第029話 指導
◆ ◆ 第三者視点 ◆ ◆
カルダモの過去を押し黙って聞いていた何でも屋一行の中で、最初に口火を切ったのはレティナだった。
「肉体の重位相化……。重位相化の実用化が始まった最初期にそんなことができていたなんて」
レティナは、カルダモの身体に施された未知の技術について思考を巡らせていた。
セロはレティナが思考の渦に入り込んでしまったと判断し、レティナを放置してカルダモに向けて追加の質問を投げかけた。
「最後に出会ったという男は、もちろんコルネウス=ホイールではなかったんだよな?」
「ああ、明らかに違った。ウチんとこの組織の古参のお偉いさんだろう。今の俺には直接的な関係はない。会ったのはそれっきりで、名前も知らん」
広義ではガラムの情報漏洩に当たるのだろうが、カルダモは話しても問題ない範囲と考えて古参の情報を伝えた。
「その男が今もガラムにいるとしたら、相当な地位にいる人物だろうな。ガラムの創設に関わっていて、現在は地区幹部であるカルダモでも知らないほどの者か」
カルダモとて、トスタ周辺を束ねる一介の地区幹部である。さらにその地区幹部を束ねる主幹、そして、さらにその上のタイトルを持つ者達がいる。何でも屋一行は、まだ、ガラムという組織の一端しか理解していない。
レティナは思考の整理を終えたようで、セロの後ろ隣まで歩いてきた。
「次に調べるべきは、シンワダチということになりましたね」
「そうだな。その話を進めたいところだが、火災警報で自動通報を受けた消防がすぐにこのビルにやってくる。一旦ここは後にして、事務所に帰って次のアクションを検討しよう。ティオの治療も必要だしな」
「師匠、ありがとうございます」
少し離れたところで胸筋を鍛えるトレーニングマシンに腰かけて休憩していたティオは、セロに深く礼をした。
「カルダモ。急襲しておいて何様だと思うだろうが、情報提供感謝する。そろそろ消防が来るだろうから、俺たちは退散させてもらう」
カルダモは「はっ」と短く笑った。
「感謝してんなら、俺をジュニパーのいる上の階に運んでくれや。別に暴れねぇからよ」
「……分かったよ」
質問に真摯に答え有用な情報を提供してくれた者に対して、セロはそれ相応の態度と行動で示すことにした。
◆ ◆
セロに抱えられて、カルダモはジュニパーの倒れている6階の機械室に運ばれた。カルダモをそこに捨て置くと、何でも屋一行は西トスタ第6ビルから足早に去っていった。
「おい、ジュニパー。生きているか?」
全身をワイヤーで拘束されたカルダモは、横向きに寝かせられたまま3メートルほど先にうつ伏せで倒れているジュニパーに声をかけた。
「カル……ダモ、様。申し訳ございません」
ジュニパーの右足の先は爆破により欠損してしまっているが、適切な止血処理が施されており、目立った流血などはない。しかし、両脚があらぬ方向に曲がるほどの重体である。気を失いそうな痛みを我慢し、ジュニパーは喉の奥から絞り出すように返事した。
「謝るな。セロ=ミデンが救急と警察に連絡したそうだ。もう十数分の辛抱だ。このままお縄になっちまうがなぁ」
ガラムという暴力第一主義の組織において、特に圧倒的な暴力を有するカルダモの周囲には、恐怖によって従う者しかいなかった。ジュニパーだけは、しかし、カルダモの力を純真に尊敬し、献身的に協力した。物心付いてからずっと悩み抜いてきた社会的な疎外感に寄り添い、存在を肯定してくれる女に対して、カルダモは男女間の性愛とは異なる感情をジュニパーに抱いていた。
「ぐっ……。カルダモ様のお力であれば、警察から逃れるなんて容易いことです」
「俺はわざわざ大人しく捕まるつもりはねぇよ。だが、お前の怪我は明らかに治療が必要だ。しばらく安静にしとけ」
「……ありがとう存じます」
無理に上体を起こそうとしていたジュニパーは、その言葉を受けて力を抜き、床に顔を突っ伏した。
「そういや、ジュニパー。天井を引き裂くよう俺にチャットしてきたときに、工場側から応答がないことも書いていただろ。あれはな、セロ=ミデンが工場の人員をぶっ潰したからだとよ」
「やはり……。レティナという女からも、そのように聞きました。工場に居たのは一般構成員とはいえ、それなりの手練れだったはずです」
工場に居た構成員の数名は、違法薬物の製造の専門家であり戦闘には長けていない者だった。射撃や近接格闘のスペシャリストも含まれていたので、少しばかり力に自信がある程度の人間で制圧するのは困難なはずだった。
「セロも、その部下のガキもよくわからん超能力をもっていた。指先から刃物を伸ばしたり、スプリンクラーの水を凍らせたりな。確認できてねぇが、一緒にいた女も超能力者なんだろうな。どんなに腕っぷしが強くても、この身体に巻き付いたワイヤーを引きちぎれない程度の力じゃどうにもならねぇ。くそが」
カルダモは腕を広げてワイヤーの切断を試みるが、ギリギリと耳障りな音が響くだけでなどうにもできなかった。カルダモが特に自信があるのは両手で掴んだもの縊り千切ることであった。鉄骨のように剛性があるものを掴めるのであれば、それを腕力で捻り切るなど容易いことであった。今のように両腕の自由を奪われて、全身に何重も巻き付いたしなるワイヤーを切断するのは、難しかった。
「そういえば、その女が言っておりました。《眼の能力》がどうとか、性質により覚えていられない、とか」
「セロの野郎も、どうせ忘れるから見せてやるとか言ってから指先から刃物を伸ばしていたな」
2人の間に数秒間の沈黙が流れる。
「つ、つまり、奴らの超能力のことを、これから私達は忘れてしまうということでしょうか……? そんなことがあるわけは」
《眼の能力》に関する記憶が失われるという性質。数時間後には今の会話の大部分の記憶は自然に抜け落ちてしまう。それは、常人の2人とっては、特に信じられないことであった。
「信じられねぇが、本当にあるんだろう。そうじゃなきゃ、自分の力を曝け出すようなことはしねぇだろ」
「……そう、ですよね」
もしかすると、これまでに生きてきた中で超能力に遭遇したことがあるのに、忘れてしまったことがあるかもしれない。通常、常人であれば性質によりその違和感にすら気づけない。しかし、カルダモは能力の行使を受けた直後であり、体表にいくらか残ったティオの氷によって能力の影響を受け続けている状態である。偶然にも、性質による記憶の消失が滞っている瞬間であった。
「……いや、待て。おい、ジュニパー。この前、主幹に、俺がどうやって吹っ飛ばされたか覚えているか……?」
カルダモは違和感に思い至った。
「……いいえ。3ヶ月前に、カルダモ様が『指導』を受けたときのことですよね。まさか、主幹も?」
ガラムのトスタ支部では、大きな収益源となる違法薬物の生産ノルマが課せられていた。それが2期連続で未達だったゆえ、カルダモは上官から指導という名の肉体的懲罰を受けていた。
「ああ、そうに違ぇねぇ。あんなヒョロガリに俺は吹っ飛ばされた。だが、吹っ飛ばされたという記憶しか残っていねぇ。具体的に何をされたのか覚えてねぇし、それを今まで違和感にも思っていなかった」
カルダモは苦い表情を浮かべた。
「もしかすると、上の主幹クラスの奴らは超能力をもってやがるのか? どんなに組織に貢献しても、俺が地区幹部から主幹に上がる話はずっと出てこなかった。まさか、その超能力をもっていない限り……」
途端、2人が倒れている機械室の扉が開き、誰かが入ってきた。
「ヒョロガリですか。スマートな身体と言ってほしいものですね」
扉から、身長190センチ近い長身で痩せぎすの不健康そうな男が1人現れた。その細い体躯にフィットした紺色の大人しいスーツに身を包み、首に巻いた夏場に似合わない黄色いスカーフと真っ赤な髪が目立つ。細い銀縁の眼鏡が、暗い機械室の中で光っている。
「なっ! 主幹、申し訳ございません。まだトスタにいらっしゃったのですか。トーラス空港から本部に発ったと聞きましたが、どうしてここに?」
先ほど話題に出た人物の突然の登場に、カルダモは焦って言葉遣いを正す。
「私の仕事は駒と資産の厳正な管理です。工場からの定時連絡が途絶えて不審に思い、急遽戻ってきました。現地を見てみれば、工場の人員のうち、1名死亡、残りの7名は捕縛されて意識朦朧。ヤクの主要生産ラインは壊滅。そしてご両名を訪ねてみれば、この有様。なぜと問いたいのは私の方ですよ」
主幹と呼ばれた男は、右手を大きく広げ、その親指と薬指で眼鏡の両端を押さえた。親指と人差し指の隙間、そして中指と薬指の隙間から、鋭い眼がそれぞれ覗いてカルダモを刺す。
「しゅ、主幹にも定時連絡がい届くようになっていたのですか…。我々は、何でも屋のセロ=ミデンと、その部下2人にやられてしまいました。謎の超能力に為すすべがなく……」
カルダモの返答を受けて、主幹は眼鏡を押さえていた右手を下ろした。
「ほう。何でも屋のセロ君ですか。なるほど、彼が『持っている』という噂は本当でしたか。生身の人間相手であればカルダモ君なら無双できるでしょうが、オキュリシムス持ちであったとは不運ですね」
「オキュ……?」
主幹から発された聞き慣れない単語に、カルダモとジュニパーは困惑する。
「ああ、知らなくてもよいことです。超能力だと理解しなさい。しかし、能力者相手で仕方がないとはいえ、カルダモ君の罪が免責される訳ではありません。数日前にはディスクの大口取引が反故にされていましたし、今回は『指導』だけでは済まされませんね」
リングフォンに表示された何らかのメモを見ながら、主幹は冷徹にそう述べた。
「フェ、フェンネル様! 私に全責任があります。相手の術中に嵌り、何でも屋の人間をこのビルに招き入れたのは私です。罰を、責を受けるべきは私です」
ジュニパーは全力を振り絞って上体を起こし、名をフェンネルという主幹に必死に訴えた。フェンネルはジュニパーを見下ろし、同じ冷たい調子で口を開いた。
「ジュニパー君、お労しいですね。賢い貴女なら知っているでしょう。我々の組織において、レベルとタイトルは絶対です。指揮命令系統としてだけでなく、責任の所在も絶対です。このトスタ地区における地区幹部はカルダモ君です。そこで起きた問題は、地区幹部のカルダモ君の采配と責任で解決されなくてはならないのです。それが叶わず、レベル5地区幹部よりも上位、レベル6の主幹であるワタクシが矢面に立たざるを得ない状況になっている時点で、たかだかレベル4の幹部代理の首でどうにかなる問題ではございません」
ジュニパーは、痛みとは異なる苦悶の表情を浮かべ、身体を再び床に臥した。
「ジュニパー、黙っていろ。申し訳ございません、フェンネル主幹。指導でも懲罰なんでも俺が受けますよ。ジュニパーは関係ありません」
入室してから無表情を貫いていたフェンネルは、口角をわずかに上げてほくそ笑んだ。
「よろしい態度です。では、記憶が薄れないうちに、何でも屋のセロ君とその部下が有するオキュ、いえ、超能力ついて教えてくださいませ。警察や救急の到着は私のコネクションで握りつぶしておきましたので、ご安心ください」
ガラムの上層部が動き出す。
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