第031話 変身

◆ ◆ セロ視点 ◆ ◆


「あ、しまった。この部屋盗聴されています。裏口から逃げられちゃいそうです」


 レティナは慌てて言葉を付け足した。

 なるほど、秘書の姿が変わった。

 そこから類推されることは、まず秘書に化けていた奴は《眼の能力》を持っている。そして、その秘書がカルダモ市長に化けてあの写真に写ったという可能性。なぜそんなことをしたのかは分からないが、秘書を確保する必要がある。いや、姿を変えられるということは、そもそも秘書だったのか怪しいな。

 相手のことを考えても解決には結びつかない。思考を切り替えて、急ぎ行動に移す。


「市長、この部屋に市役所の見取り図はありますか⁉︎」

「あ、ああ。部屋にはありませんが、ドアから外に出てすぐのエレベータの横に……」

「感謝します! レティナ、行くぞ」

「了解です!」


 まさか、この市役所で事が起こるとは予測していなかった。市役所内部の構造は正確に把握できていない。相手が姿を変えられるとなると、人の多いこの市役所では目を離すと逃してしまう可能性が高まる。

 しかし、こちらにはレティナがいる。


「レティナ、見逃していないか?」

「大丈夫です」


 レティナを引き連れて、エレベータ横のフロアガイドの前に来た。一般の市民が入れるフロアは1階から3階だ。


「セロさん、この見取り図を写真に撮りますね。各階を縦横に20分割して座標を作ります。逃走したターゲットの座標と外見情報を随時タップ信号で送ります」


 さすがはレティナ。俺のやりたかったことを理解してくれている。


「ナイス。俺は秘書を捕縛しにいく」

「お願いします。今はピンクの薄い上着を羽織った茶髪セミロングの女性に姿を変えて、2つ下の階、3階にいます」


 レティナの口ぶりには、少し後悔の念が含まれていた。部屋が盗聴されていると勘付くことができていれば、奴が能力者であると気づいたことを悟らせずに、無警戒の状態で捕縛することができただろう。それを悔いているのだろうが、仕方のないことだ。

 そもそも、レティナの監視下では逃げられるはずもない。結果は変わらない。


◆ ◆ 逃亡した秘書視点 ◆ ◆


 何なんだ、あの何でも屋の奴ら。やはり、超能力の存在を知っていたのか。


 レティナという女、俺が応接室の控室で姿を変えたことを目撃したと言っていた。つまり、それは透視か何かの方法で俺の姿を認識したということじゃあないか。完全に油断してしまっていたな……。

 どの程度まで監視できるのかは分からないが、もしかすると俺はまだ眼で追跡されているかもしれない。だが、見失った可能性も十分にある。そう考えると、一般人に扮した今の状況で走って逃亡することは目立ってしまってよくない。不自然さがない程度に、足早に階段へ向かっていく。


 3階から2階に降りる階段を降りようとしたとき、折り返しの踊り場の窓が開いていることが気になった。いや、違う。開いているのではない。窓枠から丸ごと無くなっている。


 先進的な意匠が施されたこの市役所は、窓ひとつとっても規格とは異なったものが利用されている。踊り場の一枚窓は大人が2人並んで横に腕を広げた程度の大きさがあり、開放感あふれる構造となっていた。市民からは逆に落ちそうで怖いと不評を買っているらしいが。

 そういった窓ばかりが採用されていることから、この市役所のほとんどの窓は分厚いはめ殺しの強化ガラスが利用されていたはずだ。


 しかし、今、俺の目の前の窓はアルミの窓枠からぽっかりと無くなっている。冷房の効いた役所内の空気と、8月のうだるような外気が、ちょうど俺の立っている地点で混じり合っているのを感じる。

 窓の手前には簡易な金属柵が設けられているものの、近づくと落ちてしまうのではないかと思って足取りが重くなる。窓側に寄らないようにインコースを通って2階へと向かうことにする。


 踊り場を曲がって2階への階段を1段下り、窓に背を向けた瞬間。

 俺が今着ている女物の上着の後ろ襟が強く引っ張られた。


「うげっ⁉︎」


 首がっ、絞まるっ!


「お前はお嬢さんか? それとも、おじさんか? ちょっと空を飛んでみるかい?」


 なんだ⁉︎

 野太い男の声がかけられるとともに俺の身体が宙に浮き、後方へと高速で飛ばされる。

 先ほど開いていた窓に向かって、背中から飛び出すことになる。俺の視界は、すぐに市役所全体を収めることになった。なんなんだ、これは。


 わかっている。これは、あの男による仕業だ。何でも屋のセロ。

 セロも当然に超能力者だったというわけか。

 いや、そんなことを考えている暇ではない。このままでは地面に激突してしまう。

 だが、飛ぶ速さに圧倒されて思考がまとまらず、俺の超能力をうまく使えない。


 だんだん、地面がっ、近づいて、くっ……!


 ……?

 何だ?


 さっきまでの勢いが無かったかのように着地した。空を飛んで移動することがセロの能力だったのか?

 周囲を見ると、ここは市役所の隣の自然保護公園だ。その森林区域の土の上に、両足を伸ばしてケツを地面につけて俺は間抜けに座らされた状態となっている。


「さぁて、数秒だったが空の旅は楽しかったか? ここは周囲に人も居ない。答えてもらおうか、お前はいったい何者だ?」


 後ろから声をかけられた。セロだ。


「……リィンだ。市長の秘書をやっている」

「ほう。それは本名か? 本当の姿を見せてくれ」


 俺の右頬に冷たい何かが当たった。俺の視界の右下端から、鋭い刃物が伸びている。


「く……、なあ、あんたも超能力者なのか? ……痛ゥ!」

「こらこら、質問しているのはこっちだぞ。それに、答えの分かりきっている質問で時間を浪費するんじゃない」


 頬を切りやがった、こいつ!

 まずい、このままでは殺されてしまう。こんな半端な仕事で命をかけてたまるかよ。


「分かった、分かった! 元に戻るから、その刃物下げてくれ」

「ほれ、どうぞ」


 後ろに立っているセロの姿を捉えることはできないが、視界から刃物が消えた。依然として、背筋にビンビンと殺気が突き刺さっている。俺の死角でさっきの刃物を構えているに違いない。


 「これが俺の素顔さ、へへ、へへへ」


 着地から時間が経って思考がまとまってきた。今ならあの力も使える。


◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆


 女性に化けて逃走していた人物は身体の周囲に黒い霧を展開させ、その身体を体長10センチ程度のコウモリに変化させた。そして、木々の隙間を縫い、一気に飛び上がった。


「ふむ、人に化けるというよりは、何かの生物に成り変わることができる能力か。わざわざ飛びにくそうなコウモリに変化したあたり、哺乳類の縛りでもあるのか?」


 セロは、コウモリと化した人物に逃げ去られても冷静であった。能力を分析しつつ、スーツの上着の内側に手を滑り込ませた。


「備えあれば憂いなし、だな」


 セロはスーツに仕込んでいた小型拳銃を取り出して右手で握り真上に高く掲げた。右肩で右耳を、左手の指先で左耳の穴を塞いで、引き金を引いた。

 激しい発砲音が鳴り響き、少し薄暗い木陰の中に閃光が走った。だが、銃弾は発射されない。


「市役所に本物を持っていくわけにはいかないからな。コイツを持ってきていてよかった」


 敵が襲ってきた時の備えのため、セロとレティナは爆音と閃光を迸らせる拳銃型の道具を携帯している。不審者捕縛用の道具として警備業界などで利用されている、小規模閃光爆弾を拳銃型にしたものだ。

 拳銃を模しているのは、分かりやすく暴力の形を示すことで敵への威圧の道具としても使えるようにするためである。光と音によって目や耳に傷害を及ぼす危険はあるが、銃砲等所持違反条例の対象外であるため、セロたちは今回のような公的な場に出るときには携帯することにしている。なによりも、レティナは《観測スペクティ》により閃光による目眩ましを無効化できるので相性がよい。


 セロが拳銃の表面についた汚れを指先で拭っていると、数メートル先に黒い物体が落ちてきた。人間であっても目眩を起こさせるほどの激しい閃光と音は、鋭い感覚器を持つ小動物であれば当然に気絶させられる。その黒い物体、コウモリが土の上にトスンとぶつかった箇所に黒い霧が現れ、そこから50代くらいの男性が現れた。

 髪も髭も伸ばしっぱなしで顔面は毛むくじゃら。しばらく洗濯しておらず薄灰ぼけた黄色のシャツに履き潰したジーンズを着用している。そんな外見には気を遣っていなさそうな男が気を失って仰向けに倒れている。

 セロはその男の横に移動し、男の頬を靴先で突いた。


「飛んで逃げるより、猪とか熊とか、デカくて刃を通しにくい動物に変化した方がよかったんじゃないか? 閃光拳銃で気絶するような小動物は悪手だったろ」

「う、ぐ……、あれ?」


 男は目を覚ました。自分の衣服や顔を触って、男は自分が気絶して元の身体に戻ってしまったこと悟った。


「さて、聞こえているか? もう逃げようとは考えるなよ」

「は、はひ……」


 セロは右手の人差し指から刀を伸ばし、倒れている男の顔の上で振り子時計のように、ゆらゆらとその刀を振った。男の黒い瞳が、その先端を左右に追いかける。


「お前、好きな哺乳動物に化けられる能力を持っているのか?」

「……あ、ああ。哺乳類なら何でも良いわけじゃあなくて、食べたことのある動物じゃないとダメで……」

「食べたことがある、それはコウモリも、人間もか?」


 セロは怪訝な表情を浮かべて男を見下ろす。


「あっ、いや、肉じゃなくでもいいんだ。調理したものでも、切り離した頭髪でも、そういうものを一度に何十グラムか摂ればよくて。そうすれば、3日間くらいはその人間とか動物に変身できるんだ」

「それでも食べたという事実が気持ち悪いのは変わらんが、なるほど、そういう能力か。人間であれば衣服や体臭、動物であればその機能までも含めてコピーできるとすると、かなり強力だな。それゆえ、本人は一切容姿を気にしなくなっているってのは面白い」


 この男のように、自身の身体を変化させる内向系の能力は《眼の能力》の中でも多い。ただ、食べた哺乳動物であれば何でも3日間限定で変身できるというように、条件付けのある能力は珍しい。おそらくこの男は、生物を食べることでその力が得られるという考えをもつタイプだったのだろう。そして、完全に消化して排泄してしまえば力が失われると信じているからこそ時間制限の条件がある。そうセロは考察を深めた。

 そうして能力の考察を深めていくうちに、セロは警戒を強めた。もしかすると、この男は鯨肉を食べれば一気に何メートルもの巨体に変化するという質量攻撃ができることに思い至ったからだ。見たところ、変化する瞬間には身体の周囲に黒い霧が生じるようだが、ブラフである可能性もあるのでいつでも高速で逃げられるように意識した。


「お前がカワヒサ市長を脅迫したのか? その能力を使って偽装の写真を作ってまで、何をしたかった? カワヒサ市長の本物の秘書はどうしている?」

「ぐ、言わなかったら俺を殺すんだろ?」

「そう思うんなら、わざわざ確認せずに答えたらどうだ?」


 セロは中指からも刀を伸ばし、2本の刀の切先を男の両眼に近づけた。


「わ、分かったよ……」


 男は冷や汗を流し、両眼をぎゅっとつぶって絞り出すように呟いた。


「俺は超精巧な変装によって工作活動をやる人間として売り出しているんだ。本物の秘書のリィンは俺のホームで保護している。もちろん、彼のことは解放するよ」

「ああ、なるほど。お前、『ブランチ』のロイジとかいう奴か。変装の天才がいると裏社会でも語り草になっていたな。お前のような能力者がブランチにいたのか」


 セロは男の正体に合点がいった。トスタ市近隣では何でも屋と同じように裏稼業を営む団体がいくつかある。表社会での貢献があることから、何でも屋はその中でも最も著名な団体と見なされている。本当に裏社会の者しか知らない団体の一つに、ブランチという組織がある。そこに所属するロイジという男が凄まじい精度の変装ができると有名であった。

 ブランチは、ロイジを始め変装や偽装工作に長けた技術者を複数人抱えていると言われている。実際に、セロも事を済ませた現場の証拠隠滅を依頼したことが何件かあった。


「俺もあんたたち何でも屋のことは知っているよ。周りに流れる噂としても、顧客としてもな。女がメンバーにいることは初めて知ったが」


 余計なことを口に出すなと、セロは刀を揺らすことで示した。ロイジは横一文字に口を閉じた。


「しかし、何でも屋を目の敵にしている『ベシーズ』の連中かと思ったが、まさかブランチだとはな」

「……あんな血の気が多い異常者連中と一緒にしないでくれ。市長がまさかあんたらに脅迫の件を単独で依頼しているとは思わなかったんだよ。そうじゃなければ、あんたらと敵対するような行動は取らない。今日、急に秘書として対応することになって驚いたぜ」


 ブランチの他に裏社会で名を馳せる団体に、ベシーズという組織がある。暗殺等の過激な業務を積極的に請け負っており、一部が競合する何でも屋に妨害工作を何度か仕掛けたことがある。その経験から、セロは今回の介入はベシーズによるものかもしれないと訝しんでいた。


「なるほどな。じゃあ、どういう経緯でお前は秘書に化けて潜入していたんだ?」

「あ、ああ、すまん。それで、俺は、あの写真に写っていた、シンワダチの役員の婆さんに頼まれたんだよ。コンファームドカメラで撮った写真で脅せって」

「シンワダチの役員に頼まれた? タヅナという名前だったか。脅迫の内容は、シンワダチへの新規研究拠点建設への協力停止だったはず。そんな自分の会社に不利となる脅迫をシンワダチの人間がなぜ行う?」


 単純に考えれば、市がシンワダチの事業に協力することは、会社としての利益に繋がる。裏社会の組織を介して脅迫するというリスクを冒してまでそれを妨害する意図がわからず、セロは語気を強めた。


「し、知らねぇよ。俺も言われた通りに進めただけで……」


 刀を向け続けられているロイジの顔面は脂汗だらけになってしまっている。セロの力に対抗する手段がなく本気で恐怖している表情だ。ロイジが話していることは真実であるとセロは読み取った。


「依頼先に渡す情報なんて、そんなもんか。いいさ、シンワダチの役員に直接問いただしてやる」


 セロは指先の刀を引っ込めた。


「俺のこと、解放してくれるのか?」

「ああ。ただし、今後、俺たちに協力し敵対しないことを約束しろ。協力してくれた分の金は払ってやる。お前の能力は有用性があるからな」

「分かったよ。今までも持ちつ持たれつやってきたんだ。そんなことでいいなら、もちろんだ。ははは」


 ロイジの表情に、危険から解放された淡い笑みが浮かんだ。


「能力ってのは、どうしても相性というものがある。お前は変身することでいままで上手く逃げ隠れできただろうが、俺たちには通用しないと思えよ」

「あの女の能力だよな。俺、ずっと監視されて追われていたんだな……」


 レティナの《観測スペクティ》といえども、対象が障害物を挟んで数百メートル以上離れたり超高速で移動したりすると見逃してしまう。しかし、セロはレティナの能力の限界をあえて伏せて、ロイジのことをいつまでも追跡することができると臭わせた。ロイジが敵に回ってしまう可能性を下げるためだ。


「なあ、踊り場の窓ガラスが丸ごと無くなっていたのはなんだったんだ? それに、空も飛んでいたが……」

「その質問への回答、俺が返すと思うか?」

「いえ、いいです……」


 ロイジを拘束することは不要だと判断し、セロは市役所に戻ることにした。

 ロイジが市役所奥の階段を通ることも、そこの窓から外に連れ出せば騒ぎを起こさずに確保できることも、リングフォンの通信を介してレティナから情報提供を受けていた。

 読唇術を身につけたレティナなら、今ここで話した内容も伝わると考えて、セロは宙に向けて語りかけた。


「ふう。さて、レティナ。見ての通り幸いにも事件は早期解決した。これから、カワヒサ市長とシンワダチのことで交渉するぞ」


 しかし、セロのリングフォンにはレティナからの通話も、タップ通信も返って来なかった。


「……レティナ? どうした、応答しろ?」


 セロは空間投影ディスプレイを点灯させて、フレンドのオンライン状況を確認した。リングフォンに搭載されているコミュニケーションアプリでは、フレンド登録したユーザについて、応答可能、対応不可、オフライン等のステータスを確認することができる。

 レティナのステータスは、オフラインであった。これは、リングフォンの電源を落としているか、指から外してしまっていることを意味する。一般的なリングフォンは満充電から20日ほど保つので、このとき急にバッテリー切れになるとは考えにくい。


「おい、ロイジ。お前、俺の部下の女に何かしたか?」

「へぇ⁉︎ 知らないですよ、何も」


 去ったと思っていた殺気が急に戻ってきて、ロイジは慌てた。


「……そうか。お前はブランチに帰ってろ」


 嫌な予感がする。セロはこれまでにない危機感を覚えた。

 《移動モヴィーレ》を展開し、迅速に市役所へと戻った。

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