第034話 主幹
◆ ◆ フェンネルの胸中 ◆ ◆
ガラムという組織は、無秩序を秩序化する巧みな組織体系により成り立っています。上下関係が明確なレベル制度、責任の所在が明確なタイトル制度、そして地区別や専門別の組織区分、どれも過不足なく組織を成り立たせることに利しています。一般的な会社で設定されるべき組織体系は、裏社会の荒くれ者どもでさえも束ねられます。
まさに普遍的、まさに秩序、まさに美。
この世のあまねく事象は、調和されているべきです。調和から外れることは、鎖によって縛られ正されねばなりません。
それが他の誰にも為されないのであれば、ワタクシが為さねばなりません。
働きアリの中で一部が無能となるように、残念ながら、一定の割合で組織の中に無能が現れることは許容せざるを得ません。そして外部から攻撃を必ず受けてしまうことも避けられません。秩序を乱すそれらは、正しく律することでより強固な秩序を形作ることに繋がります。不変こそが秩序なのではなく、変化に対応する普遍こそが秩序なのです。
《
元首、元老、主幹など、ガラム内部にいる《
まともに組織秩序を維持させようと考えている者など、元老のマジョラム様かワタクシくらいしかいないでしょう。
ですが、それでこそワタクシの存在意義があるというものです。マジョラム様はお忙しい身ゆえ、末端まで管理するのはワタクシの役割となります。
来る日も来る日も、指導、指導。無能どもは、毎日のように同じ間違いを繰り返します。曲がった鉄の棒を引き伸ばしても、クセがついていて力を加えるとまた同じところで曲がってしまいます。そうなると使い物にならなくなってしまうから、処分、処分。
やはり、鎖のように、強靭でありながら柔軟な存在でなければ秩序には適しません。
数年前まで、ワタクシは著名な自動車会社の人事部門で管理職を勤めておりました。
会社の重点領域を強化する組織改定。時勢を考慮した人事制度改正。どの活動も、確実に経営に利する成果を得られました。しかし、採用活動と人材育成ばかりはどうしてもうまくいきませんでした。
組織とは、常に代謝が行われるものです。突出した個人もしばらくするといなくなってしまう。適切な人員を集め、育て続けるサイクルが回らなければどんどん腐っていく。その観点で言えば、自動車業界は自動運転車の世間への普及が完了して経済的に停滞しており、すでに枯れ木ばかりの土壌でした。数百年前に夢想された空飛ぶ車などのブレイクスルーが起きない限り、この先細りの業界に人が集まることはありません。
一方で、犯罪とは常に最新の情勢に適応し続けなければすぐに時代遅れになります。暴力とは、人類が生まれてからというものの一貫して社会的問題を解決する簡便な手段です。それらを行使する者がこの世からいなくなることはありません。犯罪と暴力を統べるガラムという組織の人事システムを整備して勢力を拡大させるのは、普遍的に調和を広げるものであり、もっとも私に快感を与えるものでした。
何よりも、不意に得たこの鎖の能力を正当に活用できるのは、ガラムという組織以外にはありませんから、転職するのは自明だったと言えるでしょう。
数年前にガラムに加入し、レベル5の人事分野の専門幹部の座を与えられて初めに取り組んだのは、配下の構成員のスキルの可視化とレベルと責任の所在の厳密化でした。ガラムの魑魅魍魎とした構成員を規格化し、大型犯罪時の適切なアサインによって失敗率を大幅に減じることに成功させました。その成果と、私が強力な《
ガラムにおける主幹とは、ほとんど絶対的な存在です。タイトルとして形式的に上には元首と元老がいますが、組織の運営は主幹が握っています。元首の意思を元老が整理し、主幹を束ねる元老のマジョラム様が我々主幹に指令を送ります。その命を違えなければ、主幹はガラムにおいてあらゆる自由を行使できます。
レベル5以下に対する絶対人事権を得たワタクシは、ガラムの専門部隊をより強固にすることが可能となりました。ワタクシの古巣の自動車業界には、さまざまなコネクションが残っています。量子重位相暗号化によって通信自体の傍受や干渉が行えなくなったとはいえ、そもそもシステムにバックドアが仕込まれていれば意味がありません。自動運転の中枢管理システムをクラックし、全世界の交通インフラを停止させる。一世一代の大犯罪を実現させるときが来たのです。
そのための一手として、エンジニアリング部隊の育成を進めていました。ジュニパー君を筆頭として、トスタ地区に専門人材を集めていました。カルダモ君は苛烈な性格で組織の上下関係の絶対さを叩き込むのが得意なタイプですので、外部の人材をガラムの流儀に矯正させるのに都合が良かったのです。
しかし、セロ君たち何でも屋にトスタ地区の部隊が突然に潰されてしまいました。
何名かは非番で襲撃の日に工場にいなかったため、計画がすべて破綻となったわけではありません。しかし、ジュニパー君ほど理知的でスキルのある人物が失われたのは大きい。半身不随の状態で彼女にエンジニアリング部隊を率いさせるのは荷が重い。彼女の指導の完了後には、拡張手術を施さねばならないでしょう。
何でも屋のことは忌々しいですが、これは新たな機会とも捉えることができます。セロ君を除いて成り代わってしまえば、何でも屋の名を冠して表社会との地域密接な関係性を築きやすくなります。そして、人質としているレティナ君は適切に指導を重ねて餌を与えれば、優秀な手足として活躍できそうです。
何でも屋。貴方がたの力を我々に取り込ませていただきますよ。
◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆
挟み撃ち攻撃によって、セロの《
フェンネルの視線が不自然に自身の後方へ移ったことを感知したセロは、超人的な反応によって身を捩り、背面への鎖攻撃をいなした。しかし、すべての衝撃を殺しきれず、また、身を捩ったことで不幸にも反射回避のしにくい衝撃の受け方をしてしまい、通路から弾き出されてしまった。
放射状に広がる隣のレーンの通路の手すりをなんとか掴むことに成功し、セロは落下せずに済んだ。
「レティナ君は、ワタクシがセロ君に勝てるはずがないなどと言っておりましたが、この体たらくですか。まったく、失望しましたね」
フェンネルは退屈そうにため息を吐いた。
「くく……」
一方、手すりから這い上がって通路の金網に立ち直したセロは、不気味に笑い声をあげた。
「どうしました? セロ君」
「ははは、はーっはっは。そうか、レティナはそんなことを言ってくれていたのか」
セロを知る者から見れば、普段は無表情のセロが声をあげて笑うのは珍しい。初めて出会ったフェンネルから見ても、自分と同じくらいの長身の無愛想な大男が笑い出す様子にたじろいだ。
笑顔をすっと消したセロは、通路の金網の上で数十センチふわりとジャンプした。その滞空中に、膝を大きく曲げる。
金網に着地する瞬間、セロはその脚を一気に伸ばし、もろい金網をフレームからへし折った。その衝撃による甲高い音に混じって、赤錆の粉が周囲に舞い散る。
支えをなくした金網は自由落下を開始する。当然、その金網を蹴り落としたセロも落下し始める。
だが、セロは再び滞空中に膝を曲げ、それを伸ばすと、空を蹴るように跳ねた。そのまま直線の軌跡を残しながら、脚を曲げて伸ばすたびにカクカクと折れるように方向転換し、縦横無尽に空中を跳ね回る。セロが跳ねるたびに、パァンと空気が弾ける音が鳴る。《
フェンネルを中心として5メートルほどの距離を保ちながら、セロは空中を跳ねてフェンネルの死角に回ろうとする。だが、フェンネルの鎖による自動迎撃により、フェンネルの背面を取ってもセロは近づけない。
「ほお、空を跳ねますか。私も立体的な移動はできますよ」
身体にまとわりつく羽虫を散らすように、フェンネルは鎖の腕を全方向に払ってセロを遠ざけた。そして、さらに5本程度の鎖を肩甲骨の辺りから生やし、棟の中央の柱へ突き刺した。多足類の虫のように鎖を一斉にわらわらと動かして、フェンネルは柱を駆け登り、棟の上端の方へと移動した。
その後をセロはぴったりと追って跳ね上がる。
追われていることを認識したフェンネルは上昇中に振り向き、複数の鎖を鞭のように動かしてセロを上から迎撃しようとした。さらに、フェンネルが柱に鎖を突き刺した跡からも鎖が飛び出し、再び上下の方向の挟み撃ちを仕掛けた。
鎖が直撃する寸前、空気が弾ける音と共にセロの身体も急停止し、柱から離れる方へと直角に方向転換した。それにより、セロの身体に当たるはずだった複数の鎖どうしが激しく接触し、耳障りな金属音をガギィンと棟全体に響かせた。
「移動速度はもちろん素晴らしいですが、反応速度はそれ以上ですね。さすがは噂のセロ君です」
フェンネルの移動は、柱や通路などの支持体が必要である。そして、フェンネル自身の肉体は慣性による力を受ける。それゆえ、セロほどの人智を超えた急加速や急停止はできない。セロの《
機動力ではセロが優勢であるが、攻防の面でフェンネルは圧倒している。
鎖を伸ばして4メートル、直径にしておよそ8メートルの球形の間合いには、人間の胴体を容易に貫くことができる速度で振り回せる鎖が届く。それよりも小さい、直径3メートル程度の間合いではフェンネルの知覚とは独立し、フェンネル本体に及ぼしうる危険を鎖が自動的に弾くように不視行使する設定となっている。つまり、フェンネルに向かう物理的攻撃は鎖によって迎撃されるのである。
さらに、鎖を含むフェンネル自身が触れた箇所から鎖を生やし、それも如意に動かすことができる外向系の側面を有している。能力の強度とその応用性すべてを鑑みて、セロが出会った能力者で最強の実力者であった。
一方で、セロの攻撃は《
セロはフェンネルの隙を窺い、フェンネルの間合いの周囲を跳び続けることを継続するしかなかった。
そのセロに対して鎖を伸ばし、不規則に叩く、刺す、捕まえるなどの攻撃をフェンネルは仕掛けるが、セロは的確に鎖を刀で弾いて避ける。刀が鎖に絡め取られそうになると、セロは瞬時に刀を縮めて逃れている。
柱や通路を伝って上下左右に動きながら、セロとフェンネルの打ち合いが1分以上も続いた。
金属が擦れ、弾かれる音ばかりが棟の中を占めていく。
「すべてのアームを捌き切られるとは、私も初めての体験です。くくくっ! 本当に素晴らしい!」
フェンネルは、背中から伸ばした4本の鎖で自身の身体を柱に固定し、身体の前面の至るところから伸ばした10本の鎖が攻撃と防御を担っている。そして、セロから死角となる離れた位置から時に2本の鎖が出現し、セロへ不意の一撃を入れようとする。
フェンネルが触れた箇所に遠隔で鎖を出現させられることを理解したセロは、不意の一撃を避けることに慣れてきた。しかし、目まぐるしく高速で動く鎖が触れた位置を何百箇所も記憶する必要がある。思考のリソースがそれに奪われ、さらに、全力で高速移動能力を行使し続ける疲労が加わり、セロの動きがだんだんと精細を欠いていく。
合計16本。フェンネルの最大の鎖が出現していることを確認したセロは、一時休憩するために棟の内壁の通路へと着地した。セロとフェンネルの距離は、棟の半径とちょうど同じ、15メートル弱である。
呼吸を整えるために大きくセロが息をはいたその瞬間。セロが背中を預けていた壁の周囲から鎖が10本以上出現し、そのうち4本が迅速にセロの四肢を捕らえた。
「何っ⁉︎ まだっ」
「人の話は信じないことです。全部で16本だと思いましたか? 私はこの鎖を最大で32本生やすことができますよ。また、触れたことがある場所から鎖を生やすことができると理解していたようですが、そもそも、この棟は我々のホームなのです。当然、そこの壁も以前触れたことありますよ」
壁から生えてセロの手足の拘束に使われていない残りの6本の鎖は、セロの胴や首にゆっくりと巻き付いた。
鎖の結合部分が擦れ合う音が鈍く響く。
セロの全身を絞めあげ四肢を引っ張り、大の字にさせる。
「がぁっ……」
「ここまでですか。楽しい時間はすぐに終わってしまいますね」
苦悶の表情を浮かべるセロを見下し、名残惜しそうな言葉を投げかけるものの、フェンネルは心底楽しそうに顔を崩して笑っていた。
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