狂し、そのような言葉を発していたようだった。


「ああ、それか。フェンネル、自分でも無理筋なブラフだと分かっていたんだろ? 遠隔で作用するような《眼の能力オキュリシムス》は、基本的にその対象を視界に収めなければ能力を行使することはできない。現に、お前は鎖を通路や柱から生やすときにはその方向に視線を移していた。だから、地階に閉じ込められて目視できないレティナを鎖でどうにかできるはずはないだろうとすぐに理解したよ」

「……ぐ」


フェンネルは押し黙ってしまった。


「一番怖かったのは、さっきも言った通り、金属製以外の物質で俺に攻撃されることだ。幸いにも、この建造物のほとんどが金属製だったから、鎖で木材か何かを巻き取ってそれで俺を殴るなんてことが難しい環境で助かった」

「なぜ、です。それほど慎重であるならば、この棟に入る前にしばらく逡巡しても、よかったはずです。ですが、セロ君は少しの警戒はありつつも、あまり何も考えずにここに入ってきたように見え、ました」

「ああ。お前は監視カメラで、俺が単身でやってきたのか、また、俺がどういう動きでこの棟に入ってくるのかを見ていたんだろ? お前が見ていたということを俺が知っているってことは、どういうことか分かるか?」


 そう。この棟の地階には空港の管制室のような設備があり、旧火力発電所の敷地内の状況を監視カメラでモニターできるようになっている。もともと発電所にあった設備ではなく、ガラムが設置したもののはずだ。その場所で、フェンネルは敷地に入ってきたセロさんの様子を確認していた。それゆえ、セロさんが単身で乗り込んできたこと、さほど警戒もせずにこの棟に乗り込んできたことを知っていたのだ。


「セロ君の《眼の能力オキュリシムス》は、高速で移動する能力と、金属を吸収する能力のはず。そして、レティナ君が周囲の環境の情報を遠隔で収集する能力を有しているのでしょう。しかし、レティナ君はリングフォンを剥奪していたので通信できなかったはず。まさか、テレパシーのような能力が……? いえ、それなら市役所で誘拐した瞬間にセロ君の反応がなかったのは不自然……」

「俺の《金蝕メタクリプス》についてもう少し詳しく言及すると、吸収してから吐き出した金属を、かなり強力かつ精密に操作できる能力だ。強力さに関していえば、お前が鎖を動かせないほどの力を込めることができ、回転させて放り出せばライフルに匹敵する威力の金属球を投げることができたことから、身をもって分かっているだろう」


 フェンネルは、セロさんの解説を大人しく聞いている。もはや抵抗する気はないようだ。

 セロさんは急に右足で地面をストンプして、金属製の鉄板の床にけたたましい音を響かせた。その振動は、ゴウンゴウンと音を響かせながら80メートルはある棟の上部へと伝わっていった。私も軽く驚いたし、地面に寝転がっているフェンネルは相当に驚いただろう。


「な、何、を……?」

「どうだ、振動を感じたか?」


 セロさんは優しいね。私がセロさんにどう情報を伝えていたのかを体験させてあげているんだ。


「ま、まさか、今のように、振動で? モールス信号か何かを使ったのですか⁉」


 フェンネルは思い至ったようだ。


「そうだ。お前、地下でレティナの拘束を緩めただろ。どうせなにもできないと侮って、腕を動かせるようにしたのがお前の敗着を早めた一因だな」

「確か、に……。ですが、今のあなたのような蹴りほどの振動を発生させることはできないでしょう。それに、そんな揺れが規則的に来れば私も気づきます」

「それが、俺の《金蝕メタクリプス》の精密さを活かせるポイントだな。レティナの虚弱な腕を使って地面を叩くことで響かせる振動でも、俺の能力であればその振動を捉えられる」


 金属製のマスクから覗くフェンネルの口がぽかんと開いて、唖然としていることがわかる。


「しかし、その振動が棟の上部に正しく伝わるかなど、地階のレティナ君にはわからないではないですか」

「うーんと、それはね。私の眼なら微細な振動も視認できるんだよね。目が覚めた瞬間に、あなたの足音の振動が棟の上部に綺麗に伝わっていくのに気づいてこの情報伝達の作戦を思いついたんだ。セロさんが棟に触れて振動を感知してくれるかは賭けだったね。伝わればセロさんが楽に戦えるというだけで、セロさんの勝利は揺るぎなかったと思うからリスクのない賭けだけれど」

「ぐ、ぐ……」


 さすがに私の眼でも上層にどういう振動数の振動が届いているのかまでは分からないけれど、建物が震えていることくらいはわかる。そして、セロさんが建物に手を触れたときの表情からやセリフから振動による連絡が正しく伝わっていることも理解できて安心した。隔絶されていたけれど、私達は双方向に疎な情報伝達が実現できていたのだ。


「レティナは身体を揺らして椅子を倒し、手の甲で地面を叩いて情報を送ってきてくれた。レティナの身体を拘束していたのは能力で生み出された鎖ではなく一般的な麻紐だったな。つまり、出現させる鎖には本数や距離などの制約があるかもしれないこと。棟内のほとんどは錆びた金属で構成されているため、俺の脅威となるものはほとんどないこと。そのほか、お前との会話内容とそこから推定される性格、棟内の構造などの情報を、外壁の階段を登る間に得ることができた」


 セロさんが外壁に触りながら階段を登っていたのは、私が発した振動による通信をキャッチするためだった。

 また、振動による情報伝達がフェンネルに捕捉されてしまうリスクはほとんどないと考えていた。棟の壁や地面を手で直接触れないと感じられないような振動であり、フェンネルは身体に生やした鎖で身体を持ち上げて移動していたからだ。鎖に鋭敏な触覚がない限りは気づかれないと踏んでおり、それは正しかった。


「く……、これも、貴方たちを、そして《眼の能力オキュリシムス》を軽んじていたワタクシのせいですか……」


 フェンネルは身体から完全に力を抜いた。


「それだけじゃない、お前のミスはもっと前にあったな。市役所でレティナを捕らえたときに、そこでレティナが市長に言葉を残す猶予を与えたことだ。そこでレティナの『大丈夫』という残された言葉から、おそらく敵は金属を主とする能力であると予測することができた。金属を取り扱う能力なら、俺がメタを張れるからな。お前は、お行儀よく振る舞わず、もっと非情に、市長を口封じで殺すべきだった。そして、俺達の事務所に几帳面にも果たし状なんて送らずに襲撃して、ティオも殺すべきだった。そうすれば、俺は何も準備することができずに隙だらけの状態に陥っていただろう。そして、他のガラムの能力者と協力して俺を叩くべきだった。おそらく、レティナやティオといった若い能力者をガラムに取り込みたかったんだろう? 変に色気を出して、お前だけ単身で事に及んだのが最大のミスだ。一対多を警戒していたんだったら、逆に多対一に持ち込むべきだった」


 でも、それはフェンネルのプライドの高さが許さなかったはずだ。主幹として、他の人間に仕事を振ることはあると思われるだろう。けれど、自分が相応しい仕事だと思うと他の人間には関わらせないタイプだ。


「ぐ……」

「さて、お前のこれからの処遇は理解しているな? これだけ俺達の能力を開示してしまったんだ。ガラムに返すわけにはいかなくなった。よりよい将来のために、お前がするべきことは分かるよな?」


 セロさんは再びしゃがんで、大きな手でフェンネルに装着させたマスクを鷲掴みした。すぐにフェンネルはうめき声を上げ始めた。セロさんの《金蝕メタクリプス》で金属が操作されることで、マスクのサイズが縮まっている。それによってフェンネルの頭部が締め付けられている。


「あっ、あっ、ぐ、ぐぎ、うぐ。いい、でしょう。わ……、ワタクシの、完敗です」


 フェンネルは観念し、ガラムの内情に関する語りを始めた。


◆ ◆


 フェンネルが、過去に有名自動車会社の人事担当であったこと。その業界に見切りをつけて、ガラムに加入したこと。ガラムの組織を改革した功績と《眼の能力オキュリシムス》の力で主幹へと上り詰めたこと。そして、ジュニパーを利用して、自動運転車を対象としたサイバーテロを仕掛けようとしたこと。

 ガラムという組織については、トップに元首という存在があり、その下に数名の元老がいて、さらにその下で主幹が手足となって組織を動かしていること。レベルとタイトルという制度で指揮系統関係が明示されていること。

 以上のガラムの根幹にかかる重要な情報をフェンネルは開示してくれた。

 私の父さん、コルネウスのことも尋ねてみたけれど、フェンネルは世間一般に知られている情報しか持ち合わせていなかった。


「なるほどな。お前の上には、マジョラムという元老がいるのか。他の元老や主幹については知らないのか?」

「基本的に主幹に横の繋がりはありません。私はガラムのレベル5以下の構成員の人事権を握っていますが、それよりも上には関与しておりません。したがって、ガラムにいる他の者の能力者について聞き出そうとしても無駄ですよ」

「その言い方、レベル6以上なら《眼の能力オキュリシムス》を持っている可能性が高いってことと同義だけれど、その理解でいいの?」

「ぐ。そ、そうですが……」


 そこまでは言うつもりはなかったのかな。口を滑らせてくれた。

 今の反応的に、レベル6以上は全員《眼の能力オキュリシムス》を持っていると考えたほうがいいだろう。どれだけの人数がそのクラスにいるのか分からないのが怖い。


「じゃあ、あなたの下位にあたる地区幹部や専門幹部の情報も教えて」

「え、ええ……」


 私の問いかけに回答を渋るフェンネルに対して、セロさんは指先から刀を伸ばし、それで金属マスクの額部分を強く叩いた。フェンネルが苦しそうな嗚咽を漏らしているのを見ると、頭の中を相当な反響音が支配していることが想像できる。


「ここまで話したんだ。内情をどこまで漏らしても同じだろ?」


 そこから、フェンネルは自身が管理する各地の地区幹部の情報を赤裸々に漏らしていった。さらに、シンワダチなどの主要企業に産業スパイとして入り込んだ構成員の存在など、これからシンワダチとの関係を深めるのに重要な情報を得ることができた。

 そして、ガラムの本部の存在。それは国外にあるそうだが、主幹レベルにもその所在は明らかにされていないそうだ。一般便に偽装された専用空港機に乗り込み、何らかの移動系の《眼の能力オキュリシムス》によって転送されるため、フェンネルも本部を訪れるときにどこに行っているのか分からないそうだ。無機質な広い部屋に連行されて、そこでマジョラムというレベル8の元老と対面することができるだけ。そこで、対面でなくては伝えられない組織内の指令などを受領する。フェンネルが知るガラムの本部の全容はそれだけだ。


「転送する能力か。連れて行かれる先が能力で生み出された空間かもしれないことを考えると、お前を解放して跡を追ってみるのは危険すぎるな」

「ガラムについての追加調査は難しそうですね。主幹のフェンネルが父さんのことを知らないとなると、ガラムの本部にいるという元老クラスの人間に聴取しない限り情報を得られなさそうです。カルダモが病院脱走後に接触したとされるガラムの重鎮はおそらく元老でしょうし」


 やはり、父さんの情報を得るには、まずシンワダチを調査する必要がある。主幹を排除することができた現状、しばらくはガラムに対する能動的なアクションの優先度は下げておいてよいだろう。ガラムに関連する依頼を今後受けたときには、今回の情報を活用させてもらおう。


 フェンネルから聞き出せる情報は、おそらくすべて搾り取ることができた。私はそう判断して、セロさんの顔を見て頷いた。セロさんは浅くため息をついて、おもむろに立ち上がった。そして、フェンネルの顔のすぐ横に直立して、顔を下に向けた。

 セロさんは、指先の刀を1メートル程度まで伸ばし、それをフェンネルの喉元の上部へと動かし鉛直に下げた。


「ああ、レティナ。そろそろお前の身体も限界だろう。発電所を出て先にタクシーで帰っておけ」

「……じゃあ、セロさん。私はお先に失礼させていただきますね」


 私はこれから起こることを理解し、その場からゆっくりと歩いて立ち去り始めた。

 視界を塞がれたフェンネルは、セロさんの行動に気づいていないようだ。しかし、私たちの会話の急な切り替えを不穏に感じ、そこからセロさんの殺気を読み取ったに違いない。


「なっ! ガラムの内情を暴露すれば命は助けてくれるのではないですか⁉」

「……そんなこと、俺は約束していないぞ。頭を締め付けたら、勝手にお前が暴露し始めたんだが。お前をガラムに帰したら、保身のために俺たちを襲撃するように仕向けてくるつもりだろ? 俺の能力が公開された今、そんなリスクある選択をできるはずがない」


 セロさんが開けてくれた棟の地上部の大きな扉を押し開きながら、私は背後から聞こえる2人の会話を聞く。フェンネルの慌てた声が耳に響く。

 その行為について、私が何でも屋に加入するときに決意は表明した。けれど、優しいセロさんは私に配慮してくれた。


「お前の性格的に、保身に走り組織の重要事項を漏らすことは分かっていたが、想像以上だったな。お前の部下のカルダモやクローブは、ガラムの本質に関することには口を噤んでいたぞ。手足として扱われていたあいつらのほうが、組織人として優秀であったな」

「ばっ、馬鹿を言えッ! ワタクシこそが、ガラムのっ……」


 私は、背後にいるセロさんの方を透視することなく扉を出た。錆びついた扉はしっかりと閉まらず隙間があるので、2人が何かの会話をしていればまだ聞き取れるはず。けれど、フェンネルの怒鳴り声を最後に何も聞こえなくなった。

 いや、それは正確ではない。夜風が私の癖毛をはためかせるのと同時に、この旧火力発電所のタービンN棟の上部の開放部から、地鳴りのような、うめき声のような痛哭が辺りに広がった。


 赤味を帯びた黄色いスカーフが、廃墟と化した発電所の上空に風に煽られて飛んでいた。

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