第030話 トスタ市長
◆ ◆ レティナ視点 ◆ ◆
ティオ君が入院し、つい昨日に折れた右腕の手術を終えて退院を果たしたらしい。そういうわけで、今日は事務所に久しぶりにティオ君がやってきた。西トスタ第6ビルでの一件から、2週間後のことだ。まだまだティオ君の腕は治りきっていないので、しばらくは安静にしなければならない。そう言いつつも、ティオ君はセロさんと一緒に能力鍛錬を続けている。まったく、悪化しても知らないよ。
その2週間の間、しばらく私は大学での仕事も進めつつ、遺失物探しといった簡単な依頼をこなしてお小遣い稼ぎをしていた。
駅のゴミ箱に誤って捨てられていた依頼者の財布を見つけ出して回収し、何事もなく事務所に帰ってきた。手持ち無沙汰になった私は2人と雑談を交わすこととした。
「セロさんって、これまでどういった《眼の能力》を持っている相手と戦ったことがあるんですか? この前、迷宮に閉じ込める能力者の話は聞きましたけれど」
「あー、それ僕も気になります」
セロさんは作業デスク前に座って空間投影ディスプレイに映した依頼資料を注視したまま、私達の問いかけに答えてくれた。
「戦ったことある、というより会ったことある人でお前たちやスプールを除いてカウントすると、全部で7人だな。初めてがレティナの父のコルネウスで、触れたものを粉々にする能力。もちろん敵対したことはない」
セロさんはディスプレイから視線を外して上を向き、指折り数えながら記憶を探っている。
「硬貨や紙幣をコピーして生み出す能力者が2人目。あるメガバンクに関わる依頼でのターゲットだった。拘束したときに最後の抵抗で能力が暴走し、辺り一面から大量の硬貨を吹き出した。それで自分自身が硬貨の雪崩に巻き込まれてしまって死亡した。能力のコントロールが上手くない奴だったな」
能力の暴走のことをセロさんが危険視している理由がよく分かった。実際に能力で自滅してしまった人間を間近で見たことがあったんだ。
「無限に食事を摂ることができ、そのカロリーを異空間に貯蔵できる能力者が3人目。プロの大食い界隈で話題の人物で、その秘密を探ってほしいという依頼だったな。その能力者とは敵対はしていない。別に、大食い自体は自然なことだから、性質の影響も少なく社会に溶け込んでフードファイターを続けている。俺から教えるつもりはないが、ちょっと調べたらそいつの情報はすぐ見つかるだろうな」
《眼の能力》は、本人の資質を反映するらしい。食に関わる能力や先程の金に関する能力といい、根源的な欲に繋がるタイプが多いのだろう。
「4人目が前に説明した迷宮空間に閉じ込めてくる奴だった。能力者から敵意をもって襲われたのはこのときが初めてだったな。……相手には残念だが、返り討ちにさせてもらった。ちょうど4人目と戦う直前あたりで俺が《
私たちのように、能力者で徒党を組んで活動している団体はある程度いるようだ。情報消失の性質によって一般人とは意思疎通できないことが多いだろうから、能力者どうしで固まることは自然な流れなのだろう。
「全身の筋力を高める能力者が6人目。スクレラに類似する人物を追っていたときに遭遇した。そいつは性質により記憶が欠落している様子はなかったから、スクレラやカルダモとは異なり《眼の能力》による筋力向上で間違いない。残念ながら、込み入った事情で命を奪い合うことになってしまった。正直、戦っていて一番しんどかったのはこの相手だな。ティオが戦ったカルダモよりもはるかに強大な膂力で、《
イメージしやすい力であるほど、能力の強度が相対的に大きいというのがセロさんの説だ。自分の肉体が強靭になるというイメージは確かに容易い。シンプルな能力であるほど、逆に厄介なのかもしれない。
そして、以前セロさんは能力者の遺体を解剖してもらったと言っていたのはこのときだったのか。球体を眼に取り込んだ能力者を殺害したとしても、そこから球体を入手することはできない。《眼の能力》を得たいなら、球体が身辺に現れるまで待つ他ないというわけだ。
生きている能力者から眼を摘出したらどうなるんだろう、という猟奇的な疑問も思い浮かぶけれども、検証できる機会は訪れなさそう。
「スプールとティオを救って弟子入りさせたのはその直後のことだったかな。そして、7人目は、俺の姉だ。会ったことがあるわけじゃなく通話で連絡が来ただけだが。近況を話している中で、向こうから《眼の能力》らしき話題を急に出してきたから、おそらく能力者のはずだ。念の為、俺は何も知らないふりをした。その後、連絡は来ていないし、俺からチャットを送っても未読で無反応だ。それからしばらく、そう、レティナに会うまでは能力者と接することは無かったな」
セロさんの姉も能力者の可能性大。こうして聞くと、セロさんの姉弟、ティオ君の兄弟、私の父娘と、家族間のごく近い関係性のうちに能力者が偏在しているように感じられる。例の球体は神出鬼没で現れると聞いたけれど、もしかすると血縁関係が出現条件に関わっているのかもしれない。
「へぇ、師匠でも苦戦する人がいたんですね」
「そりゃそうだ、絶対は無い。それで言うと、雨やスプリンクラーで水が多い環境ではティオに勝てるイメージが湧かないな。俺は健闘もできず《
「えへぇー。ま、それはそうですけど」
にへらと笑うティオ君をセロさんが睨みで咎めた。ティオ君は慌ててそっぽを向いた。
「《眼の能力》とは異なるタイプかもしれない……とは思われていますけれど、スクレラちゃんの強さはどうなんです? セロさんは逃亡生活で共に過ごしていたので良く知っているんじゃないんですか」
「ああ、あいつは……、さっき言った6人目の身体強化能力者と張るレベルの力量だったと思う。スクレラの身体能力が成長するタイプなのかは分からんが、今も生きているなら相当な怪物になっているかもしれんな」
セロさんは自分の左前腕を擦るようなしぐさを見せた。もしかすると、スクレラちゃんを抑え込むときにそこを負傷したのかも。
「能力とは関係なしに強い、という観点でいうと印象的な人物が1人いたな。お前たち、カネユキ=サダという人物を知っているか? ニックネームのケンゴウとしての方が有名かもしれないな」
「私は知らな……。あ、いえ、ケンゴウですか? 昔、SNSで流れていた動画を見たことあります。剣道の試合で相手の竹刀を弾き飛ばして勝利を収めたとかいう伝説的な高校生とか」
「あ、僕もそれ見たことあります。そういう演技というか、やらせのようなものだと思ってましたが、違うんです?」
30年近く前の古い動画がSNSで再掲されていたことがある。そこに映っていた少年がケンゴウという名で呼ばれていたことが記憶の片隅に残っていた。彼の本名が、カネユキ=サダなのか。
カットを多用した動画で何が起こっているのかよく分からなかったけれど、そのケンゴウという少年が競技剣道の高校インターハイ団体戦で相手の握っている竹刀を弾き飛ばして次々と相手を反則負けにさせるシーンが収められていた。「伝説の高校生、ケンゴウ」なんてコメントとともに投稿されていた。
競技剣道はスポーツ興行化の流れに乗って半世紀ほど前に制定されたスポーツで、フェンシングと剣道を融合したようなものだ。竹刀と防具に仕込まれたセンサーによって厳密な判定が下され、打ち込む部位とその強度でポイントを得て勝敗が決定される。ゲーム的な要素が強く、元の剣道とは別物すぎるという批判もあるらしいけれど、数十年前から全国の中学高校の部活に組み込まれるほど浸透している。スポーツ中継でふと見たとき、身体のどこに部位にどういう攻撃が与えられたのかが画面端で可視化されていて、素人目線で分かりやすく面白そうだと感じたことがある。
競技剣道では、竹刀から両手を放すとセンサーの接続が切れて反則負けとなるらしい。つまり、相手の竹刀を弾き飛ばすようなマネができるならポイントを稼ぐまでもなく勝ちになる。元の剣道にもある巻き技という方法で竹刀を崩すことができるらしいけれど、インターハイ出場選手という上級者に対して竹刀を弾き飛ばすというのは、そうそうできるはずがないと思う。それを意図的にやってのけたケンゴウという当時の少年の実力は底が知れない。
「あの映像は、まあ……事実だな。俺は17年前にコルネウスと会議室で俺の父親とともに会ったことがあると言っただろ。その会議室にケンゴウがいたんだ。当時の奴は30歳くらいの全盛で、まさに剣豪というべきオーラを感じたよ」
「へぇ! そのケンゴウさんも、父さんに繋がる重要な人物ってわけですね」
「ああ。あの時俺は、部活の競技剣道に一筋の中坊だったから、ケンゴウの伝説は良く知っていた。同年代には敵なしで増長していた俺は、伝説との偶然の出会いに色めきだって、部活用に持っていた竹刀で手合わせを願ったよ」
両手で透明な竹刀を握るしぐさを見せて、セロさんは自嘲気味に笑った。
「その結果、師匠はどうなったんです?」
「ケンゴウは無愛想だったが、俺の願いを受けてくれた。ケンゴウは木刀を持っていて、手合わせに応じた。身体に竹刀をひと掠りでも入れられたら俺の勝利という条件だった。間合いを図りつつ俺の竹刀がケンゴウの木刀の切先に触れた瞬間に、どういう力が加えられたのか分からんが指が引きちぎれるような衝撃を受けた。木刀の先端で竹刀を撫でるような動作をされるだけで、しっかりと握り込んだ俺の竹刀が弾き飛ばされそうになったんだ。警戒していたおかげでなんとか竹刀は弾き飛ばされずに済んだ。だが、その力量の差は俺の競技剣道におけるプライドを粉々に砕け散らすのに十分だったよ」
「……それって、《眼の能力》なんですか?」
「いや、ケンゴウの技術だと俺は思っている。だが、《眼の能力》によるものだと思いたいほどだな」
セロさんは、今度は両手の指先を揉んでいる。竹刀が弾き飛ばされる感覚を思い出しているようだ。
「ケンゴウは超凄腕のボディガードとして今でも有名だ。あのときの会議室にも、コルネウスのボディガードとして呼ばれていたと考えるのが自然だ。その名は特に権力者のコミュニティで轟いている。命の危険が常に伴う環境で長年生き残って、最強のボディガードとして立ち続けていることを考えると、《眼の能力》を持っていても不思議ではない。俺が何らかの対象を襲撃するような依頼を受けるとき、念の為その対象がケンゴウと契約していないかの情報を掻き集めている。恥ずかしながら、相当な俺のトラウマになっているからな」
「十中八九、ケンゴウさんは父さんのボディガードだったんですよね。大金積んでも良いんで、なんとかお話聞くということはできないんですか?」
父さんボディガードということは、相当近い関係性であったはず。かなりの情報をもっていそうだ。
「残念ながら、俺はケンゴウに連絡できるツテがない。国の首脳クラスや超大企業の経営者といった権力者じゃないと面通しできないという噂だ。前金から十億、成功報酬含めて百億オーダーで考えないといけないらしいぞ。さすがにそこまでの金額は持ち合わせていない」
「うへぇ、そんなレベルなんですね」
ティオ君が仰け反って驚いている。ガラムの関係者がアングラすぎて特定できないのとは逆に、雲の上の存在すぎてアクセスできないこともあるんだね。
「さあ、雑談はおしまいだ。今日集まってもらったのは次の依頼の話をするためだ」
そうだった、今日はセロさんが今後の方針を全員に共有したいとのことで集まったんだった。
「実は少し前に依頼自体は来ていたんだが、それなりにビッグな相手が依頼者ゆえ受託を渋っていたものがある。それを受けようと思っている」
「それなりにビッグな相手? セロさん、どなたですか?」
「ここトスタ市の市長、カワヒサだ」
おお、なかなかのビッグネームだ。カワヒサ市長といえば、このトスタ市に住む者として知らない人はいない。25年も連続して市長として務め続けており、その手腕と人柄の良さから市民に受け入れられている。この前の市長選のときには、得票率90パーセント以上で当選していたはずだ。トスタ市の顔とも言ってもよく、全国にもその人気は伝わっている。
「カワヒサ市長とシンワダチ社は蜜月の関係だ。シンワダチは多額の税金をトスタ市に納める超優良企業。市の予算の80パーセントはシンワダチ関連企業からの税収入と寄付金が占めているとも言われている。そして、そのお返しとしてトスタ市としてもシンワダチに対して公的に相当の便宜を図っている。研究所の用地確保やトスタ大学とも連携した産学連携の橋渡し役を担っているという有名な話はその一端だろう。もちろん、そこには裏金など違法な取引は一切認められていない、クリーンな関係だ」
シンワダチ社がリングフォンで成功してからというものの、トスタ市の経済状況は凄まじく向上した。シンワダチ社の開発力もさることながら、カワヒサ市長による政治行政のサポートがなければシンワダチ社の成功は無かったと評価されている。
トスタ大学はその経済的な恩恵にあやかっていることが多い。私が《眼の能力》を得た直後にお世話になった医務室も、シンワダチ社からの寄付金で成り立っている。私のいる原子位相学研究室は様々な学術機構からの助成がそれなりにあるので必要とはしていないけれど、研究に対する寄付金も多く投げてくれているらしい。
「つまり、カワヒサ市長の依頼を成功させてコネクションを得ることができれば、シンワダチに接触しやすくなるから受けようという算段ですね」
「ああ、早速だが明日に面会を申し込んでおいた。朝10時に市役所前に集合だ。正装を着てこいよ、レティナ」
さすが、セロさんは仕事が早い。しばらく外向きの正装なんて来たことないけれど、ちゃんとクリーニングした状態だったかな?
「あの、僕は……」
太いギプスを巻いて首から腕を吊っているティオ君が、おずおずと口を開いた。
「ティオ、お前は腕の治療に専念しつつ、例の技の調整を続けるのが優先だな」
「うぐぅ、分かりました……」
今回は、私とセロさんでのタッグで依頼をこなすことになった。ティオ君は私を恨めしそうに睨んでいる。
◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆
2120年8月9日金曜日。
何でも屋のセロ=ミデンとレティナ=ホイールは、スーツに身を包んでトスタ市役所を訪れていた。
トスタ市役所は数年前に建物を改修し、先進的な建築構造を採用している。市民が利用する諸申請を行うコーナーでは、空中に浮かんだ空間投影ディスプレイで案内誘導が示されている。各窓口に設けられた直径30センチほどの大きな穴にリングフォンを装着した手を入れると、本人認証とともに様々な市のサービスにアクセスすることができる。
市民と対面で対応するスタッフのほとんどは最新式の人型ロボットであり、可能な限り省人化が突き詰められている。トスタ市に本拠地や研究所を置く多くの先進企業の製品が採用されており、一種の先進技術の博覧会のようにも見える。
「なんだか最近、スーツを着る機会が多いな、俺」
「私は学会発表でそれなりに普段から着る機会は多いですけれど、なんだか肩周りが少し窮屈になったような……。トレーニングの成果が出てきたんですかね」
「俺から見たら、何も成長していないように見えるが……」
「ぐぐ……、そんなぁ」
待合用の椅子で2人が談笑していると、涼しげなシャツを着た短髪の男性がやってきた。明るい茶色髪の20代真ん中くらいの好青年である。
「失礼します。お待たせしました。市長秘書のリィンと申します。特別応接室までご案内いたしますので、こちらまでお越しください」
秘書のリィンに連れられて、セロとレティナは横に並んで歩いた。
「リィンさん、お若いんですね。秘書のお仕事は長いんですか?」
なんとなく黙って歩くのが気まずく、レティナはリィンに雑談の話題を投げかけた。
「ああー、えっと、ちょうど1年ほどでしょうかね。前任の方が急に体調不良で職を辞されたとかで、たまたまこの秘書職の採用があったんです。世間でも著名でお忙しいカワヒサ市長ですから、是非サポートしたいと思い志望しましたら、ご縁がありまして。忙しくも楽しく仕事できております」
「はは、いいですね、それは」
「うむ。若くて立派だな」
3人が何でもない平穏な会話を重ねていると、目的の特別応接室までたどり着いた。
「市長、何でも屋の方々をお連れしました」
特別応接室の重厚な木製のドアを開き、リィンは中でエグゼクティブソファに座っていたカワヒサ市長にそう伝えた。カワヒサ市長は客人を迎えるために恭しく立ち上がった。
「おお、君たちが噂の何でも屋さんですか。どうも、市長のカワヒサです。市民の困り事を何でも解決してくれるんだと、君たちの活躍ぶりは役所にも届いていますよ」
カワヒサ市長はセロとレティナに挨拶した。秘書のリィンと同じく涼しげなシャツに身を包んでいる、紳士風の壮年の男性だ。白髪が6割程度混じった髪と口髭が、顔に幾本もはしる深いシワと合わせて威厳を感じさせる。
「過分なご評価、ありがとうございます。お会いできて光栄です。何でも屋のセロ=ミデンと申します」
「同じく、何でも屋のレティナ=ホイールと申します」
カワヒサ市長は手でソファに座ってくださいと合図し、セロとレティナはそれにしたがってふかふかのソファに腰掛けた。それと同時に、秘書のリィンは応接室の後方で応接用のお茶の準備を始めようとしていた。
「ああ、リィン君。私がいつも飲んでいる苦いお茶は客人向けではないでしょう。お水にしてくださいな」
「これは失礼しました。ただいま準備いたします」
リィンはカワヒサ市長の指摘を受けて、机に来客用の小さなペットボトル飲料水を置く。
「どうも、はじめまして。しかし、ホイールさん? 珍しい姓ですが、もしかして」
「ああ、はい。私、コルネウス=ホイールの娘です」
レティナは何でも屋における仕事では学術領域で使うペンネームの「ハウス」ではなく本名のレティナを名乗っている。こうして、父との関連を気づいてくれる者がいるかもしれないからだ。
「おお、彼に子どもさんがいらっしゃるとは知っておりましたが、まさか何でも屋で働いていらしているとは。失礼ながら、お父様は未だに見つかっていないとか」
「数奇な縁で、何でも屋にお世話になっております。カワヒサ市長は父について何かご存知でしょうか」
「ううーん、特に申し上げることはないですな。ノーベル賞受賞の年に、市長として大功市民賞をお渡ししたときに対面したことがある程度でしょうか。私が物理学や理科系分野に明るくないこともあり、定型的な挨拶のみで終わってしまいました。そんな僅かな会話でも、コルネウス様の言葉は心を動かす何かを持っていると感じられましたな。あれほどの傑物、人生でも他に2、3名出会ったかどうかというくらいです」
「……そうですか、ありがとうございます」
レティナは少しだけ困ったように眉をひそめて礼をした。
トスタ市に長い間ゆかりのある人物ならば、コルネウスと出会ったことのある可能性は高い。しかし、その誰もが行方知れずとなったコルネウスについての情報は持ち合わせていない。だからこそ、長年謎として残り続けているのである。
「早速ですが、依頼文にありました脅迫とは一体……?」
コルネウスに関する話はこれ以上発展しないと見込んだセロは、早速本題に入った。
おおまかな依頼内容はすでにセロ達に知らされていた。市長に対する脅迫を解決してほしいとのことだった。しかし、詳細は市役所での打ち合わせで共有させて欲しい旨が記載されていたため、今回はセロとレティナが市役所にやってきていた。
カワヒサ市長はリィンに目配せをすると、リィンは特別応接室の奥のバックヤードへと下がっていった。専属の秘書であってもあまり共有したくないセンシティブな内容であると、セロとレティナは読み取った。
「実は、数週間前にこういう手紙が私の机の上に置かれていましてね……」
カワヒサ市長は、少し躊躇いながら机の上にL版の写真を添えて、文字だけが書かれたA4サイズの紙を置いた。
―シンワダチ新規研究拠点事業への協力を直ちに停止しろ。汚職の証拠を公開する。
紙にはそのように大きく文字が印刷されていた。写真には、明らかにカワヒサ市長である人物が老齢の女性に対して、多額の現金が隙間から覗くアタッシュケースを手渡しているシーンが収められている。
「この写真は、一体?」
セロが写真の内容について確認する。カワヒサ市長はこめかみのあたりを人差し指で掻き、困ったように口を開いた。
「それがですね、この光景にまったく身に覚えがないのですよ。私と思しき人間と金銭のやりとりを行なっている方は、シンワダチの古株の役員であるタヅナという女性です。裏金取引と不倫の両面で告発する、と写真の裏側に書かれています」
「脅迫といえば昨今話題の爆弾魔による犯行かと思っていたのですが、違うようですね。しかし、こんな写真なんて、生成AIでいくらでも捏造できるのではないでしょうか? 最近では、数十秒の動画と人物の基礎情報を入力するだけで高精度に該当人物をトレースしたダミーを生み出すことができますよ。警察には相談されたのですか?」
セロが最新技術の動向も踏まえて深掘りすると、カルダモ市長は深くため息を吐いた。
「そうですね、トスタ市議を襲った爆弾魔の件は刑事事件で進めてもらっております。この件も、もちろん警察に相談しました。刑事の方に、こんなものは捏造だと主張したのですが、どうやらこの写真は特殊なカメラで撮影されたものらしくてですな……」
「特殊……? まさか、コンファームドカメラでしょうか?」
「そう、それでございます。撮影から写真の出力、そこに残されたタイムスタンプや位置情報まで一切の改竄ができないようにされているものですね」
何十年も前から生成AIを悪用した証拠の捏造が続き、司法の場に大きな混乱をもたらしていた。それを解決するために、あらゆる電子的なファイルには改竄が困難なタグを内部に保有するように規格化されることになった。映像や画像、音声などが最終化された後に編集されると、タグが外れるため証拠能力を失う。
しかし、画像を物理的にプリントアウトすると、タグは消えてしまう。紙などの物理媒体は適した環境におけば非常に長期間保存することができるため、どんなに技術が発展した世の中になっていても印刷して保管されることは継続されている。物理媒体の証拠能力を保証するため、数十年前からコンファームドという規格が世界的に採用されることとなった。
コンファームドカメラとコンファームドプリンタであれば、それで撮影されて出力された写真の証拠能力が保証されるよう、特殊なインクにより複製困難なハッシュコードが紙に埋め込まれる。そのコードを解析することで、写真が改竄されていないことを示すことができる。
「なるほど。コンファームドカメラによる写真であれば、警察もこの写真は本物だと判断するでしょうね。ただ、それであっても、写真そのものが改竄されていないことを保証するのみで、被写体が本物であるとは限りません。特殊メイク等でどうにでもできます」
「はい。私も特殊メイクなどによる工作だと思っています。まったく、困ったものです。私は25年間、清廉潔白にこのトスタ市を発展させることにすべてを注いできました。個人的な損得のために、市に害を与えるようなことはいたしませんよ」
カワヒサ市長は、眉間にシワを寄せ、膝の上に置いた拳をより強く握った。
「どうか、この脅迫の犯人に関わる情報を収集していただけないでしょうか。これは市からの依頼ではなく、私個人による依頼です。どうか、よろしくお願いいたします」
二人から背中が見えるほど、カワヒサ市長は深々と礼をした。
「分かりました。全力を尽くします」
セロとレティナは、同時にそう答えた。
「……セロ様、レティナ様、ありがとうございます」
カワヒサ市長は目に薄く涙を貯めて、再び深々と礼をした。
レティナは早速仕事に移ると言わんばかりに素早く写真を手に取り、顔の前に持ってきた。
「そうですねぇ、今はほとんど暗号通貨で送金することがスタンダードです。わざわざ現金でやりとりするなんて、通信環境や電気インフラが限られる場合か、金の動きの履歴を残したくないときですよ。暗号通貨なんて全部の送金履歴が開示されますからね。この写真のシーンは『はい、私たちは不正をしています』とわざとらしく主張しているように見えて、怪しいですね」
背景に何かが写っていないかをレティナは丹念に調べ出した。写真の詳細な調査はレティナに任せて、セロはカワヒサ市長により綿密に状況を確認することとした。
「さて、その手紙を見つけたときの状況などをお尋ねしたいのですが……」
セロが話を切り出そうとしたその瞬間、レティナは写真を雑に机の上に放り投げ、横に座っているセロの顔の前に手のひらを広げて言葉を制止させた。
「……あの、セロさん」
「どうした? レティナ」
「犯人、分かりました。秘書です。さっき、後ろに下がっていった秘書、姿が変化しました。衣服を含めて、一瞬で別人に変わりました。能力者です」
レティナは、常に周囲数十メートルを透視して異常が無いか警戒している。特別応接室の後ろの控室にいたリィンという秘書の姿が一瞬で変化したことを目視した。
「……は?」
カルダモ市長もセロも、レティナの突然の報告にそう反応するしか無かった。
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