第032話 大丈夫

◆ ◆ セロ視点 ◆ ◆


 《移動モヴィーレ》の高速移動をフル展開させ、市役所の特別応接室へと迅速に帰ってきた。そこには、慌てふためくカワヒサ市長が一人残っていた。


「あ、ああ! セロ様、一体どこに行っていたのですか⁉」

「あなたの秘書に化けていた者が脅迫の犯人でした。詳細は省きますが、奴は変装のプロで、市長の姿で写真の工作を行なっており、その後は秘書に化けていたのです」

「な、なんと……」


 取り急ぎ簡潔に秘書に化けていたロイジのことを共有する。しかし、俺にはそれよりも優先すべきことがあった。この部屋に残って索敵していたレティナ。あいつがいない。


「それよりも、というのは失礼ですが、レティナがどこに行ったか知りませんか⁉︎ リングフォンで連絡がつかないのです」


 レティナの身に何かあったかもしれない。俺としては珍しく、慌てる様を見せてしまう。


「そうなんです! 私もよくわからず……。急にセロ様と同じくらい背の高い男がやってきて、レティナ様が連れ去られてしまったのです」


 慌てたカワヒサ市長から、衝撃の報告。


「な、なんだって……⁉︎」


 レティナは、何者かに誘拐された。そうでも無い限り応答がないなんてことはないと考えていたことであるが、驚きを隠せない。


「……分かりました。その男について、外見やその他の情報、なんでも教えてください」


 連れ去られた後にレティナは殺されてしまっているかもしれない。しかし、ここでカワヒサ市長が無事でいるということは、連れ去ったことを主張するための目撃者をわざと残したのではないかと考えられる。

 とにかく、相手の情報を知ることが大切だ。


「あ、ああ、はい。身長はセロ様と同じくらいで、身体はだいぶ華奢でしたな。真っ赤な髪で、顔は30代後半くらいに見えました。紺色のスーツに、蛍光の黄色い首巻きを巻いておりました」

「一体、何者だ……?」


 わざわざこんな市役所で誘拐に及ぶなど、突発的な犯行ではないように思える。ということは、最も怪しいのはガラムの関係者か。

 カルダモやジュニパーの復讐の可能性も無くはない。情報消失の性質で、俺たちから攻撃されたという記憶だけが残っていた場合にはそういうこともあるだろう。しかし、見知った顔が数十メートル以内にやって来たならレティナは探知できるはず。

 となると、カルダモやジュニパーとは別の見知らぬガラム関係者が市役所に紛れ込んでいたのか。


「その男がこの部屋に押し入ってくる数秒前、レティナ様は驚いて『誰っ⁉︎』と声を出しておられました。レティナ様が走ってソファの陰に隠れようとするや否かのうちに、男がドアを勢いよく開いて侵入してきました」


 カルダモ市長はある程度落ち着いてきたようで、レティナが攫われた際の状況を思い返してくれた。

 この特別応接室は市役所の5階でもオフィスから独立した場所にある。一般人に紛れた犯人が特別応接室に向かってくるのにレティナは直前に察知できたようだが、そこから逃げるのは叶わなかったようだ。


「私もいきなりのことが連続して腰を抜かしてしまいまして、部屋の外の職員にも助けを求めることもできずにおりました。申し訳ないです」

「いえ、仕方のないことです。外に騒ぎが知られていないようで逆に良かったです。レティナはどのように捕えられたのですか?」


 日々のトレーニングで、レティナもそれなりの格闘術を身につけられているはず。素手の一般成人男性ぐらいに襲われても抵抗して逃亡できるくらいの技量はあるはずだ。だが、状況的に相手は確実に《眼の能力》を持つ者だ。せっかくの技術はほとんど役に立たなかったであろう。

 それに、能力者であるということは、カルダモ市長が忘れてしまわないうちに早めに詳細を聞き出す必要がある。


「それが、どういうことか私も正確にわからず、ただ見たことだけをお伝えすることになるのですが……」

「それでも構いません」

「分かりました。扉を開けた男は凄まじいスピードでレティナ様に近づきました。不思議なことに、歩いたり走ったりしているわけではなく、地面から30センチほど浮いて水平移動するように、すうっと一瞬で近づいたのです。そして、レティナ様が拳銃のようなものを取り出そうとした瞬間、それが払い除けられて、レティナ様の全身に細い鎖のようなものが巻き付いていきました」


 浮遊して移動する。閃光拳銃を的確に弾く。鎖で身体を拘束する。やはり、能力者か。


「そのまま、レティナ様は鎖に持ち上げられて、男と同じように浮かばされて連行されました」


 敵の能力の本質は鎖を操ること。いや、身体を巻きつけられるだけの長さの鎖を携帯していればレティナが早めに気づくはず。おそらく、鎖を生み出すこともできるのだろう。

 カワヒサ市長が指差していた箇所に、レティナは立っていたらしい。ソファは少し乱れているが、争った形跡がほとんどない。一瞬で拘束されてしまったと見受けられる。

 そのソファの足元の毛の長いカーペットに、閃光拳銃とともにキラリと光る小さな物体が落ちているのに気づいた。


「……これは、レティナのリングフォンか。指にしっかりと装着していたコレがここにある、ということは意図して弾き飛ばされているな」


 これが、連絡が取れなくなってしまった原因か。

 人間が拘束されるような状況に陥るとき、通常は身体が強張って拳を軽くでも握るはずだ。そういった状態の人間の指に装着されているリングフォンを弾き飛ばすということは、相当に精密な動作で鎖を操れる可能性が高い。それに、犯人も意図して連絡を取れないようにしたと考えられる。

 いつもは制服につけていた発信器も今日はスーツ着用ということでレティナは身につけていない。どこに運ばれたのかが分からないな……。


「カワヒサ市長、役所内の監視カメラなどを閲覧できますか? なるべく早く確認したいのですが」

「監視カメラですか、設備課に確認が必要ですね。私の命令ですぐに対応させましょう」


 カワヒサ市長はすっかり立ち直ったようで、急ぎ足で3階の設備課へと向かう。俺はその後ろをついていく。情報が消失する前に、カメラの映像を確認しなければ。

 特別応接室の外に出て改めて確認したが、この5階は通路の曲がり角が多く死角になる箇所が多い。特別応接室のほか、広報課や総務課といった部課のオフィスがある。そこにいる市職員からは目撃者は期待できないであろう。

 それに、屋上へと向かう非常階段にはすぐに特別応接室からアクセスできる。ヘリポート経由でやってきたVIP来訪者を迅速に応対する設計のように見える。犯人の逃走ルートはおそらく屋上だろう。浮くことができるとしたら、5階建ての市役所の屋上から逃れるのも容易いはずだ。


 犯人の行方について思いを巡らせながらカワヒサ市長の後をついていくと、設備課のオフィスに到着した。何人かのスタッフが踊り場の窓ガラスが抜け落ちてしまっていることの対応について話し合いをしているのが耳に入ってくる。すまない、それは俺の犯行だ。

 カワヒサ市長は設備課の課長らしき人物に監視カメラの閲覧を要求している。市長と市職員の関係は良好なようで、課長も快く対応してくれそうだ。カワヒサ市長の手招きに応じて、同階に位置するセキュリティ室へと案内された。


「おや、5階のカメラが全部映っておりませんね」

「課長、どういうことだね?」

「わ、分かりません。早朝の点検時には記録上問題ないようです。この午前中のどこかのタイミングで壊れてしまったのでしょうか。担当していた課長代理に確認してきます」


 設備課の課長はセキュリティ室を飛び出して足早にオフィスへと戻っていった。


 やはり、というべきか。

 衆人環視の市役所という場で、大胆にも人を攫うという行為。それなりの事前準備を練ってから実行に移ったはずだ。監視カメラに何らかの工作は済ませていたと考えられる。


「市長、監視カメラについてはレティナを攫った男による工作でしょう。準備して犯行に及んだようです」

「セロ様、これは私の脅迫に関する依頼とは別枠の犯罪です。警察に通報しましょう」

「……いえ、警察はこの場合に根本的な解決の面では頼りになりません。通報はしても構いませんが、最終的に偶発的なカメラの破損などとして処理されることになるでしょう。こちらも私にお任せください」


 俺の返答に対して、カワヒサ市長は困惑の表情を浮かべた。


「いったい……?」

「おそらく、この会話も、先ほどレティナが攫われたことも、その大部分をカワヒサ市長は忘れてしまいます。不思議に思われることが多いでしょうが、無理やり納得してください」


 数万分の一くらいの確率で、このカワヒサ市長も《眼の能力》を持つ者という可能性はある。そして、実はカワヒサ市長がレティナ誘拐に関係している可能性もある。つい先ほど、ロイジという他の人間に変身する能力者に出会ったくらいだ。疑うに越したことはない。

 だが、俺の勘が、市長は無辜であると言っている。


「何か、計り知れない何かがあるのですね?」


 そして、聡明だ。非現実的な状況を受け容れる度量がある。


「他に、攫われた現場でおかしなことを見聞きしませんでしたか?」

「……そういえば、レティナ様が攫われるとき、叫んでおりました。『セロさんなら大丈夫!』と。どういう意味なのか分かりませんでしたが」

「俺なら大丈夫? 攫われているのはお前なのに、何を言っているんだ……?」


 自分が攫われているという状況で、俺に向けて届くはずもない労いの言葉を投げかける意味がわからない。腕を組んで頭を悩ませていると、リングフォンに通話の通知が届いた。ティオからの通話だ。


「ティオ、どうした?」

「師匠、聞こえていますか? 事務所に手紙が届いていました。女性を攫ったって……、どういうことでしょう?」


 ずいぶんと最悪の展開が起こってくれるな。


「……ティオ、今すぐ戻る。詳細は事務所で話す。外には出ないようにしろ」


 事務所まで把握されているか。今、ティオがいる事務所は公開情報の場所であるとはいえ、手を回すのが随分と早い。これで、明確に相手は俺たち何でも屋をターゲットとしていることが分かった。逆に、手紙で何らかの交渉を求めているということは、レティナの命までは奪われていない可能性が高いことも推定できる。これだけは望みのある展開だ。


「カワヒサ市長、数日後にまたお会いしましょう。しばらくすれば、あなたの本当の秘書が戻ってくるはずです。そのときに、今日の出来事に関することをお話しさせてください。それまではご内密に」

「かしこまりました。レティナ様の救出だけでなく、並々ならぬ事情がありそうですな」


 数日後には、カワヒサ市長はいくつかの出来事を忘れてしまっているだろう。今のうちに詳細な情報を得ておくことも捨てがたいが、今はレティナを救うことを優先しなければならない。


◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆


 全身を不快感が支配している。


 カンカンと誰かの革靴が鉄板の上を歩く足音で私は覚醒した。

 私は簡素なパイプ椅子に座らされている。両腕を後ろに回されて、肌触りの悪い太い麻紐で拘束されている。同様に、胴体部分と足首もパイプ椅子に括りつけられている。これでは首周りしか動かすことができない。

 目が覚めてから拘束されているのに気づくというのはセロさんに襲撃されて以来のことだ。けれど、それよりももっと昔に、こういう状況に陥っていたことが記憶の底から蘇りそうになった。

 全身を拘束されて、麻酔を導入される。そんな記憶がおぼろげと。

 いや、回顧するよりも、今は眼の前の事象に対応することが先決だ。

 当然に透視できる身体ゆえ気づくのが遅れたけれど、汚い布切れを頭部に巻かれて視界が塞がれている。

 赤茶けた錆の壁や金網に囲まれた、5メートル四方程度の狭い部屋に私はいる。


「目を覚ましましたか。ええと、あなたはレティナ君でよろしいですか」


 この部屋には、椅子に拘束された私と、紺色のスーツに身を包んだ丁寧口調の赤髪の男だけがいる。その男は、私が目覚めたことに気づいて話しかけてきた。


「ん、そう。私はレティナ。これ、私、誘拐されたって理解でいいよね」


 ぶっきらぼうに返事しながら、男に悟られないように《観測スペクティ》で遠くまで透視して私が今置かれた状況の把握に努める。

 ここは工場か何かの円柱状の棟の地階。周囲にも似たような建造物はあるけれど、私が閉じ込められているここの棟が一際大きい。どこの建物にもまともな設備は残されていない。敷地のそばには海がある。沿岸部の工場、いや発電所みたいだ。

 なるほど、ここはトーラス市の例の旧発電所の廃墟か。ずいぶん遠くまで運ばれてしまった。


「その理解でよいです、レティナ君。慌てふためくことなく冷静でいていただいて助かります」


 慌てても仕方ないね。私個人がこの男に対して有効に抵抗できる策が今のところなく、どうしようもないことが逆に私を落ち着かせている。セロさんかティオ君による救出が唯一の頼りだ。


「この椅子、脚が心許ないからさ、壁際に寄せてもらってもいい? こんな縛り付けられた状態で倒れちゃったらずっと床を舐めることになっちゃう」

「目を覚まして誘拐犯に最初に要求することがそんなことでいいのですか? そして、要求が通るとでも?」


 まずは、この男の性格を把握しておきたい。まず、やけに鼻につく丁寧な口調からは、理知的であることに加えてプライドの高さが窺える。能力の傾向と能力者の性格は少なからず影響しあうので、あのとき特別応接室で一瞬だけ観測できた鎖を操る能力の詳細を解き明かす鍵となるかもしれない。

 それに、私という存在をどのように扱うかによって、私の現在の立場、何でも屋に対する関係性を解き明かすことができるだろう。


「正直言うと、尿意が限界で起きたの。部屋の真ん中で漏らされるのはあなたも嫌でしょ?」

「はあ、なんとも汚らしいですが、生理的現象なので仕方ないですね。部屋の外に便所があります。連れて行って差し上げましょう」


 周囲を《観測スペクティ》で透視したところ、この地階には数人が寝泊まりできる環境が用意されている。数時間前まで、別の誰かがいた形跡もある。現在、周囲数百メートル以内には私とこの男しかいないけれど、通常時は複数人の隠れ家として運用されていそうだ。このことからも、この男が何らかの組織に属する者であり、その組織でも強い権力を持つものだと推定できる。

 そして、尿意が限界であると伝えて部屋を汚損させかねないことを伝えると、男はしぶしぶ私をトイレに案内してくれた。これはつまり、今後もこの場所は隠れ家として利用するので無駄に汚されると困るのだと解釈できる。

 実際にトイレに行きたかったので、この判断は助かった。

 そして、私の身体をそれなりに気遣っていることからも、人質として有効活用したいことが分かる。無理に虐げて、私が自死を選択するようなことにはさせたくないのだろう。


 男が手にした小さいナイフによって、手足と胴体を縛っていた麻紐の拘束が解かれる。ここでは鎖の能力を使うつもりはないようだ。両手を身体の前に揃えられて、手首どうしをまた麻紐で固定される。両手を繋がれたとはいえ、身体の前面で縛られたので先ほどから比べて随分と身体の自由が効くようになった。男にとっては、私がここから暴れたとしても容易に拘束できる自信があるに違いない。

 目隠しされた状態で、麻紐で男と繋がれたまま連行されることになった。この男が私の能力をどこまで把握しているのかがわからないけれど、念の為、周囲の環境が見えていないように見せるために足取りを不安定にさせた。


 部屋を出て数メートル歩き、男女の区別のないトイレに連れ込まれた。そこには個室のトイレが1つだけあり、背中を押されてそこに押し込まれた。個室の扉は半開きにされて、男は扉の外で待機している。もちろん、麻紐で繋がれたままだ。歩く時と同じく目が見えない様を演出するために、便器の存在を手で触って確かめた。

 両手がつながった状態でスーツのパンツを下ろすのに苦労する。なんとかしてパンツを下ろして冷たい便器に尻をつけて用を足す。


 トイレに連れ込まれるのもあって、男からの性暴力を警戒したけれど、男はただ気持ち悪いものから目を背けるように唇を尖らせて遠くを見ているのでその心配は無用そうだ。どうしてこんな汚れ仕事をしなければならないんだ。そう言っているように見える。なるべく自分の手は煩わせたくないけれど、必要とあらば自分で動く。そういう性格に感じられる。


「ふう。終わったよ、どうも」


 不自由な腕でパンツを履き直して、用を足し終えたことを伝える。男は面倒くさそうに麻紐をピンと張って、私をトイレから引きずり出す。

 再び、先程まで拘束されていた部屋に戻ってきた。パイプ椅子に座らせられる直前に、壁の方へと椅子を蹴り動かした。先程私が椅子を動かすことを要求していたこともあり、その動きは男から黙認された。

 椅子に座ると、男が持っていた麻紐で胴体が椅子に括りつけられた。腕はさっきのように後ろに回されることはなく、二の腕を脇腹に密着させられて胴体とともに椅子に拘束された。この状態では、股関節周りで肘を曲げて前腕を動かすことしかできない。脚部は拘束されなかったものの、座らされたパイプ椅子は脚が長く、私の足裏が床に届くことはない。地面を蹴って何らかのアクションを起こすことは難しそうだ。

 垂れ下がった脚をぶらぶらと揺らしながら、そもそも私がこういう状況に陥った理由を男に投げかけることにする。


「それで、どういう要求? 私を売り飛ばしても、大したお金にはならないと思うよ」


 まず、ジャブを打つ。私の身柄を人身売買にかけるための誘拐ではないとは理解しているけれど、あえてこう尋ねてみる。


「……レティナ君、ワタクシが何者か勘付いているのではないですか?」

「ガラム。それも、主幹とかいう立場の人間じゃないの?」


 男は、私がある程度状況を理解していることに勘づいていたようだ。


「ほう。では、目的も分かりますね」

「例の西トスタ第6ビル、そこでの一件の復讐。何でも屋を率いるセロさんが厄介で、どうにかするため私を人質にしたい。それで合っている?」

「ははは、本当に素晴らしい。私の駒に欲しいくらいです。自己紹介が遅れました。ワタクシ、ガラムの人事主幹、フェンネルと申します。カルダモ君の上官に当たる者です」


 やっぱり、ガラムの主幹だ。

 私の名前を書類上で調べようとすると、通常はハウスというペンネームに行き当たる。私がレティナという名前であることを知るのは、同じ研究院の先生と一部の学生、よくお世話になる医務室の先生、そして何でも屋関連の仕事で出会う人だ。

 この男がトスタ大学関係者とは思えない。アウトローの人物で私の名を知っているのは、偽の計画書で私の本名を知ったカルダモとジュニパーくらいのはず。そこから、このフェンネルに情報がエスカレーションされたんだろう。


 あの暴力的なカルダモを抑えていた上官ということは、単純にフェンネルにはカルダモの異常な膂力を超える実力があるのだろう。それが、あの鎖を操る能力というわけだ。


「あなたを人質として採用したのには理由があります。あなたは情報操作か情報取得系の能力を有しているでしょう。それゆえ、戦闘能力は乏しいが、仲間からは重用される。そして、ワタクシからしてみれば物理的に御し易い。これ以上ない人選です」


 フェンネルがブラフを言っていて、本当は私の能力を把握しているのに濁しているのか、本当に私の能力を掴みきれていないのかはわからない。ただ、おそらく後者だと判断した。私の《観測スペクティ》に関してはジュニパーに少しだけ匂わせてしまった程度で、そこから伝言ゲームでフェンネルに私の正確な能力が伝わったとは考えにくい。

 ただ、情報取得系の能力であるということを勘付かれているのは、さすがガラムの主幹である。カルダモとジュニパーから私達の襲撃について聴取し、そこからセロさんとティオ君の能力に関する情報を得た可能性が高い。そして、残った私には情報取得系の能力があると予想したのだろう。その見立てに間違いはない。


「あなたの鎖の能力、相当に面倒そうだったね。いきなり襲われたら流石に逃げられないよ」

「ほぉ、あの一瞬で私の力を認識することができたのですか。やはり、あなたを予め確保することができて本当によかった」


 鎖を身体から生やして、それを超精密に動かす能力であることは分かっている。あのとき、私の閃光拳銃とリングフォンは滑らかに取り外されて武装と連絡手段を無力化された。どの程度の長さまで生やせるのか、何本まで生やせるのか、どれだけの力を加えられるのか、鎖以外にも生やせるものはあるのか、まだまだ不明な点は多い。

 フェンネルが能力について口を滑らせることを期待して、こちらが能力を理解していることを漏らしてみたけれど、不発に終わってしまった。


「私を人質にしたくらいでセロさんに勝てると思っているの?」

「あなたとセロ君、そして氷使いの少年が協力するのを避けるためですよ。能力者が複数人協力されるとさすがに骨が折れます。しかし、一対一であれば遅れを取ることはありません」


 氷使い、という言葉が出たからには、やはり私たちのことを把握している。


「やっぱり、カルダモとジュニパーから私たちのこと聞き出したんだ。市役所で私を攫うことにしたのはどうして?」

「駒をいくつか使ってあなたを尾行させました。そこで分かったことは、あなたの普段の警戒心は異常だったということです。そのため、先の市役所のように、ある程度の数の一般人が周りにいて、かつ、仕事を達成した瞬間の気の緩みを狙わなければ、近づく前に何らかの対応をされると見込んだのです。あの場所では貴方たち2人を分担する工作を別に用意していたのですが、市長の秘書が逃亡するなどの騒ぎが起こって不発となったのには流石に計算外で驚きましたが」


 フェンネルの言葉を信じるならば、姿を変えるロイジという男はガラムとは無関係ということみたい。あの場に私たちを含めて4人の能力者が集っていたという偶然が恐ろしい。

 そして、思い返すとこの2週間、遠くから視線を感じることが続いていた。なるほど、フェンネルに指揮されたガラムの関係者が私の身柄を狙っていたのか。周囲の状況を透視して把握できるとはいえ、あらゆる通行人の様子を精査することはできないので、警戒する対象は武器を所持しているなどして挙動が極端に怪しい者に限られる。プロが複数人で分担して尾行されていたのであれば、気づけなかったのは仕方ないかも。


「あなた、本当に厄介だね」

「私の自信は、事前の調査と私のオキュリシムスの力に裏打ちされたものです。そこらの欲望に赴くままに力を誇示する能力者とは格が違います」


 フェンネルは相当な自信家だと理解できた。その自信家の口から、聞きなれない単語が飛び出してきたことが気になった。


「オキュリシムス……? 《眼の能力》のこと、そう言うんだ。当然のように口に出したから、あなたのオリジナルの呼称ではないような気がするんだけれど、ガラムの中ではそう呼ばれているの?」


 《眼の能力》に関する事象は文字や映像などでその情報を残すことができない。つまり、それに関する情報はすべて能力者間での口伝でのみやりとりされることになる。そうなると、特定のコミュニティ内では超常の能力を特定の固有名詞で呼称するようになることは容易に想像できる。

 私とティオ君がセロさんに影響されて《眼の能力》と呼ぶように、ガラムではオキュリシムスと呼ぶのだろう。


「なかなか恐ろしい洞察をされますね。別に隠すことではありませんので回答して差し上げましょう。そうです、我々は超常の能力のことをオキュリシムスと呼んでいます。ワタクシも、上の者がそう呼んでいたのに倣っているだけなので、由来は存じませんが」


 やはり、予想通り。


「ふーん。上の者ってどんな人?」

「ははは。それは死んでも答えられない質問ですね。黙っていなさい」


 これ以上、言葉で情報は引き出せそうにないかな。


◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆


 セロは急ぎ何でも屋事務所へと帰着し、ティオが手にしていた謎の手紙の内容を確かめた。


「『何でも屋の皆様。ご機嫌いかがでしょうか。ガラム主幹、フェンネルと申します。これは一種の果たし状です。この文章は時限電子インクにより本日8月9日24時に消失します。皆様のご朋友のレティナ君は私が確保させていただきました。返して欲しくば、セロ=ミデン君単身で本日24時までに旧火力発電所タービンN棟までお越しください。いらっしゃらなかった場合、彼女は海に沈められて帰らぬ人となってしまいます』か。ふざけてやがるな」


 セロは手紙の端をぐしゃと握った。そのまま勢いで破ろうとしかけたが、冷静さを取り戻して手を止めた。

 ティオは首から吊り下げた右腕のギプスを左手で握りしめ、やりきれない想いをどこにも発散できないでいる。


「旧火力発電所って、隣のトーラス市の東海岸沿いですよね。そこ、ガラムの拠点になっているんじゃないかって、この前に兄ちゃんから情報提供のあったところですよ。僕が調査に行ったときには、本当にただの廃墟だと思ったんですけど」


 ティオの兄スプールは、トスタ市周辺で拠点と場所をいくつか特定していた。その1つに、トーラス市の旧火力発電所が挙がっていたのである。ティオはその情報を受けて、旧火力発電所内を簡易に調査していたが、調べた範囲では人の気配がまったくなかったため候補から外していた。


「上手く隠していたんだろうな。確かあそこには火力発電所の設備がいくつかそのまま残っているはず。中にある設備を使って、非合法的な何かをやっているんだろう」


 カルダモが地区幹部として西トスタ第6ビルを拠点にしていたのは、そこを隣りにある違法薬物製造工場と地下経由での連絡ルートにするためであった。旧火力発電所についても、外観からは見つけられない何らかの要素が隠されているかもしれないと、セロは考えた。


「どうするんです、師匠? この果たし状とやらに素直に従うんですか? 僕も同行したほうがいいんじゃ」

「ティオはまだ完治していないし、例の訓練も終えていないだろ。それに、このフェンネルという奴、俺たちがあのビルを去ってからすぐにカルダモとジュニパーに接触して俺たちが襲撃したことを把握したはずだ。ということは、お前の凍らせる能力の存在を性質によって忘れられる前に聞き出されて、対策されている可能性が高い。事務所の場所もバレているから、ダミー事務所に移って休養に励め」


 利き腕を負傷して氷弾を満足に撃つことができないティオは、戦闘能力が削がれてしまっている。セロとしてはその状態のティオを能力者どうしの戦いの危険がある場に出す判断は下せない。


「そういう師匠も、刀を出す能力はカルダモに見せてしまっていますよね。大丈夫なんですか?」


 ティオとしても、自分が活躍できないことは理解している。同じくセロもカルダモに対して指先から刀を出す能力について見せてしまったので、ティオは純粋にセロを心配して同行を願い出ていた。

 セロはティオの心配の声を聞いて、先ほどカワヒサ市長から告げられたレティナの言を思い出した。


「大丈夫、か。ふっ……」


 セロは握りしめていたフェンネルからの果たし状をそばの机の上に投げ、自らの両手のひらを自分の顔の方に向けてそこに視線を落とした。まぶたを薄く閉じると、手のひらの先に生意気な表情を浮かべたレティナの顔がぼうっと出現したように見え、セロは不意に笑ってしまった。


「師匠、何笑っているんです?」

「いや、すまんなティオ。俺は『大丈夫』らしいから、大丈夫だ」


 レティナがわざわざそのように言い残すということ。セロはレティナの言の意味をようやく理解できた。眼の前のティオにも聞こえない、音としても響かない小さな声でセロは呟いた。


(つまり、そういうことか。今日はおおっぴらにやったんだから、あいつが気づいていないはずがないよな)

「……師匠?」


 ティオには、セロが何を言っているのか分からなかった。

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