第033話 旧火力発電所

◆ ◆ セロ視点 ◆ ◆


 トスタ市の東隣りのトーラス市は閑静な農地が広がっており、現地の者は「トーラスには何もない」と言うことが多い。しかし、広い土地を活かし、国際線を有するトーラス空港や沿岸部の工業地帯、大規模商業施設など、交通・工業・商業の面で十分に興隆している。現地民が「トーラスには何もない」と嘯くのは、先進的な企業や研究所が多く立ち並ぶトスタ市と比べたときの自虐的な言葉にすぎない。


 その東の沿岸部の埋立地に、今は廃墟と化した旧火力発電所が残されている。数十年前にトーラス空港を建設するにあたって、安全面の観点から発電所が閉鎖されることになった。また、重位相化技術の登場により、効率的な発電蓄電技術が発明されたことも発電所が閉鎖されることになった理由と聞いたことがある。

 旧火力発電所の大部分は、閉鎖時に解体された。しかし、予算不足や行政と電力会社の怠慢により、いくつかの建造物は残されたままとなっている。数十年間メンテナンスされることなく、どの建物においても茶色く錆びた壁がもの寂しさを表している。


 ガラムのフェンネルに指定されたタービンN棟は、旧火力発電所の敷地内で一際目を引く建物だ。高さ80メートル、直径30メートルほどの巨大な円柱型の建造物である。

 発電所における発電とは、何らかの方法で水を熱して大量の水蒸気を発生させ、その水蒸気の圧力でタービンを回すことが基本だ。原子炉での核分裂反応を利用すれば原子力発電、燃料の燃焼エネルギーを利用すれば火力発電である。

 タービンN棟は、発電所の心臓部たるタービンが設置されていた重要施設であった。また、燃焼によって有害なガスが発生するため、様々なフィルターで清浄化して大気中に放出する煙突のような役割を担っていた。


 現在、タービンN棟はタービンもフィルターも配管も、中の設備はほとんど取り払われていて、外殻だけが残された吹き抜けの筒のような構造であるらしい。ペットボトルの飲み口に横から息を吹きかけると音が鳴るように、風が強い日にはタービンN棟の上部の開口部からくぐもった低音が鳴り響くことがあり、トーラス市の七不思議として数えられているとのことだ。廃墟マニアのウェブサイトを見ると、その音から「怨嗟の塔の怪異」と名付けられて紹介されていた。


「さて、どこから入ったもんだか」


 俺は、指定されたタイムリミットの24時より前、23時にタービンN棟の足元に立ち尽くしていた。


「居なくなって改めて実感してしまうな、レティナの能力の頼もしさを」


 レティナの透視能力は、どんな建造物であっても外から透視してすべて明らかにしてくれる。久しぶりの未知の建物への侵入に、若干の緊張感が走る。

 大規模な機材を搬入するための大きな出入り口には、金属製の分厚そうな赤茶けた門扉が締め切られている。それに手のひらで触れると、まるでこの棟が生きているかのようにゴオンゴオンと低く響く音が俺の身体全体に伝わってきた。その規則正しい振動は、生命のように感じられた。


「……これは、なるほどな。地上部からは入れそうにない」


 この棟の外壁には、螺旋に取り巻くように階段が設置されているとのことだ。おそらく非常用またはメンテナンスのために設けられた簡素なもので、この階段で上に登れば非常口から中にアクセスできる扉がいくつかある。

 俺は外壁に指先を軽くあててその壁を撫でながら、階段を登っていく。指先には、棟から響く振動が継続して伝わってきている。一方で足元の金属製の錆びた階段は、踏むごとに耳障りな音を鳴らす。階段が抜けるほど老朽化はしていないが、数十メートルの高さになるとさすがにヒヤヒヤする。

 ついに、棟の最上部まで登り詰めた。外壁を撫でていた指先は、茶黒い錆がびっしりと付着していた。


「さて、ここが開いているな。明らかに罠だが……」


 錆びついた両開きの非常口に体重をかけて押し開けた。ひどく軋む音が鳴っているので、この扉は滅多に開かれることがなかったのだろう。扉を開いたその隙間から、血生臭く感じられる鉄錆の臭いが顔中にふりかかってきた。


「下からの上昇気流が凄まじいな」


 タービンN棟の内部は、中心に太い柱が立っており、そこから壁に向けて放射状には8本の通路が伸びている。柱と壁に沿うように円形の通路も設けられている。それを1つの層として、縦に6メートル程度の間隔で放射状の通路が何層も重なった構造である。層と層は内壁に沿った階段で繋がっており、層間を移動するのは面倒そうだ。

 どうやら元々作業員が利用していたエレベータがあった痕跡はあるのだが、発電所の廃止に伴い撤去されているようだ。

 通路は2メートル弱の幅で、転落防止の手すりも確保されているが、床が荒い金網状で棟の地上部分まで通して見通せる。さらに、いくつかの金網は錆びて欠落している。閉鎖されて様々な設備が取り払われたこの棟はただの筒なので、空から降り注ぐ雨が中に降り注いできたのだろう。換気がされにくい棟の下部では、ほとんどの通路が朽ちてしまっている。

 つまり、落下してしまうと、高い確率で最下層まで真っ逆さまだ。


「おい、ガラムのフェンネルさんよ。お目当てのセロ=ミデンがやってきたぞ!」


 フェンネルの姿は見当たらない。叫んで俺の存在をアピールしてみせても、俺の声がこの建造物の中で反響するだけだ。


「どうせ、どこかからか監視しているんだろう? 俺が要求通り単身であることは分かるはずだ」


 放射状の通路を、通路に向かって進んでみる。

 金網をカシャンと踏む音が、反響する俺の声と混じり合う。

 敵もわざわざこんな不安定な上層に位置取ることはそうないだろう。そう思っていると、背後から空気のゆらぎのようなものを感じ取った。


「ぐっ⁉︎」


 背中に強い衝撃を受けるのと同時に、俺の高速移動能力の反射回避が発動して、棟の中央の柱まで一気に移動した。

 衝撃の発生源を捉えるため、素早く振り返る。


「本気で殺す気で振りかぶったのですが、やはり甘くはありませんね」


 こいつが、フェンネル。

 カワヒサ市長の言った通り、フォーマルな紺スーツに身を包んでいる赤髪の男。何よりも注目すべきは、そのスーツを貫通するようにして身体から生えている数本の鎖。

 鎖の径は2センチほどで、かなり細い。背中から5本程度生えており、2メートルほどの長さで、うねりながら伸びて棟の内壁に突き刺さっている。それによってフェンネルの全体重が支えられている。この姿を見ると、鎖が細くて見えづらいのて市長が言った通り確かに浮いているように見える。

 両肩からも鎖が伸びており、2本のそれらの先端は俺の方に向いている。これを鞭のようにしならせて、俺の背中を殴打したのだろう。


「とんでもない挨拶だな。レティナは無事か?」

「ええ、もちろん。この棟の地階におります。どんな情報を共有されるか分かりませんので、お声を聞かせてあげることはできませんが」


 ガラムであれば、問答無用で人質の命も奪う。そう懸念していたが、それはガラムの構成員に依るのかもしれない。


「ずいぶん優しいんだな。残虐なガラムのイメージ改善戦略か?」

「自制の効かない無能とワタクシは違います。あくまで秩序を重んじなければなりません」


 フェンネルは人差し指を立ててそれを横に振りながら、理解の足りない子供に言い聞かせるような侮る口調で語りかけてくる。


「果たし状をわざわざ送ってくることには高潔さを感じているが、誘拐についてはどうなんだ? 秩序ってもんじゃないだろ」

「それは申し訳ございません。合理性を求めた結果です。何でも屋の皆様を一度に複数人相手するのはさすがに骨が折れますからね。特に、セロ君とどなたかが協力されるのは大変筋が悪い」


 それには同意する。敵に1つだけ《眼の能力》があると分かるだけでも、どのような能力をもっているのか頭を悩ませることになる。それが複数人になると、対応するのは実質的に不可能だ。それゆえ、俺が2つの能力を有しているというのは大きなアドバンテージになっている。

 それを勘づいているのだろう。フェンネルは俺を最も危険視している。


「ゆえに、セロ君を単体に分離して潰す。これが我々の組織の秩序を維持するための選択です」

「芯は通っているが、やっぱりどこかズレているな。そういう人間じゃないと、ガラムとかいう狂った環境にいられないよな」


 本当に秩序を重んじているなら、素直に憲法や法律、条例を守ればいい。組織づくりが好きなら、会社を経営したり人事関連の部署で働いたりすればいい。そこで、反社会的なガラムという環境に身を置くことを選ぶ性根は腐っている。


「ワタクシは楽しくこの環境を過ごしておりますよ。犬は、飼い主が正しく躾ける必要があります。鎖で縛り、引き連れ、叩く必要があるのです。それでこそ、秩序が保たれる。セロ君もそうしてあげましょう」

「《眼の能力》ってのは個人の資質を大きく表すが、お前のそれは分かりやすいな」


 この男は、システム化され他から脅かされない環境を維持することを偏愛している。それはよく分かった。その性格が鎖という能力に反映されているというのは、納得できる。

 俺の言葉に思うところがあったのか、フェンネルは両眼を細めて俺を睨みつけてきた。さて、舌でのやり取りはここで終わって、ここからが戦闘の本番だろうな。


 フェンネルは、さらに両手の甲から鎖を生やした。両肩から伸ばした2本と合わせて、4本の鎖が宙に浮いてその先端が俺の方を向いている。

 途端、フェンネルの身体が下に大きく沈み、金網の通路の下を通って俺の立つ右方に一瞬にして移動した。俺はその反対の左方向に飛び退き、反時計回りで棟の柱に沿って動き、フェンネルの攻撃から避けるため移動した。


 しかし、フェンネルは俺が左に飛び退くのを予測していたようで、俺とは反対、時計回りに柱を回って、俺の死角から4本の鎖を突き刺してきた。

 俺の右脇腹が軽く抉られてしまう。高速移動の反射回避でわずかに移動し、致命傷に至る前に逃れられた。

 ただやられるばかりではない。俺はカウンターで右手の人差し指から刀を伸ばし、フェンネルの胴体を突き刺そうとする。

 だが、フェンネルの胴に達する数センチ前に、その腹部から3本の鎖が飛び出して俺の刀に巻き付き防御された。


「この反射速度っ⁉︎」


 俺は咄嗟に叫んだ。フェンネルは俺の脇腹に注視していたはず。指先から高速で伸ばされる刀を的確に巻き取るスピードは人間の知覚速度を超えている。これは奴も使えるということか。反射による能力の不視行使を。


「この鎖の腕、意識的に動かすこともできますが、無意識でも良きように動いてくださるのですよ。マシンガンを全周囲から撃ち込まれたとしても、すべて弾き返すことができるでしょうね」


 俺の驚愕した表情から気づきを悟ったか、フェンネルが得意そうに答えてくる。


「こういった能力は個々人で性質が大きく異なるので、どの能力が強いかなどとランキング付けするのは困難でしょう。しかし、定量化できないにしても定性化はできます。もっともわかりやすい定性指標は、銃火器を撃ち込まれても回避または防御できるか否かということでしょうか」


 フェンネルは銃弾を弾くかのように、勢いよくしならせる動作を鎖で得意そうに表現している。


「あの工場、ある程度の証拠隠滅はなされていましたね。しかし、ある構成員が所持していたピストルの弾が3発ごく短時間のうちに発射された痕跡を見つけました。あの構成員は、射撃の腕に関しては世界でも指折りの実力者でした。あの者が無駄撃ちするとは考えられない。それでも、あなたは五体満足だ。つまり、あなたも銃火器を防ぎうる実力者であるということが推定できます」


 この男。相当に切れる男だ。

 工場の制圧が終わった後に、情報消失が及ばないであろう範囲の痕跡は消していた。俺が撃たれて防いだ銃弾についても念の為回収しておいた。しかし、フェンネルは銃弾が撃たれたという残弾層のわずかな情報から俺の能力の力量を推定するに至っている。警察に遭遇する可能性もあったので逃亡を優先し捨て置いていたが、拳銃も回収しておくべきだったな。


「お前がどうしてこの場所を指定したのか分かったよ。この吹き抜けの塔の内壁や中央の柱に鎖の腕を食い込ませれば、立体的に動くことができる」


 先ほど見せた柱や通路を回り込む動き。奴が無数の鎖の腕を壁に突き刺して移動するからこそ実現できている。

 奴自身の腕や脚の動きからは鎖の動きを予期することはできない。無意識的に動かせるということは、視線も大きく動くことはない。相手の身体の初期動作や視線から行動を読むテクニックはフェンネルには通じない。


「それだけじゃない。カルダモからの事情を聴取し、俺たちが催眠ガスで昏睡させようとしていたことも聞いたんだろ? この吹き抜けを通る上昇気流で、ガスはほとんど無効化される。鎖では防げないガスなどによる化学的な攻撃を警戒したんだ」


 立体的に通路と柱が入り組んでいるこの棟の地形。それに、下からの上昇気流。

 フェンネルが行動しやすく、俺達のもつ道具を防ぐ最適な地形であるといえる。やはり、相手のホームで戦うというのは基本的に不利になってしまうな。


「ふふ、警戒した甲斐があったというものです。さすが有名な何でも屋のセロ君だ。頭の回転が早い」

「それはお互い様だな」


 フェンネルはゆったりと俺に向けて拍手している。


「オキュリシムスには、相性というものがあります。不定型なガスや液体を撒き散らしたり、炎や電気などの自然科学的な現象を操ったりするものであれば、私のオキュリシムスでは敵わないかもしれません」

「オキュリシムス……?」

「ああ、超常の能力のことです。セロ君が先ほど《眼の能力》と言っていたものと同義でしょう」


 ガラムにおいて能力のことを指す固有名詞をオキュリシムスと呼ぶのか。逆に、このワードを知る者はガラムに関係しているということになる。どこかで利用できるかもしれないな。


「話を戻しましょう。能力の相性は厄介ですが、私もセロ君も物理的に殴る斬る叩くなどで攻撃せざるを得ないタイプでしょう。そのように物理攻撃タイプ間の争いあれば、単純に性能が高い方が勝ちます」


 そう言いながら、フェンネルは俺に鎖を伸ばしてきた。カウンターで刀を伸ばすが、奴には届かない。


「くっ!」

「ほら、セロ君の刀の切先が私に届くことは絶対にない」


 現在観測できた範囲では、奴は最大で4メートルほど鎖を伸ばすことができる。一方で、俺が指先から伸ばす刀は1メートル程度しか伸ばすことができない。奴に届かせることができたとしても、先ほどと同じように鎖で逸らされてしまうだろう。

 放射状に伸びる通路の中点まで俺は逃れた。フェンネルはまだ中央の柱に鎖でしがみついている。


「私もセロ君の移動スピードに追いつくことは難しいですが、リーチの差を活かしてセロ君が近づいた時に僅かながらにも確実にダメージを入れられる」


 俺の《移動モヴィーレ》による反射回避は、完全に無傷で敵の攻撃を避けられるというわけではない。何かが俺の皮膚に当たって、それが身体に甚大な傷害をもたらすほどの衝撃であれば自動的にその場を離れるという設定だ。どうしても、初撃の一部のダメージは受けてしまう。


「まったく。このままでは、ジリ貧だな」


 長い鎖によってダメージを受けてしまう。ただ、何十回も受けたとしても身体が動かせなくなるほどのダメージは蓄積しない。一方で、俺の攻撃はフェンネルには届かない。これでは俺が消耗するだけでどうしようもない。


「ジリ貧? ワタクシが敵に悠長に時間を稼がせるほど間抜けに見えますか? ワタクシはセロ君の力量を評価しています。もしかすると、氷使いの少年が合流してくるかもしれない。早めに片付けることが肝要です」


 そう言いながら、フェンネルは通路を辿って俺に向かって移動し、再度鎖を俺に突き刺してきた。それを俺は棟の壁側にバックステップして避ける。

 その瞬間、フェンネルの視線が不自然に俺の背後へと向いた。それと同時に、俺の後方の通路の手すりから鎖が生えてきた。それが俺の背面に突き刺さらんとする。


「がぁ⁉︎ 鎖が……?」

「ふふふははっ! 近接攻撃しかないと思いましたか?」


 なるほど、鎖は身体だけから生えるのではない。何らかの条件を満たせば、任意の場所からも生やすことができる。

 俺の《移動モヴィーレ》による回避は、基本的に衝撃の発生源から逃れるように反射的に動く。つまり、挟み込まれるように受ける攻撃には弱い。

 素直に戦い続けるのは、だいぶ厳しいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る