第028話 人体実験

◆ ◆ カルダモの独白 ◆ ◆


 筋ジストロフィー症って知ってっか?

 ああ、筋肉のタンパク質を正しく合成できなかったりして、どんどん筋力が衰えてって身体が動かなくなる病気だ。

 筋ジスにはいくつか種類があってなぁ、最終的に呼吸困難になって心臓の筋肉も衰え、成人前に死に至るものもあれば、活動量は常人よりも遥かに劣るが生存はできるタイプもある。俺は、その生存できるタイプの、そんなに重篤でない筋ジスに罹っていた。


 希少な病気だからよぉ、有効な対症療法や薬が開発されるのは遅かった。世の中の医師も製薬企業も、致命的なタイプの筋ジスを治療することに注力しやがって、俺が罹っていたタイプの筋ジスは後回しにされていた。

 その判断は全体的な利益を考えたら当然だと分かっている。分かってはいるが、どうも当時ガキだった俺は疎外感に苛まれていた。俺は、社会から取り残されたんだと思っていた。

 同年代のガキどもは元気にはしゃいで遊んでいるのに、病室で遠隔授業だけを受け続ける小学生時代を過ごしていた。痩せ細った腕を見つめて、ため息をつく毎日だった。


 そして忘れもしない、19年前、2101年のことだ。筋ジスを治療する新たな手術が提唱され、その治験が始まるということで俺が候補の被験者となった。この鬱屈とした毎日に光指す、神の知らせだった。俺も、俺の親も喜び勇んでその話に飛びついたよ。そのせいで、盲目になっていた。

 後から調べて分かったんだが、治験、つまり臨床試験ってのは国の審査機関や病院の倫理委員会で認められたものしか行えないんだな。被験者の同意も必須で、未成年は保護者の代諾が必要だ。そして、治験の結果も世間に公開される。だが、俺が受けたものはただの人体実験だった。同意を取る書類や担当する医師や研究者、すべてそれらしく仕立てられていたが、ぜんぶ嘘っぱちだった。

 ああ? その実験について教えろって? まあ待て。


 その時点では気付いていなかったが、治験とは名ばかりの人体実験を受けることにした俺は、シンワダチ病院に搬送されたんだ。その当時のシンワダチは今ほどデカい会社ではなかったが、傘下の医療事業法人が中規模の専門病院をトスタ市内に持っていた。

 搬送されたあと、俺も、俺の親も、担当医師から説明される内容を、バカらしく期待の面持ちを浮かべて受け入れていたよ。どうにも、昨年提唱された重位相化なる技術を生体にも応用できるとかで、筋肉が分解されるよりも多くのタンパク質を筋肉に重ねて、筋力を保持する手法が開発されたとのことだった。全身麻酔導入後、薬剤を筋肉注射することで処置は完了するから、痛みを感じることもないとの説明だった。


 処置から目覚めた後、そのまま経過観察ということでしばらく入院することになった。事前に説明されていた通り、痛みもなにも感じることはなく、ちょっと筋肉の中が痒いようなわずかな不快感がある程度だった。

 3日後、ベッドに寝ながらでも感じ取ることができたよ。自分の身体を包み込む活力の充実さを。食器も持てないほどだった握力は難なくペンを握って文字を書くことができるようになった。歩行器を使わなくても何十分も歩き回れるようになった。処置は成功だった。


 しかし、目覚めてからというもの、親と会うことができなかった。俺の先天的な病気が発覚してから、自らを責めて献身的に看病し続けてくれた両親に、力強い握手を返したかった。しかし、カウンセラーからは、ある程度の期間を経てからじゃないと親であっても会うことはできないと言われた。カウンセラー以外にも何十人も白衣を着た人間がリバビリしている俺の周囲を取り巻いていたが、そいつらは1度も口を開くことはなかった。ただただ、俺は我慢したよ。


 病院に閉じ込められて1ヶ月も経過したころ、どうにもおかしいことが起きた。最初に気づいたのは、リハビリの一環で握ったペンをへし折ってしまったことだ。握力をコントロールできない。続いて、まっすぐ歩こうとしたらバランスを崩してしまう。地面の蹴り方を忘れてしまった。寝ている間に口に異物感を覚えて血を吹き出したかと思うと、奥歯を噛み砕いていた。俺の身体が、俺の身体を扱うのにちょうどいい感触を失ってしまったんだ。

 その症状が出ると、病院の連中が血相を変えて集まってきた。クソでかい白い布を持ってきて、俺の身体に巻きつけて拘束してきやがった。そんで、真っ白でふかふかの隔離病棟に俺を閉じ込めた。ああ、精神病を患った人間を送り込むようなところだ。


 その病棟に搬送されるときに、これまでダンマリを通していた白衣の人間の1人がぽつりと呟いたんだ。「ホイールさん、なぜこんなことを」とな。

 それは、同意用の書類に書かれていた責任者の名前でも、担当医の名前でも、カウンセラーの名前でもなかった。俺から見える範囲にあった名前はおそらく偽名だったと思っている。ただ、俺は、不意に耳に入ったそのホイールという名前を覚えておかないといけないと直感で思った。


 どういう理屈なのかは分からんが、毎日運び込まれる大量の食事を食べれば食べるだけ筋力がついた。筋力トレーニングとリハビリを重ね、自分の身体を自傷しないように制御する感覚も身につけた。その時の俺は、身体を動かすことができるという喜びだけを原動力に、病院という閉鎖空間の中を生きていた。


 時間感覚をいつしか失ってしまっていたから正確ではないが、俺は何ヶ月も隔離された生活を送った。しかし、あるとき、急に病室に食事が運び込まれなくなった。水は自由に飲めるようにされていたから1日は耐えたが、流石にどうにも空腹を我慢ができなくなった。今もそうだが、俺の肉体は異常にカロリーを必要とするんだ。

 そのときの俺には、隔離病棟のドアや鉄格子を引きちぎる力はあった。だが、俺の身体を自在に動かせるようにしてくれた研究者たちへの恩を感じてしばらく閉じこもっていた。これまで隔離された生活を我慢できたのも、恩義によるものだった。


 とうとう空腹が限界を迎え、飯を求めてドアを破壊して外に出ると、隔離病棟のどこにも誰もいなかった。研究者も、他の患者もだ。まあ、そもそも他に患者がいたのかすら知らねぇが。

 だが、つい最近までは研究者が居た形跡があった。俺に出されるはずだった固形保存食は冷蔵庫の中で放置されていた。どうやら、食事が来なくなったその日に、俺に何も告げずに研究者たちが居なくなったようだ。パソコンのデータも紙の資料もすべて消え去っていて、人体実験の内容や実験結果に関することは一切確認できなかった。


 卓上の時計に備えられていた日時表示を見ると、2103年の12月20日だった。2101年に入院していた俺は、2年も外界から隔離されて過ごしていたんだ。


 隔離病棟を脱すると、シンワダチ病院全館から人が消え去っていたことに気づいた。かなりの大型病院にもかかわらずにだ。何が起きているのか分からず混乱していた俺は、とにかく家に帰ってしまおうと思考を切り替えた。

 人体実験を受ける前、親に車で連れられて窓から見ていた景色を思い出しながら家路を辿った。ほとんど外に出ることがなかった人生だったから、2年の月日で少しばかり様変わりしていたトスタの街に戸惑いながら家に帰ると、家族で住んでいた貸家には知らない老夫婦が住んでいた。


 事情を話して老夫婦に家に招き入れてもらった。家にある家具はすべて様変わりしており、間取りとドアや柱だけに見覚えがあった。そこの主人に俺の両親の行方を訊いたが、何も知らない様子だった。老夫婦も、2年ほど前に空き家となった俺の家に何も知らずに入居してそのまま暮らしているだけらしい。


 絶望して泣きじゃくる俺を心配した主人が、おそらく慰めようとして俺の肩に手のひらを乗せた。そのとき、俺は反射的にその手を払おうとしてしまった。しばらくまともに人間と触れることがなかった俺は、不意の接触に対して敏感になっていた。

 そうすると、どうだ。俺の振った手が当たった主人の腕はへし折れ、その身体は後方へ大きく投げ出され、後ろにあった本棚に後頭部を強く打って動かなくなった。それに驚いた主人の妻は、数秒の放心のあとに玄関に向けて逃げ出そうとした。しかし、恐怖と混乱から足をもつれさせてしまい、廊下で転倒しちまった。


 俺は、自分の身体が凶器の塊になっていることを忘れてしまっていた。このままでは真っ当に社会で生きることはできない。筋ジスだったときも、それが人体実験により治って異常な身体能力を得てからも、俺は社会から外れた存在であることに変わりはないことに気づいた。

 それから狂気に走るのは早かったよ。

 転んで悶えていた女の脇腹を蹴り上げて内蔵を破壊し、静かにさせた。


 ああ、もう、俺には帰るところもない。

 最後に身体を動かせるようになっただけでも奇跡だったんだ。


 命を絶とうと、そこらにあったビニール紐を結って首をくくってみたが、俺の首の筋肉は極端に発達して固く、身体をぶら下げても少し息苦しさを覚える程度だった。首周りの強度に対して体重が極端に軽く、頸動脈や気道を塞ぐほどの力を与えられなかったらしい。

 それなら、高いところから飛び降りてしまおうと思った。さすがに頭から地面に激突すれば死ねるはず。

 しかし、外に出ようとしたところで、隔離病棟に運ばれるときに研究者が口からこぼしたホイールという名が気になった。ガキの直感だが、あの人体実験を主導した人物なのだと確信していた。

 その家に残されていたパソコンにはロックがかかっていなかった。だから、それを使ってホイールという人物について調べ始めた。検索したらすぐにそれらしい人物がヒットしたよ。


 コルネウス=ホイール。


 重位相化という現象を発見し実用化したという、その年のノーベル物理学賞の受賞者。そう、俺に施された処置の説明にも重位相化という技術が使われていた。その文字列が目に飛び込んだ瞬間、俺の中にわずかに残っていた疑念は消え去った。

 この男が人体実験を裏で画策して、俺に特別な身体を与えたんだ。そして、それにはシンワダチが関わっている。


 俺がからっぽの病棟から逃げ出した1週間ほど前から、大学での講演の後からコルネウスは行方不明になっているとのニュースがネット中を席巻していた。シンワダチ病院からの人の消失に加えて、コルネウスの行方不明。そこに関連性がないとは考えられなかった。

 そういった気になる謎は出てきたんだが、そのときの俺にはさらに調べる気力もなにもなくなってしまっていた。自死を踏みとどまらせる程度のきっかけにはなったが、まともに社会の一員として動き出して謎を解明しようとする原動力とはならなかった。


 どうにも煮えきらない自分に嫌気が差し、もう、いっそ、街中に出歩いて目に入った人間を引き裂いてしまいたくなった。そうすれば、自分の力を誇示することができ、自尊心を高められるとさえ思った。そして、警察か軍隊か何かが俺を正しく罰して殺してくれると考えた。

 自分の存在意義を失い、意識が定かでないまま、さらなる狂気に走るべく玄関のドアを開いた。


 ドアを開いた先に、見知らぬ男が立っていた。


「おお、君か。あの方が言っていたのは君だね。いいタイミングで会えて良かった。いいね、いい表情だ」


 男は俺のことを知っているような言葉をいきなり投げかけてきた。

 わけがわからなかった。

 男の顔は、逆光でうまく確認できなかった。まだまだガキだった俺にとってはセロ=ミデン並みに大柄なように目に写ったが、思い返すと今の俺より少し小柄な程度だったな。


「僕、いや僕たちはね、新たな組織を作っているんだ。素晴らしい才能を持っているにもかかわらず、社会から受け入れられなかった者たちを束ねる強固な組織だ。どうだい、君にぴったりだと僕は思うんだけど」


 その男は俺の胸の前に大きな手を差し出してきた。

 行き場を無くした俺の胸に、春先の暖かい太陽のようにその言葉が差し込んできた。

 この男はどうやって俺の境遇を知ったのか。どうやって俺の居場所を知ったのか。そんな事を頭で考える前に、差し出されたその手に反射的に応えて握手を交わしていた。

 そのとき、力加減を間違えてついその男の手を握り込んでしまった。だが、俺の異常な握力にも関わらず、男の手はしっかりと形を保っており、全く痛がっていない様子だった。


「いいね、力強い握手だ。ようこそ」


 ああ、これが、俺がこの異常な肉体を手に入れて、ガラムに入った顛末だ。そして、コルネウスとシンワダチに反応した理由だよ。

 ……これで満足か?

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