第035話 本領
◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆
完全に身体を拘束させてしまえば、セロの高速移動ではもはやどうすることもできない。指先から伸ばす刀は、ことごとく鎖に弾かれる。そもそも、フェンネルの身体に届かせるまで刀を伸ばすことはできない。
常人ならば肉は裂けて骨が砕かれるほどの張力の鎖で全身を絞め上げられているセロは、未だにその眼から闘争の意思が見て取れた。
「く、くく……」
刀を伸ばすのは無駄だと悟ったセロは、指先の刀を体内に収めて抵抗を辞めるとともに再び笑い声を漏らした。
「セロ君。その状況であなた、何を笑っているのですか」
「お前が攫ったレティナはな、極度の正直者だ。レティナは、作戦上必要なことでなければ一切の嘘はつかない。いや、あえて本当のことを言わないことがあるというのが正確だな。逆に言えば、口に出した以上、それは本当のことだと思っていい」
呼吸も満足にできないほど胸部を締め付けられているはずのセロだが、淀みなくフェンネルに対して言葉を紡いでいく。
「何を言っているのです?」
「お前は自分の判断が最も正しいと考え、他人の意見なんかには揺るがない自信家だろ? そんな人間にハリボテの嘘なんかついても意味がない。そういう奴に対してレティナは、無駄なことは言わない」
フェンネルは、眼の前の男はもう狂ってしまったと理解した。絶体絶命のこのタイミングで、地階に捕らえられている人質の言を借りて講釈を垂れるなど、正気の沙汰ではない。もし仮に正気なのだとしたら、口撃に切り替えて激昂させ隙を作るという無理筋の作戦を決行しているのだろうと考えた。
「レティナは、ただ事実を言っただけだ。お前が俺に勝てる道理はない」
その自信満々な言い草に、フェンネルは挑発だと理解していても苛立ちを募らせてしまった。事実、フェンネルは自分自身のことを尊大な自信家であると理解しており、セロの性格診断は間違っていない。
あえて挑発に乗って、フェンネルはセロの眉間の数センチ前まで1本の鎖を伸ばし、そこで静止させた。
この男をこのまま絞め上げて人間スムージーにしてしまうのは造作でもない。しかし、その前に精神から折る必要がある。この男が嘆き、苦しみ、許しを請い、ガラムに従順な態度を取るまで痛めつけなければならない。そう、フェンネルは考えた。
もちろん、フェンネルは自身が挑発に乗っているということを理解しており、殺さず痛めつけるからといってわざと拘束を緩めたり逃がしたりするほど油断はしていない。
一方のセロは、眼前に迫った鎖の先端を寄り目の状態で注視しながら、笑みを絶やしていなかった。
「その鎖、先端どうなっている?」
セロは、ぼそりとフェンネルに語りかけた。
外見では、少しくすんだ銀色の鎖から何も変わっていない。
「何を、一体? ん、む……?」
フェンネルは、セロの掛け声に反応して、鎖の先端を注視した。しかし、何も変化はない。ただ、違和感があった。
鎖の動きが鈍い。
いや、鈍いというより、先端が固定されて動かすことができない。根本の部分は自在に動かすことができるが、セロに突きつけた鎖の先端の2ピースほどが空中に完全に固定されている。
「何をした……、貴様⁉」
急な異常事態に、フェンネルは声を荒げた。
◆ ◆ セロ視点 ◆ ◆
レティナには、俺の能力はすべて筒抜けだったということだ。長年連れ添ったティオにも気付かれていないのに。
あの女は本当に賢い人物だ。俺が嘘を言っていることに気づいておきながら、なぜ俺が嘘を言っているのかに勘付き、その嘘を正そうとしなかった。
まったく、本当にやりづらい。
「能力には相性がある。お前がついさっき講釈を垂れていたことだ。それは正しい」
鎖で絞めあげられた首をぐるりと回して拘束を緩める。そして、俺の手足や胴に巻き付いた鎖を注視し、その鎖の拘束も緩めた。そう、俺の意思で。
「ただ、俺が単なる物理攻撃タイプの能力というのは、見立てが間違っている」
鎖の拘束から解放されたので、壁沿いの通路にさっと離れて着地する。俺の4メートルほど前方で通路に鎖を巻き付けてふよふよと浮いているフェンネルは、何が起こっているのか分かっていない様子だ。自分がこれまで自在に操ってきた鎖をコントロールすることができておらず、混乱しているのだろう。
「俺が指から刀を出す能力を持っている、というのは嘘っぱちだ。この能力のことを俺は《手剣マネンシス》と呼んでいるが、これは別の能力のごく一部でしかない」
指先から10センチほどの刀を伸ばして、呆けているフェンネルに見せつけてやる。
「俺はな、触れた金属を体内に吸収することができる。そして、吸収した金属を体内から自由に生成することができるんだ。これを俺は《
その言葉と同時に、俺は指先からだけではなく全身からハリネズミのごとく金属製のトゲを伸ばした。表面は艶めかしく周囲の光を反射し、棟の上部から漏れ入ってくる月の明かりをハイライトにして煌めいている。
「何ですと……?」
フェンネルは、俺の解説を頭に叩き込むのに精一杯なように見える。口を小さく開けて呆けている。
「《
俺は、全身から生やしたトゲを身体に収めて、胸の前で上方に向けた右手の平から直径2センチ強ほどの真球を生み出した。ちょうど、《眼の能力》をもたらす球体と同じくらいのサイズだ。それを操作して、音もなく手の平から20センチほど浮かした。
「刀っていうのは両手で柄をしっかりと握って力を加えてこそ斬ることができる武器だ。指先から生やした刀を振るって物を斬るなんて、指や腕の力がどんなにあったって不可能だ。指が根元で折れてしまう」
金属球を浮かしたまま、俺は左手の人差し指を刀に変化させて、その刀で球体を斬りつけるような動作を示した。しかし、金属球に刃をカンカンと当てても弾かれるだけだと演出した。
「《
その言葉の後、左手の刀がコツンと当たった金属球を、俺の操作によって真っ二つの半球にパッカリと分けた。
「なるほど……。《
「ほぉーん、あんたも相当能力について研究しているな。確かにそうだ。俺やお前のように、身体から何かを生やしてそれを操作するタイプの能力は、実質的には人体の拡張だ。能力は頭の中でイメージしやすいものほど精度が上がる。そうすると、手や指先から生やしたものの方が操作するイメージが容易で精度は高いな」
この男、俺が今まで出会ってきた中で最も《
鎖による自動迎撃などはその成果だろう。頭でイメージしなければ能力の行使はできないのに、無意識下で能力を行使するというのは相当な高等技術だ。俺でさえも、皮膚に何らかの強い衝撃を受けて初めて反射で能力を行使するのに精一杯であるのに対して、フェンネルは自身の身体の周囲3メートル程度に入った物体を自動的に弾いて防御できるように見えた。
「そして、私の鎖はあなたにまんまと食べられてしまったというわけですか。私が動かすことのできなかったこの鎖や、あなたが難なく抜け出した拘束用の鎖も、すでにあなたが生成した金属に置き換わっていると?」
さらに、俺の説明を的確に理解する思考力を有している。相手の出方次第で、何でも屋は全員潰されていた可能性も十分にあるな。
状況を飲み込んできたフェンネルは、口をひん曲げて不快感を顕にした。黄色いスカーフから覗く細い首筋に、幾本もの筋張った線が走っている。
そして、フェンネルは、身体から生やしていた1本の鎖を俺の心臓部分に突き刺してきた。それは音速をも超えうる速度だった。
だが、俺の衣服に触れた瞬間、鎖の先端はとろけて俺の肉体へと吸収されていった。
「……バカな、こんな一瞬で?」
「金属を吸収する速度よりも速く叩きつければ攻撃が通ると思ったか? 良い試行だが、貴重なアームを1本失ったぞ」
伸ばした鎖をフェンネルは引き戻した。鎖の先端は高圧のウォータカッターで切断したかのようになめらかに断ち切れていて、輪が切れた先端の鎖のピースは脱落して通路の金網に軽い金属音を立てて落下した。
なるほど、身体や壁につながっている根元側だけを操ることができ、鎖が切断されて脱落すると先の方は操作できないのか。この特徴は戦闘中に観測することはできなかったな。
「骨っていうのは、身体を支えるだけでなくカルシウムイオン濃度の管理に役立っている。俺は、体内の健康上問題ない程度には全身の骨格を《
フェンネルの攻撃をわざと何度も受けていたのは、鎖の金属を吸収し、俺が生成した金属に置き換えるためだった。また、奴の周囲を飛び回っていたのは、鎖の最大本数を把握し、満遍なく全体の鎖を俺が生成した金属に置き換えるためだった。奴の能力は常に新しい鎖を生成するのではなく、使い回しされているのに気づけたからこそ、相手の鎖を俺の金属に置き換える作戦に踏み切れた。
「それに、《
「ぐ、最初から私の能力はセロ君に通用しなかったということですか……?」
そう。フェンネルが生み出す鎖が金属製、正確には鉄を主としたクロム、ニッケル合金のステンレス鋼であったことが敗着の原因だ。カーボンなど非金属元素が主たる素材であった場合には、おそらく俺は負けていたはずだ。
「こういうの、ゲーム用語でメタを張るっていうんだっけな? ティオがゲームしながらよく言っていた。能力同士のやりとりだと、時にこういうことが起きてしまう。どんなに出力が強い能力でも、相性的に敵わないってことがある。だから、自分の能力は隠しておかないといけないし、その一端を見せたとしても奥の手は常に用意しておかないといけない」
そう言いながら、俺は先程真っ二つにした金属球を1個の真球へと戻し、右手の人差し指の周囲を旋回させる。金属球の残像の軌跡が天使の輪のようにつながって見えるまで、その旋回速度を速める。
「その、セロ君の指の周りを回転しているのは……?」
「これがまあ、俺の奥の手の1つさ。高速で移動できるから遠距離攻撃の必要性が乏しい俺だが、選択肢の1つとしてできるようにはしている。俺の体表数十センチ内の金属は自在にコントロールできるから、こうして俺の身体を中心として超高速で公転させ、遠心力で金属球をぶっ放すことができる」
この金属球の貫通力を高めるために、球体に自転方向の力も加えていく。その回転が周囲の空気を渦巻かせ、大型の蜂が羽ばたくようなブゥンという低周波音が辺りに響く。
「この音、聞こえるか? 空気抵抗を受けやすいキレイな球状の金属球であっても、ライフル弾の初速を超えるスピードで回っている。これに当たったら、どうなるか分かるだろ?」
「ま、待てっ! 我々、ガラムはもう貴方たちに手はっ……」
上に真っ直ぐ立てた人差し指をフェンネルに向けて軽く倒すと同時に、金属球に加えていた公転させるための中心力を解除した。公転から解放された金属球は、フェンネルへとまっすぐ発射された。
だが、こいつには鎖による自動迎撃がある。胸に風穴を空けるはずだった金属球は、3本程度の鎖によって斜めに弾かれ、フェンネルの後方へと吹っ飛んでいった。
「おお、ナイス弾き。マシンガンを受けても無事ってのはマジみたいだな」
「ぐっ、手を出さないと約束すると言っているでしょう!」
フェンネルは鎖をわしわしと動かして俺から間合いを確保した。奴が棟の中央の柱に、俺が内壁の通路に立っているという構図は同じであるが、先ほどとは客観的な力関係が異なっている。
「お前も主幹という鎖に縛られた駒なんだろ? ガラムの他に代わりがいるんなら、今お前を見逃したところで俺たちの今後の安全が保証されるわけじゃない。眼をつけられた時点で消すしかないだろうが」
俺は再び金属球を出現させて、指先で公転させ始めた。その指を、フェンネルによく見えるように上方に掲げた。
「カルダモはガラムに対して深い情報は持ってなかった。そりゃあ、お前みたいな頭の固い奴が上にいたら情報は絞られるわな。だが、お前は違う」
「ぐ……、くくく。では、頭の固いというワタクシが情報を漏らすとでも思っ!」
金属球を発射し、フェンネルの発話を遮った。この状況であっても情報を出し渋ろうとするところに、プライドの高さが窺えるな。
「なあなあ、強がるな、強がるな。ついさっき口に出した言葉を忘れたのか? 俺たちに手は出さないって怯えながら本心で言ってたよな? 組織として、敵対する俺たちは何があっても潰すべきだろ。さっきの言葉は身勝手な保身以外の何なんだ」
「なっ、何を、そんな馬鹿なことを」
「秩序を守りたいだの言っておきながら、お前はただ自分が支配できる心地よい空間を作りたかっただけなんじゃないか?」
すべての動きは鎖に任せているので、フェンネル自身の身体はほとんど動いていない。それにもかかわらず、フェンネルはぜぇぜぇと苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
「《
俺の言葉はフェンネルの図星を突いたのか、歯を食いしばって怒りを顕にしている。
「い、言わせておけばァッ!」
ここで冷静で居られないのがこの男が弱いところだな。
フェンネルは俺に真っ直ぐ突撃し、10本程度の鎖を俺の頭部、頸部、胴体に突き刺してきた。さらに、通路の手すりから4本の鎖が出現し、それも同様に俺の手足を拘束しようとしてくる。普通なら致命的な攻撃だ。
もちろん、その鎖はすべて俺の肌か衣服に触れた瞬間に溶け消えた。《
「……なんだ? 鎖のアームはもう尽きたのか?」
フェンネルの身体を支える鎖もなくなり、金網の上に立ったまま上半身を前に倒し、頭をだらんと垂らして俺に後頭部を見せている。細長い腕がふらふらと揺れている。
鎖のアームを使い切ったもコイツに為す術は、もうない。
「く、くひひ。全部見透かしたかのように生意気垂れてたが、詰めがぁ甘いッ!」
「ずいぶんと攻撃的な口調に変わったな。それが本性か?」
フェンネルは頭を上げ、俺の顔を凝視してくる。30代後半程度に見えていた顔面が、一気に60代まで老け込んだように見える。
「貴様の目的は何だ? ワタクシから組織のことを聞き出すことかァ? 違うだろォ? あの女を助けることだろォ? ワタクシが触れたところから鎖を伸ばせるのを忘れたかァ⁉︎」
「……! まさかっ⁉︎」
フェンネルの叫声を受けて、瞬時に俺は通路の手すりを飛び越え、レティナが閉じ込められている50メートル下側の棟の地階に向けて跳ねて落下していこうとする。
「馬鹿がッ!」
フェンネルは《
なるほどな、確かに金属製の鎖ではなく人体であれば俺の《
「ただ、さっきから騙し方が狡いんだよな、お前」
「……は?」
落下する俺に何かを仕掛けてくることを見越していた俺は、空中を跳ねて移動し体当たりしてくるフェンネルの少し上空に位置取った。
「お前こそ、俺が空中を跳ねられることを忘れたのか?」
そして、俺の体表を武骨な金属製の装甲で覆う。
俺の《
フェンネルの身体に向けて俺の最高速度・超重量の直下体当たりをぶつけた。
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